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    Hello,shining!7 それは真夜中の出来事だった。
     窓の隙間から冷気が入り込むように。ひっそりと忍び寄る悪意に、水希は目を覚ました。
    (ガキの部屋は二階。二人一緒に仲良くおねんねしてる)
    (まずはガキを。人質にすりゃあ親は大人しくなる)
     複数人。裏口から、誰かが入ってきている。
     悪意を感知するのは初めてではない。
     向かいに住むおばさんは、旦那の母親の世話にうんざりしていて、旦那がいないときは意地悪している。スクールの教頭先生は、可愛い女の子を前にしたとき裸にして痛めつける想像をする。同じクラスのリジーは、どんくさいマリアを笑いものにするのが大好きだ。
     しかし、悪意になれているわけでもなく。とりわけ今夜察知した悪意は、今まで感応したどれよりもどす黒く、陰湿で、刺激的だった。
     彼らは興奮している。欲望を滾らせている。ご馳走を前にしたように口内は唾液が過剰に分泌され、おっ勃てていた。
     水希は、最近大人たちが注目していたニュースを思い出す。
     連続強盗殺人事件。被害者たちは金品を奪われるどころか、惨殺されているらしい。大人も、子どもも、関係なく。つい先日、隣町でも被害があったと、両親は新聞を手に話していた。
    (いつもは家で威張り散らしてるパパが、いざってときにゃ役に立たないってのを教えてやるんだ)
    (ちびりながら命乞いする。ガキの目の前で鼻水垂らしながら命乞いを)
    (ママは美人だ。犯す。ガキの前で。旦那の前で。犯してやる。ヒンヒン啼かせる)
     他人の思考をなぞる能力を持っている故か、水希の知能は早熟だった。だから七歳の子どもには理解しがたい大人たちの話も、彼女は飲み込むことができた。
     血で真っ赤に染まった壁。腫れあがった顔で命乞いする男。服を剥かれて乱暴に抑えつけられた女。殴られる子ども。部屋の隅で怯える老人。骨を折る感触。火で炙る臭い。泣き声。呻き声。酒。金。
     侵入者たちが思い描いている過去のイメージに、水希は震えた。
     同時になにかが沸々と湧いてきていた。
     捕まえた虫や爬虫類を、弄り回して遊ぶような、興奮。
     まだ幼かった水希は、己の能力の制御に不慣れだった。強い意識を前にすると、どれが自分の思考で、どれが他人のものなのか判別がつかなくなることがある。普通の人間が、誰かに深く同情し、怒ったり涙するよりも強烈に。本当に自分の思考であるかのように、同調する。
     このときも、水希は侵入者たちのサディスティックな欲望に、感化されていた。
     水希自身の恐怖と、侵入者たちの害意。
     それらが水希の小さな胸中で、複雑に絡まり合う。
     七歳の子どもが平静を失うのには、十分だった。
     その男が戦うのを見るのは二度目だ。
     地下闘技場では、ステゴロ勝負のため武器はなく、彼は拳だけで戦っていた。
     種族も違う相手に臆せず、素手だけで勝利を収めていた男が、ルールの存在しないリング外で思う存分拳を振るえばどうなるか。
     瞬殺である。
     術で肉体を強化していようが関係ない。彼の拳は、もっと強い。
     術師の顔に、拳がめり込む。夜闇のおかげでハッキリ視認はできないが、頭部のシルエットの凹み具合からして、頭蓋骨が陥没したものと思われる。
     水希の脳内に、恐怖が広がった。
     男たちの恐怖だ。
     術が解けた。
    「あ、あ、あ」
     水希は思わず頭を押さえる。
     術で抑止されていた力が、突然解き放たれ、溢れ出す。
     ダムが決壊したように。眼には見えないエネルギーが、放流される。
     街灯に罅が入った。周囲の窓が揺れ出し、車がガタガタと振動する。水希を抱えていた、彼に殴られ息絶えた男の身体が不自然に捻じれ始める。
    「あ、ああ」
     ダメだ、暴走する。
    「ミス」
     視界に大きな靴が入った。
    「抑えたまえ」
     クラウスだ。
