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    キミさえよければ 最初の頃はそんなこと気にも留めず、いや、確かに気になったことはあったけれど、仕方がないなと世話を焼いてやる自分に酔っていたようにも思う。
     イデアは元々だらしがない性質で、学生時代の寮の部屋などはアズールが来るという日には前もって片付けてくれて、――裏を返せばそうしないと人を招き入れられる状況ではなかったということ――その気遣いが嬉しかったものだ。
     けれど、それはあくまで「招かれる」立場であるからそう思うことができたのだということを、アズールは今更痛感することになる。
     飲んだ缶ジュースの缶、食べたお菓子のゴミ、脱いだシャツに靴下。それらは全てあるべき所に片付けられることなく、リビングのローテーブルだとか、フローリングだとか、あちこちに点在して今か今かと救いを待っているようだ。
     缶とペットボトルが店舗のごとく並べられたローテーブルは二人が揃って気に入って買った猫足。シャツとパンツが背もたれに引っ掛けられているソファは引越し祝いにと母が買ってくれたもの。フローリングはパイン材だと明る過ぎると越して来てすぐ一緒に床を貼り直した。
     アズールとしては、お気に入りの家具を並べたこの空間は常に綺麗に保っていたい。リビングに限らず、寝室も、バスルームも、トイレも、生活空間は常に清潔で整頓されているべきだと思っている。ゆえに、片隅に積まれたままの雑誌に、上から詰めに詰められたゴミ箱を見るとうんざりしてしまうのだ。暮らし始めた当初は正しく痘痕もえくぼというやつで、「イデアさんたら仕方ないですねえ」なんて言っていられたものだけれど。
     仕事で疲れた身体と心で帰って来て、雑然とした家の中を見ると自然と溜め息が落ちてしまうのは仕方がないと思いたかった。

