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    Even注意事項幽愁暗恨問題発生決意表明隊室訪問試行錯誤問診時間友人詰問混乱相談対等関係相互理解あとがき注意事項
    【ATTENTION!!】読む前に確認お願いします

    ・「ワールドトリガー」の二次創作作品です

    ・カップリングとして「諏訪荒(諏訪洸太郎×荒船哲次)」が含まれます

    ・周りのキャラも多いです

    ・オリキャラが出てきます

    ・文章は拙いです

    ・ご都合主義です


    上記の点確認の上、自己回避よろしくお願いします
    なんでも許せる方のみお楽しみくださいませ!

     ボーダーには多くの若者が隊員として働いている。それはトリオン器官が最も発達するのが学生時代であることに由来し、近界との戦いにおいて、平均年齢の低さはどうしようもないものである。よって、隊員の中では年配者と言っても実は大学生というのが大半で、結局のところ世間的にいえばまだまだ若いのである。
     つまり何が言いたいかというと、ボーダーは若者の巣窟だ、ということだ。
     幽愁暗恨 
     さて、話は変わるが諸君らは第二の性というものを知っているだろうか。女と男という性別を第一とおくならば、第二と呼ばれるその性別を世間はこう呼称した。Dom性とSub性、と。俗に命令する側、従わせる側と言われるのがDom、命令される側、従う側がSubだと言われている。そのどちらにも囚われないものをSwitchという場合もある。その性分化は成長にともなってハッキリしていき、特に中学生から高校生の時期に確固としたものとなる。そのため、第二の性における問題は思春期に重なるためよりデリケートなものとなる。
     前述した通り、学生が多いボーダーも例外ではない。
     
     **
     
    「だから第二の性についてのガイダンスを行います、か」
    「そうらしいな、通知書によると。問題ないらしいが、一度受けているなら」
    「ダリィっすよね、それ。学校でも受けるってのに」
    「上もちゃんとそういう対策をしてるって事実が欲しいんだろ。ただでさえ学生を戦わせてるってのが反感を買いやすいんだし」
     
     俺の隊は一応全員がそのガイダンスを過去に受けている。それは隊長である俺が受けるべきだと思ったからだし、自身に少し事情があったというのもある。
     
    「手伝いに行くのか、お前は今回も」
    「まあ、な」
     
     覗き込む穂刈の様子は心配げだ。その原因を理解しているが故に、俺は何も言わず頷くしかなかった。隊室には呆れたような半崎のため息が小さく響いた。
     
     **
     
     第二の性—Dom性とSub性にはその能力値に対してグレードともいうべき階級が存在する。一般に上位や下位と言われるそれはコマンドに対する従順性や対抗力また、他者に与える影響力の大きさによって分類され、同じ性別同士での力量差を表すものとして一つの指標となっている。簡単に言えば、上位のSubは下位のDomの命令ぐらいは無視できるし、同じDomでもコマンドの優先権は上位にある。それは本人の意思の力に場合によっては左右されると言われるが、概ね階級の差にあらわれる力量差は覆ることはない。
     俺はその中で上位のDomと呼ばれる存在だった。それも上位の中でもかなり強い素質を持つようだった。比較的上位のDomが多い家系同士の家庭だったのも、理由にあったのだろう。俺は、まだ第二の姓が確定する以前からDomの片鱗を見せる子供だった。両親はそんな俺に対して厳しくDom性の制御を教えた。周りに強いDomがいる環境に双方いたからこそ、その制御の重要性をわかっていたのだろう。自分で言うのもあれだが、そこそこ頭の良かった俺はそんな親の言い分を理解し、幼い頃から能力の制御を学んだ。そして、成長とともに能力は強く育ち、第二の性が確定する頃、俺は上位のDomとしては破格とも言えるレベルに能力を制御できるようになっていた。
     しかし、性別が確定したことで新たな問題が発生した。それは第二の性由来である衝動の発散方法だった。普通であれば、その場限りのパートナーを見つけ諸々のマナーを満たせば(セーフワードの設定やコマンドの好き嫌いなどの把握)軽くプレイすることで発散できるはずだった。そこで俺の強すぎるDom性が問題となった。強すぎるがために生半可なSubでは俺のコマンドに耐えきれないのだ。どれだけ制御をしてなんとかプレイできたとしても、ありのままを晒すことのできないプレイは俺に余計なストレスを与えるだけだった。そのため、俺はボーダーに入るまで強めの抑制剤と運動などでどうにか衝動を誤魔化しながら生きていた。
     そういう意味で、ボーダーの環境は俺にとって天国だった。なぜならトリオン体でいる時、第二の性は関係なくなるからだ。偽りの体で戦うトリガーがあってこその利点だった。そしてもう一つ、ボーダーには上位の性を持つ人間が多かった。それはDomやSubだけでなく、珍しいと言われるSwitchも同様で、特にB級以上ともなると下位の素質を持つものはだいぶ少なくなっていた。そんな人たちとするソロ戦は衝動の解消にピッタリで、プレイをすることはできなくても、普通の抑制剤で生活できる程度に衝動をコントロールできていた。ボーダーによる日常の安定は、俺の精神にも余裕を持たせた。だからこそ、あの事態につながった。
     あれはボーダーに入隊してしばらくした頃だった。ようやくトリオン体の扱いにも慣れてきて、正式隊員を目指してランク戦をこなすことに楽しみさえ覚え出したタイミングだったと思う。C級が集まるランク戦ブースの共有スペースで、その事件は起こった。

    「っ!SubがDomの俺に逆らってんじゃねーよ!“kneel“だ!」
     
     元はよくある隊員同士のいざこざだったのだと思う。問題はそれがDomとSub同士で起こってしまったことだった。Subの言動に激昂したDomである男は他にたくさんの人の目がある場所でコマンドを使ったのだ。基本的に、プレイはパートナー同士で行う大切なものだ。特にSubにとっては自分の行動権をDomに託すため、プレイを行う場所というのは配慮が必要なのだ。それだというのに、あんな場所でコマンドを使われたSubは、あっけなく”Sub drop”を引き起こした。その様子に俺を含めて、周りは一気に騒然となった。その場から距離をおく者、この場をどうにかできる誰かを呼びに行く者など、ある種のパニックに陥っていた。一方で、ガクガクと震えながら蹲る姿にDom性を刺激されるのか加害者の男は笑っていた。興奮で赤く染まったその表情に、考えるより先に体が動いた。俺はglareを使ったのだ。ただその場を収められれば、と。少しばかりの同じDomの行動への怒りも込めて。
     その結果は恐ろしいものだった。生身で、いつもより少し緩んだ制御で発せられた俺のglareは加害者のDomを昏倒させるだけでなく、その場にいた半分の人間を跪かせた。
     反省すべき点は二つ。一つ目は、先に言ったようにその当時気が緩んでいたことだ。トリオン体では制御をしなくていい、という甘えが制御を緩めてしまった。俺は自分の能力の強さを理解していたのだから、しっかり切り替えて制御をするべきだった。二つ目は、自身の能力の成長を侮っていたことだ。定期的に友人に頼んで衝動を発散しているとはいえ、自身の能力がどれだけの影響力を持つのかをしっかりと認識していなかった。いや、ただでさえ強いそれがまだ成長過程であることを失念していた。これに関しては、その後お世話になる専門医に予測出来ないのも仕方がないと言われたけれど、想定はできたはずだと今も俺は思っている。
     そのあと、駆けつけた東さん達によってその場は収められ、俺も事情を聞くためだと医務室に連れて行かれた。たぶん、その時に俺の強すぎる第二の性のことはバレたのだろう。あれから、俺はボーダーの第二の性に関する対応に関して意見を求められることが増えた。それは自分も気になることであるし、上としてもある種の抑止力(上位のDomの威圧は威嚇にも使えるため)にもなる俺の存在は認知しておきたいのだろう。俺に断る理由はなかった。
     ただ、俺はあれから自分の第二の性が恐ろしくてたまらなくなった。明確なパートナーがいない以上、俺の衝動の発散はどうしても中途半端になる。今快く相手をしてくれている友人たちとのプレイの時、強すぎる能力によってあの時のように傷つけてしまったら。そう考えると自然と肌が粟立つのだ。帽子を被るようになったのもそれを懸念したからだった。
     
     ——帽子をかぶっている間は気を抜かない
     
     そういう条件付けで自身に縛りをつけた。気休めだと思いながらも、俺はトリオン体にも同じ帽子を設定し、より能力の制御に気をつけるようになった。そんな事情を知っている穂刈は、俺がいつも第二の性に関わる時心配してくれる。知っているのは上層部を除けば穂刈たち同い年の奴らと、隊員である半崎だけ。それだけでもだいぶ心配をかけているのだから、これ以上悪化しないように今も努力している。
     
     それが俺が持つ第二の性に関わる事情というやつだ。まるで呪いのようだと俺はいつも考えている。
    問題発生
    【諏訪視点】

    「なんか今日人多くね?」
    「あぁ。さっきまでいつもの講習会がありましたし、そのせいなんじゃないですか?」
     
     ラウンジにいた俺と堤は、いつも以上に空いている席がない周りを見て会話を続ける。俺は席の心配がない分、じきに満席になるだろう周囲を手持ちの本から視線を上げて眺めていた。堤は顔を上げてすらいない。
     
    「講習会ってあれか?第二の性がなんちゃらっていう……」
    「ええ。まぁ、正隊員になって一度受けていればいいものですから、俺たちにはもう関係ありませんよ」
    「まあな。あれも東さん担当だっけ?あの人も忙しいよな」
     
     東はボーダーの中で自分の第二の性を開示している珍しい立場だ。上位であるとはいえ一般的に様々な被害にあいやすいSubだというのに第二の性を明らかにしているのは、パートナーの存在だ。換装をしていない限り首元に主張するカラーと呼ばれる契約の証が、東がパートナー持ちであることの証左だった。
     それはパートナーを持たないその他大勢にとって、威嚇のような効果を持つ。何より、カラーの本気具合から、相手のDomの格と執念を同類のDomであれば悟ることができるらしい。それもあって、ここしばらく第二の性に関する仕事の多くは東が責任者となっていた。
     俺は少し前に自分にも届いていた講習会の資料を確認してみようと、近くに置いていた自分の端末を開いた。そこに記されていた責任者の名は思った通りで、さっと目を通して閉じようとしたその時、ある場所で目が止まった。
     
    「あ?」
    「どうしました?」
    「いや、責任者補助が荒船になってる」
    「手伝ってるだけでしょ?彼、普段も色々講師とか引き受けているみたいだし」
    「そりゃそうだけどよ。この講習会は毎回やることさほど変わらねぇから、いろんなやつに声かけてるって、前東さんがこぼしてたんだよ」
     
     それは確かな事実だった。諏訪隊の隊室にある雀卓をいつものメンバーで囲んでいた時に言っていたはずだ。だが、記憶が正しければ荒船は今回だけでなく前回も、そのまた前も名前が載っていた気がする。他のメンツは変わってるのに、だ。
     急に端末を見て考え込み始めた俺に気を取られたのか、堤がようやく手元の本を机に置きこちらに向き合った。視線に請われるままに端末を渡すと、目を通した堤も首を傾げた。
     
    「確かにずっと荒船の名前がありますね。何か理由があるんでしょうか」
    「たとえば?」
    「そうですね……まず挙げるとすれば東さんの希望ですかね。諏訪さんも言ったように常に多忙な人ですし、代わりに仕切る人として頼みやすかったとか」
     
     堤の推論に俺は首を横に振った。確かに東さんが多忙なことも、荒船がその代わりを任せられるポテンシャルがあることも理解できるが、それはあり得ないと感じたからだ。俺はすぐさま反論を舌に乗せる。
     
    「そりゃ最初の数回とかはあるかもしれねえが、荒船も東さんも馬鹿じゃねぇ。基本的にやることが決まってるなら、マニュアルなりなんなり作るだろ。それに荒船じゃなくてもいいし」
    「ですよね。じゃあ、荒船の希望だったとかですかね?」
     
     堤も長い付き合いだということもあり俺の言い分を理解したのか、すぐに意見を引っ込めた。だが、次に出された推論もいささか同意しかねるものだ。俺は自分の顔が渋面を作っているのがわかった。
     
    「こんな面倒なやつ希望するやついんのかよ」
    「俺は荒船じゃないのでなんとも言えませんけどね。もしかしたら理由があるかもしれないじゃないですか。というか、俺の推論に文句ばっか言ってますけど、諏訪さんは何か意見ないんですか?」
     
     堤の言い分に唸っているところに、意見を振られた。確かにさっきから堤に言わせてばかりだった、と自分の意見を言うため口を開いた。しかし、内容が内容なので堤に少し寄るように手招きして。
     
    「俺はな、東さんのガード的役目なんじゃないかと思ってる。講習会にはDomだっている。いくらパートナー持ちとはいえ東さんはSubだからな。そのパートナーが傍にいられない以上、強いDomがガードに付くってのは考えられないことじゃねぇだろ?」
    「諏訪さんは荒船がDomだと思うんですか?」
    「実際に本人に確かめたわけじゃねぇけどな。でも、あの個性的な同世代をまとめて、コントロールできるやつがSubとは思わんだろ、普通に考えて」
     
     基本的に第二の性についての詮索はマナー違反だ。だからこうしてこそこそ話しているわけだ。堤も声を顰めた理由がわかったのか、同じく小声で返事を返してくる。
     
    「言いたいことはわからないでもないですけど、それって荒船が東さんの対応できないDomに対応できる前提ですよね。そうなると、荒船ってめちゃくちゃ強いDomってことになりますけど?俺はともかく、諏訪さんならわかるんじゃないんですか。あんなにいつも強いDomと一緒にいるんですから」
    「好きで一緒にいるわけじゃねーよ。でも、それは俺にとっても疑問。俺、あいつからDom特有のプレッシャー感じたことないんだよ」
    「諏訪さんが、ですか」
     
     これは性別による特性とも言うべき感覚が関係する。第二の性では、同じ性別であればその格の差というのは感覚でなんとなくわかるのである。その感覚の鋭さは素質の格に比例し、上位であればあるほど正確にわかるようになると言われている。特にSubはその感覚が発達しており、対する性別であるDomの格も判別する。Domが放つプレッシャーと呼ばれる威圧感や圧迫感がその判断基準に使われる。ただし、Domにとってはその威圧感をどれだけ制御し隠せるかが上位たる所以の一つでもあるため、生半可なSubでは感じ取ることこそ不可能である。
     その点で、諏訪は上位のSubであるためある程度の格はわかる立場にいる。それは格の高さ故の鋭い感覚と、比較対象になる周りのDomの格が高いことが大きく作用している。木崎と風間というDomの中でもかなりの格の高さを誇る二人がそばにいるがため、Domのプレッシャーには敏感とは言わないまでも、見逃すということは基本的にないのだ。
     
    「やっぱり、荒船Domじゃないんじゃありませんか?俺みたいなSwitchとか」
    「ま、その可能性もある。でもSwitchだとしたらガードっていう俺の線は無くなるけどな」
    「それはそうですね。もしもを考えると共倒れですから」
     
     堤、そしてもう一人の腐れ縁である寺島のようなSwitchと呼ばれる性を持つ者はDom性とSub性を兼ね備えるいわゆる両性だ。基本的にその性の切り替えは本人の意思によって行われるものだが、自分より強いDom性を持つ相手からのglareを受けた場合、勝手にSub性に切り替わった事例が報告されているため、こういった事例では不向きと言える。
     
    「ま、色々考えはしましたけど、全部推測に過ぎませんよ」
    「だよなー。今度聞いてみっかな?なんで毎回講習会手伝ってんのって」
    「いいですけど、多分うざがられると思いますよ。「なんでそんなこと諏訪さんに言わなきゃいけないんだ」とか言われて」
    「うわっ!めっちゃ想像できる。というかあいつ俺のこと年上だと思ってないんだよ、いっつも生意気な口聞きやがっ「さっさと退けよ!」ん?」
    「揉め事ですかね」
     
     一周回って生意気な後輩への愚痴になりかけたところで、ラウンジに大声が響いた。堤と顔を見合わせ、何事かと声の主の方へ顔を向けると、そこは騒ぎのせいかちょっとした人だかりになっていた。これでは様子を見ようにもうまくいかない。俺は一つ息を吐くと、席を立った。堤は俺がこれからやろうとしていることを理解しているのだろう。俺の分も荷物を持って並び立った。
     
    「しゃーねぇなぁ。俺ちょっと見てくるわ」
    「了解です。俺も行きましょうか?」
    「一応後ろから様子は見といてくれ。大事になりそうだったら東さんか冬島さん、無理そうなら忍田さんあたりに連絡入れてきてもらってくれ」
    「堤、了解」
     
     もしもの時のことを相談し、俺は人混みの方へ向かった。人をかき分け進むと、そこにいたのは二つの集団だった。ボックス席に座る集団とそれを睨みつける集団。それだけでもうどんな騒ぎか想像がつく。
     
    「だからさっさと場所を開けろって言ってるんだよ!」
    「さっきも言ったけど、俺たちが先にここを使っていたんだ」
    「そんなの知るかよ。俺たちの座る場所がないんだからお前らが譲るのが当然だろ。あ、もしかしてお前命令されたいの?人目があるところで命令されたい、とか思っちゃってるの?これだからSubはな〜」
    「なっ!」
    「まあ、どうしても命令されたいっていうなら?やってやってもいいけど?俺たちやさしーからさ」
     
     Dom性の隊員は、ニヤニヤと馬鹿にした笑みを浮かべながら、座っているSub性の隊員を煽っている。俺はそれを持っていた端末で録音しながら出方を伺っていた。見たかぎりDom性の方は言うだけあって、Sub性の方より格は高いようだ。それがわかってのこの騒ぎだとしたら、胸糞悪いことこの上ない。言ってみれば、勝てる相手にだけ喧嘩をふっかけているに過ぎないのだから。俺はムカつく胃をおさえながら動向を見守った。
     
    「ふざけるな!さっきボーダーではダイナミクスのマナー違反は厳罰対象だって言われただろーが!」
    「そんなの形式的に言ったに決まってるだろ?真に受ける方が馬鹿なんだよ、こういうのは!それに厳罰って言ったって大したことないだろーしな」
    「そんなわけあるわけないだろ!ボーダーじゃなくたって、お前がやってるのは立派な恐喝だ!ダイナミクスを笠に脅すなんて!」
     
     どうやらSub性の隊員はまともらしい。しかしこの場でその発言は考えが足りない。言っていることは正論だが、今はまずい。時に過ぎた正論は争いを生むということを理解していない。俺は最後の人混みをかき分けて当事者たちに近づいた。
     
    「うるさい!Domの俺に口答えしてんじゃねぇよ!“shut up”」
    「ぅぐっ!」
    「ハッ。やっと黙りやがった。じゃあお前のゴ・キ・ボ・ウどーり、みんなの前でコマンドに従ってるとこ見せてやるよ!ほら“kneel“だ!」
    「ぁいや……ぃやだッ」
    「喋っていいっていってないだろうがっ!さっさとやれよ、Subなんだからっ」
    「おっと、そこまでだ」
     
     無理やり二人の間に割り込むと、Domの意識はこちらに向いた。Domの男は完全に頭に血が上っている様子で、制御のできていないglareを撒き散らしている。早くこの場を収めないと、周りのSubに影響が出始めるのも時間の問題だ。
     
    「もう十分だろ。こいつはもうコマンドに従うどころじゃねぇよ」
    「なんだあんたは。邪魔をするな!」
    「俺のことは気にすんな。それよりそろそろ落ち着かないと騒ぎが大きくなる。お前さんも悪目立ちはしたくないだろ?」
     
     俺は宥めるように声をかける。これで理性を取り戻してくれたら御の字、無理でも堤が呼んだ増援が来るまでの時間稼ぎになる。そう思って俺は崩れ落ちてしまったSubを背にかばって見えないようにしながら、言葉を重ねようとした。だが、その対応でさえ相手の癇に障ったらしい。そいつは俺の地雷を踏みやがったのだ。
     
    「ここまできて悪目立ちなんか気にするわけないだろ!それに偉そうにしてるけど、あんただってそいつと同じSubじゃないか!同類同士憐れみあって情けないと思わないのか!」
    「あ?今なんつった」
     
     ——俺がSubだから。同じSubだから同情してこんなことをした、だと?
     
