TO麺×$ 48 何でこんなところにアズール氏が……! ていうかここにいるってことは、事務所の新体制発表会を見に来たってこと? いや、単に見に来るのにそんな衣装着る? ていうかその衣装初めて見たけどめちゃくちゃ似合っててよきですな……ではなく!
「あ、アズール氏、どうしてここに……」
「イデアさんこそ……?」
お互いにお互いの驚いた表情を見詰め合って暫し。どしんと背中に衝撃を感じて振り向くと、にやにやとも不機嫌ともつかない微妙な表情のレオナ氏が僕の顔を覗き込んでいた。
「何でもいいけど早く支度しろってさ」
くいと動かした顎が指した先にいたのは、にっこり笑顔のトレイ氏だった。あれはやや苛立った表情。流石にそのくらいは読めるようになってきた。この件はあとで、と言いたいところだけれど、一体全体どういう状況なのかだけでも知りたい。盛大に混乱した頭で見つけたのは、トレイ氏の隣でこちらを見ているケイト氏の姿だった。
「ケイトさん!」
僕がケイト氏を呼ぶよりも先に高くて可愛い声が転がる。移動中のタレント達は随分と減って、ざわめきも小さくなっていたせいでその声は妙に目立ってしまっていたけれど、そんなことを気にする余裕もないらしい彼女が僕の横をすり抜けて慌ててケイト氏に駆け寄った。
「どういうことですか、これは、」
「え~? だから言ったでしょ、大丈夫って」
しらばっくれるような態度をとってから悪戯が成功したように肩を竦めて笑ったケイト氏に、一瞬何かを逡巡したアズール氏がやがてはっとして頭を抱える。ケイト氏とアズール氏の間でどんなやりとりがあったのかは分からない。けれど、ケイト氏の『大丈夫』はいつかに僕にもかけられたそれで、恐らく似たようなことがあったのだろう。
「やられました」
「人聞きが悪いなあ」
苦虫を嚙み潰したような表情をのそりと持ち上げたアズール氏が溜息交じりに降参を告げ、けらけらと笑ってケイト氏がアズール氏の肩を叩く。初めて見た渋い表情も可愛いなあ、なんて明後日なことを考えていたら、いつの間にか隣から姿を消していたレオナ氏がマレウス氏と共にホールの方へと向かっていた。
「まあこの話はまた後でだ」
「でも、」
「イデア」
トレイ氏に名を呼ばれて、思わず口を噤む。叱るようなその声音には従わないと危険だと知っているから、もうそれ以上言い募ることはせずにしぶしぶと足を踏み出した。
この場で衣装もメイクも終わらせているということは、僕らは同じステージに立つということだ。そしてそのステージというのは、所属事務所の発表。
それは、つまり。
「今日から仲間だな!」
僕らを追い越してホールに向かったカリム氏のからりとした声が耳に響いて、頭に抜けた。背中を強めに叩いたトレイ氏に一度目をやってから、整理しきれない頭を振って、今はまずこの発表会を終わらせようと唇を引き結ぶ。ホールの入口でアズール氏と擦れ違いざまに一度だけ視線を絡ませてから、ステージの方へと目を向けた。
どうなるかなと思ったのは確か。ヴィルちゃんから事務所拡大の相談は随分前から受けていたし、そうなった時にはうちのバンドが欲しい、入れて欲しいというのはお互いに一致していたから、メンバーには内緒で移籍の準備は進めていたのだ。そんな中で、ヴィルちゃんが後輩のいるアイドルグループを誘おうと思う、と出して来たのがリドルちゃんたちのグループだった。
(……イデアくんが推してるところだ)
それが果たして、吉と出るのか凶と出るのか。こればかりは正直分からない。浮かない俺の顔に気付いたらしいヴィルちゃんが整ったその顔を少し歪めた。
「どう思う?」
「ん~、いいと思うよ。ただ、」
ヴィルちゃんが人の意見を訊くのは珍しい。それほどに慎重に進めたいということなのだろうと理解して、ならば俺も真摯に向き合うべきかとスマホに表示したアズールちゃんの写真をヴィルちゃんに差し出した。
「イデアくんの推しなんだよね。ライブも毎回通って、認知もされてる」
「あら、じゃあ好都合じゃない」
ヴィルちゃんの事務所の会議室にはバリスタマシンが設置されていて、先刻淹れたばかりのコーヒーがいい香りをさせている。上品な仕草でカップを持ち上げた彼女がコーヒーを少し口に含んでから首を傾げた。
「万が一のことがあっても事務所内で片付けられるのは便利よ」
万が一、というのが一体何を指しているのか、幾つか想像をしてから鼻を鳴らす。
例えば、アズールちゃんがイデアくんのライブに来ていたとかいうのがSNSに投稿されたとしても、事務所の方針で見学をしていたとか言えるし、例えば、リドルちゃんとトレイくんが同じアイテムを身に着けていたとかがあっても、事務所のみんなでオソロイにしたとかで誤魔化せる。それは例えば、デートを目撃されたとしても、だ。事務所の中で方針を固めさえすれば、いくらでも言い訳は作れる。
カップを置いたヴィルちゃんを見上げてゆるりと笑った。
「それは便利だね」
「決まりね」
そうは言っても、彼らに下手に接触されるのはまずい。そこは少しだけタイミングを見させてもらうこととしよう。内心そんなことを考えながら、ヴィルちゃんの今後の計画書を覗き込んで今後の方針を決めていった。
バンドの方へは俺から、リドルちゃんたちの方へはヴィルちゃんから話をすることにして、あと何組かのタレントについても声掛け担当を決め、時期の調整はまた後日としてまずは作戦内容を詰める。
あれから数ヵ月。
ステージの上で堂々と挨拶をするタレント代表のヴィルちゃんは今日も綺麗だ。正直、代表のディア・クロウリー社長はどことなく胡散臭さが勝ってしまうため、ヴィルちゃんが象徴として所属しているのは相当強い。社長も元々は名を馳せた俳優だったはずなのだけれど、表舞台から身を引いてからは正直何をしているのかよく分からなかった。まあ正直、事務所の不利益にならなければ何をしてくれていてもいいのだけれど。
あちこちでフラッシュが焚かれ、シャッターを切る音がする。壇上のタレント達はいつどの瞬間を切り取られてもいいように完璧な姿を作り上げていて、そんな中にいても決して見劣りすることのないメンバー達を誇らしく見詰めた。
「向こうも大盛況みたいっスよ」
楽しげな声に振り向くと、しし、と笑ったラギーちゃんがスマホの画面を差し出してくる。映されていたのはほぼ同時刻、別会場で実施されているネージュちゃん達の体制発表会の様子だった。
「ま、勝負はこれからってとこでしょ」
片目をつぶって答える。頷いたラギーちゃんはどこか楽しそうで、彼女もNRCのタレントの力を信じているひとりなのだと思えた。そんな風な味方はひとりでも多い方が心強い。
「ラギーちゃんも気が向いたらタレント登録してね」
「いやあ。フリーのサポートドラムで十分っすよ」
せめてスタッフとして所属してくれたら給与保証もできるのにと思うけれど、本人の意思でないのなら無理強いをすることはできなかった。
『それでは、本日の新体制発表会はこれにて終了とさせていただきます』
MC担当の所属タレントの声が会場に通り、再びシャッターを切る音がざわめく。
さあここからがスタートだとステージに目を走らせて深く吸い込んだ酸素を肺に溜め込んで下腹に力を込めた。