     何度か、片付けくらいしてくれないかと申し出たことがあった。食べた物、飲んだ物のゴミはゴミ箱へ、皿やコップはシンクへ。洗濯物はランドリーボックスへ。小さな子供に言い聞かせるようなことを口にしながら、何故こんなことを言わなくてはならないのだろうかと思わなかったわけではない。けれど、自発的にやらないのであれば仕方がない。
    「聞いてます?」
    「あーハイハイ、聞いてるでござる?」
     脱ぎ捨てられていたシャツとインナーを腕に引っ掛けて目をつりあげたアズールをちらとも見ずに手の中のゲーム機を操作する横顔に思わず小さく舌打ちをして、ランドリールームへと踵を返した。
     これではアズールの負担が大き過ぎる。これを軽減するためにハウスキーパーを頼もうかと思ったこともあったけれど、どうにもお互い生活空間に他人を入れることに抵抗があって断念した。そうなればお互いが協力してやっていくしかないと思うのだけれど。
    「もう少しどうにかなりませんか」
     これで何度目か。テーブルの上のエナジードリンクの缶を回収しながら目も合わさずに吐き捨てた。中には微妙に残っているものもあって、ちゃぷりと揺れた音に顔を顰める。
    「はあ……そんなん言われましても」
     今日は顔を上げる余裕があるらしい。ゲーム機から持ち上がったきいろの瞳がアズールを捉えた。けれど逆にアズールはそちらを見ていないものだから、視線がぶつかることはない。
    「分かってて一緒に住み始めたわけですし」
    「限度があるでしょう」
    「そんな、突然キレられても」
     薄い肩が揺れ、茶化すような言い方に頭の先がかっと熱くなった。手に取っていたアルミ缶がぐしゃりと潰れる。
    「突然じゃありません!」
     声を荒らげたアズールを静かに見ていたイデアは黙ったまま成り行きを見守っていた。驚くでも怯えるでもない、まるでアズールがそう言うことが分かっていたかのようだ。確かに分かっていたのかもしれない。この件については何度も注意したし、怒っていますよというアピールもしていた。
     暫し何かを考えるような間を置いたあと、のそりと動いたイデアが片付け途中のローテーブルにゲーム機を伏せる。手伝ってくれるのかとほっとしたのも束の間。ふと短く吐き出された溜息にも似たそれに、じわりと嫌な予感がした。
    「お互いにストレスになるなら解消した方が良いのでは?」
    「――は?」
    「いやだってそうじゃん。アズール氏ここんとこすごいイライラしてるし」
     それはそうなのだけれど。アズールが引っ掛かったのはそこではなくて。いま、彼は「お互いに」と言ったか。ということは、彼もまたアズールの言いたくもない小言にストレスを感じていたと言うことなのだろうか。
     そんな、理不尽な。左手に提げていた回収用の袋に回収した缶を入れるだけの力ももう抜けてしまって、自嘲するような乾いた笑いと共にだらりと落とした指先から潰れたアルミ缶が歪な音を立てて床にぶつかった。
    「じゃあもういいです」
     思ったよりも疲れ果てた声が掠れて缶の上に落ちる。床から缶と一緒に愕然とした感情をどうにか拾い上げて回収用の袋に押し込んで踵を返した。途中、キッチンに袋を置くことは忘れずに。
     付き合っているからと言っても同棲しなきゃいけないというわけでは当然ない。そもそも、お互いに仕事や研究で忙しくなるから待ち合わせや予定合わせといった無駄な時間を削ろうと同棲を始めたのだ。なのに、それがケンカの火種になってしまっては元も子もない。決して自分は悪くない。なのに両成敗かのように言われたことが何よりも腹が立った。
     数日分の着替えを乱暴にトランクに詰め込み、怒りに任せてどすどすと床を蹴って玄関に向かう。リビングから続くドアの隙間から覗いたイデアが一瞬目を丸くして、それから唇を結んだのが見えた。止める気はないという事か。そっちがその気なら、などともう半ば意地のように玄関を飛び出した。
     本当は、アズールも悪いとも取れるようなその物言いよりも、洗濯物が放置されていることよりも、何よりも。在宅で業務や研究にあたるイデアが、アズールが何も言わないと食事をまともに摂らない彼が、アズールの不在時でもすぐ食べられるようにと温めるだけにしておいた食事を、これまで一度も手を付けたことがなかったのが、何よりも悲しかった。



     執務室をモストロ・ラウンジのVIPルームに寄せたデザインにしたのは、初心を忘れないため。ひとつ違う所があるとしたら、部屋の奥にもうひとつ小さな個室を作り、ベッドが置いてあることだ。セミダブルを置いたらぎゅうぎゅうのその部屋はアズール専用の寝室。今日ほどこの部屋を作っておいてよかったと思ったことはない。
     トランクの中身はそのままに、羽織っていた秋物のコートすら羽織ったままでベッドに俯せて倒れ込んだ。腹が立つ。悲しい。馬鹿みたいだ。これからどうしよう。色んな感情が綯い交ぜになって、知らず、海でよくそうしていたように身体を丸めた。
    「それでー? 勢いで飛び出して来たわけー?」
     ドアの向こうからのんびりと声がする。
    「珍しいですね、アズールが後先考えないで動くなんて」
     笑っている様子はない。先刻頼んだ書類仕事の傍らで適当にしゃべっているせいで、感情が乗っていないだけかもしれなかった。
    「まあたまにはいいんじゃねーの。お灸を据えるってヤツ?」
    「おや、何ですか? それ」
    「この前ホタルイカ先輩に借りた漫画に出てきたあ」
     何故それを今披露するのかと苛立ってみても、これは完全に八つ当たりだと分かっている。ぐっと飲み込んで、ますます身体を縮めた。何にしたって、暫くはここで暮らそう。まずはアズールの気が済むまで。それから、妥協案が浮かぶまで。どうかそれまではゴミ屋敷になっていませんようにと瞼を下ろしながら、それでも好きなのにと胸の奥で小さく呟いた。