     久しぶりに怒りで青筋が浮かびそうになる。ここまでの侮辱を正面から受けるのは久しぶりだ。俺は視界に見覚えのある姿があることを確認すると、思いっきり目の前の輩を見下ろした。今更だが成長期の途中なのか俺よりだいぶ背が低く薄い体躯はたとえDomだとしても迫力を感じない。
     
    「憐れみ、ねぇ。そりゃ感じるに決まってるわ。お前程度のDomが散々粋がってるのを見て可哀想だなってよ」
    「なにっ!」
    「文句があるならコマンドでもなんでもしてみればいいじゃねーか。ちゃんと俺だけを狙えよ?お前制御下手そうだもんなぁ」
    「ば、馬鹿にするな!“down“だ、“down“しろぉぉぉぉ!」
     
     もはや叫びにも近いコマンドが俺を襲う。煽ったおかげか、先ほどより制御の効いたコマンドだった。だがその程度では、俺に効かない。俺は命令に従うことなく肩をすくめてみせた。
     
    「な、なんで……」
    「ほらな、俺にお前さんのコマンドは効かないってわけだ。……これがお前程度のDomって言った理由だよ」
    「ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁぁ!」
     
     俺の態度が気に食わなかったのだろう。今度は腕を振りかぶって近づいてくる。明らかに殴ろうとしてくるそれを前にしても、俺は背後にSubがいるため下がることはできない。だが心配はしていなかった。
     
     バシッ
    「ふざけてるのはテメェの方だ」
     
     少し視線を移すと映るのはトレードマークの帽子と端正な顔。予想通り間に入ってくれたのだろう。俺は気の利く乱入者の肩に手を置いた。
     
    「さっすが、荒船。来てくれると思ってたぜ」
    「どうだか。諏訪さんのことだから殴られても問題なし、とか思ってただろ」
    「そりゃあな。手出された方が後々やりやすくはなるだろ?」
    「それ、笹森の前で言うなよ」
     
     乱入者こと荒船は殴りかかってきた腕を掴みつつ、呆れた顔を俺に向ける。荒船の言い分は確かに俺が考えていた言い訳と一致するから苦笑するしかない。でもそれは、堤が様子を伺っているのと、荒船とともにいるのが見えた半崎が端末で撮影をする様子が見えたからだ。俺だって証拠にもならないところで殴られる趣味はない。
     
    「それで?お前たちがここ収めるのか?」
    「ああ。こいつ講習会の時から目を付けてたんだ」
    「なんかやらかすぞって?」
    「話聞いてないみたいだったし、普段からSubを見下す言動が報告されてたからな。まさかこんなに早く騒ぎを起こすとは思ってなかったけど」
     
     荒船がため息混じりにそう告げると同時に、腕を掴まれた男がビクッと震えた。荒船は新入隊員の講師も担っているから、B級の隊長格であると知られているのだろう。明らかに血の気が引いた顔はいっそ哀れだ。庇わないけど。
     
    「今いいか、諏訪さん」
    「お、穂刈もいたのか」
    「一緒にいたぞ、荒船と。聞きたいんだ、経緯を。連れて行くからな、被害者を医務室に」
     
     荒船がDom側を相手している間に、穂刈と共に崩れ落ちたまま青い顔をしているSubの隊員と一緒にいた仲間に事情を聞いていく。やはりというか、共にいたのは格の差はあれSubが多く、顔色が悪いものも数名いた。これは堤と同じくSwitchである穂刈が被害者を背負い、まとめて医務室に連れて行くらしい。これはSub同士でしかわからないことに対応するのと、アフターケアが必要になった時を考慮してのことだ。
     俺はSub側の段取りがついたので荒船の方へ体を向けた。そこでは顔色は悪いものの言い訳を並べる男とそれを黙って聞く荒船、そして今にも逃げ出そうとしている男の取り巻きたちだった。
     
    「……お前の言い分はわかった。だが、マナーを守らない者には厳罰だと言ったはずだ」
    「それは、聞きました。でもこれって普通のことでしょ⁈周りだって文句言う奴いなかったんですから」
     
     Domの男の言い分に忘れかけていた苛つきが再燃する。周りが言わないからなんだってんだ。それが行動の正当性を示す理由になどなりはしない。むしろ、Domとして正しい知識を持つのなら、止めるべく行動を起こすのがふさわしいというのに。
     俺は荒船の前に割り込むと加害者のDomの方を向いて笑いかけた。もちろん、口角が上がってるだけで、視線は笑うなど論外だろうが。
     
    「そうだな。お前さんの取り巻きもニヤニヤしながら見てたもんなぁ?」
    「諏訪さん。そっちは終わったのか」
    「おう。荒船、そいつの後ろにいる奴らも共犯扱いでいいと思うぜ。さっきも言ったけど派手に騒いだのはそいつだけだが、あいつらだってプレッシャーわざと漏らしてたんだからよ」
    「「なっ!」」
    「ほー。プレッシャーをね……」
     
     俺の証言に逃げようとしていた奴らの顔色が変わる。わからないと思ってたんだろうな。でも、あんなチャチな制御ならダダ漏れとそう変わらない。おそらくSub側の顔色が悪くなった奴らはそれも理由の一つだと思う。
     荒船は俺の話を聞いて何を思ったのか感想のような独り言を溢すと黙ってしまった。その視線は帽子によって遮られていて見えない。それが得体の知れないものを相手にしているような気がして、俺は帽子の鍔をあげようと手を伸ばした。まさかそれを掴まれると思わずに。
     
    「お、おぉ?ってうわっ!」
    「ちょっとここにいてください」
    「は?何だってんだよ」
    「一応もしもがあるんで。ちゃんと俺の後ろにいてくださいね」
     
     荒船はそう言って俺を背後に立たせると、Domの男たちに向かい合った。俺は何が何だかわからないままその様子を眺めてるしかない。それでも、荒船のことだから何か意図があるのだろうと、俺は静観することに決めた。しかしその決意は次の瞬間別の意味に変わることになる。静観するのではなく静観するしかないのだ、と。
     
    「さて、いろいろ事情を聞いたわけだが、お前たちのやったことはボーダーとしてはもちろん、世間的にもDomとして重大なマナー違反だ」
    「言い訳もいろいろ言っていたが、周りがやっていたらいいなどというのがどれだけ愚かなことか、身をもって知ればいい」
     
     荒船の静かな声がラウンジに響く。言っていることは正論で、ボーダーの正隊員としても、一般常識を持った人としても間違っていない。だというのに、それを向けられているはずの男たちの変化は異常だった。ただでさえ青かった顔色はもはや白と言ってもいいほどで、心底怯えていた。さっきまで一番口答えしていたやつなんか立っていられなくなったのか座り込んでしまった。もちろん膝は笑っている。俺には何が起こっているかわからなかった。
     
    「怯えているな。それがSubだったあの隊員がお前たちによって理不尽に味合わされた現実だ。自分たちが何をしてしまったのか、少しは実感できてよかったな?」
    「ヒッ」
     
     最後に荒船がどんな表情をしていたのかはわからない。だが、余程恐ろしかったのか男たちのうち一人が悲鳴を上げた。俺はこれ以上はやりすぎになる、と今度こそ荒船の帽子の鍔を思いっきり上げた。
     
    「……何すんだ、諏訪さん」
    「何したのか知らねぇが、それぐらいでいいだろ。こいつらも流石にわかっただろうしな」
    「……そうだな。半崎、映像は撮れたな。加賀美に渡して東さんに送ってもらうよう伝えてくれ。俺はこいつらを連れて行く」
    「了解っす」
    「俺たちも手伝った方がいいか?」
    「いえ、これだけおとなしかったら俺一人で大丈夫だ。それより諏訪さんも医務室行っておけよ?」
    「あ?何でだよ?」
    「あんたも一応コマンド受けただろーが。あんま効いてないみたいだったけどちゃんとケアは受けろ」
    「へーへー。荒船クンは心配性ですねぇ」
     
     俺は思わず茶化すように応える。いつも生意気な後輩に心配されたのが慣れなかったのもあるが、何より強いSubとして扱われることの多い俺にとって、この程度のことで心配されること自体が珍しかったのだ。そんな俺に荒船は呆れたように視線を向ける。
     
    「そりゃそうだろ。いくら強いSubだとしても、合意のない一方的なコマンドはストレスになる。それぐらい俺でもわかるし、Subじゃなくても俺はあんたを心配するよ」
    「は……」
     
     あまりに直球な物言いに俺が言葉を続けられなくなってる間にも、荒船は男たちを連れて行く準備を終わらせていく。本人たちもさっきから静かなことこの上なく、荒船のいう通り一人でも連れて行けてしまうだろう。
     
    「じゃあ、俺は行くから。後のことは東さん経由で資料かなんかでいくと思う」
    「お、おう」
    「もし録ってる音とかあんなら後で送ってくれ」
    「あ、ああ。俺も録音してるし、堤も多分撮ってると思うから後で送るわ」
    「よろしく頼む。あと、堤さんには謝っといてくれ。多分それで伝わると思うから」
    「は、謝る?っておい!」
     
     謎の伝言を残し、荒船は男たちを連れてラウンジを出て行ってしまった。俺はガシガシと頭をかくと、離れたところで待っていた堤と合流した。預けていた荷物を受け取ると隊室へ向かって歩き出す。あんな騒ぎに関わった後ではラウンジで過ごすのはやめておいた方がいいだろう。それは堤も同意見なのか何も言わず隣に並び歩いた。
     
    「待たせたな」
    「いえ。荒船たち大丈夫そうでしたか?」
    「おう。Domの奴らもなんか落ち着いてたしな」
     
     そう言うと、堤が何かいいたげな顔をしてこちらを伺う気配がした。俺は視線だけを堤に向けると、先ほどから気になっていたことを口にした。
     
    「その物言いたげな顔は荒船が最後にやったことに関係するのか?」
    「!諏訪さんは気づいたんですか?荒船が何をしたか」
    「いや?ただ荒船がお前に謝っといてくれって言ってたから、なんかあったんだろーなとは思ってる」
    「あぁ……やっぱり、荒船には気づかれましたか」
     
     そのまま堤は語り出した。俺が荒船の後ろにいた時、何があったのかを。
     
    「諏訪さん。荒船はあの時あの場にいた問題のDomたちを躾けてたんですよ」
    「躾ぇ?」
    「荒船にその意識があったかどうかはわかりませんけどね。俺からしたらあれは歴とした躾ですよ。あんな真っ直ぐなglare初めて見ました」
     
     曰く、荒船は問題児たちに向かってglareを放っていたらしい。堤の主観ではあるが、それは威嚇の意を持つものではなくただ純粋に威圧し、屈服を促すものであったというのだ。それが意味するのは躾そのものだと、堤は言うのだ。
     
    「あの時荒船が言っていたでしょう?『これがSubが受けてた現実だ』って。本当にその通りです。あれは圧倒的上下関係がないとできないものです。一般的なDomと Subの関係のように」
    「それは……」
    「恐ろしいことに荒船はそれをあのDomたちのみに対して限定的にやっていた。大した制御能力ですよ。あんな近くにいた諏訪さんにさえ、気取らせていないんですから」
    「じゃあ、お前に謝っといてくれって言うのは?」
    「俺荒船と目が合っちゃって。多分その時に一瞬本能で怯えたのがわかったんだと思います。そんなに表に出したつもりはなかったんですけどね」
     
     これはDomの能力の一つに挙げられる眼力のような力の所為だろう。Domがglareやdefenceを行う際、その視線や眼は並々ならぬ力が宿ると言われている。それは目が合えば感じてしまうものなので、偶然目が合ってしまった場合どうしようもないのだ。荒船もglareを使った以上、それはわかっているはずだが、それでも怯えさせたと堤に謝罪をよこしたというのか。
     
    「……もしかして、俺に伝言って形にしたのも気遣いか?」
    「そうじゃないですか。律儀なタイプですし。多分帽子をかぶっているのも、狙撃手としてだけじゃなくてこういった時の視線を隠すためもあるんだと思います」
     
     ——それは何というか……
     
     俺が内心考えていたことを見透かすように、堤は言葉を続けた。
     
    「ここまでいくと、荒船ってDomの見本みたいな子ですね。かなりSubを尊重してるというか……」
    「あれだけの人数いるDomを制御されたglareで抑える力を持って、か?」
    「どこまでの力があるのかわかりませんけど、制御してあれならそんじょそこらの上位のDom程度では相手にならなそうですね」
    「流石にあの距離なら、風間や木崎でさえglareしたら俺気づくんだけど⁈」
    「少なくとも能力の制御では荒船に軍配が上がるってことですね」
     
     まさかの事実に俺は頭を抱えた。そこそこ親しくしている後輩にそんな秘密があったなんて驚くに決まってる。
     
    「マジかよ……俺これからどう顔合わせていきゃいいんだよ」
    「普通でいいでしょ。基本会う時は換装してるんですし」
    「そうだけどよ〜」
    「というか、今日騒ぎが起きるまで俺たち荒船の第二の性について、あれだけわからないって悩んでたんですよ?それだけ普段の荒船はDomらしくないってことです。むしろ気にした方が迷惑なんじゃないですか?」
    「確かに、それもそうだったわ」
     
     そういえばそんな話をしていたんだったと堤に言われて思い出す。そう考えると、短い時間でだいぶ状況が変わってしまったものだと思わずにはいられなかった。いつの間にかついていた隊室に入ると、堤は飲み物を用意しに部屋の奥へと消えてしまった。俺は定位置の椅子へ座ると暫くぶりの煙草へと手を伸ばした。いつも通りの味に一服を楽しむと奥から苦い顔をする堤が戻ってくる。手には二人分のコーヒーがあった。
     
    「おサノ達が来るまでに吸い終わってくださいよ」
    「わかってるって」
     
     俺はコーヒーを飲みながら再び思考を巡らせる。それはやっぱり荒船のことで、今回の事件でDomであると確定した年下のことが頭から離れない。それがなぜなのか。俺はその時はまだ理解していなかった。
    決意表明
    【諏訪視点】

    「今いいか?」
    「東さん?」
     
     任務が終わり、この後飲み会の予定がある俺を残し、がらんとした隊室の扉を開けた来客は狙撃手の祖・東春秋その人だった。
     その手には多くの資料がまとめられたバインダーを持ち、明らかにまだやることがある雰囲気だ。気軽に声をかけた風を装っているが、いつも通り多忙なのだろうと簡単に予想がつく。そんな人がわざわざ隊室を訪ねてきた。それを理解できないほど俺は馬鹿ではない。すぐさま部屋に招き入れると、コーヒーを入れに腰を浮かせた。
     
    「悪いな、わざわざ」
    「これぐらいで礼なんか言わないでくださいよ。それで、なんかありましたっけ?」
     
     正直、俺は東さんが隊室まで足を運んだ理由に、察しはついていなかった。もしや提出書類にヤバいミスでもあったか、と内心かなり焦りながら東さんを伺う。そんな俺の様子がおかしかったのか、東さんは笑いを堪えきれないとばかりに口元に手を添えた。
     
    「っふは。そんなに怯えるな。別に叱りに来たんじゃないんだから」
    「っはぁー。それら早く言ってくださいよ。俺なんかやらかしたかと思った……」
    「悪い悪い」
     
     まだ肩が震えている東さんをジトリと睨め付ける。それを見て、再び東さんが謝罪したのを受け取り、改めて向きなおった。
     
    「でも、それなら俺に何の用なんすか?俺が一人の時に来るってことは、麻雀の時とかじゃダメってことでしょ?」
    「ああ。この前お前が仲裁に入ってくれた揉め事の報告だよ。一応、ダイナミクスに関わることだし、報告書以外で書類に残すのもどうかと思ってな。口頭で説明に来たんだ」
    「あぁ、あれね……」
     
     来訪理由を聞いて思わず遠い目になる。その揉め事は起こってから数日が経過している。だというのに、俺の中では未だ燻っているものだったからだ。揉め事そのもの、というよりは、それによって知ってしまった事実が原因で、と注釈はつくが。
     
    「当事者同士での話し合いはSub側が拒否したから無し。講習会を受講してすぐの騒ぎだったから、再犯可能性が高いってことで、記憶の処理をして加害者側は除隊。被害者側も、希望者は辞めていったよ」
    「へー相変わらず厳しいっすね」
    「まぁ一応特殊とはいえ、ボーダーは軍のようなものだ。規則を守れない者がいたら、他の隊員の命に関わるという結論なんだろう」
    「それはわかる気がしますけどね。でも、再犯可能性が高い、ねぇ」
     
     俺としては、あそこまで心底怯える経験をした奴らが、同じことをするとは思えなかった。だが、上層部からしたら第二の性というデリケートな問題での騒ぎだ。今後のことを考えて、疑惑分子は摘み取っておきたいのだろう。ただでさえ、ボーダーは世間の目が厳しい組織なのだから。
     そう考えていると、妙に視線を感じる。そんなもの、今この部屋にいるもう一人からしか考えられないわけで。俺は首を傾げるしかなかった。
     
    「どうしたんすか。なんか俺変な顔でもしてました?」
    「いや……。諏訪、お前あいつらが再犯するとは思わなかったのか?」
    「あ、気になってたのはそこね。んー俺としてはないかなって思いました。あいつら、だいぶ荒船に絞られてましたし」
    「そういえば、諏訪はあの時、荒船のそばにいたんだったか」
    「荒船の背後に隠されてましたけどねー俺。ま、後ろから見てても怯えようすごかったですし、反対から見てた堤も躾みたいだって言ってたぐらいだったから、反抗する気は削がれてんじゃないかなって——」
     
     思ったのだ、と続けようとして東さんのやけに真面目な表情に驚く。俺はその表情の理由が分からず、そのまま口をつぐんだ。
     暫く無言の時間が続き、どうしたものかと思っていたところで東さんがようやく口を開いた。
     
    「諏訪。その考えを他の隊員、特に荒船本人に言ったりしたか?」
    「いや、流石にそんなことしてないですよ⁈あの場は荒船達が収めるって言ってたし、第二の性に関する話なんかおおっぴらにするもんじゃないでしょう⁈え、俺そんなに口軽そうに見えてた……?」
    「ああいや、疑ってるわけじゃないんだ。勘違いさせて悪かった」
     
     慌てて否定した俺に、東さんも首を横に振って疑ったわけじゃないと否定してくれた。俺は安堵のままため息をついた。だが、それでも東さんの深刻そうな顔は変わらなくて、ますます疑惑が深まるだけだった。
     
    「なぁ、東さん。荒船本人に言ったかどうか確認するってことは、なんか荒船に言っちゃいけない理由があったりするのか?」
    「……そうだな。諏訪なら言ってもいいか」
     
     ある意味個人情報だから、ここだけの話にすること。そう前置きして語り出したそれは荒船の第二の性に関わる話だった。
     
    「荒船はボーダーに入隊した当初からかなり強いDomだったんだ。本人もそれはしっかり認識していたようで、能力の制御はもちろんDomとしてのマナーの理解も深くて、俺たちは問題視したことなんかなかった。あの事件が起こるまでは」
    「あの事件?」
    「聞いたことないか?C級のラウンジで集団昏倒が起こった話」
    「そういえばあったような……」
     
     俺が過去に想いを馳せている間も、東さんは説明を続けていく。それを俺はただただ驚きながら聞くことしかできなかった。
     言ってしまえば悪い偶然が重なったとも言えるのだろう。DomとSubの諍いは正直ボーダーでなくても起こりうることだ。だからSub Dropがおこり混乱した場所で、真面目な上位のDomが場を掌握しようとすることも、それが戦闘後という疲労が溜まっていたタイミングで、Domの能力の制御が甘くなっていた事も、一般的にも起こりうる事故。だがその悪い偶然の重なりは、ただでさえ強い能力を自覚している荒船に、大きなトラウマを残した、らしい。
     
    「荒船はあれから前以上に能力を精密に制御するようになった。俺の推測だが、普段被ってる帽子も暗示の条件の一つなんじゃないかと思う。そうやって日常でも気を抜かないように過ごしてるみたいだし、自分の二つ目の性を極力明かそうとはしない。だから荒船をあまりダイナミクスの話に触れさせないようにしてるんだ」
    「は?あいつ生身ならともかく、トリオン体にも帽子設定してたのは、狙撃手として視線隠すためじゃ……」
    「その為も、もちろんあるだろう。だがそれだけが理由なら、他の狙撃手も常に帽子を被ることになるぞ?」
    「東さんが言うと説得力がありすぎる……」
     
     狙撃手の祖に言われれば俺の食い下がった言い分など一蹴されるしかない。俺は思った以上に根が深かった後輩のダイナミクス事情に、何度目かの頭を抱えたい気分になった。そしてそれ以上に、俺には気になることがあった。
     
    「なぁ、東さん。それなら荒船はいわゆる発散って……」
    「だからお前に話したんだよ。普段は友人のSubに相手をしてもらっているようだが、遠慮があるんだろうな。うち《ボーダー》の医療部で薬を出してもらってるはずだ」
    「やっぱりかよ、クソッタレ!」
     
