Hello,shining!3 レオはごく普通の一般家庭に生まれ、ごくごく平凡に生きてきた人間だ。三つ下の妹が、足が悪くて車椅子で過ごしている点は、やや平均の域から出ているかもしれないが。
三年前、世界一の大都市が崩落し、異界との境界都市として生まれ変わった後も、遠い田舎町で凡庸な生活を送っていて、その日々はずっと続くものだと信じて疑わなかった。
一年前の、あの日までは……。
家族で境界都市の対岸まで旅行に出かけたレオは、突如現れた神性存在に〝神々の義眼〟を埋め込まれ、その対価に最愛の妹の視力を奪われた。
妹の視界を取り戻す術を見つけるため、単身でHLに飛び込んだレオだが、半年経っても手掛かりは得られていない。裏社会で暗躍するライブラの情報収集力を持ってしても、神性存在というものは厄介なものらしい。それでも、レオ一人では見つけられなかったであろう〝神々の義眼〟についての文献を取り寄せてもらえたりと、お世話になっている。
〝神々の義眼〟は、まだまだ謎が多い。
一番の特徴は、視覚に関して絶対的な力を持っていること。レオがあらゆる生物のオーラを見分けることができるのもその一つだし、視る以外にも、他人の視界を共有することができる。その共有する力を応用して、複数人の視界を混合し、一時的に錯乱させることも可能だ。殺傷性はないが、敵の意表をついて逃げるときなんかには使える。非力なレオの数少ない武器だ。
と言っても、命の危機になるほどのことが起きない限り、レオは使う気がない。この力は、妹がレオの代わりに犠牲になって得たものだから。
「痛って」
くしゃみをした拍子に顔中の傷が疼き、声が漏れる。
外からの観光客に絡まれ、ボコられた顔の腫れは、一日ぐらいじゃ収まる気配がない。片目の瞼はいまだ痺れたように熱を持ち、頬の腫れに圧迫されて喋りづらいったらない。
命まで奪われなかったのは幸いだが、生活費はおろか、妹への仕送りの分までカツアゲされたのは、痛い。
そんな目に遭っても義眼を使わずに逃げなかったレオを、肩に乗る音速猿のソニックは心配そうに見つめている。
大丈夫だって。レオは安心させるように、指先でソニックの頭を撫でる。
「レオナルド」
背後から呼ばれ、振り向く。
水希だ。びっくりしたように目を大きくさせて、レオを見下ろしている。
「……うわ、えっぐ」
開口一番に正直なご感想。
レオも今朝鏡を見たけれど、自分でもこの顔はえぐいと思う。
「どしたの、それ」
さすがの水希にも心配された。
いや、でも、それが普通の反応だろう。どこぞの
SS先輩なんて、レオの悲惨な顔面には一言も触れず、愛人の猫を探すの手伝ってくれと泣き喚くだけだった。
「ちょっとカツアゲに……ハハ……」
水希だって、この街に半年以上住んでいる人類だ。カツアゲの一回や二回、出くわしたことぐらいあるだろう。そのまま被害者になるか上手く逃げおおせるかは別として。
「ああ……」
納得したように、小さく頷く。
「まあ、臓器までは取られなかったみたいだね」
「アハハ……」
これが下手なジョークじゃなくてマジな慰めになるのが、この街だ。金どころか臓器までせびられることが、ままあったりする。クライスラー・ガラドナ合意で異界人が人間を食べるのはNGなはずなのだが、被害者は後を絶たない。
「えーっと。それで、どうかした?」
水希から声をかけてくるなんて珍しい。偶然街中でレオを見かけたとして、彼女ならスルーしそうなのに。
レオの問いに、小顔をちょっと傾げて、なにか考える素振りを見せる。
「たぶん……落とし物」
たぶん? 落とし物?
