【番外】Hello,shining!2誕生日ネタ
「報告書は後でチェックしておくから、帰っていいぞ。用事もあるだろう」
やることもなしに事務所にいるのは落ち着かないので、帰っていいのなら速攻帰るけれど。覚えのない「用事」に、水希は首を傾げる。
「ん? なんだ、少年と会わないのか」
「アイツ、今日はバイトですよ」
仕事以外でレオナルドと会う日もあるし、仕事終わりにどこかでご飯を食べに行くこともある。しかし今日はそんな約束をした覚えはない。
「レオっち、今日もバイトなの? 誕生日ぐらい休んだって罰は当たらないでしょうに」
え、と声が漏れる。
誕生日。レオナルドの。
「知らなかった? 今日はレオっちの誕生日よ」
訊くという発想がなかったな。今更ながらにそう思う。
水希が誕生日を意識するのなんて、自分と弟のときだけだ。折り合いの悪かった両親や祖母を祝ったことはなく、祝うような友達もいなかった。
弟とは毎年プレゼントを贈り合っているが、レオナルドにもなにか用意した方が良いのだろうか。そう思うも、なにを買えば良いのかわからない。買うとしたら。レオナルドが欲しいもの……先日、政治的ないざこざに巻き込まれて大破したエックスステーション? いや、いくら水希が人付き合いの経験がなくったって、彼曰く〝友達〟という間柄の相手にあげるには高すぎることぐらいわかる。
「おめでとうの一言でも送ってあげなさいな。喜ぶわよ」
*
今日はなんて日だ。通りの端っこで仰臥し、レオは己の不運を嘆く。
朝からカツアゲに遭ってバイトに遅刻し。そのバイトではまたザップの愛人トラップに出くわしてピザを奪われ。バイトが終わって帰ろうとすればマフィアの抗争に巻き込まれて死ぬところだった。
だった、と過去形で済んでいるのは、銃弾から逃げ惑うレオを助けてくれた水希のおかげである。なんでタイミングよく助けが入ったかというと、騒ぎを知ったスティーブンが、現場とレオのバイト先が近いことに気づいてGPSを確認したら……らしい。
電話でスティーブンにレオの無事を報告する水希を見上げつつ。朝からの散々な一日っぷりを振り返り、涙が滲んできた。
「どこか痛いの?」
報告を終えた水希が心配そうにこちらを見やる。
「いや……朝から全っ然ついてなくって」
もうそんなはしゃぐ歳でもないが、今日は誕生日だってのに。なにもここまで不運が重ならなくたって。去年までは家族で仲良く祝っていた日だから、よけいメンタルに響く。
その気持ちを代弁するかのように、胃袋が切ない声を上げた。
「……くっ」
必死に口を結んでいるが、笑いをおさえきれてない。
「笑うなよお」
情けなさ倍増である。
「拗ねないでよ。なんか奢るからさ」
「えっ、でも」
「K・Kさんから聞いたけど、誕生日なんでしょ。いつもより良いの食べに行こう」
ケーキ。甘い誘惑と、カツアゲによって軽くなった懐に、ぐらつくけど。
「助けてもらった上に、それは……」
この街じゃ、命があるだけで十分なのに。いつもレオは助けてもらってばかりで、さらにご飯を奢られるのは情けなさ過ぎて。
緩みかけていた口元が、引き結ばれる。
「レオナルド。アタシ、今までアンタのこと何回助けた?」
「え? えーと……」
まず。通りに溢れた魔獣たちに襲われたときで一回。身体を乗っ取られたので二回。もう一人の義眼保有者と戦ったとき。カツアゲから助けてもらったのは――、
「アタシは数えてない。そんなこと、一々気にしてたらキリないじゃん」
それは、そう。レオはどうしたって非力で、誰の力も借りずにこの街を生き抜くことはできない。
わかっている。常に心掛けていることだ。
肩の力を抜く。
「水希」
「ん」
「言い忘れてた。さっきは助けてくれて、ありがと」
「なに食べたい?」
「んー……やっぱケーキかな」
それと、と付け加える。
「水希ん家でゲームさせて。ハーフダイブ4ウォーオブヒューリー」
本当は二人で通信プレイしようと言ってたのに、レオのだけ爆散してしまって。貸してあげるからと水希には慰められていた。
「いいね、やろう」
最初から最後までついてない、19年間で最悪の誕生日になると思ってたけど。
一日の終わりに良いことがあったと気持ちを切り替えた。
彼女疑惑
空になったマグカップを手におかわりを求めて給湯室に入ると、水希が自分の分のカップを洗っているところだった。
「淹れましょうか?」