     思わずでた暴言に東さんは何も言わない。それどころかコーヒーを飲んで一息ついてるくらいだ。それもそうだろう。この人は俺の事情を知る一人なのだから。
     
     俺の事情。それは上位の性を持つ弊害ともいうべき、慢性的体調不良を経験しているということだ。
     俺はSubの中でも強い方だった。生半可のDomではコマンドを発されても効果がない。言葉通りに従っても本能が満足しない。それはストレスとなって体調に影響を及ぼす。俺は風間や木崎と会うまで、そんな体調不良を薬によって誤魔化して過ごす生活を送っていた。どれだけ薬で抑えたとしても、それは本能を押さえつけていることに変わりなく、常に怠さが付き纏う生活は辛いとしか言いようがない。今でさえ、二人に頼んで命令してもらって、ようやく薬に頼らずに過ごせているのだ。それができない荒船の辛さは、想像に難くない。
     東さんがそれを知っているのは、二人に都合がつかない時、東さんのパートナーにお世話になることがあるからだ。もちろん、軽いコマンドだけのいわば繋ぎのような接触だけだし、双方の了解ももらってる。
     
    「……はぁ。荒船自身はどうにかしようと動いているんですか?」
    「その様子はないな。穂刈をはじめ周りはパートナーを作れとせっついているようだが、あまりうまくはいっていないみたいだ。おそらく、強すぎる能力が相手を作ることを躊躇させているんだろう」
    「全然あり得ますね、それ。で?なんで俺にここまで詳しく話したんですか。俺と同じような状態に陥ってることだけが理由じゃないでしょ。こんな個人情報も個人情報、それだけの理由で話していいことじゃない、ってわかってるはずだ」
     
     俺は睨みつけるように東さんを見据える。東さんはそんな視線を気にすることなく再びコーヒーに口をつけた。俺は動じない東さんの姿に、ジリジリとイラつきのようなものさえ感じ始めていた。自然、自分の手のなかにあるマグカップを握る手に力が入る。
     
    「……もちろんそれだけが理由じゃない。どれだけ薬でコントロールしていても、ただでさえ多忙な荒船ならいつかボロが出る。その近くにSubである諏訪がいれば、対処できることがあるかもしれない。俺はそれに期待して、この話をしたんだ」
    「っ!俺が近くにいる保証はな——」
    「いるさ、お前は。この話を聞いたとしても、聞いていなかったとしても」
     
     今度はこちらが鋭い視線に捕らえられる。狙撃手の祖が狙った獲物を逃すはずがなかった。さっきまでの苛つきは何処へやら、俺は一気にその迫力に呑まれる。
     
    「気づいてないと思ったか?諏訪。お前、最近荒船のこと気にして近くにいるようにしてるだろ。シフトもこそこそ調整してるし。意外とお前、わかりやすいからな?」
     
     言い終わると威圧混じりの視線は落ち着いていて、苦笑する東さんに空いた口が塞がらないとはこのことだ。どうやら俺は揶揄われたらしいと気付くが、もう遅い。
     個人で入るシフトだけってとこがお前らしいけどな。そう言って笑う東さんに、俺は内心白旗をあげた。
     
    「もうとっくに好きなんだろ、荒船のこと」
    「…………いつから、」
    「気づいたかって?そうだな、騒ぎが起こって、荒船が能力を使ったっていうから気にして見てたら同じような視線向けてるお前がいたから、かな?」
    「嘘だろ……俺そんなに見てた?」
    「まぁ最初は心配してるんだろうな、と俺も思っていたんだぞ?だけどなぁ、あれはダメだろ」
    「あれ?」
    「もしかして自覚なしか。この前の模擬戦、お前思いっきり捕食者・・・の顔してたぞ」
     
     それは多分あの騒ぎの後に行った模擬戦のことだろう。定期的に行うそれに深い意味などない。けど、俺にとっては荒船がDomとわかって初めて戦う場だったことは確かで。東さんの言う通りなら、俺は見る人から見ればわかるほど、顔に出ていたと言うことだろう。
     
    「あーもうそこまで出てんのか。じゃあ誤魔化すのも無理かぁ……」
    「お、認めるのか?好きだって」
    「そりゃここまで言われたらねぇ。あいつらにバレるのも時間の問題だろうし。でも、東さんもひでぇよ。俺がせっかく認めないようにしてたってのに」
    「どう言うことだ?お前は自覚してたんじゃないのか?」

     俺は思わずため息をつく。東さんが不思議そうにしているが、俺の言ったことに嘘はない。俺は自分の思いを自覚していた。けどそれは、今回の騒ぎよりもずっと前からのことで、もう長いこと俺の中にあった思いだ。でもそれは認めるには問題がありすぎて、ずっと押し込めていたのだ。だがそれもここまで表面化してしまったらもう隠せない。
     俺は覚悟を決めて東さんと視線を合わせた。俺の気持ちに恋情だと名付けた責任をとってもらうとしよう。
     
     ——ここからの話は俺の懺悔だ
     
    「俺があいつを気にかけはじめたのは今回の騒ぎがきっかけじゃない。それよりずっと前から俺は荒船を見てました。生意気な後輩で、俺よりよっぽど才能に溢れる年下で、肩を並べる隊長で。……思えば、いろんな立場で俺は荒船と関わって来たんすよ。それがただの好意から変化したことに気づいた時、俺はその思いを封印することにした」
    「諏訪……」
    「確かに第二の性があるこの世界は、男女に限らず恋愛をすることが許されてる。でも、基本的にはやっぱり同性同士よりは異性同士が普通で、穿った目で見る奴はいるだろ?東さん、俺が荒船にこの思い抱いた時、一度はちゃんと自覚して思いを伝えようと思った。でもよ、俺もだけどあいつはもっと若いんだよ。まだ成人も迎えてない子供だ。そんな未来ある将来有望な奴をさ、茨の道へ引き込むってのは……俺は足が竦んじまった」
     
     東さんのパートナーであり、付き合ってる相手は男だ。だから本当はこの人にこんな話をしたくはないのだけれど、今の俺には溢れていく言葉を止める術など持ち合わせていなかった。
     
    「荒船がDomなことは最近知ったこと。だから、尚更それが怖かった。別に荒船がひどい対応をするって思ってるわけじゃないぜ?むしろ荒船は真面目で男前なやつだから、きっと誠実に答えをくれる。許容でも拒絶でも、その後だってちゃんと場合に応じた対応をしてくれる」
    「ああ、そうだろうな。荒船はそういう子だ」
     
     東さんの肯定に俺が褒められたことのように嬉しくなる。きっと他の男だったら期待しすぎだと言われるレベルだ。だが、そんな期待をやすやす超えるポテンシャルを持つのが荒船哲次という男だ。そんな俺が好きになった男は、東さんに認められるほどなのだと思うと、鼻も高くなるってもんだ。俺は自分の口角が上がっていくのを自覚した。
     
    「東さんもそう思う?俺も。だからやっぱり問題は俺なの」
     
     そう言った後、東さんの眉間に皺がよった。なんでそうなる、とか思ってんだろうな。でも、東さんも聞いたらきっと理解する。俺は木崎や風間みたいに強くはないんだ。大事な相手を無条件に信じてやれるほど強くは、ない。
     
    「もし良い答えを荒船がくれたとして、俺はきっとアイツの気持ちを疑っちまう。まだ高校生の荒船は、これからもっと世界が広がっていく。その時心変わりする可能性は?やっぱり女がいいって言われたら?俺だって通ってきた道だ。移ろいやすかった自覚もある。だからこそ、俺はアイツに告げることなんてできない」
     
     ——口は悪いけど、根は真面目な荒船のことだ。最初に断るにしろ、後々別れを告げるにしろ、俺のことなんかを考えて、きっと溜め込んでしまう。それだけは避けたい
     
     それは確かに理由の一つだけれど、前者が俺の本音の大部分だ。結局、俺は荒船に嫌われることが何より恐ろしい。それなら欲望なんぞ封印して同僚としてそばにいる。それが思いを封印した理由だ。
     
     ま、成就する見込みないんで要らぬ皮算用って言われたら何も言えないんですけど。と長い懺悔を締めくくる。終始黙って聞いていたはずの東さんは、机に肘をつき組んだ手に頭を乗せて項垂れていた。男同士の恋愛と言う面で見れば、東さんは先輩だ。だからこそ、俺の言い分を理解できる部分もあるのだろう。俺はそんな東さんを見て、なかなか重い話をぶっ込んだことに、罪悪感を感じてしまった。
     気まずくなった俺は、いつの間にか双方無くなっていたマグカップを回収すると、二杯目を入れるため席を立った。
     
     **
     
     二杯目のコーヒーが入れ終わる頃には東さんも復活していた。その顔は少し疲れていたけど、俺は全力で見ないふりをした。スルースキルも時には大事だ。
     
    「や、なんか面倒な話しちまってすみません」
    「いや、元はと言えば俺がつっついたのがきっかけだし、気にしないでくれ。だが、話を聞いた限り、お前は荒船への思いをそれだけいろいろ考えて認めなかったわけだろ?俺が言うのもなんだが、今更認められるのか?」
     
     東さんの懸念は最もだ。長年押し込めてた思いを認めるって言ったのは俺だ。なんで急に認められるのか、疑問に思うのが普通だ。でもそれに関して俺はもう答えを出している。
     俺はなみなみとコーヒーの入ったマグカップを覗き込んだ。
     
    「認める認めないっていうか、模擬戦っていう本能のぶつかり合いみたいなとこで隠せてないってことは、多分もう抑え込めないんだと思うんすよね。それはもうしょうがないことなんで。ほら、恋は落ちたら終わりって言うし?」
    「そうか……」
    「でも、今は状況が違うんで」
    「状況?」
    「今の俺は荒船がDomってことを知ってて、苦しんでることを知ってるわけだ。だったらこの思いの活かす場所もあるだろ、って」
     
     正直、それは荒船がDomだとわかってから考えてたことだった。Domだと判明する前から、荒船が一定の間隔でソロランク戦に入り浸る時期があるのは知っていたし、体調が悪そうな時があるのも気づいていた。それも先ほどの東さんの話を聞けば理由もわかる。そして、それなりの強い格のSubである己はそれを打開する策を取ることができる。
     
    「さっきは協力しないみたいな態度取りましたけど、俺ができることがあるなら荒船のために動きますよ。というか、近くにいるとかじゃなくて、できれば問題解決の方向で、積極的に行こうかと思ってるくらいです」
    「それは告白するってことか?」
    「いや、本人にはもちろん黙ってます。けど、アイツの周りには聞かれたら俺が好きなだけだって伝えてもいいと思ってます。むしろ、俺がSubとして荒船に近づくならそれぐらいの理由がないと納得しないだろうし」
     
     第二の性というデリケートな問題に首を突っ込むなら、それぐらいの理由があったほうがいいはずだ。東さんの言う通りなら、荒船が第二の性にコンプレックスを抱えていてもおかしくない。それが原因で他人に相談ができない状態なのだとしたら、俺の好意などいくらでもダシにしていいとすら思う。
     それに俺が荒船に近づくことで変な噂が出たとしても、ダイナミクスの関係でとか言っとけば、詮索されないだろう。それだけデリケートな問題なのだ、第二の性というのは。ふられても仮パートナーに落ち着ければ、荒船の負担は減るはずだ。
     とはいえ、そんな言い訳が欲しいのは俺の方かもしれない。男同士の恋愛よりも第二の性の欲求解消のための方が噂にならないと言うのは皮肉だが。それぐらい、臆病な俺が片思い相手にそういう意味で近づくには理由言い訳が必要だった。
     俺の言い分を聞いた東さんはめちゃくちゃ呆れた顔をしていた。それはもう、顔面に「この馬鹿が」とか書いてそうな勢いだ。そういうのは風間だけで十分なんだけど。
     
    「はぁ……。諏訪にしては、献身的だな」
    「それがSubってもんだろ?」
     
     一般的に「支配されたい」という欲が大きいと言われるSubという性。だがそれと同じくらい「尽くしたい」欲もあるのだ。それはパートナーでなくても発揮されるのだと、俺は改めて自分の性を自覚する。
     
     そんなことを考えて浮かれている俺は、東さんが心配そうに見ていることに最後まで気づかなかった。
    隊室訪問
    【穂刈視点】
     
    「じゃあ、俺はソロ戦行ってくる」
     
     そう告げて、隊室を出ようとする己の隊長の背中を見送る。その少し緊張した表情を盗み見て、いつもの時期がきたのかと理解した。
     俺の隊長であり、友人である荒船は生粋のDomだった。それゆえに色々苦労してきた。とりわけ衝動の発散がネックなのだと、初めて聞いたのはいつだったか。
     テスト期間明け、ボーダーの書類提出後、ランク戦期間後。そんないわゆるストレスの溜まるイベントの後、荒船がソロ戦を増やすのを俺を含め隊員はそっと見守ってきた。それが荒船のやり方なのだ。いつも荒船が俺たちを頼るのはギリギリになってからで、できるだけ自分でどうにかして、最後の最後どうしようもなくなってから、俺たちに声をかける。それはきっとあまり階級の高くないSubである半崎と加賀美、Switchである俺を気遣ってのことなのだろう。声をかけるといってもいくつかのコマンドを出すのに付き合うことしかできない。限りなく俺たちを気遣ったそれに、Domが満足できるはずないと俺たちは知っている。
     階級は生まれつきのもの、性別も生まれつきのもの。努力やなんかで変えることができるものじゃない。だから俺たちは、荒船が苦しんでいるとき何もしてやれない。不甲斐なくて仕方がなくて、何度も隊長抜きの荒船隊で話し合った。結局、俺たちにできるのは荒船ができるだけ過ごしやすくサポートすることだけだ、と同い年の連中の中にいるSubにバレないように協力を取り付けたり、できるだけストレスを溜めないように仕事を手伝ったり、時には、荒船にパートナーを作るように声をかけたりもした。今時、ダイナミクスの発散だけを目的にするパートナーだって珍しくないのだから、と。それに荒船は眉を下げて応えるだけで、何も言わなかった。
     そんな状態をもしかしたら一変させる事態が起こりつつある、と気付いたのは最近だ。
     普段どんなに問題が起こっても極力ダイナミクス由来の力を使わない荒船が、この前の一件では珍しくglareを放った。俺は諸事情で少し前にその場から離れていて、場に残っていた半崎からの報告を聞いた時は驚いた。それがある人を背に庇って、というから尚更。
     別に荒船が冷血漢だとか言いたいわけじゃない。むしろ、自分の能力の高さゆえに身をもって庇うというのは予想できる。だが、庇った人はあの「諏訪洸太郎」だ。友人に階級が高いことでも有名なDomを複数持ち、本人も高い階級を持つSubだろうと噂されている年上の男。そして、荒船と諏訪さんの関係は守り守られ、とは程遠い。どちらかといえば、ほぼ同じ順位で争う隊の隊長同士ということで対等の関係のはずだ。だから普段なら荒船は諏訪さんに距離を取ることは求めたとしても背に庇うことはなかったはずだ。
     
    「わからないが。それにどんな意味があるのかは」
    「急になんすか?」
    「半崎はどう思う。この前の荒船の件」
    「あー、あれ。どうなんすかね。俺には正直わかんないっす。諏訪さんとのやりとりいつも通りだし」
    「そうだな」
     
     いつものようにソファを占領していた半崎が、ゲーム画面に視線を向けたまま答える。この後輩もなんだかんだ、荒船を心配しているのだ。こちらからは何も言っていないのに、諏訪とのやりとりを注視していたのだから。そんな時、隊室の扉をノックする音が聞こえた。
     
    「ちょっといいか」
    「諏訪さん?」
     
     穂苅はタイミングの良さに驚くのと同時に、珍しいと思った。別に他の隊員がこの部屋を訪れるのは、珍しいことではない。だが、今目の前にいる男がこの部屋へ来るのはもっぱら隊長への用事がある時だったため、隊長を欠いた部屋にいるという現状がいまいち頭に認識できなかったのだ。タイミングが合わねばそういう事もあるだろうが、今までなかったのだから仕方がない。
     
    「悪いな」
    「荒船に用事ならいないです」
    「いや、俺が用事があるのはポカリ達の方だから」
    ?」
     
     驚きが顔に出る。諏訪からも確認できたのか、居心地の悪そうな表情で頭を掻いている。穂苅はとりあえず諏訪さんを部屋の中に招き入れると、席に促した。客に気づいたのか、加賀美が給湯スペースへ消え、半崎が奥から顔を出した。少し経って、人数分の飲み物と茶菓子を用意し、オペレーター用のスペースに引っ込もうとした加賀美を諏訪さんが呼び止めた。
     
    「ちょっと待ってくれ。お前らに言っておきたいことがあってな」
    「……加賀美、半崎、こっちで座ってくれ」
    「私も?」
    「俺もっすか」
     
     頭上にはてなマークを浮かべながら半崎たちも席につく。どことなくいつもと違う雰囲気を感じさせる諏訪は、それを確認すると切り込んだ。
     
    「まず確認したい。お前達は荒船の第二の性を知ってるか」
    「なぜそれを?」
    「今から話すことに関わりがあるんだ。ちなみに俺は東さんから聞いた」
     
     思わず諏訪以外で顔を見合わせる。諏訪の様子に嘘をついているとは思えないし、東の名を出してまでつく嘘はないだろう。それに我らが隊長が関わっているのなら、隊員として聞かぬふりはできない。それはみんな共通していたようで、三人でコクリと頷くと視線を諏訪に戻した。
     
    「そうですか。知ってます、荒船がDomだということは」
    「私と半崎くんもです。荒船くんが隊を作る時に話してくれたので」
    「ダルイっすけど、荒船さんがある種、面倒なタイプのDomってことも含めて俺たちは知ってるっすよ」
    「そうか、なら話が早い」
     
     一人うんうんと頷く諏訪を半崎が訝しげな目で見ている。穂苅はそれを目で制すと、諏訪に続きを促した。
     
    「これから俺が荒船の周りにいることが増えると思う。今日はその理由を説明しにきた」
    「……どういうことですか」
    「東さんから聞いたんだ。最近の荒船の不調の原因を。俺にはそれをどうにかできる能力がある。だからあいつの仮パートナーになれるよう動くつもりだ」
    「それは」
     
     ——荒船に無理やり迫るってことか……?
     
