HOME9(後)【完】 法定速度を無視して走り抜ける車内には、運転するスティーブンのみ。子どもはいない。
だから好きなだけ、子どもの前では到底聞かせられないスラングの数々を吐き捨てることができた。
よりによって。
スティーブンに限らず、報告を受けたすべての構成員が思ったはずだ。
よりによって、水希が血界の眷属と交戦するなんて。
超能力は血法と違って使いすぎれば失血する恐れはなく、敵の動きを先読みできるし、ある程度離れた距離からの応戦も可能だ。しかし万能ではない。使いすぎれば疲弊する。相手は疲れの概念もない不死者だ。戦いが長引けば、消耗戦となって、水希が不利になり……いずれは負ける。
水希には絶対に奴らには近づくなと言い聞かせていた。水希だって、三年前、ブラッドベリ総合病院の前に現れた長老級の恐ろしさを知ったはずだ。超能力で太刀打ちできる相手でないことは、よくわかっている。
けれど同時に、吸血鬼退治にレオナルドの存在が欠かせないことも、義眼の能力が長年吸血鬼と戦ってきた牙狩りにとってどれほど奇跡のような存在であるかも、彼女は熟知している。
護らなければいけない存在がいるとき、水希は戦ってしまう性分だ。
その傾向は三年前からある。弟たちを護るため、霧の中から現れた有象無象を相手に、幼い頃から隠していた超能力を使った水希は、それを目撃した大人たちに担ぎ上げられていた。自分がどれだけ恐ろしい思いをしても、助けを求められたら無視できない、そんな子どもだった。
『こちらツェッド。到着しました、応戦します!』
最初に報告が上がったのはツェッドだ。スティーブンももう現場に近い。
道路が封鎖されていたため、車を乗り捨てた。HLでこんなことをすれば「どうぞ拾ってください」と言っているようなものだが、すぐにライブラの人間が確保する手はずになっている。
周囲に展開するポリスーツ部隊の中に、知った顔を見つけた。
「スカーフェイスか」
指示を飛ばしていたダニエル警部補も、こちらに気づいた。
顎でしゃくり、一点を指し示す。
止められた救急車の存在に、心臓が不快な動きをする。
すぐに駆け寄った。
瓦礫の隙間をぬって、救急隊員がストレッチャーを押してくる。すぐそばに、チェインも付き添っている。
横たわっていたのは水希だった。
「水希!」
小さな顔の半分は血に濡れていた。身体に触れようとしたが、救急隊員に咎められるより先に、我に返る。手も、足も、胴も、身体中負傷しているのは明らかだった。
閉じられていた瞼がわずかに開いた。
青い瞳と視線が合う。その目からは、正気を見て取れた。
彼女は〝屍喰らい〟になっていない。
「す、てぃ……」
「喋らなくていい」
血と埃で汚れた顔も、折れた腕も、服ごと割かれた傷口も、見ていられないほどに痛々しい。けれど目を逸らすことはできない。
水希の顔が歪む。
「アタシ……まだ、人間……?」
「大丈夫だ」
傷に障らないよう、目尻に浮かんだ涙を、指の背でそっと拭う。
「お前は人間だ。安心していい」
瞼が閉ざされる。
水希が安心したように笑って見えたのは、スティーブンの思い過ごしかもしれない。
本当は病院まで付き添ってやりたいが、そうも言ってられない。チェインに一言「頼む」と告げて、スティーブンは歩き出す。
ミシミシと足元で音が鳴る。吐く息はあっという間に白さを増した。
どれだけ冷えた空気を吸っても、腹の奥から湧き上がる熱は収まりそうもない。しかしスティーブンは歴代の戦士だ。感情がどう揺すぶられようと、戦況を分析する冷静さは残されている。
一際大きな瓦礫を飛び越える。
戦場がよく見えた。瓦礫の陰に隠れたレオナルド。シナトベで眷属を抑えるツェッドに、別方向から到着したK・Kも加勢した。クラウスが最後になりそうだ。皆が彼の到着を待ちわびているが、スティーブンだけは、もう少しだけ長引いてもいいと思った。
一瞬だけ目を閉じ、最後に見た水希の姿を思い浮かべる。
