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    美容師パロ くだらないくらいによくある話だ。
     その日は朝からツイてなくて、大きい取引を保留にされるし、ランチに食べたかった喫茶店は閉店してしまっているし、缶コーヒーはこぼすし、散々だ。
     それもこれも伸び始めてしまった髪が悪い。ベストな長さはとうに過ぎ、後頭部も随分とだらしがなくなって来ている(と、本人だけが思っている)。けれど、少数精鋭で会社を立ち上げ、社長とはほぼ名ばかりで実務者筆頭のアズールに美容室に行く時間などなかった。増して御用達の美容室はオフィスからも自宅からも少し遠い。贔屓にしていた美容師が独立し、店を構えた場所があまり相性のいいところではなかった。
     文句を言っても仕方がない。食いっぱぐれたランチをどこで済ませようかと街中を歩き、ふと目をとめる。
     一見すると何の店だかわからない。喫茶のようにも見えるし、洋服屋のようにも見えた。オフィスビルの立ち並ぶある一角にひっそりと佇む、木造二階建て。辛うじてリフォームが施されたのであろう一階は入口以外がガラス張りになっていて、ドア横のディスプレイには、青いボディのギターが飾られている。展示物の後ろにはカーテンが引かれていて、店内の様子は分からない。ギターの横には一人がけのアンティークソファが置かれ、マネキンが腰掛けていた。その身に纏うモダン系な服装に、やはり服屋かと入口に視線を移す。そこに立てられた黒板には、美容室のメニューが記されていた。
     ここでまさかの美容室なのか。アズールは少し目を丸くして、メニューを眺める。何の変哲もない美容室メニューだ。ならば丁度いい。楽器も服もいらないけれど、髪なら是非切って欲しい。そしたら今日の午後からは運気アップ間違いなしだ。なんの根拠もないけれど。


     少し重たい木のドアを押し開けると、ガラン、とカウベルが鳴った。店内はアコースティックギターの音色がひびき、やや薄暗い印象を受ける。恐らく、左側の壁に並んだ水槽たちのせいだろう。フロアは何の変哲もない美容室。カット台が二機と、その前に大きな鏡が鎮座していた。アコギに混じってコポコポと音を立てるそれらは青い光に照らされて、幻想的に映る。
    「……あの」
     ぼんやりと水槽を眺めていると、突然店の奥から声がして飛び上がるくらいに驚いた。声の方を見ると、真っ青な髪を腰まで伸ばした細身の男が立っている。店員かと判断し、アズールは営業スマイルを貼り付けた。この場合、営業スマイルは店員である男の方がするものだろうけれど。
    「ああ、失礼しました。こちら美容室ですよね? カットをお願いしたいんですが、予約制とかでしたか?」
     こう言った隠れ家的な店は完全予約制のところも多い。先手を打ってそう聞くと、男は少し顔を歪めた。
    「いえ、別に」
    「そうですか、それはよかった! ではお願いできますか?」
     務めてにこやかにそう言うと、男はしばし考えるような仕草を見せる。そうしてから、一歩そろりと踏み出して、アズールの前に立った。
     近くで見ると酷い顔色だ。クマもかなり色濃く出ている。そもそも彼はここの美容師であるのか。本当に? そうでなければ何なのかと問われたら分からないけれど、何となく目の前に立ったその人が得体の知れないものに思えて、ぞわりと背中が泡立った。
    「あ、」
    「髪質、見てもいいですか」
    「え、あ、はい……」
     やはり辞めます、と言いかけたのは彼の声に遮られる。質問に思わず頷いてから、後悔した。髪質を見ると言うことは、髪に触れられると言うこと。この、得体の知れない男に触れられるのかと思うと寒気がした。
     思わず俯いた視界に、彼の手が入り込む。骨ばった掌はアズールのそれよりも少し大きい。指が長くて、思わずその指先に目を奪われた。
     さらり。髪を撫でられる。指で梳くようにするすると動いて、値踏みするかのようにじっと髪を見詰められた。
    「……カットはどのくらいですか?」
    「え……っと、さっぱりできたら、それで」
    「わかりました、こちらにどうぞ」
     勧められるがままに鏡の前のカット台に腰を下ろす。静かに深い男の声は何となく抗い難くて、響くギターの音色と相俟って何とも心地がよかった。


