【番外】Hello,shining!1ナイスキャッチ
三年前、異界と交わり、再構築された街HL。
大崩落に伴い、所有者不明となった物件は数多い。警察も把握しきれていない物件に目をつける悪党は後を絶たず、所謂裏の取引はそんな所で繰り返される。
終わりの見えないいたちごっこにうんざりしたところで、誰かが一つ一つ潰さねば被害は増大するばかり。
今日も今日とて、スティーブンは部下を引き連れてかつてはデパートだった廃墟ビルへ赴き、悪事の一つを潰しにかかっていた。
カツン、と高らかに靴音を鳴らす。
分厚い氷の壁が前方に聳え立ち、雨あられと降り注ぐ銃弾を阻む。おそらく外で生産される銃より遥かに威力があるものだろうが、表面に僅かな傷を刻むだけで、スティーブンと背後にいる水希を殺傷するには至らない。
「ギャア!!」
やや青みがかった透明な壁の向こうで、幾人かの悲鳴が上がる。
スティーブンはなにもしていない。水希が、銃を持つ敵を制圧したのだ。
念力で。
スティーブンも一度、喰らった技だ。あのときは、彼女を視界に入れるよりも先に、スティーブンの両足がへし折られた。
水希の念力は強力だ。日々世界の脅威と戦い続けているライブラの戦闘員を、ものの一秒で叩き伏せるぐらいには。
しかし表面上は力を持たない一般人として振る舞っていたため、大っぴらに使う機会は少なかった。せいぜい、ソファの上から移動せずにテレビのリモコンを引き寄せたりとか、ちょっとした横着のために使用する程度。使わなければ我が身が危ない状況でない限り、攻撃手段として使うことは控えている。周囲に知れ渡る方が、リスクが高いと判断してのことだ。
つまり、戦闘経験がかなり少ない。
そのため水希が荒事に慣れるまでは、前線の現場ではスティーブンと行動するように配置している。こと戦闘においては天才的センスを持つザップは、レオナルドと組ませることが多い。同門のツェッドも戦闘力は申し分ないが、彼は生い立ち故に複数人で戦う経験が浅い。水希がスティーブンの下である程度経験を積んでから、ツェッドに初めての後輩を任せても良いだろうと考えている。
「お見事」
「まだ来ますよ」
元デパートはビルが二つ並び、間を中継する橋がいくつか繋がっている構造だ。スティーブンたちがいるのは、ビルに挟まれた地上部分。左右のビルにいる敵からしてみれば、中心にいる二人は格好の的だ。
スティーブンと水希が派手に戦い敵を集めて、その隙にレオナルドが取引現場を捜索し、ザップとツェッドが大本を潰す。実にシンプルな作戦だ。若手だけで制圧できる規模の相手だが、水希にはまだフォローが必要なため、スティーブンも作戦に入っているに過ぎない。だから今も、主に攻撃するのは水希で、スティーブンは手を貸すだけに留めている。
『なにぼさっとしてやがる陰毛!! 後ろも見とけつっただろーが!!』
『すんませんすんませんッ!!』
『クソコラどこ行きやがった!!』
『レオくん、伏せて!』
『ギャ───ッ!!』
耳に差し込んだインカムから、騒がしい応答が鼓膜を突き刺す。次いで、戦闘中らしい破砕音。
「お嬢さん、状況わかるか」
ザップたちの方でアクシデントが起こったようだが、戦闘に集中しているせいで、詳しい報告が上がってこない。
「生体マネキンに紛れた幹部を追っかけてます」
本人たちから直接状況報告がなくとも、水希は精神感応力で別フロアにいる仲間たちの動向が把握できる。
スマホいらず(ただし一方通行)、生きた無線機(受信機能のみ)、人間盗聴器。ここ一ヶ月ほどでスティーブンが彼女の能力に下した評価だ。貶すような言葉選びだが、高評価である。彼女の能力は実に便利だ。
「仕方ないな、まったく」
ここは元デパート。かつてブティックを扱っていた店は少なくなく、放置されたマネキンなどいくらでもいる。そこに生体マネキンが紛れ込んでいても、不自然には見えない。取引が邪魔されたときに備えて、陽動のために用意されていたのだろう。
『右です、ザップさん!』
『こンの、ちょこまかと……!』
派手にガラスが割れる音。それはインカムからだけではなく、直接耳に届いた。上から、パラパラとガラス片が降ってくる。
「上か」
地上から見上げる。
わざわざ向かわずとも、あちらから来てくれたらしい。スティーブンから見て左側のビル、七階部分。内側から爆音がして、大きな穴が開き、瓦礫が飛び散る。それらはスティーブンたちの方にも落ちてきたが、当たれば怪我するような大きさの瓦礫は空中で弾かれた。物理法則を無視した動きはもちろん、水希の念力によるもの。
手をかざし、彼女が拾い損ねた細かな破片から顔を庇う。
念力というものは、彼女曰く、手で物を掴む感覚と似ているらしい。〝掴む〟には、物を認識する必要がある。今みたいに対象物が多すぎると、なんでもかんでも〝掴む〟のは難しいんだとか。同様に、理論的には空を飛ぶ実弾を止めることは可能だが、実際には撃たれた弾を視認する動体視力が彼女にはないためほぼ不可能。よって、銃を持った相手と戦うときは、撃たれる前に先手を打つ必要がある。