彼女があれだけ傷だらけになりながらも〝転化〟せずにいられたのは、本来ならありえないことだ。考えられるとすれば、眷属がわざとそうしなかった。奴らは長命ゆえに、時折気まぐれを起こす。
おそらく、水希を嬲って遊んでいたのだろう。超能力者であれど、吸血鬼を斃す力はない。人間の子ども一人、いつでも殺せると高を括って。
不死者だからこその油断だ。
水希は立派に時間稼ぎを務めた。
地面を強く踏みしめる。体内を巡る血が、足元に集中する。
まずは最大限の技で挨拶をくれてやろう。クラウスが密封する前に一発や二発では、気が済まない。
あの娘を嬲った礼だ。
──
絶対零度の爆撃
*
チェインが気を利かせてくれたらしい。水希はライゼズに搬送されていた。
戦闘を終えたスティーブンが病院に到着したとき、水希はまだ治療中だった。手術室の前には、目を真っ赤にした彼女の弟と、付き添うチェイン。母親の姿はない。深夜とはいえ、連絡は行っただろうに。
「スティーブンさん……」
顔を上げた拍子に、涙がぽろりと零れ落ちる。
表情豊かな子だ。水希とまったく同じ顔をした子どもが、その相貌に素直な感情を見せるたびに、あの子もこんな顔をすることがあるのだろうかと考えてしまう。
「大丈夫だ」
自分にも言い聞かせるように、声に出す。
「ここの先生の腕は、君がよく知ってるだろう」
ほどなくして、手術は終わった。さすがと言ったところか、ルシアナの腕によって、水希の命は繋ぎ止められた。
当然ながら、水希も入院することとなったため、スティーブンは一度帰宅した。着替えなどを持って戻ると、水希の病室の前にK・Kがいた。声をかける前に、指を口の前に立てられる。
音を立てないよう、病室のドアを開けると、ベッドの傍らで彼女の弟が眠っていた。とうに日付を跨いだ時間だし、泣き疲れて眠ったのだろう。
しかし横にならないと身体を痛める。よく眠っているようだし、起こさないよう運んでやった方が良いのでは……。そう思ったが、よく見ると彼は水希の手を握っていた。
もう二度と離れたくない。そんな彼の意志を感じて、スティーブンはそっとドアを閉める。
「チェインと交代したの。あの子は先に帰らせたわ」
「そうか」
「あんたも帰ったら。今日は私が見守っておくわよ」
元々、ライブラの身内として、水希の家族にはライブラの人間を交代制で張らせている。それがK・Kならば心強い。
「いや。大丈夫だ」
けれどその言葉に甘えよう、という気分にはなれなかった。せっかく、家庭のあるK・K自ら言ってくれたのだとわかっていてもだ。
身体は確かに疲弊している。だがこのまま帰って横になっても、どうせろくな夢を見ない。
彼女が死ぬ夢を見て、何度も目を覚ます自分の姿が、容易に浮かぶ。
「あんたがそう言うんなら、別にいいけど」
じろりとK・Kの左目が睨みつけてくる。
「あの子が目を覚ます前に、そのひっどい顔をどうにかしなさい」
「そんなに?」
「あっきれた。無自覚じゃ末期だわ」
最後に見るあんたの顔がそんなんじゃ、あの子が可哀想よ。
そう続けるK・Kの言葉が、胸に刺さる。
最後。最後か。心の中で、ゆっくり繰り返す。
「ここに──」
その先を、己の口から言葉にして発するのを躊躇った。しかし自分の中だけでは処理しきれず、スティーブンは吐き出す。
「ここに残れないかって。訊かれたんだ」
「水希に?」
これにはK・Kも驚いてみせた。
思ってもみない発言だった。
再会を希求していたわりには、あまり浮かれた反応でないことは、引っかかっていた。
この街と違って、外では超能力者であることを隠して生活しなければならないから、多少のストレスはあるだろう。三年ぶりの家族との暮らしに、きっと不安もある。ライブラで保護する前に彼女がしでかしてしまったことへの罪悪感も、外に出たところで忘れることはできない。
それらが足枷となって、彼女の外での暮らしを阻もうとしているのだろうか。
