Hello,shining!1 ハロー、ミシェーラ。
水希って、覚えてるかな。
そう、兄ちゃんが七歳、君が四歳のときに近所に引っ越してきた女の子のことです。兄ちゃんとはクラスメイトだったこともありました。
彼女の特徴というと、ぱっと見、いやじっくり眺めても、男の子か女の子かわからない中性的な顔でしょう。服も、女の子らしいスカートやワンピースは好みじゃなかったのか、よけいわかりにくかった。
彼女が引っ越して来たとき、兄ちゃんは「男の子だ」、君は「女の子だ」って言い張ったりなんかして。おやつのケーキを賭けてたら、正解は女の子で、兄ちゃんは悔しい思いをしたのを覚えてます。
あの子はお祖母ちゃんと二人暮らしで、彼女の両親らしき人たちを見たことがありません。引っ越してから十年以上経った今も、存命なのかすら、わからない。学校ではいつも一人で、友達らしい子もいませんでした。
兄ちゃんは、はっきり言って、水希とは仲が良くありませんでした。むしろ、苦手意識の方が強かったと思います。
嫌な子ではないです。意地だって悪くない。
ただ、苦手でした。
なにか話しかけても素っ気ない態度で、いつも攻撃的な目をしていました。限界まで張った弦のように、どこかギリギリに張りつめている空気を漂わせていた子だったのを覚えています。
ハイスクールを卒業して、地元を離れた今思い返すと、あんなに小さい頃から親元を離れてお祖母ちゃんのお世話になっていたのだから、なにかワケアリの家庭だったのでしょう。兄ちゃんは、彼女が唯一の保護者であったお祖母ちゃんとも仲がよさそうにしているのを見たことがないです。幼い頃はただ苦手に思っていたけれど、きっと、寂しい子だったのだと思います。飢餓状態の獣みたいに、愛情に飢えた子どもだったのだと、今なら思います。
いったいどうして兄ちゃんが、今になって──故郷から遠く離れたこの街で生活する今になって、地元の友達とも言い難い女の子のことを思い出しているのか。
その親しくはなかったけど同じ町で育った女の子と、再会したのです。
霧に覆われた異常が日常の街、
HLで。
元紐育。現在はHLと呼ばれる、異世界と混同した街にレオが踏み入れてから、二月ほどが経った。新しい職場にも、ようやく慣れつつある……と思う。まだまだ知らないことだらけだけど。
「いらっしゃい!」
軽快なベルの音に、看板娘のビビアンが顔を上げる。
人類も異界人も隔てなく接客するダイナーは、本日も盛況。カウンター席もボックス席も、ほぼ埋まっている。異界人も気軽に訪れるこの店を嫌煙する人類もいるらしいが、レオはここの雰囲気が好きだ。寡黙な店主も、気さくな看板娘もいい人たちで、レオのことをよく気遣ってくれる。
「今日は一人か? レオ」
「いえ、ザップさんが遅れて来ます」
職場の先輩であるザップ・レンフロとはよく昼食を食べに行くのだが、今日も一緒にダイナーへ行こうとしたところ、愛人から電話がかかってきたので、レオが先にダイナーに来たのだ。
ざっと見回したが、ボックス席は全部埋まっているし、カウンター席は連続して空いている席がない。今日は別々に座るしかなさそうだ。
……かと思ったが、空席の隣に座っていた客が、タイミングよく立ち上がった。テーブルに置いてある皿は空だから、食べ終わったようだ。
「えっ」
思わず漏れたレオの声に、客が振り向く。
長身の痩せ型。中性的で小さな顔。眼光の鋭い碧眼。重力に素直に従うストレートヘアー。
見覚えのある人物だった。
「もしかして、水希?」
客──水希も驚いた顔で、レオを見下ろす。
「レオナルド?」
容姿と同じく、これまた中性的な声で、レオの名を呼んだ。
やっぱりそうだった。
「え、何々? お客さん、レオの知り合い?」
「ああ、うん、まあ──」
水希がポケットからゼーロを取り出し、カウンターに置く。
「コーヒー美味しかったよ、ごちそうさま」
「おう! また来てくれよな!」
そのままレオには一瞥もくれず、水希は出ていってしまう。
ドアで擦れ違うように、ザップが店内に入ってきた。電話に出たザップの様子からまた修羅場が勃発したのかと思っていたが、今日は珍しく平和的に解決できたらしい。
