【番外】Hello,shining!11箱の話
クズで横暴でこちらが金欠でも構わず財布を狙ってくるクズだが(大事なことなので二回言う)、今ばかりはザップだったらよかったのにと心底思う。
もちろん、水希が嫌いなわけではない。
ただ、軽自動車よりも狭い箱――お互いどこにも触れあわずにいるのは無理だ――に閉じ込められるなら、同年代の女の子より、同性の先輩の方が気まずい思いはしないというだけだ。ザップなら、狭いもっと縮めと蹴ってきただろう。あの乱暴さは、水希にはない。少しでも隙間を作ろうと、長い手足を必死に突っ張ってる。レオもなるべく壁と床に身体を押し付けているが、水希の方が窮屈そうだ。
「ダメだ……念力が使えない」
顔が近いので、大きく息を吐いたら相手の顔に当たる。だから二人とも、ひっそりとしたものになる。レオたちを閉じ込めるこの箱はいったいどんな素材でできているのか、空気穴らしきものは見当たらないが、今のところ息苦しさは感じられない。それだけが救いだった。
足が辛いのか、水希が身じろぐ。股間とか、デリケートな部位に当たりやしないかとひやひやする。
「精神感応力は?」
「アンタのも聞こえないね」
水希の武器は完全に封殺されたらしい。
瞼を開けて、箱の外を伺う。さすが神性存在が創っただけのことはあり、義眼は通じるようだ。
周囲には、同じサイズの箱が積み上げられていた。どの箱も、人類、異界人問わず、無理矢理詰め込まれている。もっとキツそうな体勢で苦しそうな人もいた。レオたちはまだマシな方だ。
「早く助けが来たら良いけど……」
「ヤバい」
「どうかした?」
「足吊りそう」
今まさに、レオが苦しそうだなと見ていた人類の男性が、足を強張らせて苦悶の表情を浮かべていた。声は聞こえないが、口をパクパクさせてることから、叫んでいるものと思われる。
「大丈夫か? もっと寄りかかっていいぜ」
あの男性のような思いをさせたら可哀想だ。気まずさは一旦脇に置くことにする。水希は今、レオの心を読めないのだし。
「でも――」
「いいから。水希軽いから、平気だって」
「そりゃ平均よりはね」
そろそろと、レオの反応を伺いながら。接地面が増えていき、体重がかかる。レオの薄い胸に頭が乗る。シャンプーの匂いがした。
まずったな。そう思った。心が読めなくても、これではレオの心臓の動きが水希に伝わってしまう。
水希がなにか言った。
「ん?」
「静かだ」
心臓がばくばく動いているのがわからないわけない。超能力の話だ。
「怖い?」
「変な感じ」
本誌ネタ
いったい何人の人の足を折ったのだろう。何本の腕を砕いたのだろう。
これ以上レオナルドを追えないように。その手に持つ銃でレオナルドを撃てないように。
こんなに一身に、大勢の敵意と殺意を受けるのは初めてのことだ。しかしぞっとしている暇はない。どんなにおぞましくとも〝耳〟を閉ざしてはいけない。相手の動きを読み取り、先に手を打たねばならないから。手足をあらぬ方へ曲げられる激痛を数えきれないほど共有することになっても。レオナルドが他者の眼球を操るとき思うように人を選べないように、感応する〝声〟を選別することはできない。耐えて、一歩でも追手から逃れるのみ。
今、彼を守れるのは水希しかいない。
水希が折れたら、彼が死ぬ。
この街ではいつ危機的状況に見舞われるかわからない。とろい奴、体力のない奴はすぐに死ぬ。そんな街で、さらに事件現場の前線に突っ込むような仕事をしているのだ。いかに身体能力に自信がなくとも、何度も繰り返せば嫌でも体力は養われる。上司からも、超能力者と言えど体力はつけろと指導されていた。
それでも、何年も異界の者たちと戦ってきた同僚たちには、到底及ばない。足は枷でもつけたように重く、前へ進もうとする意思に反して鈍くなる。息が苦しく、視界が霞む。いや、ほとんど見えていない。目元は燃えるように熱く、あまりの痛みに涙が溢れ、血と混ざって口に入った。この目の痛みは、レオナルドのものだ。