ギルベルトがいれば、とびっきり美味しいコーヒーを頼めるが、生憎不在だ。残業続きだったスティーブンは「頼む」とカップを渡す。塞がっている両手の代わりに念力で受け止められたカップは、宙を漂いシンクの横に着地する。
超能力者の部下がいる日常にも、慣れてきた。
「オイテメー陰毛! なにいっちょ前に彼女なんて作ってんだ!」
ぱきっ。
水希の手の中で、カップが割れる。
彼女の腕力じゃ簡単に割れるものじゃない。念力によるものだ。茫然と割れたカップを見下ろす彼女に、苦笑する。
「怪我は?」
訊くまでもなかった。答えるより先に、泡に包まれた手に赤い線が走る。洗剤が沁みたのだろう、水希は溜息を吐いた。
「すみません……片づけます」
ビルの倒壊すら日常であるこの街で、カップの一つや二つダメになるぐらい、可愛いものだ。しかし幼い頃から同じことを繰り返したであろう水希は、かなり落ち込んでいる。
「それより手当てが先だな」
「どうかしましたー?」
事務室でザップの追求から逃れる口実だろう。音を聞きつけたレオがひょっこり顔を出す。彼の高性能な目はすぐさま水希の怪我に気づいた。
「うわ、水希、大丈夫?」
「ちょっと切っただけ」
「けっこう血出てんじゃん。俺手当てするよ」
しょっちゅうこの街の喧騒に巻き込まれて怪我をしているものだから、レオの方が手慣れている。有無を言わさず水希の手を引いてソファへ誘導し、救急箱を取ってきた。水希のことはレオに任せて、スティーブンはデスクに戻る。
先ほどと打って変わってザップが大人しい。さすがにレオに懸想する水希の前で騒ぐほど、デリカシーは捨てていなかった。おそらく先ほどからかっていたのも、水希が給湯室にいることを知らなかったからだろう。知っていれば、話題にはしなかったはずだ。
「……彼女できたって?」
顔を赤らめて、しかしレオは「違う違う」と首を振った。
「彼女じゃないよ、バイト先で最近仲良くなっただけ」
「どんな子? 可愛い?」
「うん、まあ」
「ふーん」
こういうときこそ精神感応力が活きると思うのだが。彼女も人の子、気になっても読みたくないときがあるらしい。
*
はあ。
「なーに辛気臭ぇ顔してんだインモー」
ザップが肩に腕を回して絡んでくるが、構う気力がない。
「はーん、さては女だな? あのドギモの可愛い子ちゃんにフラれたか」
「んなっ、違いますよ!?」
声が裏返った。
野性味あふれる男だと思っていたが、ここまでとは。どうしてそんな勘が働くのか。
いや、厳密に言うと違う……はず。フラれたわけじゃない。告白とかしてないから。可愛いなあとは思ってたけど。最近やけに話しかけてくるなあ、ひょっとして……? って思ったりしたけど。違うのだ。
(まさか、友達狙いで近づいてきてたとは……)
しかもその狙ってた友達が、水希だったのだから笑えない。そう、バイト先の彼女は水希のことを男の子だと勘違いし、紹介してもらおうと距離を縮めてたらしい。
こんな話、ザップに知られたら爆笑されること間違いなし。この残念エピソードは墓場まで持っていく。
「戻りました」
別任務を与えられていたツェッドと水希が戻ってきた。水希はなにも悪くないが、今彼女の顔を見ると苦いものがこみ上げてくる。
視線に気づいたのか、なにかしら感知したのか。水希がレオを見る。
途端、顔を背けて思いっきり噴き出した。
「あっ!」
その反応だけで十二分にわかる。
「水希! この……読むな!」
「ごめん、だって……ははっ、待って……マジで?」
謝っておきながら、背を丸めて笑う水希にレオは思わず拳を上げる。しかし水希に向かって振り下ろすわけにもいかず、行き場をなくす。
しかしぴたりと、水希が黙り込んだ。慌てたように手で口を抑え、横を向く。
なんだ? と首を捻り。レオも気づく。
ザップも、ツェッドも、リーダーたちも。事務所にいた全員が、水希に注目していた。
「……騒がしくしてすみません」
絞り出すように水希が言う。
違うだろう。
水希があんなに笑うのは初めてだから、皆見ていたのだ。それはレオも同じ。そう思うと、苛立ちはあっけなく萎んでしまう。
クラウスが皆の気持ちを代弁するように首を振る。
「君が、我々の前で自然体でいてくれるのは、喜ばしいことだ」
「いや、あの……勘弁してください……」
顔を真っ赤にして、縋るようにレオに視線を送ってくるが。
元の発端を忘れることはない。レオは気づかないふりをした。
獣化ウイルス