     水槽のモーターの音やポンプが呼吸をする音に酷く安心する。実家の母は金魚や熱帯魚が好きで、子供の頃から聞き慣れた水槽の音だ。
     男の指は柔らかく器用に動く。梳くように、撫でるように髪に触れられると何だか安心して眠気を誘った。
     耳元でシャキ、シャキとリズムを刻むハサミの音が霞が買った意識を更に遠退ける。今まで刃物を使われている間に眠くなることなどなかったのだけれど。今眠ってしまう訳にはいかない、と水槽に目をやった。
     青い光のそれらは自由に泳ぐ魚達をただ静かに抱擁し、慈しむように光を反射させている。実家の魚たちは元気だろうか。実家を出て数年、時折帰省しても改めて魚達を観察することもなかったアズールは、そんなことを考えた自分に少し驚いた。
     ハサミの音が止み、やや左を向いていた両のこめかみに彼の長い指が添えられる。
    「バランス見るので……前……」
    「あ、すみません」
     鏡を見ろと言うことらしい。言葉足らずと言うか、美容師はみなコミュニケーションに長けているものだと言う先入観を壊して来ている。こういう人もいるのかと言われた通りに顔を正面に向けた。
     瞬間、ばくんと音を立てた自分の体の中の何かに理解が遅れる。男が後頭部に鼻先を近付け、じと鏡越しにアズールを真っ直ぐに見ていた。最早顔色が悪いと言った方がいいくらいの色白と、眉は下がり気味なのに切れ長の目、三白眼。クロムローズイエローの瞳とぶつかって、息が詰まる。
    「……めがね」
    「は、あっ、忘れてました……」
    「僕も、すみません」
     顔にかかるサイドの方にはまだ触れていなかったから忘れていた。一瞬彼が離れて、漸く深呼吸ができる。さっきの衝撃は何だったのか。分からないまま、戻った彼が差し出してきたメガネケースにメガネを預けた。
     渡してしまうと世界が曖昧になる。逆に彼の顔を、眼をはっきりと見なくていいのなら助かるなと安堵した。
     サイド、前髪、後頭部はバリカンを使って。さすがに先刻の動揺で完全に覚醒したアズールは手際よく整えられて行く髪を見ながら感心する。行きつけの美容室よりも早くて上手い気がした。
    「サイド、残していいですか」
    「え、ああ、はい」
     伸び放題になっていたサイドは顎まで到達しそうなくらいで、邪魔だなと思っていたのだけれど。左側のサイドだけ切り落とされずに残された。こうして見るとアシンメトリーなバランスがクールな印象を与えていいかも知れない。センスがいいのだなあと感心した。


     全てを終えて、椅子から立ち上がる。かなりスッキリしたし、形も良い。気持ちの問題ではあるが、午後から上り調子になれそうな気がした。
    「ありがとうございます。とてもいい」
    「あざーす……」
     賛辞に興味がないように床に落ちていたアズールの髪をちりとりに纏める姿を見て、不思議な雰囲気の人だと改めて考えた。
    「……お代を」
    「えーっと……じゃあ、三千円」
    「え? 外の看板には五千円と……」
    「あ、じゃあ五千円」
    「いい加減ですね」
    「商売でやってるんじゃないですから」
    「え?」
     商売ではないとは。だったら今アズールの髪を切ってくれたのは何なのだ。アズールの声に顔を上げた男が死んだ魚のような目で見上げて来る。
    「気に入った髪質の人だけ受けてるので」
    「へえ…………」
     ならば、アズールの髪質は合格だったということだろうか。言いながら五千円札を取り出した。
    「またお願いできますか?」
    「えっ? ……あー……まあ……」
     心底驚いた彼が、決まり悪そうに目を逸らす。曖昧な返事を聞き逃さずに、アズールはにっこりと笑って言った。
    「じゃあまた来ますね」




     店頭の看板には「イグニハイド」と綺麗な筆記体で店名がチョークで書かれていた。彼が書いたのだろうか。そう、イデアが。アズールはポケットからぴらりと名刺を引き出して、その表面を眺めた。『イデア・シュラウド』。彼の名だ。
     帰り際、ごねる彼を宥め透かしてどうにか一枚分けてもらった名刺。古そうだけれど、彼の名前さえ分かればそれで良かったから問題ない。
     次は一ヶ月後くらいか。楽しみだ。


     会社に戻ると、保留を突きつけていた取引先から検討の末、是非にと連絡があった。イグニハイドからの帰り道に見かけた喫茶店の野菜サンドは思いがけず美味しかったし、缶コーヒーの染みは、綺麗に落ちた。
     今日はいい日だ。


    KazRyusaki Link Message Mute
    2022/02/04 18:51:00

    美容師パロ

    美容師イデア×社長アズール

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