レオも首を傾げると、水希はポケットから財布を取りだした。
見覚えのある財布……というか、
「これ、アンタのじゃない?」
水希の言う通り、昨日、レオが盗られた財布だ。
「えっ」
驚きに口を大きく開けかけて、途端顔に走った鋭い痛みに口を閉じる。
「何で水希が、俺の財布を?」
「落ちてきた」
レオから財布を強奪したチンピラが、用済みになって捨てたのだろうか。そう思ったが、中身はちゃんと入っている。妹への仕送りもだ。一ゼーロも減っちゃいない。
どういうことだろう。
財布がそっくりそのまま手元に帰って来るなんて、HLじゃ滅多に拝めない奇跡だ。
「どこに?」
水希が指を上に向ける。
ほっそい指だ。手全体の肉付きが悪すぎて、女性らしい線の柔らかさや滑らかさがない。骨張って、どちらかと言えば男性的に見える。サイズも女性にしては大きめだし。
「上?」
見上げるが、なにもない。頭上は霧が広がっているだけ。
「宙から急に、アタシの足元に、ぽんって」
先ほど、水希がおかしな言い方をしていたことに気づく。「落ちてた」じゃない。「落ちてきた」と。
「どういうこと?」
「アタシもよくわかんない。でも無事に戻ってきたんだから良いんじゃない? ラッキーってことで」
「うーん」
数秒頭をひねったが、確かにそうだなと思いなおす。
殴られ損だが、最終的に懐は痛まずに済んだのだ。不幸中の幸いってところだろう。
ここはHL。細かいことを気にしていたら、キリがない。
家族構成。父、母、弟。これといった特殊な経歴はなく、外界で暮らす一般家庭。
収入はビルの清掃業のアルバイト。
裏社会で暗躍するような組織との繋がりは、依然として見つけられず。
「──だが、こんな街で住んでる以上、普通の人間ではないよなあ」
ライブラの諜報員、チェイン・皇からの報告書を手に、スティーブンは呟く。なにせ、高度な光学機器やセンサーでも識別できない血界の眷属を、察知したのだから。
おそらくは、と頷いたチェインは、続ける。
「ここ最近は、他に収入源も増えたようで」
「と言うと?」
同じく報告書に目を通していたクラウスが、顔を上げてチェインを見る。
「ギャンブルです」
「ギャンブル! 田舎娘が、これはまた派手な遊びを覚えたもんだな」
それも治安なぞ下の下なHLで。
勝てばその辺のチンピラに絡まれるリスクが上がるし、負ければ金をなくすどころか命にだってかかわってくる。こんな街で賭け事なんて、金だけじゃなく命も賭けてるようなものだ。そもそも、用がなくともHLの賭博場なんて近づくだけでも危険行為。普通の人間は、まず近づきすらしない。
「普通ではないんでしょうね」
報告書を捲る。新聞紙の切り抜きと、本来なら門外不出であろう警察資料がまとめられていた。日付は今から十二年前。
ある家庭に不法侵入した男たちが、遺体で発見されたという事件だ。男たちは近隣で発生していた強盗殺人グループだったようで、このときもその家の住民たちを襲うつもりだったのだろう。だが死んだのは殺人犯たちだったわけだ。
男たちの遺体の写真を見ただけでも、奇妙な事件だとわかる。
どの男も、強く壁に叩きつけられたことで亡くなっている。壁に男たちの血や肉片がべったりと貼りついているのだから、間違いない。問題は、どうやって、だ。屋外であるなら、猛スピードで走る車に跳ねられて壁にぶつかれば、これに近い死体が出来上がるかもしれない。しかし現場は家屋の中だ。人が即死するほどのエネルギーは、どこから発生したのだろう。生身の人間では考えられない。クラウスほど人並外れた怪力持ちなら、まだ可能性はあるが。その線は警察も調べている。けれど遺体から、別の人間の組織片や、衣服の繊維は見つけられていない。誰かが素手、または手袋越しに掴みかかったという物証はなし。遺体の外傷も、壁にぶつかったもの以外は見つけられず。誰かの手によるものなら、掴まれたところに痕ぐらい残っているはずだ。
けっきょく、科学的に男たちの殺害方法は不明のまま、事件は迷宮入りとなっていた。つまり、犯人も明らかにされていない。
スティーブンは、事件現場の住民を見て、なるほどねと頷く。
父と母。子どもが二人。四人家族。
子どもの一人が、調査対象の少女。
当時は七歳。レオナルドの故郷に引っ越してくる前に起きた出来事だ。
「これ、死因だけど……呪術かなにかか?」
「わかりません」
チェインは首を振る。
異界の存在が公になってから、早三年。事件が昨日今日で起きたものなら、魔術的観点からも検証できただろうけれど、十年以上昔の話だ。遺体も現場ももう残されてなどいない。いまさら調査のしようもなし。
しかし、十中八九、魔術的ななにかが原因と思われる。これはどう見ても、科学的には説明不可能な現象だ。
「これが魔術の類で起きたものだとして……彼女が引き起こしたのだろうか」
「そう考えるのが妥当だな」
クラウスの推測で当たりだろう。
事件後、一家は引っ越している。当然と言えば当然。犯罪者とはいえ、幾人もの人間が怪死した家に住み続けたい者などそうそういない。無事故物件の方が少ないであろうHLならいざ知らず。
引っかかるのは、このとき水希だけが家族と離れて、祖母に引き取られているということ。
それ以降、彼女が両親と関わった様子は見受けられない。レオナルドも、彼女の親らしき人間は一度も見たことがないと言っていた。徹底的に関わりを断っていたと思われる。
「彼女を育てた祖母も、一般人?」
「ええ。今は高齢のため施設暮らしのようです」
家族はおそらく普通の人類、霧の外の住民。
彼女だけが、HLへやってきた。
いったいなにが彼女を魑魅魍魎跋扈するHLへ引き寄せたのか……。
「それと、彼女が間違いなく特殊な人物と推測した根拠ですが──」
チェインは険しい顔で報告した。
「私の存在に気づきました」
「君の?」
これには、スティーブンもクラウスも驚かされた。
チェインは一見、華奢でか弱い女性にしか見えない。だが彼女の正体は人類の女性ではなく、不可視の人狼。不可視という言葉通り、彼女は己の姿を消すことができる。それも、消せるのは視覚的情報には留まらない。物理的、果てには因果律まで希釈することが可能だ。彼女は目の前にある壁を傷一つつけずにすり抜け、誰の目に触れることなく侵入することができる。
チェインが存在を消せば、仲間であるスティーブンたちも、彼女を感知できなくなる。
なのに水希は、チェインに気づいた。
超人秘密結社ライブラ。ここには特殊な能力を持った人間が、何人もいる。構成員以外にも、その手の情報は多く仕入れている。
その中でも彼女は、珍しいケースに分類されるだろう。