『顔』『顔――全国初の"レイバー隊"隊長に就任する南雲しのぶさん』
警視庁が対レイバー犯罪の切り札として警備部に設立する、特殊車両二課の小隊長として、女性ながら現場で指揮をとることになる。「レイバーを扱う部署として市民の皆さんの関心と期待は高いと思います。その声に応えられる働きをしたい」と語るその姿に気負いはない。
入庁以来、一貫して警備部に所属。「私達警察は公僕。第一に市民のための組織であることを忘れてはいけない」と自らを律するように、真面目な性格だ。その手腕にも定評があり、今回の特車二課創立に関しても「市民のニーズに応えるのが公務員の役目」と、積極的に動き、その貢献は計り知れない。増える一方のレイバー犯罪に関しては「厳しい態度で臨んでいきたい。被害などが他の機材と違って大きくなりがちなので、使う側のモラルを厳しく問います」と頼もしい言葉を述べる。
今は後を追う形で発足する予定の第二小隊隊長らと組織作りに奔走する毎日。休暇もままならないが、「後でああすればよかった、と思わないためにも、今は立ち止まりたくありません。新しいことに挑戦する以上、すべてにおいて妥協したくないですから」(文・佐伯よしの/写真・磐田雄二)
おはよう、おはようと学校中に声がこだましている。
階段を上りながら掲示板に目をやった野明は、『進路調査票は今週末までに提出すること。進路指導室』と書かれた張り紙を見て、ため息をついた。つまり、明日までには出さなくてはいけない、ということだ。由香は家政学部のある大学を志望している、といっていた。真樹は確か、札幌の観光かなにかの専門学校を考えているという。
そして、空白のままのそれの一番上になにを書くか、決めかねている自分がいた。
どうしても越えられない壁というものは、本当にあるのだろうか。ない、と言い切れない自分がほんの少しだけ歯がゆい。
とりあえず、親と相談しないと。でも、大学ってぴんと来ないしなあ。
あれこれと考えながら、教室に入って、席につこうとした途端、
「はい、これ」
突然目の前に差し出されたものに、野明は一瞬きょとんとした。
「ん?」
とりあえずまだかばんも下ろしてない。朝の挨拶すら交わしていない。しかし、由香はそんなことお構いなしに、「まあいいから」とまずそれを渡そうとする。
「なんか慌しいなあ。で、なにこの……切抜き?」
「見れば分かるよ。確か、野明んち新聞日日だったよね」
「そうだけど」
「うち、帝都なんだよね」
「で? どしたの」
「まあ、まず読みなよ。興味あるでしょ、きっと」
そういって、さらにず、とその切抜きを前に差し出してくる。勢いに押されるように、野明はその切抜きを手にとった。
「なに、伏木渡のインタビューでも載って……」
「ほら、昨日騒いでなかったから、日日には載ってなかったんだ、って思って」
好きだよね、そういうの、とさらに言葉を続ける友人の声に生返事をしながら、野明は改めてその記事を見た。
『全国初の”レイバー隊”隊長に就任する南雲しのぶさん』
見出しの下には、警察組織とは思えない、オレンジと紺の制服を着た女性が写っている。緊張しているのがこちらにも伝わってくる、ぎこちない笑顔だった。
「そういえば、野明ってレイバー好きだよねー」
じっと記事を見つめる野明の様子を見て、隣の席の真樹が、横から覗き込みながらしみじみという。
「マキは好きじゃないの? 私もああいうの好きだけどなあ。車よりも便利そうだし」
「えー、便利じゃないよー。動きとかぎこちないじゃん」
「でも、手もあるんだよ、手。例えば雪で車庫が埋まっても、レイバーなら手でどけられるじゃん。車はまず雪掻きしてからじゃないと、発車できないんだよ。面倒だべさ」
「素直に雪掻きすればいいだけと思うけど」