「手を抜くんじゃねえ魚類!」
「よそ見しないでくださいよ!」
穴が開いたことで、階上の騒ぎがよく聞こえる。ザップかツェッドが吹き飛ばしたらしい生体マネキンが宙を舞い、地上に激突して砕けた四肢が散らばった。これが生きた人間だったら、まず即死だ。
「合流するぞ」
水希を促し、ビルの方へ足を向ける。
「うわあああ!」
「受け取れ、女男!」
レオナルドの悲鳴と、ザップの指示に「へ」と水希が足を止める。スティーブンも不吉な予感に立ち止まり、再び上を見る。
悪い予想はまんまと当たった。
レオナルドが叫びながら落ちてきた。
「ちょ、うそ」
受け取れ、とは。まさにそのまんまの意だった。
目測二十メートル。肉体は普通の人間であるレオナルドがそのまま落下すれば、助からない。スティーブンが受け止めても、どちらもが怪我するだろう。かと言って血凍道では、レオナルドを怪我させずに着地させるのは難しい。
「うえっ」
レオナルドの落下がガクンと止まる。あまり丁寧なブレーキではなかったらしく、レオナルドは苦しそうな声を上げる。
水希を見る。瞬きもせずに、ひたすらにレオナルドを見上げている。相当集中しているようで、握りしめられた拳は若干震えていた。
「み、水希……」
レオナルドが停止している位置は、まだ高い。そのまま落とせば、命に別状はなくとも怪我はする。
「ゆっくりだ、お嬢さん」
徐々に、レオナルドが降下する。浅く呼吸を繰り返す水希のこめかみを、汗が伝う。
スティーブンはレオナルドの下へ移動し、手を伸ばす。
「よし、いいぞ」
少年の身体が、重力に従う。スティーブンがキャッチし、地上に下ろす。
集中力の切れた水希は、その場に腰を下ろした。
*
「よー、ナイスキャッチだったじゃねーか」
レオと腰を抜かした水希を残し、ビル内にスティーブンも突入して数分後。思ったより長引いてしまった戦闘もようやく終えたらしく、破砕音は止み、ザップたちが降りてきた。
攻撃が当たりそうだったレオを庇うためとはいえ、躊躇なく地上二十メートルから放り投げたザップの軽口に、レオは眉根を寄せる。あんな乱暴な方法、一言ぐらい文句を言っても罰は当たるまい。
しかしそれより先に水希が大股でザップに詰め寄り、胸ぐらに掴みかかった。
「なんッてことさせんだアンタは!!」
さきほど腰を抜かしていた様子はどこへ行ったのか、盛大にブチギレている水希にザップはぎょっとする。ザップだけじゃない、ツェッドとスティーブンも驚いた顔をしたし、レオも吃驚した。
水希は、あんまり大っぴらに笑ったり怒ったりしない。こんな顔を真っ赤にして怒鳴るところなんて、初めて見た。
「い、いやだって、オメーあいつより重いモンよく持ち上げてんじゃねーか……ぐえ、ちょ、力強すぎ……」
「殺す以外の目的でヒト持ち上げたことないっつーの! 力加減間違えてアイツの身体潰してたらどうするんだ!」
ぐちゃっと。果実のように握り潰される己の姿を想像して、ゾッとする。
言わば人間の肉体だって物体なのだから、ザップの言う通り持ち上げることはできるはずだ。けれど人間よりよっぽど頑丈な異界生物ですら簡単にへし折れる水希からしてみれば、人間の肉体はよほど脆いものなのだろう。きっと、怪我をさせずに持ち上げるのは、非常に集中力の要ることなのだ。しかしさっきは早く念力を使わねばレオが死ぬ状況で、集中にかける時間もほぼなかった。
レオが空中キャッチされてから、地上へ到達するまでの数秒間。先週は大型トラックだって振り回していた水希にとってさほどの労力とは思えなかったのだが、実際のところ彼女は相当恐ろしい思いをしていたらしい。
「ぐ、ぐるじ……」
「まあまあ、落ち着けお嬢さん」
「兄弟子の軽率さはともかく、レオくんはこの通り無事でしたし」
水希のあまりの剣幕に圧されていたが、顔色が悪くなってきたザップに、さすがのツェッドたちも仲裁に入る。
ビルから放られたときは「ちょっとぐらい痛い目に遭っちまえ!」とレオも思っていたが、そろそろ止めた方が良いだろう。たぶん、このままだとザップが締め落とされる。
「あー、水希? その、俺は大丈夫だから……そろそろザップさん解放してあげた方が……」
いかにクズであろうと、ザップとて決して超えない一線はある。敵でもない女の子に手を上げることはない。だから激怒した愛人にだって大人しく刺されるし、それは愛人でもない水希にも適用される。胸ぐらを掴んでいるのが水希ではなくレオだったら、逆ギレによる反撃を喰らっているはずだ。
水希は上背こそあるものの、貧弱だ。基本的に手や足は出さず、念力がなければ、水希は喧嘩にほぼ百パー負ける。レオだって本気で取っ組み合えば勝てるだろう。生身ではライブラ最弱と言っていい。
その水希の細腕で、ザップを今みたいに締め上げれるのかというと、疑問だ。たぶん、腕力にプラスして念力も使っている。
──殺さない程度に締め上げる器用さがあるんだったら、ヒト一人持ち上げるぐらいわけないんじゃ?
そう思ったが、時には可愛い妹の理不尽さに振り回されることのあった兄であるレオは、黙っておいた。