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    水中花 カリムが父の会社に「社会勉強だ」と言って放り込まれてから一ヶ月。漸くどうにか仕事のしの字が見えてきた。それでも先輩や同輩にどうにか支えられてやっとこさ。そして今日は、苦手な経理に出向かなくてはならない。書類を抱えて俯いていると、先輩に笑われた。
    「そんなに畏まらなくても大丈夫だろ」
    「でも……」
     いや、これ以上言ったら悪口になってしまう。経理部の苦手な人のこと。どんなに苦手でも人のことを悪く言うのは信条に反するし、気持ちがいいものではない。口篭ったカリムの頭を先輩の大きな手のひらが大丈夫だよと撫でてくれた。

     今日も今日とて。彼はカリムと一言も会話をしてくれなかった。できるだけにこやかに、「お願いします」と元気に言ったはずなのに、涼し気な目元がカリムを見て、ぺこりと一度頭を下げただけ。書類は問題なく受理され、そうしてまたぺこりとお辞儀をされた。
    「俺、嫌われてるのかな」
    「……もしかして、知らないのか」
     帰り道、しょんぼりと肩を落として歩いていると、隣の先輩が目を丸くする。その発言に首を傾げながら彼を見ると、口元を手で覆い隠し、ややあってから静かに話し出した。
    「あいつ、子供の頃の病気のせいで声が出ないんだよ。耳は聞こえるから話は分かるけど、返事は出来ないんだ」
     気の毒そうなトーンの彼の言葉に、頭の後ろをガツンと殴られたような衝撃を覚える。いつも、どんなに挨拶をしてもお辞儀だけで無視をされ続け、書類を出してもぺこりとするだけ。それらはみんな、カリムのことを嫌いだったからではなく、そんな事情があっただなんて。
    「……先輩、先帰ってて!」
     そうと分かればぼやぼやなんてしていられない。踵を返して駆け出して、今来た廊下を戻った。敬語使えよ、という先輩の声が聞こえた気がしたけど、もう頭の中は経理部の彼のことでいっぱいでそれどころじゃなかった。

     彼はまだ席にいた。つかつかと歩み寄って、一度喉を潤すように唾を飲み込む。
    「っあの、」
     気配に気付いてカリムを見ていた彼が呼び掛けに応じてじっと視線をよこした。緊張に震える手でスーツのジャケットの裾を握り、大きく息を吸い込む。
    「俺っ、知らなくて。声のこと。いつも挨拶無視されたと思い込んで、勝手に気分悪くなって……ごめんなさい!」
     経理部は営業部と違って随分と静かだ。カリムの声はフロア中に聞こえて、あちらこちらで手を止めて注目する気配がする。それでも、下げた頭を上げずに彼の出方を待った。
     やがて、デスクに着いたままのそこから伸ばされた手が肩に触れる。それから、目の前にタブレットが差し出された。そこに入力された文字が合成音声で再生される。
    『そんなこと言わなければ分からなかったのに』
     泣きそうな気持ちで彼の顔を見ると、困ったように眉を下げて笑われ、その柔らかな笑顔にほっとして、けれど慌てて首を振った。
    「ううん、俺が悪かったから。ごめんな、無神経に」
    『別に。気にしていませんよ』
     きっと、何度もそういうことがあったのだろう。優雅に口許を緩めた彼は心底気にしていないという風に頷く。これ以上食い下がっても失礼だと判断して、カリムは背筋を伸ばした。
    「いつもありがとう、あなたの処理は的確で早いから助かってる……ます、アズール・アーシェングロット」
     先輩に敬語を窘められたことを途中で思い出したら、変な言葉になってしまった。また目を細めて笑ったアズールが緩く首を振り、右サイドだけ伸ばした銀の髪がさわりと彼の頬をくすぐる。
    「なあ、困ったことがあったら言ってくれよ。俺でよければ手伝うからさ! な、アズール!」
     ざわりとフロアの空気が揺れた。それがどんな意味であるのか、カリムはよくわからなかったけれどアズールの釣目が一度大きくなってから、すうと細められる。それは、どこか懐かしむような。
    『ありがとうございます。心強いです』
    「おう!」
     その視線の意味を聞くまもなく、先輩が迎えに来てしまったから、その日はそれで別れた。
     アズールのことが気に入ったカリムが毎日ランチを誘いに行って、アズールが困ったようにそれに応じる。数日、数週間そんなことを繰り返している内、ふたりは社内誰もが知っているくらいに仲のいい同僚になった。