     こちらへ歩いてきている。
    「離れて」
     車の窓が割れた。死骸が浮き出す。
    「ダメなんだ、こうなると。コントロールが効かなくなる」
     また一歩、クラウスが踏み出す。
     街灯が折れる。
    「ダメだって!」
     それでもクラウスは歩みを止めない。
     折れた街灯が、クラウスに向かって飛ぶ。
     水希は悲鳴をあげた。
    「大丈夫だ」
     異形ですら黙らせた手が、街灯を弾く。飛んできたハエを追い払うように。
    「私は鍛えている」
     そういう問題ではない。
     街灯が飛んでくるぐらいなら彼にとって脅威ではないかもしれないが、直接内臓を潰しにでもかかったら、どれだけ鍛えてようが関係ない。
    「加えて」
     カツン。また靴が地面を鳴らす。
    「君がご家族を守ったとき、誰かが怪我をしたという記録はない。全員無傷だったはずだ」
     息を呑む。
     車までもが浮遊した。頭の奥で、締め付けられるような痛みが走る。
    「君は力を制御できないときでも、攻撃すべきではない相手を選べている、ということだ」
     カツン。もう目の前だ。
    「アンタ……」
     カツン。足が止まる。
    「アンタ、知ってるの……」
     心を読まなくても、クラウスの穏やかに語りかけてくる声に、悟った。
     この男は知っている。
     水希が幼い頃、この力で人を殺めたことを。
    「知っている」
     彼は深い声で告げた。
     胸が引きつれるように痛んだ。でもそれは水希を痛めつけるものじゃない、むしろ逆。刺さった棘を抜く処置をしたような痛みだった。
     クラウスは膝を折り、水希の顔をのぞき込むように見る。
    「君は勇敢だ。暴漢たちから家族を守った。そして我々の仲間も」
     頭痛はより激しさを増す。
     頭を抑える水希の手に、クラウスの大きな手が重なる。水希も、年頃の女の子にしては大きな方だけれど、クラウスの掌はもっと広く、肉厚だ。完全に覆われる。
    「私の眼を見たまえ」
     こんなにデカい図体をしておきながら、あれだけ激しく暴れた後だってのに、信じられないぐらい静かな眼で水希を見つめていた。
    「君は君の力を制御できる。抑えたまえ」
     眼鏡の奥、翡翠の瞳に、自分の顔が映っている。
     怯えて引きつった顔。
    (出血がひどい。早く病院へ連れて行かねば)
     流れ込んできた彼の思考に、撃たれたんだったと思い出す。極度の興奮状態で、頭から抜け落ちていた。
     一度思い出すと、じくじくとした痛みが復活した。
     いっそ忘れていたかったが、水希はあえてその痛みに集中する。力以外のことに意識を向けようと思った。
     その思い付きは、成功した。
     どすん、と音を立てて車が着地する。下手なマリオネットのように宙で捻じれていた男たちも、地面に横たわった。激しく揺れ続けていた窓も、静止している。
    「でき、た」
    「うむ」
     失礼、と断りを入れて。クラウスは水希を抱き上げる。水希はもう動く体力も気力もなかった。
     黒い異界生物が目に入る。ぴくりとも動く気配がない。〝声〟も聞こえない。
     術師は死んだ。おそらく、レオナルドにかけられていた術が解けたのだろう。
    「病院はやだ……」
     世界で二番目に嫌いな場所だ。
     当たり前だが、病院には病人や怪我人が集まる。つまり、どこかしら痛かったり苦しかったりする人たちが集中している。力を閉じていないと、患者たちの苦痛を一気に感知することになる。
    「弾は貫通していない。摘出する必要がある」
     水希を抱えるクラウスが歩くだけでも、その振動が傷口に響いた。
    「摘出を終えるまで。辛抱を」

       *

     唐突に視界が開け、ガクンと膝が折れた。
    「わっ!」
     レオは咄嗟に手をつく。
     手のひらに伝わったのは、アスファルトの固い感触ではなく、柔らかい絨毯だった。
