TO麺×$ 番外編4 喫茶店の奥。二人掛けの小さな丸テーブルの席にひとりで座って一息つく。外はひどい暑さで、けれど冷たいものばかりを飲んでいると身体の中だけが冷えて体調を崩しやすくなる。仕方なく滲む汗を拭きながら、ぬるめに作ってもらったカフェラテのカップに口を付けた。
「やっぱそうだよね~、イデアでしょ?」
不意に耳に入って来た名前に思わず動きを止める。そこそこ混雑している店内で、その名前だけは明瞭に聞き取ってしまうのだからすごいと思う。さり気なく視線を動かして声の主を探してみると、どうやら二つ向こうの席で向き合った女性達のようだ。テーブルには雑誌が開かれ、片方はスマホを見ながら複雑そうな表情を浮かべている。
「女の趣味変わったのかな?」
「なわけなくない? 逆でしょ。こっちがアソビ」
綺麗に彩られた長めの爪の先が雑誌をなぞった。アズールの位置からはその雑誌が何であるのかは分からない。それでも、『女の趣味』というワードに思わず反応して更に聞き耳を立てた。
「だってイデアはこの中なら絶対リドルでしょ、本命」
「わかる~。つるぺたロリ顔ね」
きゃははと声を上げた片方が大袈裟に手を叩く。断言した方は渋い顔をして友人を眺め、思い切り溜息を吐き出した。
「ロリじゃなきゃって聞いたから諦めたのにさ~」
「一時期マジで狙ってたもんね」
不貞腐れた彼女が持ち上げた雑誌には見覚えがある。数日前に献本として一冊事務所から持ち帰った、アイドル系が多く掲載されている雑誌だ。アズール達の記事は随分と小さい、カラーでもない記事だったけれど、彼女らはきっちりチェックしていたらしい。いや、たまたま見つけただけなのか。どちらにしても、イデアのファンだったらしい女性はアズールの写真を見て彼のことを思い出したのかも知れなかった。
「単なるファンでしょ。相手にされなそう」
「あー、アズールってプライド高そうだしね」
「オタク嫌いそう」
「わかる」
また二人の笑い声が響く。正直、女性から見た自分たちの印象をあまり聞いたことがなかったせいで、そんな風に見えているのか、というのは少なからずショックでもあった。とは言え、人懐こいカリムとツンデレなリドルに挟まれたら、もう天然かクールかしか振れるキャラ性はなく。ここ最近は少し意識してクール系を気取っていたのだけれど、プライドが高そう、つまり、お高く留まっているように見えてしまうのかと青褪めた。
「イデアのしゃべり方にイライラしそうじゃない? 早くしゃべれよとか思ってそう」
「それな~、アニメとか興味ないんですけどとか正面切って言いそうだよね」
そんなことは決して……なくはないのだけれど、どうしたって興味を持てないものに対しては、やんわりとお断りするようにしているし、話し方に苛立ちを覚えることも……そんなにない。最近は。何だか見透かされているような気がして途端に恥ずかしくなり、冷房で冷えてしまったカフェラテをゆっくりと飲み込んだ。
何故彼女らがアズールの写真からイデアを連想したのかというと答えは単純で、イデアがアズール推しであるということを公言しているから。事務所内でもこの件については散々検討に検討を重ねた結果、どうせライブでも目撃されてるんだし、というフロイドの一言で、じゃあいっそ公言させるか、ということになったのだ。元よりイデアは地下アイドルに詳しかったし、今更推しが一人増えたところで、というのがイデアファンの総意だったらしく、思ったよりもハレーションは起きなかった。逆に、アズールはファンの人達から「俺達が守るから」という謎の手紙をもらうことが増えたのだけれど。
「つーかアソビだったとしてもマジないよね」
「ないね。アズールもわかってんのかなー」
「アソビだって分かってなかったらヤバすぎでしょ」
そう何度も何度も繰り返されると、何だか自信がなくなってくる。イデアとは少し前からお付き合いをしていて、お互い本気で浮気もなく真剣に時間を重ねているつもりなのだけれど、実はそうじゃなかったりするのだろうか。
ちらと二人を見る。二人ともモデルでもやっていそうなくらい美人でスタイルがいい。言ってしまえばアズールの方が太く思えるくらいにすらりとしていた。何だか途端に惨めに思えて、思わず俯く。
アソビ、なのだろうか。でも流石に、緊張で息を荒げながらアズールの両手を握って「お付き合いしてください」と言った(のだと思われる、早口で噛んでしまっていて実はちゃんと聞き取れなかった)、あのちょっと血走った真剣な眼はどうしたって嘘だとは思えなかった。
「さっさと捨てた方がいいよね」
舌打ちしそうな様子で吐き捨てた女性の声に思わずびくりと肩が震える。左右される必要などない。自分たちのことを何も知らない第三者に何と言われようと、気にする必要はないのだと、頭では分かっているのにどうしても不安で心臓が落ち着かなかった。
逃げるようにそろりとイスから立ち上がり、カップを持ち上げる。彼女らの脇を通ってしか食器の下げ台に行けないのかと少し怖気づきながら、これ以上話を聞いているよりはマシかと足を踏み出した。
「ほんそれ、アズールにイデアはもったいない、絶対」
ありえん、と付け足されたその言葉に思わず足を止める。何度かメガネの奥で目を瞬かせた。
「こんっな可愛いのに遊ばれてたとかだったらマジで殺すしかない」
「イデアを?」
「イデアを」
「元推しじゃないんか」
鬼気迫る本気の眼に、片方がまた手を叩いて笑う。それを諫めるように、握った拳がテーブルを叩き、茶化すようにまた手が叩かれた。
「関係ない、今のわたしの推しはアズールたんしかおらん」
「ねえこの前の最前争奪戦どうだったん」
「負けたよ! あの三人組マジうぜえ。毎回センター取りやがって」
「三人?」
「後方彼氏面の色黒マンも最近最前に来るようになってさあ」
「ああ、カリムの? てかもうイデアと並んで観たらいいじゃん、ウケる」
「死んでもイヤ!!!! 私に向けられたアズールたんの視線ゲットとか勘違いされたら脳天カチ割るしかない」
「過激なんよ」
最早立ち尽くすしかできなかった。先刻まで彼女らは、イデアの推しがアズールであることが気に入らない、といった口調で話していたのではなかっただろうか。
プライドが高そう、とか、オタクが嫌いそう、とか。ふと、いつかにイデアが恍惚とした眼でアズールのプロマイドを眺めながら「このオタクを蔑む眼がよき……」などと宣っていたことを思い出した。もしかして、彼女らも褒めてくれていたのだろうか。アズールのことを。
いや、それよりも、アズールしかいないと、彼女は言わなかっただろうか。女の子が。同性が。アイドルをしてきて初めて、女の子に好きだと言われた。ファンだと言ってもらえた。これまではどちらかと言うと同性に嫌われる方が多くて、カリムもリドルも少しずつ女性ファンを増やしていっていた中で、アズールだけはいつまで経っても男性ファンばかりだったのに。
カップを握り締めた手が震えて、今にも泣きだしてしまいそうだ。早くカップを下げ台に置いて店を出よう。細く深く息を吸い込んで吐き出さないまま。せめて、ありがとうという気持ちだけを込めてこっそりと頭を下げた。
後日のライブにて。最前列に彼女を見つけたのが飛び上がるくらいに嬉しくて。あまりにもあからさまに彼女にばかりファンサをしていたものだから終演後帰宅した部屋でイデアが離れてくれなかったのがあまりにも鬱陶しかったので、次のファンサは少しだけ控えようと小さく溜息を吐いた。