「あんたは何て返したの」
「馬鹿げたことを」
それは今でも本心だ。間違ったことを言ったとも思っていない。
しかし……。
水希に反抗されたのは初めてだった。
彼女はずっと良い娘として一緒に暮らしていた。スティーブンだって、若い女の子を相手に気を使うことは多々あったが、それは水希も同じ。不満を覚えることも、ストレスを感じたこともあっただろう。けれど決して文句も言わず、なるべくスティーブンの手を煩わせないよう、振舞っていた。
「あの子は……安全な外で暮らすべきだ。愛する家族と一緒に、幸せに……」
君もそう思うだろう、K・K。子を持つ母親に、同意を求める。
かつては、犯罪組織の元で、多くの異界人を辛い目に遭わせてしまった子どもだが。あの子の不幸を願う人がいるかもしれないとわかっていてなお、スティーブンも望まずにはいられない。
少女の幸せを。心から。
「そうね」
ふっとK・Kの目元が和らぐ。
「私だって、この街に来るとき、随分悩んだもの」
三年前。K・Kはすでに結婚し、子どもも二人いた。K・K一人ならともかく、家族全員でHLに移住するのは、相当な覚悟が必要だっただろう。旦那とも、たくさん話し合ったはずだ。
家族に危険が及ぶかもしれない。それでも世界のため、ライブラへ参入してくれたK・Kには感謝しかない。
「でもね、スティーブン」
彼女は痛いほど真っすぐにスティーブンを見る。
「水希は軽はずみでそんなこと言う子じゃないわ。あんたが一番わかってるでしょう」
射止められたように身体は動かず、視線も逸らせない。
K・Kの言う通りだ。
ジョークでないから、水希は家を飛び出した。
「あの子は──」
「K・K」
声を荒げないよう必死に押し殺したが、ここは病院だ。それも深夜。どれだけ声を潜めようと、嫌でも響いて聞こえる。
「君も知ってるだろうが、僕はろくな人間じゃない。本当なら、あの子を育てて良いような大人じゃないんだよ」
「何を今さら。精神感応力者相手に。そりゃもう、付き合いの長いあたしたち以上に、あんたの腹の真っ黒さは承知でしょうよ」
同意はくれたが、望む言葉はくれなかった。
水希のために、これ以上、スティーブンの元にいるべきではないと。子を持つ母親として、その言葉が欲しかったのに。
「それでもあの子は、あんたが大好きなのよ」
スティーブンは絶句した。
「水希の母親に会ったわ。母親同士、力になれるんじゃないかって」
それは既にK・K自身からも報告を受けている。人並み外れた巨体を持つクラウスや、顔にデカい傷痕やら刺青が彫られたスティーブンより、同世代の女性の方が話しやすいだろうと、K・Kに任せていた。
「あんたも何度も顔を合わせてるんだから、気づいてないなんて言わせないわよ」
K・Kは殊にスティーブンに厳しい女で、スティーブンもそんな彼女へ強気に出れなかったが、今夜は防戦すらままならない。
「今のあんたの顔、彼女より親らしいわ」
とん、と。雷撃を放つための引き金を引く指が、スティーブンの胸を突く。
「水希はあんたのことをよく見てる。だからスティーブン、あんたも目を逸らしちゃいけない。
あんたが守って育ててきたのよ。家族が見つかったからって、そのままほいほい帰すだなんて無責任じゃない。ちゃんとあの子が帰っていい場所かどうか、最後まで見極めてやんなさいな」
*
多目的スペースから、子どもの歓声と拍手が聞こえた。大人の感嘆した声まで上がっている。
見れば、入院着を着た患者たちが集合していた。その中央にいるのは、ツェッドだ。白を基調とした院内に、色鮮やかな蝶が舞っている。それは外の公園で見かけたことのある光景だった。
「あれは……」
「ああ、私がお願いしたんですよ」
患者たちの後ろで見守っていた、ルシアナの分身の一人が答える。
「さっき、お嬢さんの病室でやってたんですけど。他の患者さんまで集まっちゃったから、やるならこっちでやってって」
「それはまた……迷惑をおかけしました」