     その手は、黒い異形のものではなく。
     人間の手。
     レオはそれをまじまじと見つめ、手をぎゅっと握ってみる。目の前にある人間の手も、レオの意のままに動いてみせた。
    「何でなにもないところで転んでんだよ」
     ザップの呆れた声に、顔を上げる。
     ライブラの本部だった。臨時に設置された医務室だろうか。ベッドが並び、ザップやツェッド、スティーブンが身体を起こしてこちらを見ている。
     間違いない。
     レオナルド・ウォッチの肉体に戻っている。
    「……あっ」
     ほぼ無意識的に室内を見渡すが、当然ながら、つい先ほどまで一緒にいた女の子はここにはいない。
     いけない。
     レオは立ち上がる。
     あのとき、水希は撃たれていた。レオはすぐに気絶してしまったから、あの後どうなったのかがわからない。無事とは思えなかった。
    「待て、少年」
     スティーブンが制止をかける。
     彼の両足は包帯が巻かれていた。蹴り技が主体である彼にとって、かなりの重症である。
    「君はここに待機だと言ったはずだ」
     それを命じられたのは、レオが身体を取り戻す前のことだろう。
    「あの、でも、水希が怪我をしてて! ……ああ、ええと、彼女は敵じゃないんです! 色々あって、その……! とにかく、助けに──」
     行かないと。
     言いかけて、言葉が詰まる。
     自分が行ってなにができると言うのだろう。
     レオはただ眼が良いだけの一般人だ。超能力者である彼女が手こずる相手に渡り合う力など、ない。
     無責任にも、レオが縋り、巻き込んでしまったのに。レオの意思ではないけれど、卑怯にも、レオだけが安全圏に戻っている。
    「彼女……彼女、ね」
     スティーブンがザップたちと目配せした。
    「スティーブンさん──」
    「とりあえず落ち着け、少年。君のお友達のお嬢さんなら、おそらく大丈夫だ」
    「いえ、でも──水希が、危ないんです!」
    「クラウスが向かっている」
     へ、と瞬きする。
     言われてみれば、クラウスの姿がない。ギルベルトもだ。
    「気づいていなかっただろうがな。君たちにはずっと、チェインが張りついていた。こちらもある程度は事情を把握済みさ。
     その様子だと、君にかかっていた術は解けたようだな」

       *

    『少年は無事、意識を取り戻したよ。念のため、医師にも診せたが問題なし。術は完全に解けているようだ』
    「そうか」
     普段、ライブラの人員が怪我を負ったときは、一般人と同様に病院で治療を受ける。だが、今回は主力である血法使いが何人も重傷を負った。ヘルサレムズ・ロットに数多ある施設の中で、病院は極めてセキュリティが堅牢であるが、事務所には劣る。スティーブンたちは入院せずに、臨時に作った医務室で休んでいる。
     そのスティーブンから、レオの無事が確認された。呼び寄せた医師は術にも精通している。レオのことはもう心配ないだろう。
    『お友達のお嬢さんは? 撃たれたと聞いたが』
    「うむ。治療を終えて、今そちらに向かっている」
     ギルベルトの運転する車の、後部座席。
     クラウスと水希は、並んで座っていた。水希はぐったりとして、目を閉じている。目に見えて衰弱していた。
     彼女はライブラの人間ではないが、病院ではなく事務所で療養させることにした。レオを乗っ取っていた術師はクラウスが屠ったが、彼らの素性はまだ知れない。他にも仲間がいる可能性がある。あとの調査はチェインに任せているので、全貌が明かされるのも時間の問題だが。一度関わってしまった水希の安全が確保されるまでは、ライブラで保護せねばならない。
    「弾は急所を外れている。命に関わる怪我ではないと、レオナルド君に伝えてくれ給え」
    『了解』
     通話を切り、隣で眠る彼女を見やる。
     細い腕、脚。腿ですら、クラウスの腕より細い。