     あの時に懐かしい目をしたのは、むかしの友人にカリムが似ているからなのだとアズールは言った。ランチだけでは飽き足らず、互いが見付けてきたレストランを紹介しあい、一緒に食事をとる。そんな中で、ふとそんな話を差し出され、カリムはロメインレタスと共に飲み込んだ。
    「むかしって? もう友達じゃないのか?」
    『どうですかね』
    「? 引っ越しちまったとかか?」
    『似たようなものです』
    「じゃあ大丈夫だよ。きっと相手もアズールのこと友達だと思ってるよ。これからもずっと」
     根拠なんてないけれど。自分に似た人であればそう考えるに違いない。それが根拠だ。断言したカリムに、アズールはまた肩を揺らす。やはり似ているとでも思っているのかも知れない。
     こうして笑うと、吐息なのか微かな音なのか、掠れた声のようなものが聞こえることに気付いたのはごく最近だ。その日、それがどうしても気になったカリムは、遂にそこに触れてみることにした。
    「嫌だったら答えなくていいんだけど……アズールの声はもう戻らないのか?」
     シャンパングラスを傾けていた手が止まる。いつか来るだろうと思われていたかも知れないその質問に、アズールはグラスの中のシャンパンをゆっくりと回した。
     それからおもむろに問いかける。
    『カリムさんは、人魚姫の童話をご存知ですか?』
    「知ってるけど……」
    『実は、僕の声は海の魔女に捕らわれているんです』
    「………………え?」
     流石に突拍子もないその話に間の抜けた声が漏れた。高級レストランはテーブル同士の距離が遠く、近隣に会話を聞かれることはまずない。もしもおかしな話をしていたとしても、訝しまれることはないということだ。
     全く意味がわからずに、それでも一応しばし考えてみる。声を取られたということは、彼はその「海の魔女」も何らかの取引をしたということになるのだろうか。
    「声の代わりに何を求めたんだ?」
     鵜呑みにした訳でも、無下にした訳でもないカリムの回答に満足気な海の瞳が微笑む。
    『命ですよ』
    「……声はもう戻らないのか?」
     最初の質問に戻した。いのち、というのは冗談にしてもあんまりに重たくて、カリムには受け止めきれないと思ったからだ。ふと泳いだ視線がテーブルに置かれた水中花に止まる。
    『ある人に、出会えたら』
     水に揺蕩う花弁を見る目が遠かった。何かを思い出すような、何かを忘れようとするような。綺麗に伸びた背筋が逆に作り物のようで、カリムは知らず喉を鳴らした。
    『25歳までに、心の底から愛している人に出会えたら、その時は』
    「声が戻るのか?」
     食い気味に体を乗り出したカリムに、アズールがにこりと笑う。なんだ、人探しか。ならば造作もない。探偵や興信所を使えばきっとすぐに見付かって、そうしたらアズールの声も元に戻って、彼の好きな人ともいられるようになるということだ。
    「俺が探してやるよ! 名前は? わかってるのか?」
     胸を張ったカリムを見たアズールの眼がどこか冷たいような気がする。もしやどこかで選択肢を間違ったのかと思って背中を冷や汗に濡らした。けれどそれはすぐに失せ、アズールの細い指がタブレットに触れる。
    『――――』
     例えるなら、ノイズが走った上に耳鳴りが鳴ったような。タブレットを覗き込むと、そこには見たことも聞いたこともないような文字が羅列され、スピーカーにセットされていた。その文字列が、今の音だというのか。一体、今のは。
     血の気が下がるのを感じる。薄ら寒い気配がどこから来ているのかは分からなかった。けれど、足元から背中から、耳の後ろから。いま振り向いたら何か恐ろしいことが起きるのではないかという不安がじわりじわりと肌の表面を侵食して這い上がってくる。冷や汗が止まらない。
    『難しいんです、見付けるの』
     場違いなほどにぱっと笑ったアズールの笑顔が柔らかく華やかで、メガネの向こうで睫毛が瞬いた。
    『なので、何かお願いできることがあったら相談させてください』
     ね。
     首を傾げたアズールはいつもの彼であったけれど、どこか何かをかけ違ったような、微妙な違和感に、カリムは視線を落とした。頷いたのか、俯いたのか。それは自分でも分からなかった。



    KazRyusaki Link Message Mute
    2021/12/18 22:16:54

    水中花

    イデアズ。いつかの来世のアズールとカリム

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