――心しておいてね。
――今回は無事に回復したけど、次もそうとは限らない。命を落としてしまった人の前例もある。本当に視力を失ってもおかしくなかったのよ。
白く濁る視界の中、子どもの容姿をした女医の忠告を思い出す。
(くそ。のっぽだ。のっぽの方を先に狙え。あっちが邪魔だ)
目が見えなくても、〝声〟で位置はわかる。〝手〟で触れたものから片っ端に力を込める。よほど丈夫な身体でなければ、一瞬だ。
「水希!」
レオナルドが叫んでいる。
遅れて、水希は自分が倒れていることに気づいた。他人の痛覚を感知しすぎて、自分が怪我をしているのかすらわからなかった。急いで手で足に触れるが、怪我している様子はない。
けれど足に力が入らない。
義眼の酷使による熱暴走と違って、水希の脳に蓄積されていくダメージは外見で判断することはできない。誰かの骨折の痛みを共有し続けているうちに、脳が自分の怪我だと誤認してしまったのだ。
水希の肉体は限界を超えた。
ならばと〝手〟を伸ばす。
大きな鉄の塊を捉えた。戦車だ。持ち上げ、振り回す。当然、骨折以上のダメージを与えることになる。打ち所が悪ければ死ぬ、それをわかった上で叩きつける。
誰かがミサイルでも発射したのか、爆音がした。肌を焦がすような熱風と煙に包まれ、身体が浮く。地面の方向すらわからず、受け身も取れない。
意識はレオナルドを追い続けた。
頑固にも、彼はまだ壺の中身を抱えている。
もうダメだと思った。
このままでは彼が殺される。
彼だけでも守らないと。
〝手〟を伸ばす。
壺の中身に向かって。
(水希)
〝声〟が頭の中に響く。
それは獄中にいるはずのクラウスのものだった。
嫉妬?
「あ」
一点に目を止め、兄弟子のザップが声を上げた。
「ん?」
「わ、バカ、見んな」
すかさずザップが水希の目を覆ったので彼女が見れたのかはわからないが、隣で一緒に信号待ちしていたツェッドはしっかり捉えた。
レオナルドが、見知らぬ女性と二人で歩いているところを。
特殊な眼を持っているが、戦闘が不向きのレオは今日の任務から外されているため非番だ。つまり、プライベートの時間である。
「別に隠すことないんじゃないですか?」
ツェッドたちは任務を終えて、事務所に戻る途中だ。先日、ザップと出かけたときには忘れてしまったスティーブンの昼食も、今日は購入済み。少しぐらいレオに声をかけたって、問題ないのに。
わかってねえなあという目でザップがこちらを見やる。
「アイツだって女友達の一人や二人いるでしょ」
目隠しは遅れていたようで、水希もばっちり見たらしい。そして彼女の言うことはもっともだ。水希だって、レオの女友達なのだから。
「なんでぇ、気にしねえの?」
「別に……」
「カノジョ、陰毛より小っせーし、けっこう可愛いぜ?」
「チェインさんだってそうじゃん」
「なんか随分楽しそうだし、ちょっと追いかけてみたいとか」
「スティーブンさんが腹空かせて待ってるのに?」
「んなもん魚類に押し付けりゃいいんだよ」
「ちっとも良くないです」
文脈はいまいち掴めてないが、三人で受け持った仕事を押し付けられるのはもちろん、除け者みたいな扱いで気分が悪い。
ごめんごめん、という風に水希が背中を叩く。実年齢は彼女の方が上だからか、一応先輩であるツェッドに対して、彼女は時折年上じみたまねをする。
「だいたい、アイツのプライベートに深入りするの、よくないよ」
「お前が言う?」
それに関してはツェッドも同意した。誰よりもプライバシーという概念を無視しているのは彼女だ。
不意に、水希の顔つきが変わった。手に持っていたサブウェイの袋を押し付けられ、慌てて落とさぬよう受け止める。
「おい――」
こちらには目もくれず、彼女は駆け出した。
*
「追いかけるぞ魚類!」
「何ですか、何なんですか!」
「バッカお前……バカか!? 気づいてねえのかよ!」
