HOME2HLの総合裏医療を頼ったとしても、長老級を相手に負った傷は一日二日で塞がるものではない。金とリスクを惜しまなければ、すぐにでも完治する方法はあるだろうが、そんなものに手を出すのはむしろ命知らずな行為だ。愛する家族のいない、病室のベッドに横たわり続けるのは苦痛なほどに退屈な時間だが、負傷した戦士には必要な休息だ。我慢するしかない。
「K・Kさん、ちょえっす」
ノックの後、癖っ毛と糸目が特徴の少年が顔を出した。今回のMVPの一人、レオナルド・ウォッチだ。妹のために危険な都市に渡り、ライブラから支給される活動費とバイト代を仕送りし続ける、家族思いで健気な男の子。男児二人を育てているK・Kは、母性が擽られてしょうがない。
続いて、小柄なレオよりも背が高い少女が入ってきた。
「あら、レオっちに水希っち! 来てくれたのね!」
本当なら両手を広げて二人を迎えたいところだが、包帯できっちり巻かれた腕の可動域が狭すぎる。K・Kは笑顔で応じた。
「スティーブンのところには行ったの?」
日頃、腹黒だの冷血漢だの手厳しく接するK・Kだが、水希の前ではなるべく名前で呼ぶようにしている。
本人は一時的な保護者のつもりのようだが、実質父親代わりとK・Kは見なしている。そんな彼を、子どもの前で当たりを強くするのは、それが本心から嫌っているのではないとわかっていても、あまり気分のいいものではないだろう。
「行ったけど、電話中だったから……」
あの男も重傷を負ったというのに、仕事が頭から離れないらしい。いくらライブラが懇意にしている病院であっても、持ち込める機密情報は限られている。それでもできることはしないと気が済まないようだ。
「アイス買ってきたんで、冷蔵庫に入れておきますね」
「やだーありがと! 後で美味しくいただくわ」
冷蔵庫に見舞い品をしまうレオを背に、水希が控えめな視線をK・Kの身体に走らせる。
超能力を扱う彼女だが、その細い肢体に流れる血に特別な力はない。牙狩りとして吸血鬼狩りをしてきたK・Kたちと違って、吸血鬼に抗う術のない彼女は、ストムクリードアベニュー駅で戦闘をしている間、安全圏での待機を命じられていた。
記録係に徹していたチェインと同じく、どれだけ歯がゆい思いをしたことか。
にっこり微笑んで、こっちにいらっしゃいと手で促す。近寄り屈んだ背に腕を回し、軽いハグとキスを送った。
「大丈夫よん。こんなのすぐに治って、退院しちゃうんだから」
ライブラで彼女を保護して一年以上が経つが、未だに軽いスキンシップも慣れないらしい。ぎこちなく水希は頷いた。
つと、青い目が明後日の方向を見る。
「スティーブンさんの電話、終わったみたい」
「あらそう? なら顔見せてらっしゃい」
スティーブンが入院している間、クラウスの家に泊まらせているから一人ではないが、子どもを預かっているのだ。保護者として心配にもなる。
うん、と素直に頷き、水希は早々に病室を出て行った。
「便利なもんですね、超能力って」
残ったレオが、ベッドわきの椅子に座る。しばらくは、水希とスティーブンの二人だけで過ごさせてあげるつもりなのだろう。
「今の、スティーブンさんの心を読んでたから、電話が終わったのがわかったんでしょう?」
「そうね。色々と苦労もあるようだけど」
K・Kもスティーブンも、個室を与えられている。本来なら、別室にいるスティーブンの通話状況など、盗聴器でもしかけていなければわかるものではない。
念動力と精神感応力(テレパシー)。それが水希の持つ力だ。
一癖も二癖もある連中が揃う組織だが、その中でも水希の能力は特殊だ。あの若さでライブラに重宝されるのも頷けるし、同時にライブラの保護を必要とする身の上になってしまったことも、納得できる。
「あの子、すぐ心を読むから、驚くでしょう」
「いやあ、はは、もう慣れてきました」
K・Kも、最初は戸惑った。誰だってそうだろう。おいそれと他人に知られたくない内面はあるものだし、それを勝手に覗かれるのには忌避感を覚える。幸い、面白がって吹聴するような子ではなかったから、K・Kもいつしか気にしなくなったが。
本来なら、一番危機感を抱くのは、参謀を務めるスティーブンのはずだ。長年の付き合いがあるK・Kですら捉えきれない男の腹の底を、水希は難なく暴くことができる。少女を引き取るうえで見過ごせないリスクだし、K・Kが想像する以上に葛藤はあったはずだ。それでもスティーブンは、水希を保護した。