     一週間分の着替えとスーツさえあれば案外どうにかなる。昼間はほとんどスーツであるから、極論私服がなくともルームウェアだけでも何とかなった。とはいえ、精査せずに引っ掴んで出てきたもので、どうしても足りないものはある。例えば、書類とか。いつも使っているものと違う印鑑だとか。殆どのものはオンラインになっているし、魔法でどうにかなるものもあるけれど、結局最後は物理だという持論が裏目に出た。
     気まずい思いを抱えながらそっと玄関を開けて中を伺う。夜行性のイデアのことだ、昼間よりも夕方から夜間にかけての方が留守の確率は高いはず。どうか今日は研究所に行ってますようにとか、実家仕事で留守にしてますようにと願ったはずだけれど、こういう時の願いは大体叶わないものだ。
    「おかえり」
     リビングでノートパソコンを開けていたイデアが顔を上げる。まるで今朝出て行ったアズールを迎え入れるようなごく自然なリアクションに思わず拍子抜けした。
    「……いえ、荷物を取りに戻っただけです」
    「あー……そう」
     そこで初めて気まずさを顔に出したイデアに少し溜飲が下がる。自室に入る前にちらとリビングを見回して、出て行った時と変わらない様子にうんざりした。まあ、ここまで積み重ねてきたものが一週間やそこらで治るなら苦労はない。けれど、出て行った恋人のためと奮起してくれるのではと少し希望を抱いていたものだから、余計にがっかりしてしまった。
     何も言わずに荷物をピックアップしていると、いつの間にかイデアが部屋の入口に立っていて、思わず眉間を狭める。
    「どうし」
     音は途中で食われてしまった。自分勝手なその生き物はやはり自分勝手にアズールの唇を貪り、お気に入りのベッドに雪崩込む。抗議のつもりで肩を押し返しても上手い具合に体重をかけられているせいか、またはアズールの方が慣れた体温に力を込められていないせいか、どうしても自分の上からどかすことができず、結局与えられる接吻けの甘さにとろりと意識が溶かされていった。
     こうして触れるのはいつぶりだっけ。ここ最近は妙に苛立つことが多くてこんなことをする余裕がなかった。押し入って来た舌先を甘噛みして、隙間に零れる吐息に喘ぐ。つつくように絡め合い、溢れる唾液を飲み込んだ。舌先を吸い上げられると腰が甘く痺れて次第に下腹部が熱を持つ。
     好きだなと、頭の片隅、胸の奥に静かにその言葉を浮かべた。どんなに言っても結局は、イデアの骨張った指だとか、低い声だとか、ずば抜けた才能や知識だとか。そういうものをひっくるめたイデアが好きだと思う。だから、こうして抱き締められると安心するし、同時に期待した熱に吐息が色付いた。