「おーう、レオ。注文しといたか」
「あっ、まだです」
「注文も満足にできねーのかよ、インモー」
レオの癖の強い髪の毛を、ザップはことあるごとに「陰毛」とからかってくる。真昼間の飲食店で、よくそんな下品なワードを吐けるものだと、ザップの品のなさには呆れるしかない。
インモー呼びやめろ。いつもの応酬をしつつ、二人並んで座って注文した。
「さっきのレオの知り合い、かっこいーじゃん。バイト仲間?」
「あ、彼女、女の子です」
背も高く細身なうえに、男の子っぽい恰好をしていたから誤解したのだろう。ビビアンは驚いて見せた。
「ええと、それと、バイト仲間じゃなくて……同じ地元で育った子なんです。学校も同じ」
「へーっ。そんな偶然、あるんだなあ!」
ですねえ、とレオも頷く。
まさかこのカオス極まれりなHLで、地元の人間に会うとは思わなかった。
*
超常秘密結社ライブラ。
それがレオの新しい職場だ。本部の事務所は、HLに建ち並ぶビルの一つにある。秘密結社というだけあって、事務所の入り口は特殊なセキュリティが施されており、部外者はおいそれと立ち入ることはできない。
「おい、インモー」
事務所のソファに足を投げ出すように腰掛け、ザップは事務所にいる全員に聞こえるように言う。
「あの女男、本当に地元の人間なんか」
正確には女男ではなく、男女だ……と言いたいところだが、どちらも悪口なのでそう訂正するわけにもいかない。
なぜ事務所に戻ってから、彼女の話を蒸し返すのか。ダイナーではなにも言わなかったのに。疑問に思いながら、レオは首を縦に振る。
「はい。まあ、彼女のオーラは覚えてないので、本物とは言い切れませんが……」
レオの眼は、人には視えないものを視る力がある。その視えるものの一つを、レオはオーラと呼んでいる。生き物を包み込むように見えるそれは、種族、個々人によって色や濃さが異なって見えるのだ。
今日見た水希のオーラは、人類のものだったのは間違いない。
「──地元の人間ってのは?」
書類を片手に話し合っていたライブラの副官、スティーブン・A・スターフェイズが、口を挟む。リーダーであるクラウス・V・ラインヘルツもこちらを見ていた。
なにやら、雲行きが怪しいような。そう思いつつ、レオはダイナーで同じ地元出身の女の子と再会したことを、正直に話す。
「その、水希ってお嬢さんは、少年とは親しかった?」
「いいえ」
大きく首を横に振る。本人がこの場にいるならもうちょっと控えめに答えているが、これが嘘偽りない事実だ。
水希とは、友達とすら呼べない仲である。向こうだってそう思っているだろう。
「ほとんど話したことがないです。正直、僕のことを覚えてたことすら、意外って言うか」
まあ、人が多いとは言えない田舎町では、お互い覚えているのも当然かもしれないが。
「彼女、どうしてHLに?」
「さあ……ほとんど話してないので。えっと──」
ザップも、スティーブンも、クラウスも、いったいなにが引っかかってるんだろう。
不思議そうに言い淀むレオに、呆れたようにザップが言う。
「忘れたのか、お前。ここはHLだぞ」
「はあ」
忘れたことなんかない。ここは明日自分が生きているかも知れない、不安定で不条理な街、HLだ。
治安が恐ろしく悪く、この街へ入るには許可証へのサインがいる。それぐらい危険なところだ。レオがこの街に来てから、何度死にそうな目に遭ったことか。
「この街で地元の人間と、偶然の再会なんてあると思うか?」
「…………」
やっと、腑に落ちた。
元紐育であった頃と変わらずヒトがごった返す大都会だが、人類はこの街の人口の三分の一にも満たない。渡航許可がいるほど危険な街に好き好んで訪れる変わり者は、そうそういない。もちろん無害な一般人も住んでいるけれど、それと同じぐらいの人数でヤバい連中(例えばマフィア、例えばテロリスト、例えば過激な宗教団体、エトセトラ、etc.)がウヨウヨいる。
そんな街で、遠い地元に住む人間と偶然の鉢合わせなんて、本当にありうるのだろうか?