ライブラの事務所は、入り口が複数ある。ミーティングで決まった時間に集合するときでなければ、偶然誰かと入り口で鉢合わせすることは少ない。今日は珍しく、K・Kとタイミングが合った。
「あら、レオっち。今日は非番じゃなかった?」
「スティーブンさんに呼ばれまして。水希が、ちょっと」
「水希っちが?」
「なんでも、異界産ウイルスに罹ったって」
「やだ、大丈夫なの?」
「死ぬようなウイルスじゃないらしいんですけど、心配ですよね」
どこでもエレベーターでビルに入り、ドアを開ける。デスクの前に立つクラウスとスティーブンが振り返るより先に、ソファに座る水希に視線が釘付けになった。
「やーん、可愛いー!」
真っ先に飛びついたのはK・Kだ。瞬発力が人並の水希は逃げる間もなく、K・Kに取っ掴まる。
腕の中に閉じ込められた水希を見て、レオは上司への挨拶も忘れて呆然と立ち尽くす。水希は死んだ目でこちらを見返した。
その小さな頭には、耳がぴょこんと突き出ていた。そう、耳だ。人間のではなく、おそらく犬の。
「どうしたのこれ! 可愛い!」
「K・Kさん、引っぱんないで。痛い」
「あら、くっついてたの! ごめん!」
よしよしと指先で撫でられるそれは黒の短毛に覆われていて、内側は可愛らしいピンク色。普通、人間の頭についてるものではない。
「やだー、尻尾まで生えてるじゃない!」
「何すか、これ。本物っすか」
ようやくレオは疑問を口にした。
「言ったろ。異界産ウイルスに感染したって」
「ウイルス……これが?」
この街特有のウイルスと言うから身構えていたが、ずいぶんと平和的な症状で拍子抜けだ。
「一時的にだがな、犬になるらしい。今はまだなりかけだ。耳も尻尾も本物さ、神経も繋がっているし機能もしている」
「なりかけ……えっ、犬になっちゃうんですか?」
犬耳と尻尾が生える程度ならともかく、完全に犬に化けるのは大事ではないか。
「罹患者はいずれも人に戻ってると聞いている。明日には元通りさ」
「なんだ、よかった……」
「ちっともよくない!」
もうやだこの街。
水希の顔にはありありとそんな気持ちが表れている。
無理もない。仕事柄、戦闘力向上のために身体を改造する人類なら見たことがるが、犬の耳と尻尾が生えるのは初めて見た。
「そもそも、何でこんなことに?」
「訊くな、それを」
水希はがっくり肩を落とす。尻尾もしんなりと力を失くした。
「犬に噛まれたんです」
代わりにツェッドが答えた。
「犬?」
「一緒にお昼休憩に出てたら、見かけまして……人懐っこそうだったから水希くんが撫でようとしたら、ガブっと……」
「ソニックと同じ、異界交配種のな。特殊なウイルスを持ってたらしい」
「見た目は普通の犬だったんだ……」
水希は案外、可愛いものが好きだ。ソニックのこともよくかまっているし、外で稀に野良猫とか見かけると目で追っている。警戒心の強い彼女にしては珍しく油断して、厄介なウイルスを持った犬とは知らずに触ってしまったのだろう。
「俺も触ってみていい?」
K・Kに散々可愛がられぐったりしている水希には悪いが、ぴくぴく動く耳を見てると好奇心に勝てず。おそるおそる訊くと、「勝手にして」と自棄気味に返された。
それでは遠慮なく。
神経も機能してると聞いているから、痛くないようにそっと優しく。
「すげえ、本物だ」
黒い短毛の垂れ耳は薄く、すごく柔らかい。毛の手触りも心地よく、ついくにくにと弄ってしまう。
――そういえば、犬って耳の付け根を撫でると喜ぶって聞いたような。
ふと思い出し、付け根も丁寧に撫でてやると。
ぶん、と視界の端でなにかが動いた。
尻尾だ。
ぶんぶん振っている。
さっきK・Kが撫でていたときはそんな動きしなかったのに。
手が弾かれた。
「終わり! もう終わり!」
水希が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ツェッドさん! これ血法で切って!」
「は!? ダメでしょう、そんな乱暴なこと!」
「じゃあ自分で千切る!」
「待って水希……落ち着いて!」
血法はともかく、超能力を阻む方法はない。ごめん調子に乗り過ぎたもう触らないからと必死に説得するも、水希が痛みに耐えるように歯を食いしばるのを見て、これはダメだと血の気が引く。
本来ない部位なのだから死にやしないだろうが、血を見るのは間違いない。
「水希」
重く威厳に満ちた声が、空気を震わす。