     リビングのテレビの横に大事そうな書類が立てかけてあったよ。そういうメッセージを受信して、双子を帰した後の執務室から自宅へ向かう車を手配する。
     家を出てからもうすぐ一ヶ月。イデアはあの日から時折こうして『忘れ物』を取りに来いと示唆するメッセージを送って来ていた。それを受け取った日は必ず帰宅する。例え、リビングのテレビの横に大事な書類などおいていなかったとしてもだ。
     そうして、のこのこと家に帰ってはその長い腕に絡め取られ、快楽で押し上げられて朝を迎える。眠ったままのイデアの腕から抜け出して、支度を整えてから、やはり何も変わらない散らかったリビングを横目に見て腹の底に溜まるもやもやは見なかったことにして玄関を出て行くのだった。
    「それってセフレ?」
    「いえ、普通のお付き合いなのでは?」
     フロイドの声に一瞬パソコンを操作する手を止める。アズールが答えるよりも早く書類から目を上げずにジェイドが答えた。
     フロイドの言うそれがこれまで一度も過ぎらなかったわけではない。けれどその度に、同棲していない恋人であれば数日に一度都合を合わせて会い、肌に触れることは何もおかしくはないだろうと納得させていた。だから、ジェイドの回答に内心ほっとする。
    「まあそうか。通い妻って感じ?」
    「そうなりますかね」
     当事者を置いて進む会話に耳を傾けながら思考する。それでも、やはり今のままでは良くはないだろう。いつかきちんと話して、どうしても歩み寄れないなら同棲は解消した方が精神衛生上よさそうだ。
     けれどやはり、ここで生活して分かったことといえば、何気ない時に感じるイデアの気配であったり、聞こえる声がないのがひどく寂しいということ。我ながら我儘だなとこめかみを押えて小さく溜息を吐いた。
    「ところでアズール」
     ジェイドの手にあるのは明日から交渉に入る予定の会社の資料だ。雑談モードから頭を切り替える。モストロ・ラウンジを経営拡大するには重要な相手。入念な下調べと下準備を重ね、ついに本番。パソコンから顔を上げたアズールの横に立ったジェイドの声を聞きながら、忙しくなるなと短く息を吐いた。

     イデアには、しばらく忙しくなるからとだけ伝えた。メッセージを送ってから、わざわざ言う必要もなかったかと思ったけれど、送ってしまったからもう遅い。彼がアズールからのメッセージを後回しにするはずもないから、思った通り返信はすぐに届いた。
    『大丈夫なん?』
     短いそれにベッドの上で首を傾げる。もう午前と言っていいくらいの時間だけれど、まだ起きていたのかと眠気に苛まれる意識の中で考えた。
    『大丈夫ですけど?』
     それ以外返答のしようがなく、そのまま送って返す。それに対しては、『まあ無理しないで』という何とも曖昧な返信が返ってきて、何が言いたかったのかと考えながら下りてきた瞼をそのまま閉じた。

     交渉は思ったよりも困難を極め、一週間の内に三日でも家に、執務室の奥の寝室に戻って眠れただけでもいい方。金額面での折り合いが中々付かず、一日先方のご機嫌を取るだけで終わる事すらあって、何とも効率が悪いと思っても老舗を相手にしている以上は彼らのやり方を踏襲してやった方がスムーズにいくことも少なくはなかった。
     分かっている、それは分かっているのだけれど。
    「つかれた」
     もう呂律も回らないくらいのそれにジェイドもやや草臥れた横顔で笑う。執務室に積まれた資料や書類は殆どが相手先に関連するそれで、本当なら見るのも嫌なのだけれど。
    「あと一押しって所ですかね……」
    「そう思いたいですけどね……」
     うんざりと溜息を吐いたところに、はちみつがふわりと香るホットティーが差し出された。どうやら今日は労ってくれる気分らしいフロイドが「どうぞぉ」とソーサーとカップを置く。優しい香りに癒される気がして、細く長い溜息と共に「ありがとうございます」と呟いた。
     忙しいのは当然初めてではない。これよりもひどいスケジュールでこなした契約もあったし、とてもじゃないけれど飲めない条件を突き付けられて、どうにか屁理屈で捻じ曲げて無理矢理に結んだ契約だってあった。けれど、その時よりも今回は随分と辛いと思うのは何故なのだろうか。思わず湯船の中で手放しかけていた意識をはっと浮上させて、大きな溜息をひとつ水面に音して深く沈めた。
     契約は二週間と少しかけて漸く片が付いて、最後にはお互い、納得行くものになりましたね、と笑って握手ができるような内容にすることができた。お互いにぼろぼろになっているように見えたのは、彼らも彼らの方で色んな調整をしてくれたのだろう。まるで戦友のような気持ちになって、薄っすらとクマの浮いた顔を見合わせて笑った。
     気分は上々だ。これでモストロ・ラウンジは次に進むことができる。そうしたらまた商売の規模が大きくなり、会社自体の利益も増える。頑張った甲斐があったなと肩を回すと、見計らったかのようにスマホがアズールを呼んだ。プライベート用のそれに電話やメッセージを送ってくるのはかなり限られている。ふと時計を見てから、スマホを片手に執務室を後にした。

