魔法の本自社の会議室での打ち合わせが終わった頃を見計らったようにポケットの中でスマホが震えた。ちらとディスプレイを確認して、傍らにいたジェイドに一言言い置いてエレベーターホールに向かう彼らから離れる。
ひとり会議室脇の廊下に残ったアズールが通話マークをタップすると、あ、と短く声がした。もしかしたらもう何度目かのコールであったから切ろうとしていたのかもしれない。
「もしもし」
改めてそう言うと電話の向こうからも改めて声が返ってきた。
『いま大丈夫だった?』
「はい、丁度打ち合わせが終わったところなので」
『よかった』
ふひ。空気が抜けるみたいな笑い方は彼の独特なそれであるとアズールは思う。聞き慣れたそれがイデアである証明のひとつである気がして口端を少し持ち上げた。
廊下の壁に背中を預け、磨かれた靴の爪先に視線を落とす。ぴかぴかの靴先を軽く動かしながらスマホの向こうに耳を傾けた。
『古代文字の参考書知らない? 紫の表紙の、背表紙が青いやつ』
問われて、頭の後ろにその絵が浮かぶ。
既に絶版していたそれは入手困難で、アズールがその本に載っているらしいと噂があった魔法陣をどうしても見てみたいと呟いたのを覚えていたらしいイデアが、偶然手に入ったからと卒業する前に貸してくれたものだ。
言われてみれば、あれはあのままアズールの本棚にしまってしまっていたかもしれない。
「あー…ちょっと待ってくださいね」
自室の本棚を思い出す。
――壁沿いに並べた大型の本棚、ない。
――ベッドの横のロータイプの本棚、ない。
見慣れた部屋の中を頭の中で探し回るけれど、求めている青い背表紙が見当たらなかった。
ええと他には。眉を寄せて目を閉じ、スマホを持っていない左手の指先でこめかみを軽く叩く。
そもそも本棚だっただろうか。貸してもらって、私物と一緒にしない方がいいかと別のところにしまった気がする。とはいえアズールも卒業していまの住居に越した際にダンボールにまとめてしまって、そのままの可能性すらあった。
「すみません、引越しの時にまとめてしまったのかも知れません、ぱっと思い出せなくて」
『あー、なるほど、ちょっと必要になってしまいまして……』
「そうですか。そしたら今日はもうこのまま帰宅しますのですぐに探しますよ」
いくら気の置けない相手とはいえ借りたものをすぐに返さなかったうえに所在を思い出せないアズールが全面的に悪い。左手の手首に巻いた腕時計を確認してから答えた。
『申し訳〜』
「いえ、僕が悪いので……ところでイデアさん」
ジェイドたちもいなくなった会議室前の廊下はしんとしていて、イデアも静かな場所で電話をかけてきたらしく、その背後は静かだった。
爪先に投げていた視線を持ち上げてひとつ、浅く息を吐く。
「僕らお別れしてからもう二年は連絡をとっていなかったかと思うんですが、お元気でしたか?」
僅かに意地悪を滲ませた声音でそう言うと、スマホの向こうでイデアがまた空気の抜けた音で笑った。
『キミも元気そうで何より』