     その後に続く言葉を穂苅は発することができなかった。諏訪がどういうつもりなのか分からなかった。その行動の意味を知っている人だ、と信じていたかったからかもしれない。
     
    「本来なら、俺なんかよりもっとふさわしい奴がいるんだろうと思う。けど、今お前達含め、周りと仮でもパートナー契約を結んでいないってことは、荒船にその意思はないってことだろう。だから俺がなんとか説得することにした」
     
     穂苅はそっと息を吐いた。一応、諏訪にそのつもりはないらしい。あくまで、説得という形を取ろうとするなら無理やり、ということはないはずだからだ。だが、半崎はそれで安心せず、棘まじりの言葉を諏訪にぶつけていた。
     
    「諏訪さんにはできるんすか。隊長を説得する自信があるってことっすよね?」
    「俺も特殊なSubでな。だから荒船に気負わせることなく、仮パートナーになれるんじゃないかって言うのが東さんの見解だ」
    「でも、それって結局諏訪さんの好意の行動ってことですよね。私たちも、荒船くんのことは心配してました。だからそれが解決するのは正直嬉しいです。でも、なんでそこまでしてくれようと?」
    「気になるな、それは俺も」
     
     加賀美のいうことは最もだった。誰も好き好んでただの善意でそんな行動をするとは思えない。いや、確かに諏訪ならやりかねない、と穂苅は思いながらも加賀美に並んで尋ねる。それに対する答えはなんともあっけらかんとしたものだった。
     
    「そりゃ単純だ。俺が荒船のことが好きだからだ。恋愛対象として」
    「えっ……」
    「悪いな、気色悪いだろ。自分のとこの隊長に変な虫がつこうとしてんだから。でも、荒船の能力が強力過ぎてボーダーで対応できんの、多分俺くらいしかいないんだわ。だから俺が荒船にプレイするためにアプローチをかけるのは半ば確定だ。でも、あくまでダイナミクスの衝動解消のためだけだから!下心は…ないとは言わないけど、ちゃんと目的重視だから!」
    「下心はあるんすね」
     
     呆れたような半崎に諏訪は肩をすくめて応えた。そして続く言葉は何とも実直さに溢れていた。ともすれば、素直すぎとも言えるほど。
     
    「そりゃぁ俺も健全な男なもんで。でも一番は荒船の体調の改善。それは絶対に変わらない。というか、もし下心だけで動くならお前らにわざわざ報告に来る意味ないだろ」
    「確かに」
    「なんでですか、俺たちに宣言しにきたのは」
     
     穂苅が最も気になったのはそこだった。話を聞いて、諏訪が三人にわざわざ話すべき内容とも思わなかったのだ。確かに黙って行動されていれば、訝しんで調べたかもしれない。だが、逆に言えば訝しむ隙さえなければ気づかなければ、黙って行える行動でもあった。
     
    「理由は二つ。一つ目はお前達にも荒船の様子を確認して欲しいから。俺がプレイできたと仮定して、体調が回復したかを観察してほしい。荒船が素直に言ってくれるならいいんだが、俺から聞くと多分変化がなくても隠したり誤魔化したりしそうだからな。ただでさえデリケートな問題だ。悪化してるのに関係を続けたら意味ないだろ?」
    「なるほどねー」
    「二つ目は俺の監視」
    「諏訪さんの?」
    「さっきも言った通り、俺は下心込みで荒船に近づく。成人してるとはいえ、たった数年の差だ。いつ暴走するかわからない。お前達が少しでも怪しく思ったら東さんに報告してくれ、話はしてあるから。直接言うのは気まづいだろ」
     
     諏訪の言葉に三人とも絶句する。目の前の男は自ら監視を許容していた。知らず知らずのうちに顔がこわばっていたのか、諏訪が苦笑する。三人の内心がとんでもないことになっているうちに、諏訪は機嫌良さそに話を締めにかかっていた。
     
    「そんな顔するなよ。この問題で一番優先されるのはお前らの隊長ってだけだ。お前らは荒船のことを気にかけときゃいいってだけだろ?」
     
     **
     
    「じゃ、話はそんだけだ。邪魔したな」
     
     部屋を出て行く諏訪を見送った穂苅が部屋に戻ると、先程と同じ場所に再び座る。目の前には何とも複雑な顔をした隊員が二人。実際の表情はどうあれ、穂苅も同じ気持ちだった。だが、いつまでもそうしているわけにもいかない。穂苅はそっと二人に問いかけた。

    「半崎、加賀美。どう思う?」
    「私としては少し時間が欲しい、かな。諏訪さんのことが気持ち悪いとかそういうことじゃないの。ただ、何か違和感があるような気がして……」
    「俺も加賀美先輩に賛成っす。諏訪さんに荒船さんを任せるかどうかは一回置いておいて、なんかおかしいっす」
    「おかしい、か」
     
     二人が抱く違和感を穂苅も抱いていた。諏訪の言い分は年上の意見として一理あるように思えたし、荒船に最も近いとも言える隊員に防御壁になるよう頼むのもわかる気がする。だが、それを監視しろと言うのは普通なのかと聞かれると答えを失い、何も言えない。実際言えなかった。それがきっと三人が感じている違和感にも繋がっているのだろう。
     何が違和感なのか。しばし考え込むも今思いつくものではなさそうだ。穂苅は小さく息を吐く。
     もともとこういう思考が関わるものは己の領分ではないのだ。これは荒船の領分であって、きっと俺自身ではどうにもならない類ののものだ。
     
    「とりあえず、俺たちは不干渉。それでいいか」
    「何かあったら?」
    「その時次第だ」
    「ま、しょうがないっすね」
    「じゃあ、他の人に相談とかはなしってことね?」
    「そうなるな。このままだ、とりあえずは」
    「加賀美了解」
    「半崎了解」
     
     隊長を除いた会談はこうして幕を閉じた。穂苅が諏訪のこの違和感に答えを見出すのは、もうしばらく時間が必要だ。
    試行錯誤
    【荒船視点】

     例の講習会から数週間、俺はいつも通りの日々を送っていた。つまりは任務と学業そして自己鍛錬の毎日だ。今日も予定していた任務が終わり、書類を提出して帰ろうかと考えていたところだった。 

    「お、いたいた。荒船!」
     
     背後から聞こえる己を呼ぶ声に、振り返る。そこには奥から走り寄る男がいた。金色の髪がふわふわと揺れて、走るのに合わせてたてがみのように靡いていた。
     
    「諏訪さん?急用か?」
    「呼び止めて悪い。なんか急ぎの用事あるか?」
    「いや、ないけど。どうしたんだ?」
    「ちょっと、な」
     
     呼び止められるまま言葉を交わすが、諏訪の様子にいつまでも立ち話もなんだと近かった荒船隊の隊室に招き入れる。もう任務が終わってしばらく経っているから、穂刈たちは帰っている。部屋には静寂が広がり、電気をつけると俺は諏訪さんは向かい合うように腰掛けた。
     
    「それで?俺になんの用なんだ?」
    「あー明日ってお前空いてる?」
    「明日?ちょっと待ってろ」
     
     こちらを伺い眉が下がった諏訪さんをよそに、俺は手元に端末を引き寄せ、自身の予定を確認する。確認した明日の予定は何もなくて、ただの休日であることを示していた。
     
    「空いてるみたいだな」
    「ならよぅ、ちょっと明日俺に付き合っちゃくれないか?」
    「……どこにつれていく気だ」
    「それは明日までのお楽しみって奴だな」
     
     さっきまでの不安そうな顔はどこへやら。今度はやけにニヤついた顔で見てくる諏訪さんに、思わず眉間に皺がよっていくのがわかった。
     
    「で、飯ぐらい奢ってくれるんだろうな」
    「任せとけ!俺が呼び出すんだしそれくらい出してやるよ!」
    「じゃあ俺は遠慮なく注文することにする」
    「ハァッ?ちょ、少しは加減しろよ!」
    「知らないな」
     
     それから明日の待ち合わせの場所と時間を決めて、諏訪さんは自分の隊室に戻っていった。一人っきりになった隊室でぐっと椅子に身を預ける。
     
    「よかった。諏訪さん、普通だった……」
     
     あの一件以来、まともに喋ったのは今回が初めてだった。諏訪さんは久しぶりに能力を使ったあの時に一番近くにいた人で、堤さんと違い力を使った瞬間の様子を見ていなかったから正直少し不安だった。制御はしていたし、直後に会話もできたのだから問題ないとわかっていたけれど、やはり緊張は拭えなくて。俺の能力を怖がられているんじゃないかと思ってしまった。
     
     ——それにしても明日、なにがあるんだろう
     
     とりあえず諏訪さんとのやりとりは問題なさそうだが、急に声をかけられた理由がわからなかった。諏訪との話題がないわけじゃない。読書家と映画好きは意外と話が合うのだ。だが、そこで確実に話題になるような小説原作の映画はここ最近では特にないし、模擬戦などのボーダー関連の話はわざわざ休日にあってするものでもない。食事が理由だとしても待ち合わせは昼からだ。集まってすぐ解散ということもないだろう。
     
     ——ま、明日になればわかるか
     
     俺はもたれかかっていた姿勢を正すと、今度こそ書類を提出しに隊室を後にするのだった。
     
     **
     
      午後二時に駅前集合
      
     前日の約束した時刻の十分前。俺は待ち合わせ場所である駅前に到着していた。きっと諏訪さんはまだ来ていないだろうと思いながらもぐるっとあたりを見渡す。すると見覚えのある金色が視界の隅を掠めた。誘われるように近づくと、諏訪さんが文庫本片手にベンチに腰掛けていた。
     
    「お、来たか」
    「諏訪さん……早いですね」
    「おまえもなー。って、なんで驚いてんの?」
    「いや、当真とかカゲとかと集まる時は遅刻が当たり前だったから、なんか新鮮で」
    「アイツららしいなー。こっちも木崎はともかく風間や寺島はよく遅れてくるから、こんな時間より前に集まったの珍しいわ」
     
     どうやらお互い待ち合わせでは待つ側だったらしい。そんな偶然に2人とも思わず顔を見合わせて吹き出すように笑った。
     
    「あー笑った笑った。よし、ちょっと早いけど行くか?」
    「おう。まず昼か?」
    「そうだな。何食べたい?」
    「諏訪さんのおすすめで」
    「おすすめぇ?」
     
     諏訪さんが腰を上げ、俺の方に振り返る。投げかけられた声に応えつつ並び立った俺は、どこか少し沸き立つ心を自覚しながら足を進めた。
     
     **
     
    【諏訪視点】
     
    「で?俺をどこにつれて行きたいんだ?」
    「もうすぐ着くぜ。別に変なとこじゃないからそう警戒すんな」
    「警戒すんなってのが無理な話だろ。俺なんも説明されてないんだけど」
    「まーそう言うなって」
     
     昼食を終えた後、訝しむ荒船を宥めながら目的地へと向かう。繁華街を抜けてどこか静かな、人通りが少ない地域へ。これで怪しまない方が無理とはわかるが、ここで逃げられては今日の目的が達成できない。俺はなんとか誤魔化しながら、目的の建物を目視した。
     
    「お、着いたぜ。入るぞー」
    「お、おい!」
    「すいません、予約した諏訪ですが——」
     
     入ってすぐの受付を手早く済ませ、予約した部屋に向かう。暴れる荒船の腕を引きつつ、オートロックの部屋を受付でもらったカードキーで開いた。すると目の前に広がったのは、落ち着いた雰囲気の居室。座り心地の良さそうな二人がけのソファとテーブルの応接セットはホテルの一室のような空間によくマッチしている。
     そして、家具に少し距離を置いた場所に配置された一人がけのソファと毛足の長いラグが、明らかに異質な空気を放っていた。だが、この組み合わせに対する答えを俺たちは持っていた。
     
    「ここって……」
    「多分お前が思ってるので合ってるよ。この部屋はいわゆるダイナミクスのプレイルームってやつ。というか建物自体がダイナミクスに関する施設でもある」
    「なっ!俺はっ」
     
     何か勘違いしたのか荒船に胸ぐらを掴まれる。レイジに師事して鍛えることを覚えた奴の腕力はエグい。俺は揺れる視界に耐えつつ、荒船を抑えて叫んだ。
     
    「良いから最後まで話を聞いてくれっ!俺はお前の事情を知ったうえでお前をここに連れてきてんだよっ!」
    「知ってる?知ってるってどういうことだよ!」
    「……お前がDomだってことはあの事件で確信した。それに加えて、今までかなりキツい制御を自分に課してるってこと。その原因がボーダーでのC級昏倒事件でもっと縛りを強めたこと。それで今お前のダイナミクスが身体に影響が出始めていること。それが俺の持ってるお前の情報。悪いな、気になって東さんから聞き出しちまった」
    「……そうか、東さんが」
    「……おう」
     
     ——なんか気持ちはわかるけど、東さんの名前出すとすぐ納得されるのは……あれだな
     
     少々複雑な気持ちになりつつ、落ち着いた荒船に内心胸を撫で下ろす。だが、俺の胸元から手を離し、俯いてしまった姿にいつもにはない頼りなさを感じてしまって。俺は思わずその背に手を伸ばす。
     
    「それでもアンタが俺の事情にかかわる理由はないだろ」
     
     ぽそりと落とされた言葉にピタリと伸ばしていた腕が止まる。
     
     ——……そうだ。俺は確かに関わる理由を持たない立場だ
     
     そっと下ろした手で固く拳を握る。これ以上自分本位な期待をしている場合ではないのだと、苦笑混じりに俺は自身の事情を口にする。
     
    「俺も経験者なんだわ。第二の性の制御が原因の体調不良」
    「諏訪さんが?」
    「俺、かなり強いSubなの。そんじょそこらのDomの命令じゃ意味がない。効かないから」
     
     俺の言葉に荒船が驚いた表情で顔を上げる。その視線にはこちらを気遣うものも混じっていて、なんとも言えない気持ちになる。
     
    「今はレイジと風間に頼んでどうにかなってるけどな」
    「そっか……」
     
     話に納得したのかうなづく荒船。とりあえず平素の様子に戻ったようで、改めてこの場所の説明に口を開くことにした。
     
    「この建物は医療機関が隣接してるから多少の無茶が効く。建物自体も影響を外に出さない材質でできてるし。だからトラウマ持ちだとか制御ができない奴らの練習の場にもなってる。ここならお前が制御なしの状態の命令しても大丈夫だ」
    「制御なし?俺の能力を制御無しにしてどうすんだよ」
    「だから最後まで聞けって。つまり何が言いたいかっていうと……」
     
     緊張で思わず唾を飲み込む。ゴクリとなった喉の音が荒船に聞こえてないことを祈りつつ、今日こんな特殊な場所を選んだ理由を告げた。
     
    「俺を仮パートナーとしてここでダイナミクスの発散してみないか」
    「…………は?」
     
     ポカンと口を開けて固まってしまった荒船に説明を続ける。真面目な話をするのは俺のキャラじゃないのは確かだが、これは茶化す問題じゃないのだ。
     
    「さっきも言った通り、俺も強いDomの命令を求めてるSubだ。荒船がどれくらい強いかはしっかり理解できてるわけじゃないけど、少なくとも俺以上のSubはボーダーにはいない。っつーわけでどうだ?もちろん無理そうならすぐ医療スタッフを呼ぶし、呼んでくれて良い」
    「なんでそこまで……」
    「俺にも利があるってのが一つ。あとは同じ原因で苦しんでる奴がいて、俺がどうにか出来るってんなら苦しみがわかる分どうにかしてやりたいって思ったのもある」
    「そうか……」
     
     二人の間に沈黙が落ちる。悩むのも無理はないと、俺はそのまま答えが来るのを待った。精神的に数時間、実際の時間としては十数分経ち、荒船が静かにその沈黙を破った。
     
    「……わかった。でも、制御は徐々に弱める。時間はかかると思うけど……」
    「や、それは俺も言おうと思ってたから。流石に一気にお前の全開に耐えれるかはわかんねーからな」
     
     思っていたよりも好感触な反応に、俺は荒船に気づかれないよう、そっと安堵のため息を溢した。
     
     ——なんとか納得させるのに成功、で良いんだよな?手汗やべぇ……
     
     一安心したところでよく見ると、部屋に入ってすぐ詰問タイムが始まり掴み合いも交えたためか、お互いの額にはじんわりと汗が滲んでいた。俺は未だ手にしたままの鞄を下ろしながら、荒船に声をかけた。
     
    「あー、ちょっと休むか?」
    「そう、だな。飲み物もあるみたいだし」
     
     荒船が言う通り、テーブルの上にはウェルカムドリンク用と思われるグラスとお茶請け、そばに小さな冷蔵庫が備え付けられていた。冷蔵庫からレモンの浮かぶピッチャーを取り出しグラスに注ぐ。片方を差し出せば、ソファに座っていた荒船はおとなしく口をつけた。
     
     ——あ、今のは地味にクル……
     
     自分が差し出したものを躊躇いなく口にする姿に、ジワリと欲求が刺激される。だがそんなことを思っていると勘づかれるわけにもいかず、俺も並ぶように腰掛けグラスを傾ける。爽やかな香りが鼻を抜け、どうにか意識を別へと向けようとした。そんな時、ふと荒船が身体ごとこちらに向いたので俺は肩を揺らした。
     
    「諏訪さん」
    「お、なんだ?」
    「プレイする前にセーフワードとか諸々決めておいた方がいいだろ」
    「お、おう。そうだな」
     
     ダイナミクスにおける、コマンドを介したプレイをする上で重要なこと。それは、セーフワードの設定とプレイヤーのNG行為の把握だ。セーフワードとは、プレイを強制的に終わらせるもので、その権利はsub側に与えられる。DomはSubがこの言葉を発した時、必ずコマンド等の行為をやめ、プレイを終了しなければならない。
     次にNG行為の把握はいわゆるdropを避けるために行う。お互いの禁止行為を把握することで、Sub drop を予防し、円滑なプレイに繋げるのだ。また、プレイの関係を深めていく中でこの縛りが緩まるのもまた事実である。
     荒船はそれを決めようと声をかけていた。それはほぼプレイすることに同意したと言うこと。俺は湧き上がる気持ちに顔が熱くなった。

    「諏訪さんはセーフワード教えてくれ。なんかいつも使ってるのとかあるか?」
    「いつもなぁ……。人ごとに適当に決めてるから特にこれってのも…あぁあれにするか」
    「あれ?」
    「よしっじゃあセーフワードは『アメジスト』でよろしく!」
    「それって宝石の名前だよな、何でまた?」
    「まぁまぁ、ちょっとした縁があんだよ」
    「ふーん」
    「じゃあ次はNGの説明か。つうかお前プレイ自体はしたことあるんだよな?」
    「何言ってんだ?したことあるに決まってんだろ。そりゃアイツらとはお遊びみたいなのしかないけど、ボーダーでSubの相手するの頼まれてたし」
     
     アイツらというのはおそらく同級の奴らだろう。なかなか数の多い連中だし、お互いのためにプレイするのも納得だ。
     逆にボーダーに頼まれて、という言葉には眉間に力が入る。きっと、パートナーのいないSubにコマンドを出してやったりしたのだろう。己もDomの命令を聞いてやったりすることがあるから理解できるが、高校生の荒船が駆り出されていることに何も思わないではないのだ。
     
    「何だよ、変な顔して」
    「いや、お前も頼まれてたんだなぁって」
    「諏訪さんも?俺はいいんだよ。少なからず衝動の発散になったし、制御学ぶ上で練習台になってもらったりしたから。あっちも俺の能力をきちんと把握しときたかったんだろうしな」
     
     そう告げる荒船の横顔は少し影を帯びていた。自覚しているのだ。強すぎる力は時に脅威となり得ることを。察しが良すぎるのも考えものだと俺は帽子の上からそっと頭を撫でた。
     
    「あー俺のNGなぁ。とりあえず痛いのは嫌だ。拘束とかは事前に何するか説明してくれたら大丈夫、だとは思う。ベッタベタに甘やかされるのは苦手、嫌いじゃねぇんだけどな」
    「そっか。俺もあんまり痛いことはしたくない。というか声荒げるのもあんまり得意じゃないんだ。なぜかよく求められるけど」
    「まぁ、普段のお前を見てるとなぁ」
    「そういうもんか?甘やかすのは好きだぜ。なんていうか、鋼を相手にしてる時みたいな感じ。わかる?」
    「何となく。いつもラウンジとかでしてるみたいな感じだろ」
    「そうそれ。犬飼には猫相手にしてるみたいって言われた。なんか丁寧なんだって、俺のcare」
     
     だいぶ緊張がほぐれてきたのか、話す横顔は穏やかだ。小出しされるそれぞれのダイナミクス事情がわかっていくうちに、俺は相性はそこそこ良さそうだと安心していた。だから少し提案をしてみることにした。
     
    「荒船、”餌付け”してみないか?」
     
     それは”feeding”とも言われるプレイの一種だ。比較的軽めのコマンドプレイのため、初心者向けと言われる。そして、村上との関わりを見ている限り、荒船にもそこまでの忌避感のないプレイに思えたのだ。
     
    「それくらいなら大丈夫だと思うけど……」
    「じゃあ今日は、とりあえずお前が俺を呼んで、座らせた後餌付けって形で良くないか?できれば帽子は取った状態で」
     
     俺の「帽子を取って」の言葉にびくりと目の前の肩が揺れる。少しずつ制御を緩める、とは言ったものの今日のうちに進むとは思っていなかったのかもしれない。だが、今日俺たちがいる場所は、多少の無理が効くところだ。無茶をするならできるだけ何があってもいいところで、と考えるのも理解してほしい。
     そう言った旨を改めて説明すると荒船はゆっくりと頷いた。
     ならば、とプレイ用と言わんばかりに用意された一人がけのソファの前にテーブルを用意しにいく。その上にはもともと茶請けに用意されていたお菓子を準備し、ひとまずプレイ用の小道具はこれで十分なはずだ。そう思った俺は荒船の方を振り返る。最初なのだ、Domは先に座っていた方がやりやすいだろうと思ったのだ。
     
     ——うわ、ヤベェ

     最初に感じたのはそんな感嘆にも取れる思いだった。荒船はいつも決して外すことのない帽子を外していた。今まで見ることのなかったその端正な顔に思わず視線を向けてしまう。それは本人にも伝わったようで、頬をほんのりと染めると片手で隠されてしまった。
     
    「見るな」
    「あ、悪い。いや、見ないとプレイできないだろうが!何言ってんだ!」
    「今は見るなって言ってんだよ!……その、久しぶりに他人の前で外したからっ」


     荒船は気恥ずかしそうに顔ごと俺からそらした。その動作に俺は内心撃ち抜かれるしかない。
     
     ——くそっ何だこの可愛いのっ!
      
