TO麺×$ 9鏡張りのスタジオに大音量で流れていた音楽が止まる。拍手の音と共にその場に零れたのは、二人分の荒い呼吸だ。ぜえぜえと肩で息を整えながら、端に寄せておいたドリンクのペットボトルをひっ掴む。
「ボーテ! 100点!」
高らかに声を上げた金糸がさらりと揺れ、その細く長い指の掌から奏でられる拍手をもって全力で褒められた。きっと、大した事はしていない。他のユニットのダンスに比べたらまだまだどころか、足元にも及ばないのだろうけれど、残念ながらこれが今の全力だ。ようやく人心地ついて天井を見上げる。
「随分とよくなったね、エクセレント!」
ダンスコーチのルークさんとは、ヴィルの紹介で知り合った。優しげな笑顔を崩さず、頑張ればその分大袈裟なまでにきちんと褒めてくれるけれど、如何せん要求のレベルがかなり高い。僕のようにダンスが苦手な人間からすると、出された課題を撫でるだけでもできれば120点が欲しいくらいだ。
「うんうん、少し休憩しようか」
最早口も聞けないほどの僕とリドルさんを見て、暫し動けないと判断したのだろう。軽やかなステップでコンポの方へ歩き出した彼に、カリムさんがぱっと立ち上がって駆け寄った。何故あんなに動けるのか謎すぎる。
「なあルーク、コレ見てくれよ」
「ん?」
音楽のセッティングをする手を止めずにカリムさんの手の中のスマホに目をやった。そこでは先日部屋で観た動画が再生されているのだろう。ふむふむと頷きながらそれを観るルークさんをきらきらとした目でカリムさんが見上げている。
「あれは何だい?」
「カリムさんのお気に入りのダンサー動画ですよ」
リドルさんにはまだ観せていなかったのか。僕の答えに納得した彼女が再びペットボトルを煽って立ち上がり、カリムさん達の所に合流した。画面を覗き込んだ表情が曇る。
「これを採り入れたいんだ」
「なるほど、素晴らしい! そうしたら、よりキミ達に合うようなアレンジとフォーメーションを考えよう」
まあ、そうなるよな。『ジャノメ』はコンテストでも優勝するような、アマチュアの中でもプロ並の実力者らしいし、そんな人のテクニックを基礎ダンスでもひいひい言ってる僕らができるはずがない。ただ、ダンスが得意なカリムさんなら。多少のアレンジで魅力的にこなせるのだろう。適材適所。空になったペットボトルを持って立ち上がった。
「ロア・ディ・フォート」
ふと呼ばれて振り向く。おかしな呼び名を付けるのは彼の癖のようなものだ。今更その呼び名に驚きはしない。
「はい?」
「ダイエット中かな? 少し痩せたね」
「……ありがとうございます」
特にダイエットをしているつもりはないのだけれど。何と答えたものかと迷って、褒め言葉として受け取ってから告げた礼に、ルークさんの笑みが深まった。
「ダイエットはただ痩せればいいと言うものではないよ。筋肉もつけなくては」
筋肉。ふと頭に過ったマッチョなキャラクターに思い切り顔を顰める。それすら見抜いたのだろうルークさんが、覚えておきたまえ、と笑った。
確かに体重は少し減ったのだけれど。それでも何で全体的なシルエットが減らないのか。リドルさんは元々線が細いし、カリムさんは健康的に細い。僕だけ。僕だけ胸もお尻も大きくて、太腿だって太い。二人と並ぶと惨めに思えてしまって、けれど上手く痩せられないのが現実だった。
「あら、久し振りね」
ダンススタジオの廊下に置かれた小休憩用の丸テーブルに座っていたところに声が落とされる。
「ヴィルー!」
がたんと椅子を鳴らして立ち上がったカリムさんが両手を広げた。ヴィル・シェーンハイト。リドルさんの学生時代の友人で、トップモデル。一流芸能人というやつだ。本来なら僕らのような地下アイドルが気軽に話せるような相手ではないのだけれど、元来世話焼きな性格らしい彼女はリドルさんとの学生時代のよしみもあって、何かにつけて面倒を見てくれている。
抱き着いてきたカリムさんを撫でながら、ちらと僕らの方に目をやり、眉を寄せた。
「アズール、あんたまた変なダイエットしてるのね?」
「……さっきルークさんにも言われましたが、ダイエットなんてしてないんですけど」
「はあ!?」
素直にそう言うと、突如鬼の形相になったヴィルさんがカリムさんを片腕に抱えたままテーブルを乱暴にバンと叩く。あまりの剣幕に驚いて、僕もリドルさんも思わず飛び上がった。
「あんた! ダイエットしてないのに痩せてるんだとしたら大問題よ。ストレスは? 仕事しすぎなんじゃないの? 睡眠時間は足りてるの?」
突然始まった詰問に答えられずにいると、ヴィルさんから離れたカリムさんが困ったように口を挟む。
「アズールはいつも俺達のために頑張ってくれてんだ。金の計算とか、企画とか。プロデュースは殆どやってくれてる。それに、ダンスも歌も頑張ってるから」
「そんなもんあんたがやる必要ないわ」
ちらとカリムさんを見た目が冷たかった。その視線に口を噤んだカリムさんを置いて再び僕に続ける。
「いい? あんたがやらなくてもいい事は他人に任せなさい。他人に任せることができないのは二流よ。物事には優先順位があるの。わかる? 何でもかんでもあんたひとりでやってたらその内潰れるわよ」
収支計算にイベントの企画、衣装プランにセットリスト。時には営業にも行くし、他のアイドルユニットの視察だって怠る訳にはいかない。
他のメンバーやスタッフもやっていないわけではないけれど、どうも「自分がやった方が早い」と先回りしているところは確かにある。自分でやらなくては気が済まないと言うのもあるけれど、そこは割り切って行くべきところだろう。
ヴィルの言うことは尤もだ。言い返すことも出来ずに俯くと、はぁと小さく溜息が零される。
「あと、筋肉つけなさい」
「さっきルークさんにも言われました」
「でしょうね。変な痩せ方してヒョロガリになった女なんて可愛くないし、何より体力不足でライブ一本できなくなるわよ」
ドキン、と心臓が痛むように跳ねる。実はずっと気にしていたのだ。僕はどうも基礎体力がない。ライブだってレッスンだって、真っ先にへばって回復はいつも最後。ランニングとかやってみたところで、効果はあまり見られなかった。筋トレもやってはいるけれど、やり方が違うのか上手く効果が出ず。体力育成は参考資料が山のようにあり過ぎてどれが正解かわからないままだった。
「はい」
「?」
差し出された名刺を素直に受け取って、首を傾げる。印字されているのは、スポーツジムのようだ。
「知り合いのトレーナーに話通しておいてあげるわ。都合のいい時に行ってみなさい」
壁掛けの時計をちらと見上げたヴィルさんは、じゃあねと手を振って颯爽とその場を後にする。後ろ姿だって立ち姿だって完璧な先輩に、悔しさを覚えた。
ジムに行って筋肉を付けることでユニットの更なる飛躍に繋がるのならばやってやる。業務の見直しだって何だって、人に指摘されるような事は全部改善しよう。密かに気合を入れ直した僕の後ろで、リドルさんとカリムさんが安心したように笑ったのを、僕は知らなかった。