     ライブラ屈指の狙撃手K・Kも細身の女性だが、彼女は重火器の扱いに長けた戦闘員だ。すらりと長い四肢には力強さがある。対して水希は頼りない細長さであり、彼女には脂肪もなければ筋肉もない。あの骨張った手では、クラウスの首を絞めることすらできまい。
     スティーブンやザップたち血法使いを何人も倒した凶暴性は、およそ感じられない。
     しかし、彼らが反撃する間すら与えられず、為す術なく敗れたのは、事実だ。長老級を相手にしたときだって、もう少し奮闘できるはずだ。ライブラは活動内容故に怪我が付き物だが、血法使いが一度に何人も戦闘不能になることは滅多にない。
     超能力というのは実に特殊な力だ。目に見えない、実体を持たないエネルギーを防ぐのは困難を極める。彼女がその気になれば、クラウスの頸椎を折ることも、頭蓋に守られた脳を握り潰すのも一瞬だ。
     けれど、その危険を承知で、クラウスは水希と対面した。
    「坊ちゃま。到着いたしました」
     車庫では、レオが待っていた。スティーブンから無事を知らされても、心配だったのだろう。
    「水希……」
     クラウスに抱えられた水希を見て、レオが眉尻を下げる。
    「大丈夫だ」
    「僕が乗っ取られたせいで……皆さんにもご迷惑をおかけしました」
    「気にすることはない。我々も気づけなかった」
     当然だが、女性である水希と、スティーブンたちの部屋は別々だ。彼女をベッドに寝かせた後はレオとギルベルトに任せ、スティーブンたちの医務室に入る。
    「クラッち」
     医務室には、K・Kもいた。ライブラと水希が応戦した場所は、狙撃に向いていなかったためK・Kは待機だった。現在、無事な血法使いはクラウスとK・Kのみ。クラウスが水希の援護に駆け付けている間、K・Kには怪我人が集う事務所を任せていた。
    「大変なことになっちゃったわね」
     もしライブラの主力半数以上が戦えないと裏社会に知れたら、ここぞとばかりに襲撃をもくろむ連中が物騒なパーティを企画することだろう。
    「俺らが回復するまでは、でっけー事件が起こらないと良いっスけどね」
     苦虫を噛み潰した顔で、ザップがぼやく。
    「それで、どうするんです? あの女男」
     身体が乗っ取られる事件が収まってから、三日後。
     レオは無事に日常を取り戻し、今日は朝からピザ屋のバイトに出ていた。ライブラの面々に怪しまれないようにするためだろう。偽物は、レオに乗り移っている間、レオの代わりにシフトに出ていたので無断欠勤扱いではなかった。レオの不幸に気づいたのは、ライブラ以外にいない。ただ一人、例外を除いて。
     その例外である水希は、今日もライブラの医務室にいる。
     医務室に移された後、高熱が出たのだ。おまけに頭痛で苦しむわ吐くわで、それはもう辛そうだった。丸三日、ずっとである。中々下がらず、なにかしら術でも残ってるのではと専門の医師にも見せたが、それらしい形跡はなかったと言う。
     その高熱はおそらく超能力を酷使した影響だろうと教えてくれたのは、水希の弟の由希だった。
     仕送りはするものの妹にあまり連絡をよこさないレオと違って、定期的に連絡を取り合う仲らしい。水希が熱に魘されている間に、彼女の携帯に由希からいくつもの着信があった。本人の断りなしにというのは心苦しかったけど、状況が状況で。責任者のクラウスが代わりに電話に出て、由希に水希の病状を知らせた。ちなみに、水希に弟がいることをレオが知ったのは、このときである。
     HLは渡航制限都市だ。未成年の場合、本人だけじゃなく保護者のサインも必要になる。由希はHLにいる水希に会いたくても、親が許可してくれないらしく。姉の看病に行けそうにないと困り果てた彼に、水希はこちらが責任もって面倒を見るとクラウスが約束した。「姉をお願いします」と必死にうったえる由希の声は、姉のことを心から案じるものだった。
     水希が回復するまでの、由希への連絡係はレオが任命された。ライブラと水希の接点と言えばレオだけだし、由希もレオのことは水希に聞いたことがあるようだった。存在すら認知していなかった弟相手に、レオが話題になっていたのは驚きである。ついそのまま口にしたら、「地元の友達に会ったって聞いたぐらいだよー」なんて言っていたけども。その「友達」は、相手の家族構成すら知らなかった。