     だがいつまでもそのままではいられない。俺はどうにか内心を取り繕うと、荒舟に背を向けた。
     
    「俺、ちょっとトイレ行ってくるからその間にそこ座っとけ。それまでに顔どうにかしとけよ」
    「……わかった」
     
     パタン
     
     扉が閉まるのを確認し、ずるずると扉に待たれて座り込む。内心はどうにか落ち着けたとは言え、顔に集まった血はどうにもならない。きっと赤くなっているだろうそれをパタパタと自分の手で仰ぎながら、頭を冷やしていく。
     今からすることを思えば頭は冷静であればあるほどいい。能力未知の相手とのプレイは流石に諏訪も経験したことがないからだ。そして相手は所属している組織での階級は同じとは言え、年下。余裕であるべきなのは俺のはずだ。俺は深く息を吸うと赤くならない程度に両頬を打った。
     
    「よぉ、待たせたな」
    「そんな待ってない」
    「ならいいんだけどよ。始めて大丈夫そうか?」
    「……あぁ」
     
     すでにソファに腰掛けていた荒船は両膝をそろえて何とも礼儀正しいものだ。穿った見方をすればまだ緊張しているのかと心配になるが、本人が大丈夫と言う以上、それを信じることにした。俺は少し離れたところに立つと一つ頷いて見せた。
     
     **
     
    【荒船視点】
      
     俺は柄にもなく緊張していた。プレイをするのは初めてではない。それは間違っていないのだけれど、最近は制御でガチガチに固めたままプレイすることがほとんどだったから、一つとは言え、その制御の枷を外していることがソワソワして落ち着かない。でも目の前では心配そうにこちらを覗き込む諏訪さんがいるのだ。プレイ内容も初心者もびっくりなほど簡単なもの。俺は肩幅に足を開くとぐっと前へ重心を傾けた。
     
    「始めます。諏訪さん”cum"」
    「ッ……」
     
     ピクリと諏訪さんの体が跳ねる。その様子をじっと見つめていると、ゆっくりと距離が縮まるのがわかった。
     大した距離も開けてなかったので、その距離はすぐにゼロになる。俺のすぐそばに立ち尽くすことになった諏訪さんはじっと命令コマンドを待っている。俺はそれに応えるように、口を開いた。
     
    「”good"、次は”kneel”です。俺の足にもたれてもいいから……そう上手」
     
     指示通り俺の足にもたれるように座り込んだ諏訪さんの頭を撫でる。適度の甘やかしは嫌いじゃないというのは本当らしい。控えめにスリスリと擦り寄る姿は普段とのギャップもあって妙に気恥ずかしい。しばらくそうやって過ごしていると、諏訪の方からじっと視線を向けてきた。次の段階に進めということらしい。俺に否やはなく手元にお菓子の入った皿を引き寄せた。
     
    「とりあえずこれでいいか、はい、諏訪さん”食べて”ください」
     
     ここで少し諏訪さんが驚愕の表情をする。それもそうだ。まさか自由コマンドを使うとは思わなかったのだろう。俺はニヤリと笑うともう一度食べて、と菓子を口元に差し出すのだった。
     元来コマンドというものは基本と自由に分別できる。”kneel”が代表する基本コマンドは元々は躾に使われる単語をダイナミクスのプレイに流用したものだ。わかりやすさと単純さから多用されるが、一方で「命令」という印象が強いと考える人も多い。それと対角をなすのが自由コマンド。特にこれといって特定の語を示すのではなく、普段使っている言葉に力を乗せる、という形になる。具体例を挙げると、基本コマンドでは”cum"一つの表現しかないが、自由コマンドでは”来い””おいで”などの変化が出る。与える影響も使うDomによって様々で、その名の通り自由度が高いコマンドだ。
     俺は今意図的に自由コマンドを使ったのだ。それは実験的目的ももちろんあるが、個人的にこちらの方が性に合っているというのもある。普段はDomらしいDomを求められることが多いので使わないのだが、諏訪さんはそうではないようだし、いいかと思ったのだ。案の定少し驚いた顔はしたものの、諏訪さんは俺の手から菓子にかじりついた。しばらくそれを繰り返す。数個のお菓子を口にしたところで、ようやく諏訪さんが口を開いた。
     
    「ふー。どうだ、なんか気分悪くなったりしてねぇ?」
    「ん、制御は確かに緩めてるからいつもよりマシだ。諏訪さんの方こそ、なんか問題あったりしないか?」
    「俺も特に問題ねぇよ。というか発散には足りないはずなのに、なんか気持ちいいんだよなぁ。お前撫で方上手いからか?」
     
     諏訪さんはそんなことを言いながら俺の手に擦り寄ってくる。慌てて、その頭を再び撫でると諏訪さんの表情がふにゃりと崩れた。そんな見たこともない変化に今度はこっちが驚かされる。でも悪い気分ではなく、そのまま金糸を毛繕うように撫で続ける。
     
    「これこれ、なんか気持ちいーんだよなー」
    「……俺も、なんかいつもより癒される」
    「癒されるって何だよ。俺の髪なんぞ触り心地良くもないだろうに」
    「そんなことないぞ?想像以上にやわらかいし、気持ちいい」
    「そうか?ならいいけどよー」
     
     どこかホワホワとした会話をしながら俺たちはプレイを続けた。と言っても、お菓子を食べさせたり、頭を撫でたり、会話をしたり、という稚拙なものだったが、俺は今までしたどのプレイより満たされる気がした。それは諏訪さんも同じようで、最後は喉を鳴らした猫もかくやのだらけっぷりだった。
     DomとしてそこまでSubが気を許してくれたのは単純に気分がいい。俺は最初抱いていた緊張感をすっかり忘れていた。
     
    「コホン。とりあえず初めてのプレイはどうにかなったわけですが、」
    「さっきまでめちゃくちゃだらけてたくせに、切り替え早いな」
    「ソコハツッコマナイデクダサイ。それはとりあえず置いといて!何でお前自由コマンド使ったわけ?」
    「使えそうだったから」
    「簡単だな、オイ!」
    「そうとしか説明しようがないからな。諏訪さんこそ、あのホワホワになってたのスペースでも入ってたのか?」
    「あー多分軽く?俺あんまスペース入ったことないから感覚わかんないんだよなー」
     
     プレイを終え、応接セットの方に戻った俺たちは反省会という名の感想を言い合っていた。先程までのプレイの光景が尾を引いているのか、少し気恥ずかしいのはお互い様だった。
     そんな照れまじりの感想会も、言いたいことが終われば無言になる。俺は黙ってしまった諏訪さんを見ると姿勢を正した。
     
    「諏訪さん」
    「お、なんだ」
    「俺、そこまで自分の状態に危機感持ってなかったんだ。でも、終わってからだいぶ楽になった。これって元々は疲労が溜まってたってことだろ?だから、その」
    「お、おう?荒船、お前ちょっとおちつ、」
     
     改めて言うのはかなり恥ずかしい。だが、言わなければならないことだ、と俺は諏訪さんとしっかり視線を合わせた。
     
    「ありがとう、ございます。諏訪さんがいてくれて、よかった」
     
     それだけ言うと俺は頭を深く下げた。
     少しの間下げ続けるも、諏訪さんから何の反応もなく恐る恐る頭を上げる。するとそこには首まで真っ赤に染めた諏訪さんの姿があった。
     
    「ッなんで顔あげてんだよ!見んじゃねぇ!」
    「いやこれは見るだろ」
    「うっせぇ!ったく、最後にとんだ爆弾落としやがって…」
    「?なんか言ったか、諏訪さん」
    「何でもねぇよ!あーもうっ!」
     
     最後は何やら小声でぶつぶつ言っていたので聞き返すと、さらに顔を赤くした諏訪が徐に頭に手を乗せる。まだ帽子をかぶっていないそこをぐしゃぐしゃと掻き回すと大声で叫んだ。
     
    「これは俺の勝手だからお前は気にしなくていいの!だから今後はそういうの一切なしで!」
    「は……」
     
     なぜ俺が怒鳴られねばならないのか。一瞬そんな反骨心が頭をもたげたが、目の前の人はかなり恥ずかしがっているらしい。赤みの収まらないその姿を目に留めた俺は、それ以上何も言うことはなくスルーしてやることにしたのだった。
     
     **
      
     時は経ち、俺と諏訪さんは帰路についていた。あれから、時間を確認するといい時間だったので晩御飯も共にし、あとは帰るだけだ。
     
    「あ、俺そこ曲がるんで」
    「じゃあここまでだな。お前明日任務は?」
    「ありますよ、午後からですけど」
    「俺もだわ。じゃあまたボーダーでな」
     
     そう言って離れていく諏訪さんを見送るように眺めていると、なぜか振り返ってこちらに戻ってくる。
     
    「何で戻ってきて……?」
    「いや、お前も何でこっち見てんだよ、さっさと帰れよ」
    「いいだろ別に。それよりなんか用があって戻ってきたんじゃないのか」
    「あーそれ、何だけどよ」
     
     気まずげな表情に思わず顔を顰める。そんな態度に慌てて諏訪さんは弁解を始めた。
     
    「別に変なことじゃねぇよ!ただ、」
    「ただ?」
    「……今後、お前にコマンドもらいに行ったりしていいのかなぁって思って」
     
     ボソリと告げられた言葉に俺は思わず唾を飲み込む。まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだ。
     
    「ほら、俺ら予定合わそうにも任務も似たようなもんだし、お前にも予定あるだろうし。だったらボーダーで軽いプレイならできるとこあるからそこでって思ったけど、お前が嫌かもしんないし、どうしたもんかな、と思ってですね」
    「……何敬語になってんだよ」
    「うっせえな!そこは突っ込むな!俺はお前の気持ちを尊重してだな……」
    「いいよ」
    「は?」
    「いいって言ってる。俺も不調が解決するし、諏訪さんなら、まぁ……」
     
     何となく顔を合わせづらくて在らぬ方に顔を向ける。おかげで俺は背後で諏訪さんが、何やらダメージを受けたようなリアクションをしていたのに気づかなかった。
     
    「じゃ、じゃあ暇な時連絡しとく、からお前も連絡くれ」
    「わかった」
     
     どうにか気持ちを落ち着けて約束を取りなすと、別の道方向に別れる。それで俺たちはようやく各自帰宅の途につくのだった。
    問診時間
    [オリキャラ説明]

    住吉辰巳
    ボーダーの医療スタッフの一人。いつもうっすら笑みを浮かべている。三十代後半。外見年齢が実年齢より若く見られることが多く、東より年下に見られる。かなりの甘党かつ紅茶党。

    【荒船視点】

     諏訪さんとの外出から約一ヶ月。俺はとある場所に向かっていた。無機質なその扉をトリガーで開けると、そこにいる人影に声を掛ける。デスクに向かい書類を眺めていたその人は、顔を上げるとこちらを認識したのかひらひらと手を振った。
     
    「住吉先生、今時間大丈夫ですか」
    「おや、荒船くんじゃないか」
    「ご無沙汰してます」
     
     ちょいちょいと手招かれるのに誘われるように、患者用に用意された丸椅子に腰掛ける。まるで今から問診が始まるような状態だが、相手にその意図はなさそうだった。先ほどまで書類が置かれていた机上は片付けられてしまい何もない。問診の時は、カルテや聴診器などを用意するから今回はカウンセリング形式なのだろう。突然の来訪にもこちらの考えを読むような迷いない行動に内心舌を巻く。
     
    「そりゃ定期検診くらいしかここにくる用事ないもんねぇ。だから気にしないで?来ないってことは問題がないってことなんだからね。さて、今回はどうしたんだい?君がアポも取らずに来るなんて珍しい。相応の理由がああるんだろう?」
     
     いつも浮かべている笑みが深まり、問いかける姿に思わずたじろいでしまう。だが、ここで躊躇っていても時間の無駄だ。俺は唾を飲み込むと口を開いた。
     
    「実は……」
     
     俺は諏訪さんとのやりとりのことを余すことなく話した。一緒に外出することになったこと、ダイナミクス関連の施設に行ったこと、そこで仮パートナーに誘われたこと、そして試しにプレイをしてみたこと。
     ここに来たのは後々よく考えると浮かんできた疑問を解消するためだった。諏訪さんは俺の事情をよく理解していた。本人は東さんから聞いたと言っていたが、それだけでは説明できない細かい事情も知っているような気がしたのだ。東さんが元々その情報を持っていたならいいが、いくらなんでも何百人のうちの一人である荒船のダイナミクスに関して、あそこまで詳しく知っているのはおかしい。そして、東さんでないなら、どこからの情報なのかという問題になる。俺の詳細なダイナミクスの事情を把握しているのは何人かいるが、どこから漏れているかわからない以上、大元となる俺の担当医のもとへ話を持ってきた、というわけだ。
     半ば緊張の面持ちで目の前の先生を見る。しかしそこには、慌てる様子もなく顎に手をやり、何やら思考に耽る彼の姿があった。しばらくして、思考が終わったのか徐にこちらに視線を合わせた。
     
    「思い出した。それ、教えたの僕だよ」
    「えっ」
     
     思いがけない答えに俺は驚くしかできない。どういうことかと視線で問うともちろん説明するさ、と滑らかに喋り始めた。
     
    「東くんの仲介でね。君のダイナミクス由来の不調を治したいってわざわざここまで訪ねてきたんだよ。あ、僕と話したのは諏訪くんだけだから東くんは何も聞いてないよ、あくまで仲介だけさ」
    「そこは心配してないですよ。先生も東さんもそういうところを蔑ろにする人ではないとわかってるので」
    「ふふ、そう言われるとなんだか嬉しくなるね。ああ、それでね、流石に僕にも守秘義務があるし、詳しく教えることはできないよって言ったんだ。でも彼、俺が教えられる限りでいいから教えてくれって頭下げたんだよ。勿論なんでそんなことを知りたいのかってこともちゃんと説明してくれたし、僕としても異論なしってわけだ」
    「……それは先生も諏訪さんが話した理由に納得したってことですか」

     俺はなんとも言えない感情が体の中で渦巻いているのを自覚した。これが何を意味するのかはわからない。ただ、諏訪さんと先生が俺の知らないところで会い、俺のことで何かを理解しあったという事実を確認せずにはいられなかった。確認したところで何もできないのに。

    「……そうだね。少なくとも僕は君の担当として、彼に頼まれた情報は渡してもいいと思った。ただ、それは僕の主観的判断であることを否定できない。君のパーソナルに関わる情報は明かしていないにしろ、無断で情報の開示をした事実は変わらないし、非難は受け付けるよ」
    「いえ、さっきも言った通り俺は先生のことを信頼していますし、諏訪さんが知っていたことも、俺のダイナミクスに関わる上で知っていてもらわなければならないものだったので」
    「ふーん」
     
     謝罪が必要かと尋ねる先生に首を横に振って答えると、何やらニヤニヤとした表情を向けられる。なんとなくイラッとして思わず投げやりに言葉を向ける。
     
    「……何か」
    「いや、ちゃんと諏訪くんは君のダイナミクス事情に関われたんだな、と安心したんだよ」
     
     その言葉に顔が強張る。そんな俺の様子をどうみたのか、先生は会話を続けた。
     
    「彼は確かに君のダイナミクス事情に関わるために僕のところに来た。でも、最後に許すのは君だ。正直、君が許すかどうかは半々だと思っていたから驚いたんだよ。君はこの問題に、他人が関わることを望んでいなかっただろう?」
     
     その言葉に、俺は言葉を詰まらせるしかできなかった。図星、だったのかもしれない。俯きがちになった頭を先生の手がそっと撫でた。
     
    「その顔は図星かな?一応僕も医者の端くれ。患者さんのことは理解しようと努力しているつもりだ。そして、医者としてはその変化は嬉しいものだよ。協力した甲斐があるってものさ」
    「協力ですか?情報の提供だけでなく?」
     
     先生は俺がボソリとこぼした疑問も何気なく拾っていく。その様子に意気消沈しているのも馬鹿馬鹿しくなって、俺は顔を上げた。
     
    「あの特殊な施設を紹介したのは僕だよ。一応医療機関、それもダイナミクス専門の機関が併設してるプレイ施設なんて、一般人では関われないさ」
    「あ、そういえば……」
     
     ——なんで気づかなかったんだ
      
     再びの考えの至らなさにため息が出そうだ。一方、俺の落胆より諏訪さんとのやりとりに興味が惹かれるのか、先生は今まで見たことのないようなワクワクした顔で訪ねてくる。俺はもう堪えきれなくなったため息をこぼし、それに応えていった。
     
    「で、どうなんだい?彼とのプレイは。一応施設では問題なかったと報告が来ていたけど、それ以降のやりとりはいくら僕でも知らないからね」
    「やっぱり報告とかあったんですね」
    「そりゃあ、僕が紹介状書いて大学病院に行った、みたいなもんだからさ。経過報告ってやつだね!」
    「……相性は良かったです。諏訪さんより俺の方が格として強いのは変わりませんけど、コマンドも通るし、慢性的な体調不良も改善してきた、と思います」
    「ふむふむ。やっぱりプレイには相性が大事、ってのが証明されたわけだ。君の制御はどこまで緩めてるんだい?」
    「暗示と抑制器は外しても問題なかったです。あとは何もない状態を試すだけ、です」
    「……思ったより順調じゃないか。まだ一ヶ月くらいだよね?」
    「一応任務とかの兼ね合いはあるので、数週間おきに軽くですがしてるので。やっぱり、順調ですよね……」
    「おやおや、なんだか浮かない顔だね。君としてもいいことだろう?」
    「……」
     
     俺は口をつぐむ。先生の言っていることは事実だ。だが、順調だと言い切れない何かを俺は感じているのもまた、確かだった。それが何かわからないからこそ、俺は悩み胸を張ってこれが良いことと言えないのだった。
     何も言わなくなった俺を先生はじっと待ってくれていた。そして、徐に白衣を脱ぐとそばに置いてあった自身の鞄を手にした。
     
    「よし!荒船くんこれから時間に余裕はあるかい?」
    「は?任務は終わったのでこのあとは空いてますけど」
    「じゃあここからは先生ではなくて、一人の大人としてお相手しよう。悩める青少年のためにね?」
    「はぁ」
     
     そう言って立ち上がった先生は、未だ腰かけたままの俺の腕を引き上げる。咄嗟に蹈鞴を踏むだけで耐えたものの、バランスを崩した俺の体を先生は意気揚々と引きずっていく。どこにそんな力があったのかと考えながらも、先生の意図が読めず、俺はとりあえずそれに身を任せることにした。
     
     **
     
     柔らかい日差しが差し込む店内。磨き抜かれたテーブルがその光を反射して美しく輝く。カウンターの奥に飾られた無数のティーカップは一つ一つが宝石のように煌めき、ひとりコーヒーを淹れるマスターの姿と相待って一種の絵画のようだった。
     そんな美しい光景を目の前に俺は現実逃避をし始めた頭を勢いよく振った。テーブルを挟んで対面する相手はこれまた上品にティーカップに口をつけていた。
     
    「ここの紅茶が絶品でね。荒船くんも好きなのを頼んでくれていいよ」
    「いえ、コーヒーだけで十分です」
    「そうかい?紅茶とケーキの組み合わせが至福なんだけどなぁ」
     
     カチャリと茶器の鳴る音が静かな店内に響く。そこで俺は先生の醸し出す雰囲気が変化したことを悟った。俺もまた手にしていたコーヒーカップをサーブに置き、改めて姿勢を正した。
     
    「さて、本題に入ろうか。ここは個室だし、プライベートは確保されてるお店だから発言に大袈裟な配慮はいらないよ」
    「なんでそんなお店を知ってるのかが疑問ですが、今は置いておきます。本題、ですか」
    「そう、本題。君が今抱えている問題のことさ。さて順番に整理してみよう」
     
     机に肘をつき腕を組む姿は先ほどまでのカウンセリングもどきと違い、まるで尋問されているかのようだ。どこか緊張混じりの己の吐息が震えていた。
     
    「君はダイナミクスに問題を抱えていた。そしてそれを解決することを半ば諦めていた。ここまではいいね?」
    「しかし、その問題を解決しようと手を差し伸ばした人物がいた。諏訪くんだ。君はその手を取り、問題の解決を目指している。経過は良好そのもの。ここまでが現状だ」
    「誰が見ても良い傾向というべき現状。だというのに、何故か君はモヤモヤしている。そうだね?」
     
     一つ、二つ、三つ、とあげられた指に何も言う事はできない。かろうじて漏れた言葉もすぐに取り上げられる。
     
    「モヤモヤって」
    「間違ってるかい?そんな顔をしているよ」
    「っ……」
    「沈黙は肯定だとよく言うよねぇ。つまり問題の核心はここに隠されている。荒船くん、君はこの現状に不満があるのかい?」
    「不満なんてないですよ!体調不良は解決してるし、お互いに利がある関係だ。諏訪さんにだって気を遣ってくれて…」
     
     思わず口から飛び出した言葉は否定だった。当たり前だ。今の先生の言葉を肯定することは、諏訪さんに文句があると言っているようなものだったから。それは有り得ない。俺は諏訪さんとのプレイに何も不満はないのだ。だがそんな思いも、次の先生の言葉にバッサリと切り捨てられる。
     
    「でも満足していない、そうだろう?」
    「それは、」
    「……ダイナミクスの問題は慎重にならざるを得ない。衝動の解決に必要なコマンドを通した関係づくりは、一種の人間関係の構築と言っても過言ではないと僕は思っているよ」
    「急に何を……」
     
     急に変えられた話に俺は戸惑う。だが、俺の声に先生はただ強い視線を返すだけで止まる事はなかった。
     
    「つまり君と諏訪くんもまた、コマンドを通して新たな関係を築いたわけだ。最初は友人関係、先輩後輩関係、そんな名前がつくものだったのかもしれない。しかしえてして人間というものは、関係の深まりと共に新たな関係を築こうとするものだ。そこにつけられる名前もまた人によって様々だが、中でも有名なものが存在する。…ここまで言えばもう君にもわかってるんじゃないかい?僕が思うに、君はもうすでに答えを持っていたような気がするけどね」
     
