イデアズ。と🐙のクラスメイトくん。10 人気のない教室に呼び出されて、窓を背にした彼女が振り返る。頬がやや赤くなっているのは差し込む夕陽のせいか、それとも、その手に持った可愛らしい包みのせいか。
「何か用事?」
本当は知っているくせに、わざとらしくそんなことを言ってみたりして。少し怒ったように眉を寄せた彼女が俺に近付いて来た。あと三歩というところで足を止め、包みを突き出すようにして差し出す。
「ほ、本命じゃないんだからねっ」
そっぽを向いた彼女の頬が真っ赤に染まっているのは夕陽のせいではなかったらしい。それに気付いてしまったらもう、心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うくらいにドキドキと暴れていた―――
オルゴールの音色を聞きながら、俺はそっと枕にゲーム機を伏せる。泣いてない。泣いているはずがない。いやほらこのエンディングで使われてるオルゴール曲が胸に沁みるなって思ったらちょっと視界がほんの僅か霞んだだけ。あっ疲れ目で霞んでるのかも。
「このイベントまじで辛すぎる」
「それな……」
ルームメイトが呟いたのにがばりと起き上がって同意した。東の国で開発されたこのギャルゲーは約一年越しにやっとこの地域でもダウンロード販売が始まったわけだが、丁度この2月の時期、向こうの国では『バレンタインデー』というイベントがあるらしく、このゲームにもそれが採用されている。親愛度を上げておいた女の子からチョコレートをもらうイベント。オリジナルボイスとオリジナルスチルが見られるとなれば、オタクとしてはイベントをこなさなくてはならない。のだけれど。
「実際こんなイベントあるんかな」
「ネットで調べた感じ、実在はするらしいよ」
「マジか……」
「しかも海外では割とメジャーなイベントらしい」
「へえ……」
ゲームが開発された極東の島国では一般的に、女の子が好きな男にチョコレートを渡して告白する日だそうだ。それだけ聞いたらそりゃあいいイベント! て感じだけど、それは「あげる側」の女の子と「もらえる側」の男だけ。俺らのような非モテ男には苦痛以外の何物でもない。だってそうでしょ。女の子からもらえないってだけで「あいつモテないんだな」って認識されちゃうわけでしょ。辛すぎる。
朝からあんなゲームやるんじゃなかったなあ。いや、女の子キャラはめちゃくちゃ可愛かったし、ゲットしたボイスも可愛かったけど。
後悔しながら教室に入ると、何やら随分と騒がしかった。ざわつく中心部に行く勇気はないので人だかりを遠目から観察する。輪の中からひょいと顔を出したのはアーシェングロット。もうその時点で嫌な予感しかしなくて咄嗟に顔を背けたけど、どうやら遅かったらしい。
「おはようございます。よろしければ貴方もどうぞ」
差し出されたチラシに目を落として、うんざりと顔を歪めた。
「……これ」
「『バレンタインデー』というのをイデアさんからお伺いしたんです。素晴らしいイベントですね! 海外の方はなんと商売上手なことか」
だと思った。だろうと思ったけど。モストロ・ラウンジのバレンタインデーイベントねえ。ていうか男子校なのにそんなのやってどうすんだ。虚しくなるだけじゃないのか。
「お菓子を送り合って愛と絆を確認する日だなんて」
「……ん?」
大袈裟に手を広げたアーシェングロットの発言に首を傾げた。いま何と言った? バレンタインデーの定義を寮長に聞いたんじゃないのか。そもそも寮長の知識の出所もきっと俺達と同じゲームだろうに、何故こいつが認識している定義が違うんだろう。
「そういうわけで、モストロ・ラウンジでは本日『バレンタインデーフェア』を実施していますので、是非お越しください。ご来店の人数に応じてスタンプを捺させていただきますので」
にっこりと胡散臭い営業スマイルを向けられても、あんなリア充の巣窟には行ってはならぬとばっちゃが言っていたので無理です。再びチラシを配りに行ったアーシェングロットの背中を見送りながらそっとチラシを机の中にしまい込んだ。
そもそも何が愛と絆だ。絶対興味ないだろ。来店人数でスタンプの数が変わるということは、大人数で行けばそれだけスタンプを捺してもらえるということ(ただそれもチラシをよく見たらスタンプシート一枚に対してだけらしい)。フェア実施の理由は何でもよくて、客が増えれば何でもいいんだろう。
一時間目を終え、何故か隣に座っていたアーシェングロットにふと目をやった。
「なあ、バレンタインの話って寮長が言ってたの?」
「はい。ある国ではそういう風習があると。友人同士でプレゼントを交換するらしいですよ。なので、ご友人の人数に応じたプレゼントを」
「ふうん……俺が知ってんのは愛を伝える日とかで、好きな奴にチョコレートをあげるってやつだけど、そういう国もあんだな」
何気なくそう言ったつもりだったけれど、俺を見ていたメガネの向こうの青い目がこれでもかと見開かれる。あっやべ、これ面倒なやつかも、と思ったけど、そのまま何かを考え始めたアーシェングロットは、結局授業が終わるまでずっと黙っていた。
結局あの後何かを思い詰めていたようなアーシェングロットからは特に何も絡まれず、モストロ・ラウンジのフェアも狙い通り大盛況だったらしいと聞いた。とはいえ特にそれに興味もなく、今朝とは別の女の子からのチョコレートをゲットすべく、またベッドの上でごろごろと例のゲームを進める。
「スマホ鳴ってるよ」
「んー」
ルームメイトが手渡してくれた机の上に置きっぱなしにしていたスマホを確認して、メールの差出人に眉を寄せた。
見たくない。ものすごく面倒な予感がするから全然見たくないけれど、流石に無視するわけにはいかない。思い切り大きな溜息を吐いてから、寮長からのメールを開けた。
『乙~~今日アズール氏にバレンタインの話したの氏ですかな? いや~GJでござる~~wwww 見てコレ、モストロラウンジの非売品チョコレート(限定一個)wwww 普段世話になってるからってわざわざ作ってくれたらしいんですけどマジ神では?? 他のやつにもあげるとか言われたらムカつくから本当のこと言わなかったけど無問題でしたわ~~~www この礼は何かで~~wwww』
いや草が腹立つな。これなんだ、俺に対してpgr的な草なのか。それとも照れ隠しなのか。どっちにしても腹立たしくて、スマホを放り投げた。添付されていた写真はちらっとしか見なかったけれど、それはそれは綺麗に細工されたチョコレートだったように見えた。
礼はいいからもうこういう報告とかいらないし二人の間に挟まれるのはもう遠慮したいですって言ってしまえたらどんなに楽か。
じわじわ上がって来る苛立ちを抱えながらゲームの中の美少女からチョコレートを受け取って、またしんみりと流れ始めたオルゴールのエンディングに今朝よりも更に虚しさに襲われた。
ていうか男からのチョコレートなんていらねーよ!!!!
強がりじゃないんだからな!!!!