     水希は精神感応力者だから、レオのことは色々知っていると思う。が、レオは水希のことを知らない。
     むしろおかしなことに、ここ三日連絡を取り合っている弟のプロフィールの方が詳しくなってるような。
     通話しかしたことがないが、それでもあの姉弟の性格がだいぶ違うことがわかる。明るくて、おしゃべりで、人懐っこい。姉と違って、きっと友達が多いんだろうなあという印象だ。
    『お嬢さんの熱が下がったぞ。と言っても、まだ微熱だがね』
     その一報をくれたのはスティーブンだ。まだ怪我が完治していないというのに、彼は医務室で事務作業をしている。バイトで付き添えないレオの代わりに、気にかけてくれていたようだ。
     あいにくバイト中だったので、シフトを終えてからレオは事務所に駆け付けた。
    「もう大丈夫?」
    「たぶん。前にも似たようなことあったし」
     答える声は弱々しかったけど、高熱が出ていたときは意識も朦朧としていたのに比べて、幾分回復している。
     前にあった似たようなこと、というのは弟が話していたときのことだろう。
    「あ、ごめん。君が寝込んでたときに、君の弟からの電話勝手に出ちゃって」
    「ああ……それならアンタのボスから聞いてる。弟もアタシと連絡つかないの心配してたみたいだし、いいよ、別に」
     それはそうだ。いつ死んでもおかしくない街に住んでる身内が、ずっと電話に出てくれなかったら、不安になる。
     俺も、今度ミシェーラに連絡しよう。
     妹への連絡無精っぷりを、少しだけ反省する。
    「水希、弟いるんだ」
     十二年、近所に住んで、同じ学校にだって通ってたのに、ちっとも知らなかったのはそこそこ驚きだ。
    「あれ、話したこと──」
     視線が医務室を彷徨う。
    「──なかったか」
    「初耳」
    「まあ、話す機会なかったし」
     水希はそれ以上話すつもりはないのか、口を閉じた。
     数秒の沈黙。
     少しだけ迷い。
     思い切って、レオは問いかけた。
    「水希の両親のこと、訊いても良い?」
    「両親?」
     水希の青い目が瞬く。不意打ちのように。
    「あー……」
     おそらく存命であることしかわからないが、きっと良好な関係ではないんだろうなとレオは想像している。訊けば不機嫌にさせてしまうかもと思っていたが、ぼんやりと天井を眺めている彼女からは、さほど不快さを感じられなかった。
     けれど、レオの特殊な視力は見逃さなかった。
     一瞬だけ、彼女の目元が寂しげに歪んだのを。
    「家を出てから、一度も会ってない」
     感情を削ぎ落したような声で、水希は答えた。
     その一言だけで、レオの想像が思い過ごしではないことがわかる。
     家を出てから。つまりここ十二年間、一度も。七歳だった女の子が、肉親と顔を合わせずに。
     一般的な家庭では考えられないことだ。
    「君の力のこと、知ってたの」
    「正面切って話したことはないけど。今はともかく、あの頃はうまく扱えなくて、隠しきれるもんじゃなかったから。他人はともかく、家族じゃね……」
     レオは義眼を埋め込まれてから、HLへ移住するまでの故郷での日々を思い出す。
     身内意外に知られるわけにはいかなかった。
     大きくもない田舎町だ。誰か一人にでも知られたら、あっというまに町中に知れ渡ってしまう。いつもは瞼で覆い隠しているけれど、驚いたときなんかは反射的に開いてしまうこともある。一番安全なのは人との関わり合いを避けることだけど、突然そんなことをすればかえって怪しまれる。だから何事もなかったかのように過ごさなければならない。
     いつ誰かにバレやしないかとヒヤヒヤする日々だった。下手をすれば、不可思議な現象が当たり前のHL以上に、緊張を強いられていたと思う。
     水希もそうだったのだろうか。
     小さい頃から、他人と距離を取ってきた水希も。
     きっとそうだ。