水希が入院して弟を外に連れ出せなくなったから、ツェッドが見せに来てくれたのだろう。水希への見舞いも兼ねて。
「いえいえ。こうして患者さんたちも喜んでますし、いい気分転換になります。今後も来てほしいぐらい」
それは悪くない話かもしれない。ツェッドも、笑顔を浮かべる患者たちを前に楽しそうだ。
彼もスティーブンの来訪に気づいた。集団の方へ目配せすると、観覧していた患者たちの中から、弟が出てくる。
「スティーブンさん、こんにちは」
水希とそっくりな顔で、およそ彼女が浮かべることのない柔らかい笑みでスティーブンを迎える。
一目でわかる。この少年は、愛されて育った子どもなのだと。
対して水希は──。
「こんにちは。水希は病室かな」
「まだ安静が必要だから、今はゆっくり休んでます。寝ちゃってるかも」
「そうか。顔だけでも見てこよう」
「ボクは──」少しだけ目が泳ぐ。「ママの様子を見てこようかな」
「それじゃあ、また後で」
「はあい」
母親の元へ向かう足取りは軽やかに見えたが、その背に憐れみを覚えた。
他人のスティーブンですら、母娘の溝を感じ取ったのだ。弟の彼が何も知らないわけがない。板挟みになりながらも彼が思い描いていた未来は、きっとスティーブンの理想と同じだったはず。
盛り上がる多目的スペースを後にして、スティーブンも水希の元へ向かう。
水希は起きていた。
「やっぱり」
熱でかすれた声で呟く。
超能力という稀有な力を持って生まれた代償か、水希は他人より身体が弱い。超能力を酷使しすぎると、よく熱を出す。ただでさえ怪我をしているのに高熱が出てしまっては、いつも以上に苦しい思いをしているだろう。
「何が、やっぱり?」
「来たの、スティーブンさんだと思った」
寝ているかと思って、ノックも声がけもせず入室したのに、スティーブンだとわかったらしい。これだけ体力を消耗していると、お得意の精神感応力だってろくに使えないだろうに。
「よくわかったね」
「わかるよ。足音が違うから」
スティーブンの靴は一見、ただの上等な革靴に見えるが、底には血凍道の技を放つためのギミックが仕込んである。硬い床を歩けば、金属音の混じった靴音が鳴る。
しかしそれは些細な音だ。第六感ともいうべき器官を持った水希だが、五感は人並み。そう簡単に聞き分けれるほど差異があるものではない。
それでも聞き分けれるぐらい、彼女は聞いてきたということだ。
「ごめんなさい」
椅子に座るスティーブンに、水希は謝った。
「窓、割っちゃった」
「いいさ。窓の一枚ぐらい」
その後に起きた騒動と比べたら、可愛いものだ。
ここへ運び込まれたときは真っ青だった顔色は、今は熱のせいで紅潮している。手の甲で触れると熱かった。しかし、生きている証拠だ。
入院したスティーブンを、水希が見舞うことは何度かあったが、逆の立場は初めてだった。気分のいいものじゃない。非常に。
「君が生きていてよかった」
心からそう思う。あのときほど強烈に、水希と死のイメージが結びついたことはない。
水希は押し黙った。気まずそうに視線が彷徨う。
「僕はね」スティーブンが口火を切る。「こんなことがいつか起きるんじゃないかと、ずっと思ってた」
いくら強力な超能力者であろうと、明日の知れない街であることを、改めて痛感させられた一夜だった。
死線を彷徨った水希も、その身をもって思い知っただろう。彼女はじっと天井を見つめている。
今なら押し切れる。そう思った。
しかし「ここに残れないか」と口にした、水希の縋るような目が頭から離れない。
「君が外での生活に不安を感じてるのは、僕もわかっていたよ」
白状する。
弟の話はしても、親のこととなると途端に口が重くなっていた水希。公衆の面前で、娘を化け物と罵倒しようとした父親。大怪我を負って病院へ担ぎ込まれたのに、顔を見せない母親。水希も、母のいる病室へなるべく近寄らないようにしていた。
察する材料は、いくらでも揃っていた。