     先生の言葉がゆっくりと体に染み込んでいく。理解と名がつくその現象は、朧げだったわからない感情に名前をつけ形作った。しかし、いくらそれに名が付いたとしても、俺はこの感情を持て余す未来しか想像できなかった。
     
    「でもそれは俺の独り相撲です。あの人はそんなこと考えているとは思えない」
    「それはどうして?」
    「あの人は優しい。目立たないけど、あの人が周りをよく見て手を差し伸べてるから上手く回ってることも多いんです。俺のことだって、その一つに過ぎないんです」
     
     純粋な思いだった。第二の性がバレてからあの人が俺にくれた優しさは決して特別と思い込めるものではなかった。それはあの人が今まで差し伸べてきた手を外から見てきたからであり、尊敬してきた部分だったから。今度もまた手を伸ばしたに過ぎないのだと、次の対象はたまたま俺になったのだと、そう思って。
     そんな俺の話に対して、先生はうんうんと相槌を打ちながらも呑気に否定を口にした。
     
    「そうかなぁ?僕はそう思わないけど」
    「なんでそんなこと言えるんですか」
    「んーそうだな、君だけ情報を渡されるのもあれだから、君にも諏訪くんの情報を漏らすとしようか」
     
     組まれていた腕は解かれ、再びティーカップに手を伸ばす。一口紅茶を含んだかと思うとただでさえ落ちていた眉ががさらに沈んだ気がした。

    「諏訪くんが僕に君のことを聞きにきた時、理由を説明したって言ったよね?そこで言ってたんだよ。『俺がここにきたのは自分のためだ』ってね」
    「自分のため?」
    「そう。あの時の諏訪くんの顔、君にも見せたかったよ。あんな顔するんだねー彼」
    「あんな顔?」
     
     この時、俺はミスを犯した。俺は知っていたのに。あの顔をしたときの先生はろくなことを言わない、と。ニヤニヤとこちらを眺めるあの顔をした時は、と。
     
    「彼、君のことが大事でしょうがないみたいだね。僕が言えるのはここまでかな」
    「はぁっ⁉︎」
     
     一瞬で沸騰したかのように顔が熱くなる。きっと今自分の顔は真っ赤だろう。
     
    「ハハッ。顔が真っ赤だよ、荒船くん」
     
     先生がこちらを見ながら笑うのを睨みつける。一応現役戦闘員で目つきも悪いと言われる方だからそこそこ怖いはずなのに、この目の前の男はそんなこと物ともせず笑い続け、眦には涙さえ見える。
     
    「さて、僕が出せるヒントはここまでだ。少しは君の行動のエネルギーになると良いんだけど」
     
     ようやく笑いがおさまったのか落ち着きつつある先生をジト目で見つめながら残っていたコーヒーを飲みきる。温くなってしまったそれは、苦く口内に後味を残す。
     
    「……感謝してます」
    「大人としてはお互い一度しっかり話し合うことをお勧めするけどね。もしかしたら偶然相手の思いを知るチャンスがあったりして」
    「そんな偶然があるとは思いませんけど、ちょっと思いっきり動いてみようと思います。後悔するのもアレなんで」
    「良い顔になったんじゃないかい?それでこそボーダーの誇る最強のDom様だ」
    「茶化してます?」
    「まさか!さて、僕はもう少しお茶を楽しんでいくことにするけど君はどうする?」
    「申し訳ないですが、俺はここでお暇します」
    「ふふ、健闘を祈ってるよ」

     ニコニコと手を振る先生に一礼を返し、店を後にする。予想もしない出来事だったが、未知の感情に名は付き、ある種の覚悟も決まった。俺は目的達成のため、ボーダーに足を向けた。  
    友人詰問
    【諏訪視点】 
     
    『任務の後、荒船隊室に来てもらえませんか』
      
     珍しい後輩からの頼みに、任務後の俺は呼び出されるがまま荒船隊の隊室へ向かっていた。声をかけて扉を開けると、そこにはいわゆる18歳組、つまり荒船の同級の男どもが俺を出迎えた。その異様な雰囲気に部屋に入るのを躊躇うが、遠慮なく伸びてきた影浦、北添の腕に引き摺り込まれる、背後で扉の閉まる音が聞こえた頃、俺は両手をあげて降参を告げるのだった。
     
    「で、なんの用だよ。こんな大層な人数用意して。リンチか?」
    「そんなわけないって諏訪さんならわかってるくせに〜」
    「まあな。じゃあ何の用だよ」
    「だ・か・ら・諏訪さんはわかってるでしょ?」
    「チッ!」

     ニコニコと告げる犬飼に思わず舌打ちが出る。犬飼の言う通り、俺はここに呼ばれた理由にうっすらと察しをつけていた。というか、いやでも気付くだろう。ここにいない人物を考えれば。
     
    「荒船のこと、何か知ってるんでしょ?」
     
     それが何よりの答えだった。

    「最近の荒船、何かおかしいんだよね。上の空っていうかなんていうか」
    「ゾエさんたちは学校も違うし隊も違うから気のせいかと思ったんだけど、みんなに聞いたら違うってなってね」
    「じゃあ穂苅に聞くかって思ったけど、口が固い固い」
    「そういうわけで、じゃあ荒船がそうなり始めたとき、関わってたのが誰なんかっちゅう話になって」
    「見つかったのが諏訪さんだったってわけだな!」
     
     犬飼、北添、王子、水上、当真と流れるようにつなげられた推理は筋が通っていた。推理に加わっていない村上や蔵内、そして影浦も賛同するような目でこちらを見ている。俺はあげっぱなしだった腕を下ろすと、ガキどもに向かい合った。
     
    「ついでに言うと、穂苅が黙ったってことはそれだけ口外しにくい内容かなって」
    「ボーダーは確かに口外できない情報が多い機関だけど、同じ正隊員同士でそんなこと少ない。それもA級ならまだしもB級はもっとない」
    「じゃあプライベートに関わるものだ。一番に挙げられるのがダイナミクスだけど、これに関して最近俺たちの耳に入った事件がある」
    「……あの事件か」
    「そう、諏訪さんが仲裁に入り荒船隊が場を収めたいざこざ。ここで諏訪さんと荒船が繋がった」
    「それに最近流れてる噂も。諏訪さんと荒船がパートナーになったとか」
     
     畳みかけるような情報の羅列に、目が回りそうになる。そして、こいつらは限りなく表の真実に気づいてると確信する。そっと穂苅に視線をやるとほんのわずか、だが確かに小さく頷いた。俺はそれを見て、小さなため息をつく。面倒になった、そう思いながら。
     
    「どうかな、諏訪さん。俺たちの推理は」
    「すげーよ。探偵にでもなれるんじゃないか?でも、お前らが聞きたいのはそう言うことじゃねぇんだろ」
    「話が早くて助かるわ。俺たちが聞きたいのは、荒船の不調は諏訪さんのせいなのかってこと、ただ一つだよ」
     
     当真がいつも通りの気の抜けた顔で言葉を放つ。だがその声に込められたわずかな怒気は隠しきれない。
     
    「諏訪さんがSubってことも荒船がDomってことも俺たちは知ってる。荒船の不調にダイナミクスが関わってるだろうってことも。ここまで言ったら諏訪さんもわかんだろ?」
     
     疑いの眼差しだった。おそらく当真が口火を切ったのは、こいつらの中で唯一のA級だからだろう。普段は階級なんて関係ないやりとりをしているが、こういった場ではやはり立場ゆえの役回りにしっかり落ち着くらしい。俺は、それを頭の片隅で考えながら続く当真の言葉を待った。

    「諏訪さんはアイツが優秀なDomだからつるんでるの?だったらいくら諏訪さんでも俺、ゆるさねぇよ?」
    「……それは」
     
     当真がその長身で見下ろすようにこちらを見つめる。確かこいつも荒船ほどではないにしろDomだったはずだ。コマンドを使われたわけでもないのに足がすくんだように後ずさろうとするのを必死に堪える。普段なら、これぐらい気圧されたりしないというのに。
     その理由に俺は心当たりがあった。それはこいつらが荒船の友人だということ。俺はこいつらに一種の後ろめたさを感じていた。さまざまな事情があったとしても、友人を差し置いて俺が荒船のパートナーに仮とはいえなってしまった。同年代の中でもまとめ役で、隊を超えて仲のいいこの代は、基本的に荒船をトップとして動くことが多い。それはそれだけのカリスマやリーダー性を荒船が持っているということであり、周囲がそれを認めて付き従っているということだ。自分の代にはないその関係性に怖気付いたとも言える。
     黙ってしまった俺を訝しむように村上や蔵内が覗き込む。一方、普段通り薄笑いを浮かべた犬飼は、笑みをそのままに切り込んできた。
     
    「諏訪さん……?」
    「ねぇどっちなの?荒船のことはノリで関わってんの?」
    「違うっ!俺がアイツに関わってるのは心配だったからだ!」
    「心配?」
     
     ——しまった…
     
     思わず反論してしまい慌てて口を掌で覆う。だがそれも後の祭りというやつで、出てしまった言葉は取り消せない。俺は痛んだ己の髪を乱暴にかき上げると怒鳴り上げた。
     
    「あーっもう!本人にはバラすなよ!」
     
     急に声を荒げた俺をじっと見つめる瞳に居心地の悪さを感じながら、俺は口を動かす。
     
    「例の事件の時、俺は荒船の事情ってやつを東さんから聞き出したんだ。その時東さんに頼まれたのと、俺個人も気になったのもあって荒船を前より気にかけるようになったってわけ。荒船はお前たちも知っている通り優秀なやつだ。例の事件がなくても俺を含め、みんなアイツをDomだと思ってた。そんな奴が不調だったんだ気になるだろ……」
     
     つまりは、後輩の不調に思わず先輩から後輩の情報を聞き出した、という見方を変えればストーカーとも捉えられかねない事情を暴露する。話し終える頃には俺の頭は下がりきっていた。
     
    「東さんなら知ってそうなのは分かるけど、なんで諏訪さんに頼むんだい?」
     
     あらかたは納得したようだが、こいつらの中でも頭が回る側の王子が疑問を投げてくる。ここまできたら隠すこともないと、俺は素直に答えることにした。一応の確認をした後で。
     
    「そりゃ俺がただのSubじゃないからだな」
    「諏訪さんが、ですか?」
    「それを説明するにはお前らが荒船の事情ってやつを少しは知ってないと説明できねぇんだけど……ぽかり、どうなんだ?」
    「俺だけだ、全てを知っているのは。だが全員わかっている、荒船が強すぎるDomだということは」
    「そうか」
     
     確認を終え、再び聞く姿勢になったガキどもを前に俺はゆっくりと喋り始める。
     
    「俺はSubだ、知っての通り。だが、格の強さは周りが思ってるのとおそらく違う。お前ら、俺が風間や木崎と仮パートナー結んでると思ってるだろ?」
    「まぁ……」
    「風間さんたち強いからなぁ」
     
     うんうんとうなづく様子を見て苦笑が漏れる。そういうふうに誤解されるよう振る舞ってきたのは事実だが、こうもうまくいっている様子を目の当たりにすると複雑だ。
     
    「ま、仮契約は間違ってねぇよ。だが力関係が違う。俺がアイツらと契約してんだ。アイツら2人分の相手を俺がしてるって形で」
    「は?」
    「え、でもそれって……」
    「普通はありえねぇ。だろ?」

     俺の言葉にすぐ答えは返ってこなかった。それが普通だ。でも、こいつらは普通の男子高校生じゃない。ボーダーのれっきとした現役戦闘員達だ。
     切り替えが早かったのはやはりというか隊長格だった。

    「でも諏訪さんが今嘘をつく必要はない。ってことは、事実なんだろうね」
    「王子……」
    「空閑じゃねぇけどそれぐらいわかんだろ」
    「カゲ……。そうだな」
    「わかってくれたようで何より。だから荒船のDomの力の問題に俺は適任ってことだったんだろうな」
    「なるほどねー。諏訪さん面倒見いいし」
     
     影浦と王子の言葉に当真達が賛同していく。そして最後の犬飼の言葉で、この話は終わる、そのはずだった。

    「……」
    「鋼?」
    「……本当にそれだけ、なんですか。何か他に理由があったりするんじゃないですか」
     
     ただ一人、村上だけがじっとこちらを見つめてくる。ただただまっすぐこちらを見据える視線。先程の当真と違いこちらを圧する意思は感じられない。しかし、純粋なそれは時に害意以上の思いをのせている。そして俺はその視線を受け流すことができず、そらしてしまった。奇妙な沈黙が流れる。

    「……なんで気づいちまうかねぇ」
    「諏訪さん?どういう……」
    「いいのか、言ってしまっても」
    「穂刈まで何言ってんの?」
     
     俺の言葉の意味に気づいた穂苅が心なしか心配そうに声をかけてくる。今までこいつは何も発言してこなかった。それはきっと、事前に俺が説明しにいったことを仲間に話していないからだろう。話されることは想定していたが、俺への気遣いもあって黙っていたというのがおそらく正しい。それもここで終わりだ。俺が自分でゲロっちまうんだから。
     
    「ボロ出した俺の負けだろ。聞いて後悔するのも、聞いてきたのお前らだし。荒船に言わないなら良いよ」
    「わかった、荒船には俺の口からは話さない。だから諏訪さんの本当の理由を教えてほしい」
    「鋼、てめぇ……」
    「ああ。他の奴らで聞きたくない奴らは部屋出とけ、ってどいつもこいつも物好きな野郎だな」
     
     せっかく逃げ道を用意してやったというのに、身じろぎもしない。全くもって荒船の友人だ、と俺は内心笑った。

    「俺はな、アイツが好きなの。恋愛的な意味で。気づいたのはあの事件がきっかけっちゃあきっかけだけど、本当はもっと前から気になってた。一目惚れってやつ?アイツの目に見惚れたの。綺麗だったんだよな、あいつが戦ってる時の目が」
    「……そのことを東さんは知っていて貴方に荒船のことを任せたんですか」
     
     こいつらの中の真面目枠ー蔵内が静かに問う。そこに抱いた感情を俺は推測することはできなかった。だからこそ、俺は事実のみを紡ぎ続けた。
     
    「知ってるって言ってたぜ。だから最初は断った。こんな気持ち少しでも持ってる奴が関わっていい話じゃないだろ、第二の性っていう問題は。でも、思ったより荒船の事情に適している奴が少なかったのと、俺自身この想いを成就させる気がなかったから引き受けた」
    「成就させる気がないって、」
    「そのままの意味だぜ?男同士に少しは寛容な世の中とは言え、基本的に男女のカップルが望ましいのは事実だろ」
    「それはそうですが……」
    「蔵内は優しいなぁ。でも、いいんだ。俺はな、この気持ちさえ利用して荒船に近づいた。そんな野郎のことなんぞ気にしなくていいんだぜ?」
    「利用って?」
    「本人には言ってないけどごく少数には言ってあるんだ。内緒にしてくれって口止めしてだけど。俺が荒船を一方的に好きだから気にかけてるんだって。穂刈たちにも事前に言いにいったし。やっぱ同じ隊の奴らにとっては気になるだろ、急に関わるようになったら」
    「ああ。だから知っていた、諏訪さんが荒船に声をかける理由を。だが成就させるつもりがないのは聞いていない、俺や半崎、加賀美も」

     穂苅が頷き交じりに応じる。最後は睨むように言われてしまって、俺は肩をすくめた。
     
    「言ってないからなぁ。言う必要がなかった。今だって本当は伝える予定に無いことを喋ってんだ」
    「諏訪さん」
    「心配しなくても俺が荒船の抱える事情をどうにかしようっていうのは変わらないぞ?ちょっと理由が不純かもしれないが、絶対どうにかするから」
    「なんでそこまでするんですか。荒船に想いを返してもらいたいとは思わないんですか」
     
     正論だと思った。恋愛とはそういうものだから。もし俺たちがただの男と女なら、そうでなくても特別な事情持ちでなければ、俺はそんな希望を持てたのだろうか。いや、きっと持てなかった。でも、希望を持てなかったとしても俺は荒船のためにできることがある今の人生が嫌いではない。たとえ独りよがりになるとしても、
     
    「……言ったろ。俺はアイツの目に惚れたんだ。それも戦ってる時の目だ。敵に喰らい付くお前らもよく知ってるあの目だ。それだけじゃない。メソッド成立のためにひたすらに上を目指すあの気高さも俺は気に入ってるんだ。だからあの目が少しでも曇る原因を俺如きで無くせるなら、俺のこの気持ちぐらいいくらでも贄にくれてやる」

     俺は何度でもこの身を差し出すのだろう。

     **

    【犬飼視点】
     
     話は終わったと諏訪は部屋を出て行った。俺たちはしばらく言葉が出なかったけれど、このまま黙っていても埒があかないと俺は口火を切った。
     
    「ねぇ、聞いてて何もしてなかったってことは、穂刈たち荒船隊としては諏訪さんを認めてたってこと?」
    「様子見だった、最初は。疑っていた、加賀美たちと。だが、」
    「だが?」
    「変わってきたんだ、荒船が。随分柔らかくなった、表情や雰囲気が。だから認めた、諏訪さんは荒船に必要だと」
     
     そう言った穂苅の表情は優しい。こいつは自分の隊長としての荒船も、友人としての荒船も見ている唯一の男だ。だからこそ、ずっと見て判断したそれを、俺たちに否定することはできなかった。
     
    「そっか」
    「しかし知らなかった、諏訪さんにその気はないとは。このことだったんだな、違和感は」
     
     せっかく緩んだ表情が一瞬で元の真顔へと早変わりする。よく見れば眉間には皺が寄っていて、諏訪さんの発言は穂刈にとっても予想外だったのだろう。まぁ、そう考えるのも当たり前だ。大事な隊長に言い寄っておきながら、大事なところは踏み込まないと言ったのだから。

    「それねー荒船はどうなの、そこんとこ」
    「わからない、あいつはこの件について俺たちに隠すのがうまいから」
    「じゃあ、まずはそこの探りからかな」
    「おや、スミくんは首を突っ込むつもりかい?」
     
     俺の言葉にニコニコと王子が尋ねてくる。それに俺も口角を上げて答えた。
     
    「もちろん!こんなおもしろいこと放っておけないじゃん!」
    「犬飼!」
    「って言うのはもちろんジョーダン!だってさ、俺たちも知らない事情を穂刈はともかく諏訪さんが知ってて、それに対処してるって悔しいじゃん。俺たちにだって何かできたかもしれないのに」
    「珍しくクソ犬がマトモな事言うじゃねーか」
     
     珍しい声の賛成に思わず凝視してしまう。それは周りも同じなのか、村上など明らかに幻想の尻尾が上がっているのが見える。
     
    「カゲ!」
    「今まで勝手にやらかしてんだ。こっからは俺たちも関わらせてもらうぜ、なぁそこで隠れてるアクション派スナイパーさんよ」
    「「え⁈」」
    「ああ、俺もお前たちを巻き込もうと思ってたところだ」
     
     振り返るように扉へ向かって声をかける姿につられるように視線をずらす。そこにいたのは、当事者たる荒船哲次その人だった。
     
    「あ、荒船!」
    「いつから聞いてたの!」
    「こいつ、意外と最初の方からいたぜ」
    「カゲ、バラすな」
     
     部屋に入るなり腰掛ける荒船の姿は堂に入っているとしかいえない。というか、誰も座ってないんだね、今気づいた……
     
    「ハ、ハァッ⁈」
    「ってことは鋼くんのど直球質問とか犬飼のツンデレとかも聞いてたんだー」
    「ああ、もちろん。鋼もありがとうな、お前があそこで切り込んでくれなかったらあの人最後まで隠し通してたと思うから。犬飼も、悪かったな言わなくて。別に隠してなかったと言うか最近まで俺も問題だと思ってなかったんだ」
    「え、えーなんか俺だけ恥ずいじゃん!」
    「ハッざまあ」
    「いやいや、俺忘れてねぇぜ?カゲも犬飼の意見に同意してただろ」
    「っおい!当真は余計な事言うな!」
    「もちろん忘れてないぞ。カゲも最後まで黙っててくれてありがとな。バレるとしたらお前だろうと思ってたから助かった」
    「ッフン!」
     
     それぞれにお礼をする荒船はどこかすっきりとしていた。俺たちがどうこうしているうちに、そっちも自分の気持ちに整理でもつけていたのだろうか。
     急激な変化に思考を巡らしつつ荒船を観察する。相変わらずの凛とした視線は復活してるし心配はないかな、とホッとしていると水上がぶっ込んだ。
     