     親と離れて。他人を遠ざけて。
     唯一、残ったのは、おそらく弟だけ。
     でもその弟ですら、傍にいるわけではない。
     ノックの音が聞こえた。
     入ってきたのは、車椅子に座るスティーブン。と、それを押すギルベルト。
    「今、大丈夫かな」
     水希が頷く。
    「まだ熱があるのにすまないね。クラウス――僕らのボスのスケジュールの問題でね」
     想定外のトラブルのようなものだが、現在、ライブラの主力メンバーである血法使いの半数以上が療養中だ。必然的に、動けるメンバーに仕事が割り振られる。リーダーであるクラウスは、いつも以上に多忙だ。たぶん、これからの話し合いの後も、予定があるのだろう。
     ギルベルトがいったん車椅子から離れ、サイドテーブルに置いてあった水希の食事を片付ける。
     皿の上のハムサンドは、ギルベルトが作ったものだろう。まだ食欲は回復していないのか、残されている。
    「まだ食欲はないかな」
    「いや、えっと……」
     少しだけ口ごもる。
    「……肉が苦手で」
     好き嫌いだったか。肉がダメとはなるほど、瘦せ型体型も納得できる。
    「前からだったっけ?」
    「いや、こっちHLに来てから」
    「ああ……」
     この街では、一週間も過ごせば死体を見ない日はない。レオもライブラに加入してからはもちろん、その前から数えきれないほど見てきたし、それで食欲が失せる日もある。
    「うっかり、生きたまま食われてる人間と、人食ってるやつの思考読んじゃって……」
    「うげ」
     想像以上だった。どちらもレオは経験したことがないので、想像しきれない。が、聞いただけでもえぐい。
     レオよりも壮絶なものを見てきたであろうスティーブンですら、閉口している。最高の執事であるギルベルトは穏やかな微笑みを絶やさず、では夕食は他のものをご用意しましょうと告げた。
    「――今は僕たちの思考を読んでいるのかな?」
     熱のためだろう、どこか茫洋としていた表情に、やや険しさが混じった。
    「読もうと思えば読めるけど。今は本調子じゃないから」
    「読んでいない、と」
    「証明のしようがないから、アタシの言うことを信じるかどうかは、そっち次第」
    「信じよう」
    「読めもしないのに」
     水希の能力を考えれば、ライブラの方が水希を警戒してしかるべきだ。しかし、この場で一番警戒心が剝き出しなのは、水希の方だった。
     そんな水希に、スティーブンは微笑みかける。
    「そうだ、ここには君意外に他人の思考を読めるやつはいない。大半の人間はそうさ。だからそれ以外の方法で、相手が考えていることを読む術を身につける。相手を観察し、分析する力を磨く。
     君の力は確かに脅威だが、君自身は特殊な訓練を受けた人間ではない。読む力には長けていても、防御は得意ではないようだ。今も、ほら」
     スティーブンの垂れ目がより一層細められる。
    「顔が強張ってる」
     水希もだろうが、レオの背筋も凍った。
     怖っわ。
     穏やかな話し方が、むしろ恐ろしさを増幅している。
    「そう怖がらなくていい。別に取って食いやしないさ」
     タイミングが良いのか悪いのか。再び響いたノックの音に、肩が跳ねた。
     現れたのはクラウスだ。
    「待たせてすまない」
     クラウスほどの巨体が加わると、途端に室内が窮屈に感じられる。
     その巨体に似合わず、大きな胸に手を添えて、丁寧に腰を折る。
    「まずは改めて。我々の仲間であるレオナルド君を助けてくれた感謝を」
    「作戦は無事終了。君の安全は確保されたよ」
     構成員を襲った連中をチェインが炙り出し、クラウスたちが殲滅作戦に乗り出て一時間後。本部で任務終了の知らせを受けたスティーブンは、同じく女性用医務室で待機していた水希に、その旨を伝えた。
     彼女はすでに熱も下がり、全快している。身の安全も保障されたので、ライブラに留まる理由はもうない。
    「帰る前に、レオナルドに会わなくてもいいのかい?」
