Hello,shining!8 うわ、痛そ。
通話を繋げてカメラをオンにした直後、水希はそう言って眉間にしわを寄せる。
『目の周りに絆創膏貼ってる奴、初めて見た』
確かに、この部分だけ火傷するというのは、あまりないことだろう。レオも義眼を埋め込まれる前は、こんなところにベタベタと絆創膏を貼ったことはない。
『なんなの? ピンポイントでやばい薬品でもぶっかけられたわけ?』
「義眼使い過ぎちゃって」
『押し付けるんだったら、もうちょっと人体に優しい造りにすりゃいいのに』
まったくだ。
ライブラの臨時病室で、水希に義眼を見せたときのことを思い出す。
眼窩に人の眼球ではないものが納まっているのは、けっこう不気味だ。レオはもう見慣れてしまったが、初めの頃は鏡で確認するのが恐ろしかった。
水晶玉のような質感に、光るように浮かぶ幾何学模様。黒目と白目の境はなく、人間が医療用に作った義眼とまったく違った球体。こんな見た目でモノが視えるのかと、水希は不思議そうだった。レオもそう思う。いったいどうやって視神経と繋がっているのやら。
義眼をじっくり見るために水希が顔を近づけていたことの方が頭を占めていたのは、レオだけの秘密だ。あのときは水希の超能力も弱っていたようで助かった。
異形になっている間は考える余裕がなかったけど、考えていることが筒抜けになっていたのは恥ずかしい。というか、あまり考えたくない。たぶん大丈夫だとは思うけど、今まで彼女の前でおかしなことを考えてなかったことを祈る。
「一昨日、この眼でまた変わったもの見てさ……」
バイトの賄でもらったピザを手に、昨日の忙しない一日を話す。
ライブラでどんな活動をしたのか、全部話せはしないけど。街に突如現れた超ド級巨人のことは、水希だって知ってるだろう。あれだけの大騒ぎだったのだ、鎮静化にライブラが動いたことも察してると思う。
「人間みたいに英語を話す菌類なんて、信じられる? この眼を凝らして、ようやく見えるか見えないかレベル」
『顕微鏡いらずだな、アンタの眼』
接触禁止令が出てから、水希とは一日の終わりに電話するようになった。毎日ではない。水希もバイトを入れてる日があるし、レオもライブラの仕事で夜通し忙しい日がある。週に二、三回といったところか。電話だけじゃなくって、ゲームの通信プレイもしたりする。
仲良くなった女をすぐにベッドに連れ込もうとするザップには「ありえねえ、痒ッ!」なんて引かれたが(むしろその反応にこっちがドン引きだ)。
成り行きだったけど、レオが水希の最大の秘密を知ったのが切っ掛けだろう。直接顔を合わせなくても、地元にいた頃じゃ考えられないぐらい距離が縮まったと思う。
人にはバレないように。と、水希は人を避けてきたのだから、知られてしまったらそんなことを気にする必要はない。好きなゲームとか映画とか。そんな話を、ぽつぽつ話してくれるようになった。
「じゃあ、また今度」
『Bye』
いつもならシャワーを浴びる前に、ちょっとだけゲームをするのだけど。今日はゲームではなく、ライブラの資料室から借りた書籍をバッグから出した。
超心理学――超能力についての文献だ。構成員に超能力者はいなくても、数々の超常現象に対処する結社だから、資料だけなら取り寄せてある。HLが出現してから三年、この手の分野は人気が上がっているらしい。
人口の半分以上が異界から来たナニカなこの街だが、人間側の季節イベントは紐育時代と変わらず催されるようだ。
街のいたるところに飾られたイルミネーション。バイト先のビルのロビーに設置されたクリスマスツリー。このビルは人類の会社所有物なので水希の見知ったものだが、外には異界人が見様見真似で作ったツリーもどき(木が緑ではなく赤いのはまだ許容できるが、装飾品に目玉が使われてるのはアウトだ)まである。異界人がイベントの意味を理解しているのか微妙だが、なんか面白そうなのには参加しようという精神なのだろう。
弟には、一緒に実家に帰らないかと誘われた。去年まで、祖母の家にいた頃も、毎年のように帰ってこないか訊かれている。例年の如く、今年も断った。弟もダメもとだったのだろう。「そっか」と寂しそうに笑っていた。昔は「なんでどうして」と粘っていたものだ。
実家にいた頃は、クリスマスにはホームパーティをしていたが、祖母はやらなかった。クリスマスらしいことをしていたのは、七歳が最後。
クリスマスぐらい、自分の子どもを自分で面倒見たらどうなのか。
そんなことを、祖母は電話で親と言い合っていた。誕生日の時期にも同じような電話をしていたのを、水希は何度も見ている。
先に押し付けた方の粘り勝ちのようなもので、けっきょく水希は一度も帰ることなく、祖母との二人暮らしは終わった。
街ですれ違う子どもは、楽しそうにしているけど。
水希はクリスマスにこれと言った良い思い出がない。一般の子どもと違って、特別なイベントという意識はなかった。
「虚居? すごいじゃん」
『だろ!? 予約取れたのマジ奇跡!』
ライブラみたいな非公式結社でも、一般組織みたいに新年パーティをするらしい。幹事になったというレオナルドは、狙ってた人気店の予約が取れてご機嫌だった。
レオナルドも実家には帰らないそうだ。ピザ屋のアルバイトはともかく、ライブラの仕事はいつ入るかわからない。おいそれとこの街から離れるわけにはいかない。おまけにクリスマスみたいな大きなイベントがある日には、騒ぎも起きやすいので、今夜は事務所に待機なんだとか。
彼の家族は仲が良かったはずだ。家族と過ごさないクリスマスは、初めてだろう。代わりに妹にはクリスマスプレゼントを贈ったと言っていた。
『あ、ちょっと待って』
少しの間だけ、レオナルドが通話を中断する。仕事が入ったのかもしれない。
『ゴメン、仕事だ』
やはりそうだった。
「いいよ、気をつけて」
『うん。――水希、その、お願いしたいことがあるんだけど』
「なに?」
『今晩、ソニックを預かってくれないかな。俺、今日は面倒見れそうにないから』
ソニックは元野生だ。わざわざ人の手であれこれ世話をしなくても、大丈夫だと思うのだが。
けれどここは種族に関わらず死と隣り合わせのHL。おまけに冬の寒い夜に一匹で放置するのは、気がかりかもしれない。
『頭良いから、こっちの言うことはちゃんと聞けるし。どうかな』
「いいけど。でもソニック、アタシに馴れてないんじゃない」
『それは大丈夫だと思う。ソニックはちゃんと、水希が俺の友達だってわかってるから』
「え」
『ん?』
「いや……」
アタシら友達なの?