この世で最も頭の悪い人類に「バカ」呼ばわりされるのは納得いかない。
「アイツぁレオの野郎に惚れてんだよ!」
思いがけない兄弟子の発言に、サブウェイを落としそうになった。
「いや……男女が仲が良いだけでそう捉えるのは短絡すぎるでしょう!?」
「カーッ、これだからお魚くんは! 俺様ぐらい経験豊富だとオトモダチかそうでないかの区別ぐらいつくっつーの!」
「あなたの下世話なフィルターのかかった評価なんて当てになりませんよ! 仮にそうだとしても、この状況の説明にならない!」
「知らねえのかお前! 女の嫉妬は怖ぇんだ!」
「知ってます!」
女にだらしないどこかの誰かさんが、しょっちゅう流血沙汰を起こしているのだから。不本意ながら、反面教師として学んでいる。
「陰毛童貞のちんちくりんとはいえ、男巡って女二人! やべえだろ!」
「あなたじゃないんですから、水希くんはいきなり初対面の人に喧嘩売ったりなんかしませんよ」
「お? 売ったな? お前、今俺に売ったな?」
「今あなたが買わないでください」
よりによって往来で血刃を振りかざしてきたので、慌てて避ける。同レベルに成り下がりたくはないので、反撃はしない。
「いいか、魚類。よーく思い出せ」
真剣な顔を作り、兄弟子が言う。
「水希のやつ、レオが絡むと頭のネジ外れんだろ」
「…………」
否定しきれなかった。
任務中にレオが派手に負傷し、我を忘れた水希が大暴走した事件はまだ記憶に新しい。基本的に己を律せる彼女の調子が狂うのは、たいていレオになにかあったときだ。
「嫉妬でうっかり人でも殺し、ぐえっ」
ザップの首がキュッと締まった。
「うっかり、何? え?」
角の向こうから、水希が顔を真っ赤にして現れた。
「好き勝手言いやがって、アイツが女に騙されて襲われてたから助けに行っただけだよ!」
「やめよろ水希、そんな大声で! 人の傷口に塩を塗るな!」
彼女の背後で、レオが泣き叫んだ。
女の先輩
「チェインさん?」
姿を消す程度の希釈では、たいてい声をかけるより先に水希の方が気付く。彼女は振り向き、チェインがいるあたりを見上げた。
希釈を解きながら、街灯から飛び降りる。
「レオは? 一緒じゃないの」
「まだバイト。アイツに用事?」
「用事ってほどじゃないけど」
時計をちらりと見る。これから昼休憩の時間だ。水希もどこかで食べるために事務所から出たのだろう。
「こないだ、美味しいベーグル屋さん見つけたって聞いたからさ。気になってたんだけど」
今日はベーグルの気分だったが、バイト中のレオに連絡してまで場所を聞くことでもない。
「そこなら知ってるよ。一緒に行ったから」
「そう? どこ?」
「こっち」
てっきり口頭で教えてくれるものかと思ったら、水希の足は方向転換した。ついて行くのが遅れたチェインを、不思議そうに振り返る。
「ううん、何でもない」
露骨に態度に出ることはないが、水希はチェインを苦手視している。チェインは念力が通じない、数少ない相手だからだ。同僚なのだから警戒する必要などないのだが、攻撃が一切通じない存在は初めてなのだろう。どうしても気張ってしまうようだ。
かく言うチェインも、水希が苦手だった。年の近い同性とはいえ、頭の中を覗かれるのは良い気分じゃない。チェインがそう思っていることすら筒抜けになることも、一層気まずい。一番一緒にいることが多いレオは、慣れるしかないっすねと苦笑していた。
「Hi」
見知らぬ男が馴れ馴れしく声をかけてきた。チェインは自身の容姿が異性から見てどれほど評価されるものなのか自覚している。肩に置こうとする手を希釈ですり抜け、水希の腕に手を回した。
「連れがいるから」
中性的な容姿の水希は性別を間違えられやすい。クラウスみたいに屈強な男が横に並べば女に見えるが、チェインみたいに小柄で出るとこの出た女性が一緒だと、高確率で間違えられる。ちなみにレオのときも誤解される頻度が高いそうだ。