     スティーブンの問いに、彼女は首を横に振る。
    「電話もメールも、家帰ってからでもできる」
     レオナルドと水希が直接顔を合わせるのは、今日が最後。
     話し合った結果、そういう取り決めになった。
     悪意はなくとも、秘密結社ライブラの情報を知ってしまった水希は危険因子だ。今後も関わるとすると、レオナルドを通してライブラの情報が水希に筒抜けになってしまう。
     情報を持つ水希自身、危険に晒されかねない。
    「ねえ」
     水希は少しだけ口ごもる。
    「あれ……本気だったの?」
    「スカウトのこと?」
    「そう」
     スティーブンたちから水希への提案は、レオナルドとの関りを断つこと。
     もしくは、水希がライブラに敵対しないと証明すること――端的に言えば、雇用契約を結ぶ。味方に引き入れてしまえば(水希が裏切らない限り)内部のことを知られても問題ないし、超人で構成されたライブラと言えど水希のような能力を持った人材はいない。
    「本気さ。この間も言ったが、君は前線でも諜報でも戦力になる」
    「それはつまり……業務的な話でしょ」
    「と言うと?」
     おそらく、今彼女はスティーブンの頭の中を覗いているのだろう。瞬きがややゆっくりになっている。
     読まれていることを自覚しているわけだが、頭の中を探られているような感触はなにもない。相手になにも察知させることなく、心を読める。恐ろしい話だ。
     HLでは、超能力者自体はそんなに珍しいものでもない。もっと不可思議な存在がごまんといる。だが、彼女の精神感応力においては別格だ。脳の中を調べる技術は他にもあるが、彼女ほど素早く確実に、広範囲で探れる者はそうそういない。
    「精神感応力なんて、他人からどう思われるものなのかぐらい、自覚してるってこと」
     それは当然として、スティーブンも懸念していることだ。
     まずスティーブン自身の内面が見透かされてしまうこと。リーダーであるクラウスですら知らないスティーブンの一面を、彼女は知ることになる。そしてそれがクラウスたちに伝わるリスク。他人の隠し事をベラベラ喋る人間でなくとも、彼女が知らなくていいことを知ってしまうのは、好ましくない。
     その忌避感は、個人差はあれど他の構成員も抱くことになるだろう。人に知られて困ることや恥ずかしいことのない人間なんて、クラウスぐらいだ。
     加えて、彼女が感応したときに受けるショックも気がかりだ。例えばザップとかザップとかザップとか。奴はどこに出しても恥ずかしい、人間のクズだ。どう考えても、奴の思考は年頃のお嬢さんには刺激が強すぎる。
    「ま、心配事があるのは否定できないけどね」
     肩をすくめ、苦笑する。
    「ここにいる連中は、どいつもこいつも順応力が高い。最初は戸惑っても、すぐに慣れるさ」
     実際、レオナルドはもうあまり意識していないようだし(目を逸らしている部分もあるだろうが)、クラウスに至っては最初から臆する様子もない。
    「アンタは?」
    「僕?」
    「アタシの力を怖がってる」
     青い双眸が、瞬きもせずにスティーブンを見つめている。
     挑むように。じっと。
    「そうだね」
     彼女に隠し事はできない。
    「おそらく、僕が一番君の力を恐れている」
     世界平和の維持は、難しい。
     綺麗事だけでは守り切れない。世界の脅威を潰すためには、ときに人道から外れた手段を取らねばならないこともある。敬愛するリーダーはそういうのに向かない。だからスティーブンがやっている。独断で、極秘に。
     クラウスはもちろん、ライブラの誰にも知られずにいたのだが、彼女だけはそうもいかない。
     下手をすれば、現時点で知られてる可能性だって、ある。
    「だがそれは僕個人の感情だ。ライブラを運営する人間としては、やはり君の能力は魅力的だね」
     戦闘力の高さは、両足をへし折られたスティーブンが体感している。心を読む力は、味方にできれば戦略の幅が広がるし、これ以上に心強い能力はない。特に、家に招いた友人たち全員が刺客だった……なんて経験のあるスティーブンにとっては。