    「それで?我らが荒船様はどういう目標がおありなんで?」
    「言ったら協力してくれるのか、水上?」
    「そりゃ、お前さんがちゃーんと事情とやらを話してくれるんやったら協力は惜しまんで?俺もこいつらも蚊帳の外はもう勘弁やからなぁ。そうやろ?」
    「なら存分に手助けしてもらうとするか、あの甘い考えの大人に」
     
     ニヤリと笑った荒船の顔は壮絶だった。あれは絶対悪いことを考えてる顔だった。ああいう顔をしているときの荒船は容赦がない。荒船様と言われる所以でもある。俺はそんな笑みを向けられると思われる諏訪さんに、心の中で合唱するのだった。


     おまけ

    「結局のところ、荒船も諏訪さんのことが好きって事でいいの?」
    「ああ。自覚するのは時間がかかったが、それで間違い無いぞ。あの人は年上ってことや成人してることに拘ってるんだろうが、そんなこと無駄だってことを教えてやんねぇとな」
    「わーおっとこまえ」
    「ハッ。あの人は俺のSubだ。逃さねぇよ」
    混乱相談
    【風間視点】
     
     三門市のとある居酒屋。値段的にも、メニューの豊富さ的にもボーダー員に愛用されるこの店は、とっくに成人した大学生にとっても飲み会の場に選ばれる店だった。それは今日も例外ではなく。金髪の男と見た目から成人とは思えない小柄な男が酒を酌み交わしている。金髪の方は、来店してしばらく経っているのか、頬は赤く染まり、まさしく酔っ払いの姿がそこにあった。
     そんな金髪の男ー諏訪に呼び出された形となった風間はビールのジョッキを煽りながら、諏訪に話を振ったのだった。

    「で、今日はなんで呼び出されたんだ?」
    「実は、……」
     
     諏訪はビールを片手にふわふわと浮つく頭で回想する。最近、衝動発散が理由のプレイの時、諏訪的にとてつもなくまずい行動を取る荒船のことを。
     
     **
     
    「手、貸して」
     
     それはプレイが終わった後のことだった。脈絡もなく、唐突に告げられた頼み事だったが、するりと伸ばされたその手を諏訪が拒むことはできなかった。
     
    「へ?」
     
     それでも思わずもれた困惑の声は止められない。だが、そんな諏訪の動揺は華麗にスルーされ、荒船の生身の手が諏訪の手に触れた。
      
     するり、さりり。少しずつ手と手がふれあい、指と指が隙間を埋めるように組まれていく。そうたいして手の大きさに差などないはずなのに、明らかに違うモノだと実感する。甲をじわりと悪戯に撫でられると妙な気持ちになってしまう。諏訪としては大いに困るのだが、荒船の指の動きは止まることはない。
     
    「諏訪さんって手大きいんだな」
    「ふ、普通だろ」
    「そうか?指も太いし、骨張ってる。男らしい手って感じ」
     
     本人は無意識なのかじっと見つめながら時折にぎにぎと力を加えられ、ドギマギとするしかない。自身の手に向けられた視線がどこか熱を持ったような熱い視線で、気づかなければよかったと、諏訪はぎこちなく視線をそらした。
     
    「そ、そろそろいいか?」
    「そうですね」
     
     そろそろ耐えきれなくなって、荒船に終わりを告げる。特にごねられることも無く、するりと指と指の間から相手の手が離れていく。最後に引っ掛かるように触れた指が、冷めていく熱が、名残惜しくて。それをなんとなく目で追ってしまい、荒船に笑われたのは不覚だった。
     
     **
     
     流石に相手の名前は伏せられて話していたが、俺は呆れるしかなかった。なぜなら、その内容が惚気としか言えないものでしかなかったからだ。
      
    「それからはなんでか毎回同じように手握られるんだよな……」
    「なるほど?つまりお前は絆されつつあると」
     
     机にうつ伏せになってしまった諏訪を横目に見ながら風間はため息をつく。呆れるしかないとばかりの態度に、諏訪は不服そうに見上げるしかない。
     
    「絆されるっつぅか、俺は元々相手が好きなんだぜ?」
    「ならいいじゃないか。相手もお前が好きなんだろう」
    「それはねぇよ。俺みたいなやつ好きになるはずがないし、あいつにはもっと相応しい奴がいる」
    「それはお前の勝手な考えだろう。選ぶのは相手だ。趣味は悪いと思うがな」
    「お前もそう思うんじゃねぇか……」
    「それはそうだろう。裏でこそこそ友人に惚気まじりの愚痴をこぼしておきながら、告白もできないヘタレなんぞ」
    「うぐっ!」
     
     風間の取り付く暇もない口撃に呆気なく撃沈した諏訪は、再び机に張り付く形となった。
     風間がしばらく放置して料理と酒を堪能していると、寝落ちたのか横から唸るような寝息が聞こえる。風間はちらりとそれを確認すると、追加のビールを頼んだ。店員が注文を受けて帰った後も、撃沈した諏訪に起きる気配はない。
     
    「……趣味は悪いと言ったが、相手にお前が相応しくないとは言っていないんだがな。このバカめ」
     
     しばらくすれば元々遅れると連絡してきていた木崎たちも合流するだろう。お腹を空かせてやってくるだろう友人達のため、風間はメニュー表を広げ始めるのだった。
     その時、隣の椅子がガタリと引かれた。音の方を振り返ると、そこには見慣れた人物が顔を覗かせていた。
     
    「風間か?」
    「東さん」
     
     隣いいか?と聞かれ、頷きを返すと東は近づいてきた店員に注文を済ませていた。俺に、付き合いの相手がいると思ったのか隣を覗き込むと、諏訪の姿が目に止まったのか目を丸くした。
     
    「諏訪は潰れたのか」
    「はい、先ほど。……珍しいですね」
    「たまには俺も飲みたいんだよ」

     確かに、後輩に焼肉を奢る姿は見られるが、こうして居酒屋で姿を見るのは久しぶりだ。後輩たちは未成年も多いし、酒を頼むのも憚られるのだろう。東と同じく隊員が未成年が占め、同じジレンマを抱える者として、グラスをそっと突き合わせた。
     
    「付き合います」
    「ありがとう」
     
     それからしばらくは雑談をして過ごしていた。大学の話をしていたはずなのに、結局はボーダーの話に戻ってしまうのは職業柄だろうか。そう気づいた時、顔を見合わせてしまった。

    「そういえば、諏訪が潰れてるってことは、何か悩んでるのか、あいつ」
    「ええまぁ。恋愛方面の悩みで」
    「ああ、そういうことか。ようやく向き合う気になったのか」
     
     東の発言に片眉が上がる。その言い分は何かを知っている、もしくは関係者だと言っているようなものだ。酒が回り、少しポワポワした頭でどうにか考えて問いかける。
      
    「東さんは相手のことを知ってるんですか?」
    「そうだな。知っているというか、嗾けたのが俺、というか」
    「東さんが、ですか」
    「ちょっと事情があってな。”ダイナミクス”に関わることで」
    「……なるほど。相手はDomですか。それもあいつに対応できるかなり上位の」
    「少なくとも俺では相手にならないよ」

     軽く肩をすくめて話す東を見るに、嘘ではないのだろう。ただ、諏訪の相手がそんじょそこらのDomではなく、東も認める強い奴なら話は別だ。
     
    「……相手のこと、聞いてもいいですか」
    「風間、それは」
     
     明言はされなかったが、東の言いたいことはわかっている。ダイナミクスに関わる問題に、他人が首を突っ込むことがマナー違反であることは理解していた。だが、こちらとしてもお人好しな馬鹿が面倒なことにならないのか気になるのだ。
     
    「他言はしないと誓います。酒が入っていることが問題なら後日でも構いません」
    「……お前達、周りが思ってるより仲がいいよなぁ」
     
     東がニヤニヤと笑いながらこっちを見る。今回の件に関しては、そう言われるのもしょうがないとわかってはいても、何だか腹が立って、いまだに眠りこける諏訪の足を蹴り付けた。

    「……あいつは損するタイプなので」
    「違いない。相手に伝えてもいいか聞いてみるよ。ダメだったら俺の口からは言えない。でも、心配しなくても相手は諏訪を蔑ろにするような奴じゃないよ、俺が保証する」
    「東さんが引き合わせた相手を否定するつもりはありません。ただ、諏訪を潰れるほど悩ませる相手を確認しておきたいだけです」

     入口の方から聞き慣れた男の声がする。そろそろ合流するだろう。俺は目の前のグラスをぐっとあおった。
     
    「全く、諏訪は愛されてるな」 
    「いえ、面倒なので早めに処理をしておきたいだけです」
     
     **
     
    【荒船視点】
     
    「急に呼び出して悪かったな、荒船」
    「それはいいんですけど、用事ってなんですか?隊室でもよかったんじゃ……」
     
     そんな飲み会があったことなど露知らず、任務の後、俺は東に呼び出され普段は使っていない会議室にいた。単なる用事なら、お互いの隊室でもいいだろうに、わざわざここに呼び出されたということは、それなりの理由があるのだろうと俺は察していた。
     
    「ああ。実はお前のダイナミクスに関してなんだ」
    「俺の、ですか」
    「もう知っているとは思うが、諏訪が荒船の事情を知ったのは俺が話したからだ。諏訪のことだ、自分が聞き出したとか言ってるだろうが、しゃべったのは俺だ」
     
     すまない、と東さんが頭を下げる。しかし、俺は顔を横に振ると、頭を上げるよう東に求めた。荒船にとって、東の謝罪は必要なかった。なぜなら、今の諏訪との関係のきっかけはそんな東のお節介にあるようなものだと認識していたからだ。元々東が個人情報を悪用するとは思えなかったのもある。
     
    「確かに諏訪さんはそう言ってましたけど、俺は別に構いませんよ。東さんが話したのもきちんと判断してのことだと思ってますし」
    「そう言ってもらえると助かる。だが、もう一人、お前の事情を知りたいと俺に言ってきた奴がいてな。俺では判断がつかないから、荒船に直接聞こうと思って呼び出したんだ」
    「東さんが判断がつかないって……」
    「諏訪に話した時はその方がお前達お互いにとっていいことだと思ったからだ。今回はそういうのがある訳では無いからな」
     
     肩を落とす東さんに俺も頷くことで応える。ただ、俺としてはなんとなく東さんに尋ねてきた人物に心当たりがあった。だからこそ確信を得るために質問を返すことにした。
     
    「なるほど、相手を聞いてもいいですか?」
    「風間だな。諏訪が最近プレイをしている相手は俺が紹介したと口を滑らしてしまってな。本人は言ってなかったが、諏訪の様子がおかしいから心配らしい。荒船は心当たり、あるだろう?」
    「まぁ、多分原因俺なんで」
     
     ——やはり、風間さんか
     
     予想通りの人物に俺はため息を吐きたくなる。”あの話”を聞いてから、地味に行動してきたことが実になりつつあるらしい。諏訪の不調はきっとその成果だ。だが、自分も人のことは言えないけれど、諏訪の方も同い年がセコムと化しているのでこうなることは予期されていたとも言える。
     俺は深く息を吸うと、頭のスイッチを切り替える。ちょうどいい機会だ。俺としても、諏訪さんとしても。そうと決まれば仕込みをしなければならない。俺は東さんに向き直ると改めて口を開いた。
     
    「そうなのか?」
    「おそらく、ですけど。でも、風間さんなら俺が直接説明しますよ。疑問とかもあるでしょうし」
    「いいのか?」
    「一応第三者視点で東さんにもいて欲しいんですけどお願いできますか?実は頼みたいことがあって……」
    「頼みたいこと?」
     
     俺は東さんに協力を頼むと、細かい日程を詰める。決戦は明日。俺と風間さんはその時間、隊に任務が入っておらず、東さんの時間に余裕のある一番早いタイミングで決行する。
     
     ——覚悟しとけよ、諏訪さん

     俺はぐっと拳を握りしめた。  
    対等関係
    【諏訪視点】
      
     その日俺は任務も入らない正真正銘の休日というやつで、溜まりに溜まった本たちを消費するべく、自宅にこもっていた。一冊。また一冊と読み終え、読了の余韻を感じていると、端末が鳴った。本が読み終わった後でよかったと内心思いながら画面を確認すると、そこに映った文字に片眉が上がった。
     
    「えーっと、東さん?」
     
     特に予定はなかったはずだが、と急いで通話をつなげる。もし、急用だった場合待たせるわけにもいかない。
     
    「あーもしもし?」
    「悪い、東だが。突然だが、諏訪は今からミュートをかけて通話を聞いていてくれ。それじゃ」
    「は?え、ちょ、東さん?」
     
     相手である東は通話が繋がるや否や、そう言い放った。ミュートにしろと言われたものの思わず反論してしまう。が、応える声は無い。だからといって、切るわけにもいかず、俺はそのまま端末をスピーカーにすると、耳を澄ませた。その後聞こえてくる音声に、心底驚愕するとも思わずに。
      
     **

    【荒船視点】
     
     約束していた時間が迫り、東に指定された部屋に足を踏み入れる。そして元々部屋の中にいた人物と視線が合うや否や向けられたglareに俺は苦笑するしかない。
     
    「とんだ挨拶ですね、風間さん。いくら俺がDomだからといって、あまり褒められた行為ではないと思いますが。ここには東さんもいますし」
    「東さんには事前に言ってあるから問題ない。それにしても、荒船は本当に強いDomなんだな。ここまで何気なく対応されたのは初めてだ」
    「ああ、ちゃんと前もって約束されてたんですね。なら問題ないです。俺の方はこういうこともあるかな、と思っていたので」
     
     確認が取れたのかすぐに納められたglareに、本当に確認だったのだとわかる。東さんも問題がなさそうなので、きちんと制御された glareだったんだろう。
     そうしてお互い顔を見合わせると、机を挟んで向かい合うように席についた。東さんも俺たちの中間になる位置でこちらを見守っている。
     
    「……さて、今回は俺の要望で時間をとってくれて感謝する」
    「いえ、自分で説明すると言ったのは俺なので気にしないでください」
    「そうか。ならこれに関する話はここまでにする。とりあえず、俺がどうして諏訪のプレイの相手である荒船と会いたかったのか、説明する」
     
     いつも通りの淡々とした口調で、風間さんが告げるのは最近の諏訪さんの不可解さ、だった。
     
    「あいつが能天気なのはいつものことだが、少し前から以前に増して浮かれていてな。それだけなら放置しておけばいいが、何故か最近は飲みに行けば愚痴混じりに絡んでくるわ、ため息をつくわ。テンションが不安定すぎて、簡単に言えば、うざい」
    「風間……もう少しオブラートにだな……」
    「これでもかなり包んだ方です」
    「そうか」
     
     東さんがなんとかフォローしようとするものの、一刀両断されて諦めた。風間さんの苦々しい顔が本当にそう思ってるのがわかって、俺はなんとも言えない。
     
    「というわけで、さっさと諏訪の悩みの種を解消してしまえばいいと思ってな。東さんに心当たりがあるようだったから、仲介を頼んだ、というわけだ」
    「なるほど、そういう経緯だったんですね」
    「それがまさか荒船なのはこちらとしても驚いたがな。確かにDomだろうとは思っていたが」
     
     風間さんは、呆れたようにため息を吐くがその根幹にあるのは結局友人のことが心配だった、ということだろう。
     そんな緩んだ雰囲気も、次の俺の一言で一気に引き締まることになる。
     
    「でも、諏訪さんの相手が素性のわからないDomだったから、わざわざ東さんに相手の詳細を聞いたんですよね。俺だとわかっても会うことを望むくらいには、Domというものを信用していない。というか、Subに対するDomですかね?」
    「……」
    「無言は肯定とみなしますよ」
     
     風間さんの赤い瞳が真っ直ぐ俺を見ている。答えない、ということはそれが事実の証左だ。そして、風間さんは俺が諏訪さんの相手であることに驚きはしても、安心したとは言わなかった。納得したとも言わなかった。それが示すのは、まだ俺は信用を得ていないということ。俺は目を逸らさないよう注意しながら、口を開いた。
     
    「風間さんが心配するの、わかりますよ。諏訪さんがどれだけしっかりしてても、強いとわかってるSubでも、相手が素性のわからないDomで、諏訪さんが悩んでるって言うなら、なおさら」
     
     そう、これは普通のことだ。俺もSubの友人たちにDomが近づいているとしれば、邪推がまじらないとは言えない。なまじ、俺が一度やらかしているDomだからこそ、勘違いした輩によって、友人が傷つけられないか、無理やりプレイされないか気にしてしまう。Domのコマンドにはそれだけの恐ろしさがある。格が違えば、簡単に悪用できてしまう代物だからだ。
     訥々と言葉を重ね、俺は自分の考えを伝えていく。よく考えてみれば、ここまで声にしたのは初めてかもしれないな、なんて頭の片隅は現実逃避してたけど。
     
    「俺はDomです。それもかなり強い。自慢じゃ無いけど、上層部に報告される程度には強い性質を持っています。わかりやすく言うなら、ガチガチに制御した上で普通のSubならコマンドひとつで満足させられるくらいには。東さんが諏訪さんを紹介したのは、そんな性質を持った俺が衝動を発散できるかもしれないってことで頼まれてくれたんだそうです」
     
     隣で東さんが頷くのが見える。これは諏訪さんに説明されて、俺自身も東さんから後日説明された。
     
    「そのことについて、元々荒船は望んでいたのか」
    「正直に言えば、俺のコマンドに耐えられる相手と言うのは求めていました。ソロランク戦や友人のSubに相手をしてもらって少しずつは対処してましたけど、所詮上辺での対処しかなかったので。風間さんも知ってる通り、俺の周りは感が鋭いやつらばっかりなので、心配をかけたくなかったし。でも、俺自身の問題に他人を付き合わせるのはどうなのか、そもそも俺のコマンドに耐えれる人なんかいるのか、とかいろいろ考えて諦めてました」
     
     これは半分本当。求めてはいたけど、探したことなんかなかった。どうにかなると思っていたし、実際どうにかなっていたから。まぁ、つまり諦めてたってことなんだけど。
     
    「だから最初は諏訪さんの申し出だって、断ろうと思ったんです。どれだけ自己申告されても本当かどうかわからない。仮にプレイをしたとして、相手をdropさせてしまったら終わりです。最悪の場合はトラウマになる人だっている。そんなリスキーなことそう簡単に試す気にはなれませんでした」
     
     あの日、このことが頭によぎったのは事実だ。もしかしたらを考える自分と、最悪の場合を考える自分が脳内で醜く争っていた。いわゆる天使と悪魔の争いは結論を出せず膠着状態だったのを覚えている。でもそれすら吹き飛ばされてしまった。
     
    「でも、そんな思考諏訪さんにはお見通しだったみたいですけど」
    「諏訪に?」
    「あの人、俺の担当医のとこまで行って医療施設併設のプレイルームに連れてったんですよ。費用は全部あの人持ちで。もしもの時は担当医と情報共有できる医者がいるから、プレイしてみないかって。馬鹿ですよね、ほんと。ただの同僚に何してるんだろうって思いました」
     
     思い出し笑いで意図せぬ笑いがもれる。あの時は率直に言って、馬鹿なんじゃないかと思ったものだ。ありがたいことではあるけれど、なんでここまでするのか疑問符ばかり浮かんでいたように思う。でも、それで覚悟が決まったのも事実だった。
     
    「俺も流石にそこまでされたらって試してみることに同意しました。いくつかある制御を外しただけで、完全にって言うのは無理でしたけど。それでも、いつもよりは絶対的に威力の上がったコマンドにあの人は従ってくれた。普通のSubと同じように」
     
     俺は天井を見上げて瞼を閉じる。じんわりと熱を持った目頭を誤魔化すように。
     
    「……単純に嬉しかった。俺もちゃんとプレイできるかもって、希望みたいなものが見えたんですよ」
     
     これは誰にも言ってこなかった不安の一つ。Domとして生まれたことも、能力を制御して生きていくことも、どうやっても変えられない事実で、社会に出る上のに必要なことだ。それをやめるだとか、考えたことはない。けど、ありのままの自分で接することができないことがストレスでないこともまた、あり得なくて。多分、俺にパートナーを作ることを勧めてきた奴らは、そんな俺の危うさを感じていたんだと思う。だから、諏訪さんという相手に会えたことは俺にとって幸運なのだ。
     
    「それからは少しずつ制御を緩めながらあの人とプレイしてきました。このままいけば制御なしでも問題ないだろうって俺も諏訪さんも思ってます。でも、」
     
     再び風間さんを見据えて告げる。ここからが、今日の本題だと、そう伝えるために。
     
    「関係が深まるにつれて、俺には漠然とした不安が発生していました。言語化できない澱みのようなよくわからない感情、みたいな。だから聞きに行ったんですよ。ダイナミクスのコマンドを介した関係構築において、何らか問題が発生することがあるのか、と」
    「それは、なんというか荒船らしいな」
    「担当医にも言われました。理論的に考えすぎだって。そう言われても、こっちはダイナミクスのプレイ関係なんてその場限りが多くて、経験なんて無かったんだからしょうがないと思うんですけどね。友人達とのプレイだって言い方は悪いですが、俺にとってはお遊び程度のコマンドで終わってしまうので」
     