「けれど、君がこの街にいることで死んでしまうぐらいなら、外にいた方がいいと思ったんだ」
外界には平穏がある。母親とは不仲でも、弟とは関係が良好。家族内の不和など、どこの家庭でも多少はあることだ。人見知りはするが、この街で過ごしていたように、学校で新しい友達だってできるはず。
「君は……そうじゃなかったのかな」
それでも、この街に留まりたいのだろうか。命を投げうってまで、こんな危険が日常の魔界都市に。
スティーブンの元で。
お綺麗な人間でないことは、とっくに知ってるはずだ。ライブラとして表立って動けない事態に対処するために、私設部隊を作っていること。親友であるリーダーたちには伏せて、世界のためを免罪符に後ろ暗いことをしていること。世界やライブラのためなら、人が目を背けたくなるようなことだってする。もし世界と水希を天秤にかけるようなことがあれば、世界を選ばなければいけないと考えている、冷酷で非情な人間。それがスティーブン・A・スターフェイズだ。
「……ここに残りたいのかい」
改めて尋ねるのは恐ろしいことだった。
けれど訊かねばならない。K・Kの言う通りだ。己の元を本当に去ってしまうまで、この子どもから決して目を逸らしてはいけない。
水希は、うん、と答えた。
「ここにいたい」
青い目に薄く膜が張られる。
「スティーブンさんと一緒にいたいよ……」
あっという間に決壊した膜を見て、考え直せとはもはや言えなかった。
臆病風に晒されながら、それでもスティーブンは手を伸ばし、水希の頭を撫でた。包帯にくるまれた傷に障らないよう、慎重に、優しく。
頬を滑り落ちる涙は次々とガーゼに浸み込んでいく。傷にも沁みてしまっているだろう。
「弟さんは、君を愛しているよ」
「うん」
「それでも?」
「いなくなればいいのに」
ぞっとするようなことを、呟くように言った。
「毎日、毎日、聞こえたんだ。いなくならないかって。アタシの顔を見るたびに考えるんだ……いなくなって欲しいって」
それはまさか、弟の話ではあるまい。
では誰が、というと。聞くまでもない。
「水希」
「スティーブンさんもそう思う?」
「水希、もういい」
傷ついた身体を抱きしめてやることはできない。
よくわかった。
水希にとって、外で家族と暮らすのは、どういうことなのか。
「アタシは……いなくなった方が良い?」
「そんなことはない」
即答し、繰り返す。
「そんなことはない。絶対に」
スティーブンが願うのは、水希の幸せ、それだけだ。
*
ノックを二回。室内から響いていた笑い声が止み、「どうぞ」と入室を促される。
室内には、水希の母親を含めた、患者が数名。水希の弟もいる。母と並んでベッドに腰掛け、にこやかにスティーブンを迎え入れた。
「水希、起きてました?」
「ああ」
「じゃあ、ボクちょっと見てきます」
さすが水希の弟と言ったところか。察しがよく、母親と二人きりにしてくれた。といっても、病室には他の患者もいるが。傷痕や刺青をこさえていても、異性から好意的に評価される容姿であることは自覚している。集まる視線に気づかないふりをして、母親に向き直った。
「すでにお聞きしているかもしれませんが──」
水希の怪我は、一、二週間で全治するようなものではない。異界医療を頼れば別だが、それでは人界に出れなくなる。例え女の子の身体に痕が残ってしまっても、外に出れるようにしてほしい。ルシアナ医師は、こちら側の希望を忠実に守ってくれた。
結果、母親が退院しても、すぐに母子三人でHLを出ることはできなくなってしまった。水希が完治するまで、出立の予定は延びることになる。
それを聞いたとき、母親は口にこそ出さなかったが。
その顔に不満や苦痛が過ったのを、スティーブンは見逃さない。
この瞬間まで、スティーブンはまだ迷いがあった。本当にいいのか。それで後悔することはないのかと。
しかし、腹をくくることに決めた。
「あなたに相談があります」