     恐れも計算も、嘘偽りない本心だ。
     彼女にとってどちらも好ましいものには見えないかもしれないが、なんでも筒抜けになってしまう相手に聞こえの良い建前を並び立てた方が、より印象は悪くなるだろう。
     彼女みたいな力はなくとも、交渉の経験はスティーブンの方が遥かに豊富だ。
     侮るわけじゃないが、彼女は裏社会を知らない小娘である。
    「ライブラに興味持ってくれたかい?」
    「いや……そういうのじゃ、ないけど」
     勧誘は断られた。眼以外は平凡なレオナルドだって、妹の事情があるからライブラに入ったのだ。生まれつき変わった力を持った彼女でも、事情もなしに世界の均衡を守る組織に入るのは尻込みして当然。相応の覚悟がいる。
     気が変わったらいつでもおいで、とは言っているが。
     スティーブンは確信している。
     彼女はいつか、首を縦に振る。

       *

    「帰っちゃったのね、レオっちのお友達」
     事務所に戻り報告を終えて早々、スマホ片手に出て行ったレオナルドに、K・Kが呟く。
     さっそく、水希と電話でもするつもりなのだろう。K・Kは口に片手を当て、うふふと笑う。ドラマ鑑賞が趣味な主婦の顔だ。
    「レオっち、案外やるじゃない」
    「若いね、まったく」
     直接の接触禁止令の代わりに、スマホでの連絡の許可を願い出たのはレオナルドだ。
     精神感応力とて、距離の離れた相手には通用しない。電話の向こう側にいる人間がなにを考えているのかなど、わからない。だから問題ないはずだ、と。
     スティーブンもクラウスも、異論はなかった。彼女に機密情報が流れなければそれでいいし、部下のプライベートにあれこれ口出しするつもりもない。
     一番面食らっていたのは、水希だった。
     レオナルドとは完全に縁が切れるつもりでいたのだろう。あの狼狽えっぷりは、中々の見物だった。
     かと思えば、あの瞬間だけは他人の心を読んだのか、内心面白がっていたスティーブンをじろりと睨んできた。おいおい、君が他人の心を読むのは勝手だが、こっちだってなにを考えるのかは自由だぜ――そういなしてやったら、彼女もなにも言えずに黙り込んだが。
     一応、他人様の心を読むという行為の不躾さには自覚があったらしい。
    「──アタシは別にかまわないけど」
     つと、K・Kの顔から笑みが消える。
    「精神感応力者なんて、腹黒のアンタが一番苦手そうな子、本気で口説くつもり?」
    「それ、本人にも同じこと聞かれたよ」
     膝の上で手を組み、苦笑いする。
    「でもK・K……わかるだろ? 彼女が悪の道に目覚めて暗殺家業にでも手を染めてみろ。大変なことになるぜ? この街でも厄介だが、外の世界ならなおさら誰にも手が付けられない」
     水希がその気になれば、証拠も残さず低リスクで人を殺せるし、スパイ活動だってやりたい放題だ。
     本人の意思でなくとも、彼女には家族がいる。両親や祖母はわからないが、少なくとも弟との仲は良好。悪い大人が目をつけて弟を人質にでも取った日には、彼女が逆らえるかどうか。瞬間移動はできないらしい彼女に、隣の都市に住む弟を守るのは難しい。
     今、水希はどこの組織にも属していない。直接本人にも口頭で確認したが、はっきりと「独りだ」と答えた。
     独りというのは自由度が高い反面、後ろ盾がないということ。彼女を守れるのは、彼女しかいない。
    「どこぞの悪漢に拾われるよりは……か」
     K・Kはフンと鼻を鳴らした。
    ティウス(夢用) Link Message Mute
    2022/11/26 0:00:00

    Hello,shining!7

    レオ夢
    義眼押し付けられた少年と、超能力少女のお話
    ※オリ主/名前変換なし
    #夢界戦線 #オリ主 #夢小説

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