     いつもは帰って来たアズールをリビングで迎え入れるイデアが今日は珍しく玄関まで迎えに出てきていたことに目を丸くする。どうしたんですか、と聞くより早く、思い切り顔を顰めた彼がアズールの手を引いて、シャワールームへと引っ張った。そう言えば契約を終えてそのまま帰って来たせいでシャワーを浴びていなかった。もしかして汗臭かったかな、なんてちょっと恥ずかしく思いながら大人しく後を着いて行って、脱衣所で向き合ったイデアをそろりと見上げる。
    「こんなになる前に誰か気づかなかったの?」
    「え?」
     こんなに、とは。苦い顔のイデアから洗面台の鏡に視線を移し、疲れた顔の自分を見た。少しやつれたかも知れないし、草臥れているかも知れない。けれど、こんなになるまで、と表現されるほどひどくはなかった。となると、彼の指摘はまた別のことかとおかしな点を探してみるけれど、自身では分からないような変化であるのか、目に付く部分ではよく分からない。困り果ててイデアを再び見上げた。
    「双子は? 見てくれてないの? 自傷する前にガス抜きしないと」
     じしょう。告げられた言葉を頭の中に浮かべて、いくつか変換を試みる。事象、自称、次章…自傷? いつの間にかイデアに脱がされていたカットソーの下から現れた腕にいくつかの噛み痕があるのにはっとした。肘から下ばかりに集中したそれは明らかに自分でつけた傷であり、深いものから浅いものまで様々だった。
    「こ、れ……」
    「アズール氏はストレスがたまるとすぐ腕を噛むから気を付けてって言ってあったのに」
    「い、いつからですか?」
     そんなことは初耳だ。気を付けて、という言伝は双子に渡されたそれだったのだろうか。何故アズール自身には言ってくれなかったのだと抗議の視線を向けても、イデアは何ということがないように次々とアズールの服を脱がしてあちこちを点検する。
    「結構前からでござるよ。だから定期的に拙者がガス抜きしてあげてたでしょ」
    「ガス抜き……」
     思い当たるのはひとつだけ。ケンカをしていても、やや険悪な時にも、折りを見てイデアはアズールに触れ、時には何も考えられなくなるくらいに乱暴に、時には大事な大事な宝物に触れるように丁寧に。奥深くに愛情を注ぎ込む事だけは決して忘れずに熱で包んで眠らせてくれた。
     それは、アズールがこの家を出て暫く執務室の寝室に寝泊まりしていたときにもだ。以前、徹夜や泊まりが多かった案件の時、今回よりも少し楽だったのはイデアが寄り添い、発散させて眠らせてくれたせいもあったのかと思い知る。好きな人の腕に抱かれて深く眠ることがストレスの発散になっていたのか。
     既に支度されていた湯船に誘うように連れ込まれ、そこへゆっくりと二人で沈む。背中にイデアの体温を感じながら深く溜息を吐き出した。
    「……イデアさんは」
     空っぽになった肺に再び酸素を取り入れてから、呼吸のついでに小さく呟く。時折雫が落ちる音くらいの静かな浴室で、それははっきりとイデアに拾われた。
    「ゴミも捨てないし、言う事聞かないし、生活力は全くないし、時々心底腹立つし」
     溜め込んだ不満はじわりじわりと湯の温度に溶けて全身の力が抜けていくのと同じようにアズールの口から零れていく。
     生活をするうえでの不満は多かった。けれどそれでも、すぐに同棲の解消とならなかったのは、やはり一緒にいたかったから。根底は、彼のことが好きだという純粋な想いひとつだ。
    「優しい時もありますけど、気まぐれですごく乱暴で何度も噛み付くセックスをして…それって、僕のためだったんですか。疲れて何も考えずに眠れるように」
     生活力はまるでないし、アズールを気遣うような行動もそうはないイデアだけれど、決してアズールのことを考えていなかったわけではないのかと思うと、胸の奥がじわりと暖かくなる。少し振り向いてイデアの喉元に甘えるように擦り寄り、目の前で揺れる喉仏に眼を細めた。
    「あー……さあ? 流石にいいように考えすぎかもよ」
    「それでもいいです」
     小さく笑ってイデアの尖った顎に唇を寄せる。軽く噛み付くように唇で挟むと、やがてそれはイデアの青い唇に掬われてそっと接吻けられた。