     今度は俺がため息を吐く番だ。理論的に考えてしまうのはもはや癖なのだからしょうがないのだ。それが俺らしいと言われるのは、褒められているのかどうかよくわからないが、嫌な気分はしない。
     
    「それでまぁ、話をしているうちにその感情には名前がついた訳なんですが。そこで問題が発生したんです」
    「問題?」
    「ちょうど、担当医に話を聞きに行っていた日でした。俺は、自分の中の考えをまとめるために誰にも伝えず隊室へ向かっていました。元々予定が入っていると隊員には伝えていたし、隊の任務は入ってなかったのでボーダーに来ないと言ってたんですが、家にいても落ち着かないと思ったんです。でも、隊室には先客がいました。それも大量に」
    「先客?まさか……!」
    「おそらくご想像の通りだと思います。俺自身は自覚がなかったんですが、どうやら周りには様子がおかしく見えたようで。今の風間さんと同じ立場ですね。アイツら諏訪さんが相手だって突き止めて、問い詰めたみたいなんですよ。俺には徹底的に知らせないように行われたみたいです。アイツらが責めるように諏訪さんに詰め寄ってるのが僅かに空いた扉から聞こえて、すぐに部屋に入って止めようとしました。諏訪さんがあんなこと言うまでは」
     
     東さんと風間さんが揃って顔を見合わせる。まぁ、普通想像しないだろう。限られた情報しかない上で俺の相手を諏訪と特定し、詰め寄るなんて。俺も目の前で実際に目撃するとは思わなかったし、そんなことが起こるなんて思ってなかった。でも驚きはここで終わらないのだ。
     東さんが戸惑い混じりで俺に問いかけた。
     
    「あんなこと?諏訪は何を言ったんだ?」
    「あの人、俺が好きだからプレイの相手を務めてるって言ったんですよ。それを聞いて体が石みたいに固まりましたよね。俺としてはついさっき思い自覚したばかりだったんで。でも、」
     
     今度こそ、目の前の二人が言葉を失う。そりゃそうだろう、まさか諏訪が本人の知らないところで相手がいる場所で告白していたなんて。俺だって驚いた。でも、そんな驚きはその後の発言で綺麗に絶望に変わったのだ。俺は言葉を続けた。
     
    「諏訪さんはあいつらに言いました。「この恋を成就させるつもりはない」って」
     
     それが示す事実は一つだ。相手は、諏訪さんは俺に好きだと言うつもりが無い。……恋人として、付き合う未来を考えていないってことだ。
     
    「最初は意味がわからなかった。まぁ、落ち着いて考えてみれば、なんとなくそう言った理由も察しがつきましたけど」
    「……同性であること、ボーダー隊員であること、荒船が未成年であること。この辺りか」
     
     少し落ち着いた風間さんが推測を話す。俺もそれには同意だったので、首を縦に振って応えた。
     
    「おそらくは。固まっている俺をよそに、話は続きました。耳を通る諏訪さんの自己犠牲じみた献身のような言葉に、俺は怒りが治らなかった。でも、諏訪さんが頑固な人なことも俺はよく知ってます。それでよく口論になりますし」
    「そうだな。あいつは妙なとこで頑固だ。無駄な努力だと言うのに」
    「ええ。だから仕返しをしてやろうと思ったんです。そっちがその気なら上等だ、ってね」
     
     東さんと風間さんがパチパチと瞬きをしながら俺を見る。なかなか珍しい光景だ、と俺が呑気に眺めていると震えた声の東さんが問い返した。
     
    「し、仕返し」
    「今以上に俺を好きにさせてやろうと思いまして。諦めることなんか考えられなくなるくらい、俺のことを好きなればいい。風間さんに愚痴をこぼすくらいなら、作戦はうまく行ったみたいですね」
     
     ふんっと鼻息荒く反論した俺を見て、風間さんが口角をあげる。あまり表情が変わらない人だから、ちょっとこちらが驚いてしまった。当の本人は俺の意見がお気に召したのか、声に興がのっている。
     
    「随分極論だな」
    「こっちとしても、自覚した瞬間相手に好かれてるって確信しただけでもテンパるってのに、しょうもない理由で跳ね除けられようとしてるってわかったんですよ?意趣返しも当然だと思いませんか」
    「諏訪の理由はしょうもない、か」
    「……考えない訳ではありませんし、茨の道なのもわかりますよ。でも、それは道を歩いてから判断したって遅くはないんです。踏み入れてない道を茨と判断するのは性に合いません。もしかしたらものすごく整備された茨の道かもしれないじゃないですか。それに、」
     
     そこで俺は言葉を切る。ここまでも全部本心からの言葉だった。けど、ここから口にするのは、諏訪さんとの関係における俺が出した答えだから。少し緊張が走る空気に、東さんがそっと話を促した。
     
    「それに?」
    「……ダイナミクスというもう一つの性が存在するこの世界において、同性での交際は一つの選択肢として存在しています。東さんという前例もあることですし。たとえ少数派だとしても、それを否定するのは俺にはできません。利用できるものは利用して、自分たちの道を歩けばいい。たとえそれが苦難の道だとしても、試行錯誤すればいいだけ。俺のボーダーでの戦い方もそうやって組み立ててきた自負がある。それと同じことをするだけっていうのが俺の答えです」
    「ボーダーでの戦い方、か。確かに。実力を示してる奴らは得てしてそうやって自分の戦い方を見出している。それは俺も諏訪も変わらないな」
     
     ボーダーを引き合いに出したのは、今の俺を構成しているものの大部分にボーダーが関わっていると思ったからだ。所謂普通の高校生では経験できない日常を過ごしている自覚は当然ある。たとえ周りに非日常だと言われようと、俺たちにとって紛れもない日常で、そこで培った考えや経験を無視することを俺はできないと判断した。
     
    「東さんとか風間さんからみたら、幼い考えだってのはわかってるんですけどね」
    「俺は思わない。どちらかと言えば、荒船の考えよりだ」
    「え?」
     
     思わぬ同意に喉から変に声が出た。風間は腕を組むと、考え込むような姿勢で話し始めた。
     
    「結局、諏訪の言っていることは逃げるための理由探しだろう。相手に幸せになって欲しいなら、相手の想いを汲むべきだ。相手のため、と身を引くのが正しいとは限らない。俺はそう思う。だが、短くない付き合いだ。諏訪がそう言った思考に陥るのも理解している。あいつは根本的に自信がないんだ。俺も含め同年代や同期に粒揃いが多すぎたのが理由だが、今そいつらと忌憚なく肩を並べて話ができる事実がどれだけすごいかをあいつは自覚していない。全くもって馬鹿なやつだ」
    「それ、自分で言いますか」
    「第三者からの評価をそのまま受け入れているにすぎない。だが、そういった存在は組織という多人数の集合体において軋轢を生む原因となりやすい。それを止めているのが諏訪という存在だ。あいつはあいつだけの稀有な立場という評価を受け入れるべきなんだ」
    「本人がなかなか自覚してくれないのが問題なんだけどな」
    「だからC級に下に見られるなんてことが起こるんです」
     
     東さんと共に呆れたように続けるのは、言い換えてみれば不当に下げてみられる友人への不満で。やっぱりこの人は諏訪さんを大事にしているんだと、なんだか胸があったかくなる。
     
    「風間さん、諏訪さんのこと大好きなんですね」
    「……友人だからな」
    「そうですね」
     
     ふいっと視線を逸らすものの否定はしなかった態度に、今の発言は流石に否定できない自覚があったのだろう。どうにか上がりそうな口角を片手で隠しながら俺は笑いを堪えた。
     そんなやりとりが終わった後、落ち着いた俺たちは、再び姿勢を正して対面した。
     そろそろネタバラシの時間だな、と思いながら。
     
    「改めて、俺はこの件に関してこれ以上首を突っ込む気はない。存分に諏訪を困らせて、諦めさせてやれ」
    「そのつもりです。というか、今回の話もその布石というか」
    「は?どういうことだ」
    「東さん、どうですか?」
    「まだ繋がってるよ」
    「それじゃあ。諏訪さん、聞いてた通り、俺はあんたに諦めさせてやるつもりなんかないからな。せいぜい白旗を振る準備をしてるんだな」
    「おいっ!いつから繋がって、」

     プツリ
     
     **
     
    【諏訪視点】 

     ツーッツーと通話が切れたことを告げる機械音が部屋に響く。だが、俺にとってはそんなことよりも聞かされた会話の方が問題で。
     
     ——聞かれて、た?え、あの時の会話全部?嘘だろ。嘘だと言ってくれ……!
     
     ただいま脳内大混乱である。途中の風間の話ももちろん動揺したのだが、それよりも荒船の話が問題である。墓場まで持っていく覚悟までして、本人にだけは伝えないよう根回ししてたのに、まさかの偶然聞かれるなんて。それだけじゃない。なんの冗談か、荒船の方も俺を好きみたいじゃないか、あの言い方は。そんなこと、あるわけないって思ってたのに。
     ぐるぐると回る思考に知恵熱が出そうになっていると、再び端末が着信を告げる。伺うように見た画面に映った字は、諏訪を混乱の渦に放り込んだ東のもので。諏訪は恐る恐る電話を繋げた。
     
    「はい……」
    「東だが、大丈夫か?」
    「大丈夫だと思います……?」
    「まぁ、無理だろうな。色々混乱してるだろう?」
    「当たり前じゃないですか!なんで、あんなこと俺に、」
    「聞かせたか、か?」
    「……はい」
     
     正直な感想だった。なぜ、盗聴のような真似を東がしたのか。それがわからなかった。
     
    「あれは荒船からの頼みだったんだ」
    「荒船が?」
    「俺も今日の話が終わるまで事情は教えられてなかったんだけどな。つまりは、卑怯者にはなりたくないってことだよ」
    「卑怯者?」
    「荒船はお前の告白もどきを偶然とはいえ盗み聞いてしまったわけだろ?だから諏訪にも盗み聞いてもらったってことだと思うぞ」
    「は、そんなこと考えて?」
     
     ——なんというか、荒船らしいというかなんというか
     
     俺が何とも言えず閉口していると、東がそうだった、と思い出したように話し出した。その声がやけに楽しそうで、俺は何となく嫌な予感がした。

    「お前に電話した理由を忘れるところだった」
    「理由、っすか」
    「荒船からの伝言だ。聞くだろう?」
    「っ!」
    「『これで立場はイーブンになっただろ?』だってさ。いやー荒船は男前だな。諏訪も大変だ」
    「本当になっ!」

     案の定、男らしい宣言に俺は端末を耳にくっつけたまま机に突っ伏すことになる。火照った頬に天板の冷たさが染みるようだ。こちらの動揺が想像に容易いのか、耳元で、狙撃手の祖が愉快げに笑う声が響いた。

    「ちなみに、なんだが」
    「はい?」
    「荒船はこの後三十分くらい狙撃の訓練をしてくると言っていたぞ」  

     いつの間にか通話は途切れていた。ああもう、思考はいまだ支離滅裂で、結論の一つも何もでていないけれど、たった一つわかったことがある。俺は思いっきり叫んだ。
     
    「ここまでされて怖気付いたら俺がただヘタレなだけじゃねぇか!」

     俺は赤いだろう顔はそのままに、貴重品を引っ掴むと、自分の部屋を飛び出した。  
    相互理解
    【荒船視点】
     
    「トリガーオフ」
     
     自分の隊の隊室に戻り、一息ついた俺は荷物をまとめてソファに腰掛けていた。任務はなかったものの、個人的に色々あったため気疲れしている。さっきまで狙撃手の訓練場にいたのも、妙に興奮してしまっていた自分自身を落ち着けるためだったりする。とはいえ、明らかに集中を欠いている自覚はあって、勘のいい奴らに問い詰められる前に、と早めに切り上げたのだった。
     そろそろ帰宅するかと俺が腰を上げようとすると、こんこんっと少し荒々しく扉をノックされた。特に誰かが来ると言う予定はなかったはずだが、俺が入室を許し扉に近づくと、目の前に思わぬ人物が立っていた。
     
    「え、諏訪さん……?」
    「……よう」
     
     かなり急いできたのか、まだ息が整わない諏訪さんをとりあえず部屋に迎え入れる。だが俺に話しかけるわけでもなく、所在なさげに立ち尽くしていて、表情も心なしか固そうに見える。

     ——緊張しているのだろうか

     ここに来たのは多分先程の風間さんと俺の話が原因だと思う。もし、本当にそれが原因なら俺だってまだ心の整理がついていない。何なら、せっかく落ち着いた心臓がまたバクバクと音を立て始めている。でも、目の前の諏訪さんは俺以上に落ち着きがなくて、何だかそれを見ていると笑えてしまった。
     
    「ふはっ。なに緊張してんだよ」
    「なっ!当たり前だろうが!あんなの聞かされたらよ……」
    「諏訪さんはあれ聞いて、俺との関係嫌になったか?」
    「んなわけねぇよ!だったらここに来ねぇし。ただ、俺は……」
     
     からかい混じりに会話を続けるが、諏訪さんからはなかなか力が抜けないようだった。思い詰めたような顔をしているから、もしものことを考えて問いかけてみたが、その心配はないようだ。ならば、と俺はDomとして動くことにした。
     
    「諏訪さん。一回落ち着こう?俺の隣に”kneel”して」
    「へ?」
    「ほら、いつもの足元は今日は汚れるからだめだ。ここ、座ってくれよ」
     
     先にソファに腰掛け、ぽんぽんと隣を叩く。戸惑いながらも俺のコマンドに従ってくれる姿にほのかな嬉しさを感じながら、隣あって座る。
     
    「諏訪さんは俺に用事があってきたんだろ。ゆっくりでいいから話してくれよ」
    「つっても、俺も半ば衝動で来ちまったから、話まとまってないぜ?」
    「いいよ、それでも。何ならコマンド使うか?」
    「いや、それはいい。ちゃんと俺の意思で話す」
     
     それから俺に諏訪さんはゆっくりと話してくれた。穂苅たちには話していなかったことや、俺の話を聞いてどう思ったのかも全て。
     
    「……って思った。でも、お前の話を聞いて俺ももう一回考えた」
    「うん」
     
     今まで隣り合っていただけの距離はいつの間にか近づき、俺と諏訪さんは向かい合うように見つめあった。そっと伸ばされた手が俺の手を取り、いつもプレイの後俺がしていたように、そっと握られる。じんわりと移る熱が、手がつながっている事実を俺に自覚させた。
     
    「俺はSubで男だ。普段からSubらしい行動ができるかって言われたら難しいこともあるかもしれない。女みたいに堂々といちゃついたりもできない」
    「それは……」
    「でもさ、俺もお前といたいんだ」
     
     くしゃりと歪んだ諏訪さんの顔は、困ったようなそれでいて諦めたような笑顔で、俺は何故か目頭が熱くなった。
     
    「結局、色々御託を並べたんだけどよ。俺はお前が好きだって、それは変わんねぇんだ」
    「諏訪さん、」
    「お前に相応しくないって考える気持ちはまだある。でも、そんなお前にあんだけ求められてるってわかったから」
    「ハッ!そんな考え、これから俺が全部消してやる」
    「ははっ。頼んだぜ」
     
     答える俺の声は震えていた。だって滲んだ視界で、さっきより子供みたいな顔で諏訪さんが笑うから。俺は握ったままの手はそのままに、諏訪さんの胸に倒れ込むように身を投げた。
     
    「うぉっ、荒船?」
    「ちょっとだけ、このまま……」
    「……おう」
     
     諏訪さんの肩に額を擦り寄せて身を寄せると、背中に握っていない方の腕が周りしっかりと抱き寄せられる。それがどうしようもなく嬉しくて、口をそっと耳元に寄せて呟いた。
     
    「おれも、すわさんがすき。だいすき。だから、つきあってください」
    「俺の方こそよろしくな」

     聞いたことのない柔らかい声で返事が返ってきたかと思うと、額にちゅっと聞き慣れない水音がする。思わず、手で押さえて後ずさると、目の前にはニヤリと悪びれもしない男が一人。
     
    「な、何を、」
    「可愛かったから、つい」
    「か、かわっ」
    「お、真っ赤になった」
    「揶揄うな!」
    「いいだろ、それぐらい。恋人になったんだから浮かれさせてくれよ」
     
     せっかく開けた距離も、すぐに詰められて再び抱き寄せられる。いつもだったら振り払うのは簡単なのに、「恋人になったから浮かれてる」なんて言われたら、俺も無闇に引き剥がせない。喜んでいるのは俺も同じなのだから。だけど、恥ずかしいのは変わらないので、俺は諏訪さんから顔を隠すようにその意外としっかりした胸元に顔を埋めるのだった。
     
    「……最初はヘタれてたくせに」
    「そりゃ、考えがまとまってなかったからな」
    「俺が動かなかったら告白する気もなかったくせに」
    「それもまぁ、お前の想像通りの心配してたんだよ。俺だって悩んだんだぞ?」
    「じゃあなんで付き合った途端こんな積極的になんだよ!」
    「今までの反動じゃね?」
    「真逆すぎんだろ……」
    「そうか?ずっと俺はこうしたいと思ってたけどな」
    「へ?」
    「だってお前、甘やかされるの嫌いじゃないだろ?」
     
     諏訪の言葉に思わず顔をあげる。今までそんなことを言われたことはない。Domとして、甘やかすことは好きな自覚はあった自分が、と驚愕の気持ちしかない。
     
    「そんなこと、言われたことない」
    「そうなのか?でも、多分好きだと思うぜ?今だって嫌じゃないだろ、恥ずかしいんだろーなとは思うけど」
    「わかってるならやめてくれ」
    「やだね」
     
     そういってさらに力を込めて抱きしめられる。いつの間にかかぶっていた帽子も取り払われ、癖のない髪の感触を楽しむように諏訪の手が動いている。まさに可愛がるといった動きに、赤くなった顔が戻るのは時間がかかりそうだった。
     
    「なんかさ、お前が言った対等っていうの、こういうことなんじゃねーかと思うんだわ」
    「こういうって?」
    「ダイナミクスの関係では、俺が甘えてお前が甘やかす。でも、恋人としては俺がお前を甘やかしてお前は逆に甘える。そんな関係がいいんじゃねーのってこと」
    「俺甘えるの苦手なんだけど」
    「そりゃ、俺もSubとして甘えるの好きだけど経験少ないから苦手だし。今から慣れてけばいいだろ」

     そう言って、ゆるゆると俺の頭を撫で続ける諏訪さんは随分機嫌が良さそうだ。俺としても吝かではないなと思い始めていたので、これが俺たちの恋人関係の礎となっていくのだろう。ならばもう少しだけ甘えてみるかと、俺は諏訪の背中に腕を回すのだった。
    あとがき
     まず最初に、ここまでお読みいただきありがとうございます。毎度のことですが、私の作品はどうしてこうも長編になるのでしょうか。短編が書けないので、どうしようもないのですが。
     さて、今回のテーマはDom/Subユニバースと呼ばれる第二の性別が付随された世界でのお話です。いわゆるSMの世界観と似たところも多いですが、作者によってさまざまな世界観が展開されてますね。
     なぜこの設定で諏訪荒というCPを書こうと思ったのか。それは私自身が妙な違和感をこの二人に抱いていたからです。簡単に言えば、諏訪荒なのか荒諏訪なのか、ということですね。最初に好きになったのは諏訪荒なのですが、荒諏訪も読もうと思えば読めてしまう。ではリバ設定が有りなのかと言われれば違うんです。めんどくさいですよね、我ながら。
     基本的に美人が下になりやすいのですが、下になるのは原作の荒船さんが男前すぎて、上は格好良さのある人がなりやすいんですが、諏訪さんのいじられキャラが可愛くてですね。決めきれないのが正直なところなのです。
     そんな微妙な二人(私が勝手に感じてるだけですが)を私なりに解釈したい。それがこの作品の大きなテーマになります。どうにかなってることを祈りたいですね。
     さて、長々と綴りましたが、なんとこの作品は続きがある予定です。というか、その続きにあたる部分を書きたいがための土台作りがこの作品というか……。なので、また皆さんにお会いできるよう気力のある限り書けたらいいなーと思ってます。頑張ります。

     それではここまでの読了ありがとうございました!
      
     追伸:ワールドトリガーアニメ第三期おめでとうございます。
     夕霞
     2021.10.12

     
    夕霞 Link Message Mute
    2021/10/12 18:30:00

    Even

    こんばんは、夕霞です。
    今回も長いですがよろしくお願いします。

    #二次創作 #諏訪荒

    それでは注意事項を読んでお楽しみください!

    2021/11/10 誤字訂正

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