実際ありえたわけだけど、それは本当に偶然だったのだろうか?
一月ほど前のレオなら、偶然だと疑いもしなかった。
けれどレオは今、ライブラに所属している。ライブラは非公式の、極秘組織だ。ライブラの情報を求めるものは少なくなく、時にはその情報に億単位の値が付くなんて言われている。
「少年が現状を把握できたところで、話を進めようか」
黙りこくったレオに、スティーブンは質問を重ねる。
「彼女はどんな子だった?」
「わかりません」
レオは再び、首を横に振る。
「近所に住んでたってだけで、本当に仲は良くなかったんです。知ってるのなんて、名前とか……お祖母さんと暮らしてたってことぐらいで」
「他の家族は?」
「知りません。僕が七歳のときに、彼女だけ引っ越してきました」
「ふうん……」
スティーブンとクラウスがどうしたものかと顔を見合わせる。レオが大げさでもなく脚色を加えたのでもなくマジで彼女と親しくなかったのが、伝わったようだ。
再会したのが仲の良い友達なら、レオに油断させてライブラについて根掘り葉掘り聞き出す――なんてシナリオが考えられるが、水希では考え難い。
「──一応、諜報部に調べさせておくか、クラウス」
「うむ」
スティーブンの確認に、クラウスは首肯し、水希については一旦保留となった。
偶然という可能性はゼロではない。レオが直接ではないものの彼女のプライバシーに立ち入ることに申し訳なく思うが、しかたがない。レオが所属するのは、そういう組織なのだ。
潰されたカエルのような声を上げ、成人男性より遥かに大きな図体を持った異界人が、路地に倒れる。なんとか呼吸しようと開いた口から、紫色の舌がうねうねと動く。
一つ目の異界人だ。顔面の真ん中にあるそれは、厳つい図体に似合わず、透き通った青色をしている。
宝玉のような輝きを放つ眼球に、水希は昼に出会った少年を思い出す。
レオナルド・ウォッチ。
かつて、近所に住んでいた男の子だ。ほぼ話したことはない。妹の車椅子を押す姿を、よく見かけた記憶がある。あの田舎町に住む人間なら、見慣れた光景だ。
その妹が盲目になって以来、彼のことはあまり見ていない。学校で、彼の友人たちに様子を聞かれたが、なにも知らないと答えた。
レオナルドとは、その程度の距離だった。彼だって、いつも一人でいる水希を気にかけてくれたことはあったけれど、さして関心はなかっただろう。
そんな少年と、この街で再会することになるとは。
人類が比較的安全に過ごせる範囲は限られている。とはいえ、HLは三年前と変わらず大都会だ。いくら同じ街に住んでいても、まったくの偶然で出会える可能性は高くない。もう縁はないものだと思っていた。
と言っても、そんな何度も偶然は起こりえないだろう。
彼が常連らしい、あのダイナーに通うでもしない限りは。昼間だって、彼が水希に気づかなければ、スルーするつもりだった。
「ぐ、が……」
異界人の四肢から力が抜ける。不規則に痙攣する肉体をしり目に、水希は路地を後にした。
大通りで勃発したマフィアたちの抗争を避け、路地に入ったらこれだ。若い人類の臓器を目当てに、異界人が舌なめずりをしながら待ちかまえていた。
己の絶対的優勢を疑わずに。
数多の種族がひしめく住民たちの中で、人類は弱い分類に入る。
しかし例外もいる。水希のように。