水希も、彼女を必死に止めてたレオとツェッドも、ぴしりと固まる。
「やめ給え」
たった四文字。しかしその威力は凄まじい。
レオにも犬耳と尻尾が生えてたら、今の水希のように力なく垂らしていただろう。
*
時刻は夜十時。
「水希」
ブランケットの塊に呼びかける。
「少しぐらい食べない?」
サイドテーブルに置いた夕飯を示すが顔を出す様子はなく。首のあたりが動いた。頭まで隠れてるからわかりにくかったが、たぶん横に振ったと思われる。
耳と尻尾が生えた程度ならともかく、動物に変異しきる直前は、けっこうショッキングな見た目になるらしい。たぶん狼男的な感じで。クラウスたちが水希を気遣い、人類に戻るまで仮眠室を貸し切る許可を与えた。万が一なんらかのトラブルが起きないとも限らないので、経過観察要員としてレオ付きだが。
最初は、微熱と倦怠感を訴えて横になるだけだったが。手足の爪が鋭さを増し、毛深くなってきたことに気づいた途端、水希はブランケットに篭ってしまった。言葉は悪いが、もっとおぞましい成りをしたヒトが闊歩するこの街で、レオは動じることはない。しかし水希のしたいようにさせておいた。
「具合は?」
「……だるい」
苦しそうな声だった。無理やり絞り出すような。
ブランケットの塊は二回りほど小さくなっている。かなり犬化か進んだみたいだ。もしかしたら、声帯も犬に近づいているのかもしれない。
「……本当に戻るかな」
ぽつりと彼女が言う。
「チェインさんが掴んできた情報だから、間違いないさ」
今のところ人類に戻れなかった人はいないと聞いているので、水希もおそらく大丈夫だ。
「怖いなら、戻るまで手でも握ろうか」
ガキじゃあるまいし、馬鹿じゃないの。そう返してくるものと期待して、茶化してみるが。
「…………」
ブランケットの隙間から少しだけ、黒い毛に覆われた手が現れた。
「……レオナルド?」
怪訝そうに呼ばれる。
「あ、うん」
思いがけない反応に固まってしまった。冗談だよなんて言えるわけもなく、優しく握る。レオが知るよりも小さく縮んだその手は水希のものとは思えず、レオまで不安に駆られそうになる。
無言。チッチッと時計が刻む音がいやに響く。レオの手の中で小さくなっていく指先は、人間ではなくなっていく恐怖に震えていた。
*
ブランケットの中から、一回り小さな頭が出てきた。
チワワとかトイプードルみたいな可愛い小型犬じゃなく、細身で大型のドーベルマンなところが水希らしい。普通のドーベルマンと違うのは、目が青だということ。海みたいに複雑な青色だけが、この犬が水希であることを示している。
「水希?」
完全に犬になってしまうと、思考もかなり犬に近づくと聞いている。レオに噛みついたり吠えたりしないあたり、多少水希の意識も残っているとは思うのだが。
身体をぶるりと震わせて、水希がブランケットから出てくる。
「ん゛んっ」
変な声が出た。
犬になる前、当然と言えば当然だが、水希は服を着ていた。しかしいくら水希が痩せていても、犬の方が小さくて細い。だぼつく上着の隙間と、ずるりと脱げたズボンの奥で、レオが見てはいけない布地が見えてしまった。悲しいかな、義眼の動体視力では見間違いと思い込むことも出来ない。神に誓って、下心から見たわけではない。弾みで。うっかりだ。
「水希! 服! 服!」
レオがこれだけ焦っているのに、当の本人はプイと素っ気なく明後日の方を向く。どうやらレオが期待しているほど人間レベルの意識がないらしい。確かに犬からしてみれば、人間の服なんて邪魔なだけだろう。
しかしこれは困った。犬の今だったら素っ裸で歩き回ろうが構いやしないが、そのまま人間に戻ってしまったら事故が起きる。
「ああ、くそ!」
仕方ないので、ブランケットで水希の身体を覆い、がっちり抱え込んだ。腕の中で水希が不満そうに唸ったが、レオだってこればかりは譲るわけにはいかない。窮屈だろうが、人間に戻るまではこの状態でいてもらわねば。
「ほらほら、いい子だから、な?」
水希の尊厳のために噛まれても我慢するつもりだったが、水希は唸るだけ。「Good girl」と褒めて頭を撫でてやると、やがて唸るのをやめて身体を預けてきた。目が気持ちよさそうに細められ、ブランケットの隙間から飛び出た尻尾が左右に揺れる。うーん、こうして素直に甘えてくると可愛い。
「よーしよし。人間に戻るまでの辛抱だからな~」
あとは人間に戻ってから彼女が怒らないことを祈るのみだ。