     リビングに戻って来ると、少し前までは雑然としていたはずのそこが随分と綺麗に片付いていて思わず何度か眼を瞬かせる。完璧に片付いているわけではないけれど、最後にここを見た時とは雲泥の差だ。
    「イデアさん、この部屋、誰が片付けました?」
     イデアが自分たち以外の人間をここに招き入れることはないのは知っているけれど、一応聞いてみる。もしかしたら、唯一例外のオルトが来たのかも知れない。
    「それがですな~~~」
     よくぞ聞いてくれたと言わんばかりににやりと太く大きな牙のような歯が覗いた。背中を向けた彼がリビングから続きになっているイデアの自室から引っ張り出したそれに首を傾げる。一メートルほどの角の丸い長方形のフォルムの物体が引きずり出されてきた。
    「じゃーん、自立ゴミ箱ー」
     言いながら頭のてっぺんを軽く叩くと、にゃーんとひとつ鳴いてLEDで作られているらしい猫の目がぱちぱちと瞬きをする。
    「僕は、キミに世話を焼いてもらうことで愛されてることを実感してて、その、キミも、僕を構うことで存在意義を確認していたのかと、勘違いして、頼りすぎてた」
     正直、少しどきりとした。確かに、彼には自分がいないと生活すら立ち行かないだなどと思っていた節はある。けれど、それが一から十になれば当然いつしか重荷になってしまう。それに気付かなかったのは、お互いの認識の甘さだ。
    「限度があります」
    「はい……なので、ゴミ箱及び洗濯物回収機を造ったでござる」
     もう一度ぽんと頭を叩くと、それは鳴き声を上げながらゆっくりと動き出し、リビングの端に落ちていた靴下のひとつを吸い上げて身体の中に納めた。恐らく、あの中で洗濯物とゴミとが分別されているとか、そういったことなのだろう。随分と簡単に言ってのけたけれど、そんなものを開発するのはそう容易なことではないはずだ。それを、何でもないことのように言ってのけるのがこのイデアというひとだ。解決策があったならこんなことになる前にさっさと出してくれたらよかったのに。何だかもう馬鹿馬鹿しくなってしまって、アズールは思わず笑い出した。
    「そ……ふふ、あはは、そっちに行くんですね。全く…あなた自身の努力もしなさい」
    「無理無理、拙者ずっとこれでやってきたゆえ」
    「仕方ないですね」
     肩を上下させて、あーあ、と笑いながらソファに身体を投げ出す。それを追いかけるようにイデアもアズールの隣に腰を下ろし、擦り寄るように肩を触れさせた。左腕がアズールの右腕を撫で、指先が絡まる。眉を下げた彼がアズールの機嫌を伺うように顔を覗き込んだ。
    「君さえよければ、もう一度」
     一緒に暮らそう、という最後の言葉は、任務を終えて満足げに鳴いた回収機の声にかき消されたものだから。思わず二人笑い出して、改めてもう一度よろしくと絡ませた指をぎゅうと握り合った。


    KazRyusaki Link Message Mute
    2022/10/22 21:56:24

    キミさえよければ

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