ぽろっと口から出そうになったが、わざわざ聞くのも変だろうと思いなおす。
他人に超能力のことを悟られないように。用心するため、人と関わることを避けてきた水希には、友人と呼べる人間がいない。レオナルドは何気なしにそう言ったのだろうが、馴染みのないワードに戸惑った。
「なんでもない。ソニックのことはわかったよ、今日は面倒見る」
『サンキュー。じゃあ、よろしく』
たぶん、迎えはいらないのだろう。ソニックは水希の家に来たことがある。トラブルに巻き込まれなければ、自分で来れるはずだ。
種族名は「音速猿」だが、実際の速さは光速並みと聞く。通話を切ってたった数分後に、窓を叩く音がした。
見れば予想通り、手のひらサイズの白猿が窓辺からこちらを見ていた。
「早かったね」
開けると、外にいたはずのソニックの姿が消える。
人ではありえない視力を持つレオナルドと違って、水希の動体視力は人並だ。ソニックの動きを目で追えない。
「わっ」
首筋に走った冷たさに、声を上げる。
耳元で「キキッ」と甲高い鳴き声。どうやら水希で暖を取ってるらしい。毛皮で覆われた動物でも、外の寒さは堪えたようだ。
「待って待って……くすぐったいって」
苦笑し、ふと思い立って湯を沸かす。ソニックは離れる様子がなく、部分的にとはいえ、体温がどんどん奪われていく。
湯はすぐに沸いた。インスタントコーヒーを作って、マグをテーブルに置く。
「くっつくならこっち」
人語を解せる音速猿は、すぐさまテーブルに乗り移ってマグに身体を摺り寄せた。
そこでようやく、ソニックの首にリボンが巻かれていることに気づいた。赤と緑のストライプ。クリスマスカラーだ。
「おめかし? 可愛いじゃん」
「キッ」
「ご飯は食べたの」
人間相手のようにはいかないが、動物相手でも空腹かどうかぐらいは感応できる。水希の家に来る前に、ご飯は与えられたようだ。どうやら安全で暖かな寝床を提供するだけで十分だとわかった。
小動物の扱いに慣れてないので安心する。
祖母が猫を飼っていたのを思い出す。白の長毛種。祖母は可愛がっていたが、水希は撫でたこともない。水希が猫に近寄るのを、祖母が嫌がっていたから。水希も、人間より小さくて柔い動物が、少し怖かった。自分の力で、うっかり怪我させるかもしれないと思って。
キィ。
ソニックがマグから離れて、水希の膝に乗る。
「もういいの」
「ウキッ」
水希は成長した。力の扱いに慣れた。特にこの街に来てからは、制御しやすくなった。超常現象なんて毎日のように起こる街だ。外の世界ほど、必死に力を隠すことはない。心に余裕が生まれたから、制御できるようになったんだと思う。極度のストレスに晒されると暴走することがあるが、今その心配はない。
思い切って、膝の上の小さな存在に、そうっと指を伸ばしてみる。
逃げられなかった。
それどころか、撫でろと言わんばかりに頭を摺り寄せてくる。温い。
あの猫、一回ぐらい撫でてみたかったな、なんて。今更ながらにそう思う。二年前に老衰で亡くなってしまったので、もうできないが。
(苦しくないか?)
目の前にレオナルドの顔が現れた。首に布が巻きつき、優しく締められる。
ソニックの記憶だ。
リボンの形を整えて、レオナルドがソニックと目を合わせる。
(水希、前に動物の考えてることも少しはわかるって言ってたから。伝言よろしくな)
柔らかく笑って。
(Merry Christmas.水希)
リボンの滑らかな感触をなぞる。ソニックの大きい目が、水希を見上げている。
「そのリボン、おしゃれじゃなくって、プレゼントの飾りか」
水希がどういう子ども時代を送っていたのか、レオナルドはなんとなく察している。もしかしたら、一緒に帰省するのを断られた弟が、なにか言ったのかもしれない。
気を使われたようだ。
クリスマスの夜を独りで過ごさないように。
「こっちはなにも用意してないんだけど」
頭を撫でると目を細めるソニックを見て、思う。
今年のクリスマスは悪くない。