人界を脅かす異界存在と戦う中、救えなかった命はたくさんある。彼らをいつまでも引きずることはできず、かと言って忘れ去ることもできない。力が及ばなかった悔しさや痛みに慣れたとは言わないし、言いたくもないが、それでも付き合い方はK・Kもスティーブンも身につけている。
しかし、一度は取りこぼしたと諦めていた命が、再び目の前に現れる奇跡が起きたら。
是が非でも助けたくなる。二度と放ってなどおけないと、必死にもなる。「クラウスの頑固が移ったかなあ」なんて男は笑って見せたけれど、相当な覚悟があったに違いない。
「そう考えると、ちょっと意外かも」
「何が?」
「その……心を読めるって、スティーブンさんと、あまり相性が良くなさそうなイメージが」
入って半年になる部下にまで言われるのだから、あの男の胡散臭さは全身からにじみ出ているのではないだろうか。
「そうねー。水希も初めは、あんな懐いてなかったし。アタシもどうなることか、冷や冷やもんだったわよ」
「やあ、いらっしゃい」
牙狩り本部との通話を終えて、数分後。そろそろ来るかと思っていた通り、水希が見舞いにやってきた。
「すまないね、何日も家を空けてしまって。クラウスの家はどうだい」
「……落ち着かない」
「だろうな」
高級ホテル感覚で楽しむ余裕もなかったようだ。クラウスもギルベルトも水希を可愛がりたかったのだろうと、想像がついて苦笑する。
水希を保護した際、誰が彼女の面倒を見るのか話し合った中で、クラウスも候補の一人として名乗り出た。しかし彼の家は、子ども一人養う余裕は十分すぎるほどあるものの、逆に生活レベルが高すぎるということで、却下された。スティーブンもどちらかと言えば富裕層寄りの暮らしをしているが、貴族の親友よりはマシだ。
「今日は一人で来たのか?」
「レオも一緒。今はK・Kさんのところにいるけど、後で来ると思う」
「そうか」
レオがライブラに加入して、半年ぐらいになる。水希はずいぶんと懐いて、一緒にいることが増えた。レオナルドが入る前は、クズだが面倒見のいいザップが絡んだりしていたが、奴はあれでも二十四歳児だ。水希とは少々年が離れすぎている。年の近さでいえば、同性でもあるチェインがいるが、水希は彼女が苦手だ。ファーストコンタクトが最悪だったのだから、無理もない。
レオナルドは同年代で、ゲーム好きという共通の趣味があったから話しやすいと水希は言っていたが、きっと彼の人柄が大きいだろう。同い年の妹がいるという少年は、水希のことをよく気にかけてくれている。こうしてスティーブンが入院している間も、彼女が寂しい思いをしないよう、なにかと構ってくれていたに違いない。今度、ランチでも奢ってやろう。
先日の飲み会の場を思い出す。
ライブラで時折開催される交流の場に、水希も顔を出すようになった。年の近いレオナルドが積極的に参加してくれるから、出やすくなったのだろう。酒の飲めない子どもには退屈な空間かもしれないが、スティーブンの帰りを待ちながら一人で夕飯を食べるよりはましだ。子どものためとはいえ、副官のスティーブンが毎度不参加にするわけにはいかないから。
あの子、学校ではどうなの。酒を片手にこっそり尋ねてきたK・Kの声が、ふと過る。
「そろそろ試験が近かったな。勉強は捗ってる?」
「うーん……ぼちぼち」
控えめに答えているが、頭は悪くないし、学業を疎かにはするなと言い聞かせているから、大丈夫だろう。試験中に、こっそりクラスメイトの頭の中を覗くということだってできるが、そんな姑息な手を使う子どもではない。
「その……」
「うん?」
「今度、試験が終わったら、一緒にショッピング行かないかって……アメリアが」
「へえ、いいじゃないか。行っておいで」
頻繁に、ではないが。水希が学友の話をするようになった。この街にいる子どもは大抵、元紐育市民か、親の都合で移住したワケあり家庭のどちらかだ。水希のように特殊な力を持った子どもだって、何人かはいるだろう。程度に差はあれ何かしらの事情を抱えた子が大半なのだから、外界の学校より馴染みやすいのではと期待していた。
心配いらないよ、K・K。心の中で、もう一度返す。
普通の子より、ゆっくり、たくさんの時間をかけることになっても。きっと物事は、良い方向へ進もうとしている。