「それがいやだから、レイバーっていいねえ、っていってるんじゃん。ねえ、野明」
「え、う、うん」
急に話を振られ、とりあえず頷いておいた。記事を読むのに夢中で、正直話を聞いてなかったのだから返事もどこか曖昧なものになる。
「もう、適当に返事しないっ。話し聞いてないっしょ、今。由香ったらテキトーなこと言ってたんだから」
「あ、そうなんだ、ごめん」
あはは、と笑ってごまかすと、真樹は
「ひょっとして知らなかったの? レイバー隊創設、って私だって知ってるのに、野明が知らないとは意外だなあ」
「いや、知ってたよ。知ってたけど」
言いながら、もう一度記事に目を落とした。
「で、野明――」
由香の言葉は、ホームルームの開始を告げるチャイムにかき消される。と、同時に前のドアが開いた。担任がホームルームの時間に遅れることは、殆どない。
「起立ー」
日直の声が合図となって、生徒たちは足早に自分の席へと戻っていった。
『なんでくやしがるかなー。だって俺一応レギュラーだぜ? 泉も女の割には強いって。しかも本格的に始めたの最近だろ? 才能あるんだよ、それは俺が保証する』
『そりゃ泉もレギュラーだけどさ、そもそも俺男子だし』
『まあ違うだろうさ。基本的に。力仕事とかそういうのは、昔から男の仕事って決まってるんだよ』
『差別じゃねえよ。壁があるってこと。諦めるってけっこう大事だぜ? ま、どうあがいても無理なことはあるってこった』
『悲観主義じゃないって。リアリストと呼んでくれ』
『俺だって、あともうちょっと高かったらバレー部行きたかった口だぜ? まあ、ちょっと後悔はしてるけど』
『後でああすればよかった、と思わないためにも、今は立ち止まりたくありません』
「そうだよなー」
屋上で寝転がりながら、野明は先ほどの記事を反芻した。お弁当を食べ終わったあとの昼下がり。陽だまりは心地よい温かさで、満ち足りた腹の具合と相俟って、なんとも夢うつつな状態に自分を連れて行ってくれる。
いつもならちょっと目を瞑ってみたりもするのだけど、妙に気分が高ぶっている今日はそんな気にはならなかった。
「そうだ、ってなにが?」
二つ目の焼きそばパンを食べ終わった由香が聞いてくる。野明は「ん、いやあ」と口篭もる。由香はそれ以上聞こうとせずに、ただ、「ふーん」と相槌を打っただけだった。
空を、本当に綿菓子のような雲が、のんびりと横切っていく。一旦隠れた太陽がまた顔を出した頃、由香が口を開いた。
「意外だったね」
「意外?」
「女の人だったじゃん」
「ああ、そうなんだよね」
野明は、あのぎこちない笑顔を浮かべた写真を思い起こす。
「ああいうのってさ、やっぱ男の人がやるもんだと思ってたから」
野明と同じように、ぼんやりと空を見ながら由香が続ける。「きっとやり手なんだろうね、いわゆるキャリアウーマン、ってやつ。基本はやっぱ男仕事だろうしねー」
「うん……」
返事をしながら、野明はちょっとした物思いに沈んだ。
あとでああすればよかった、と思わないためにも。
――大事なのはそこなんだよね。
「この前さ」
独り言に近いつぶやきだったが、由香は「ん?」と返してくる。そのことをありがたく思いながら野明は言葉を続けた。
「東京にレイバー隊が出来るんだって、ちょっと憧れるなあ、って言ったらさ、言われたんだ。男じゃないんだからって」
「誰に」
「吉原」
「ホント? あいつもなんだかなあ。まあ、確かにそうなんだけど」
「まあともかく、吉原がいうにはさ、警察なんて男社会なんだから、女がそういう現場に出るのは難しいんだって。ほら、前に言ってたじゃん、吉原のおじさんか誰かが警察官なのにスピード違反で切符切られたって」
「そういえばそんな話もあったね」
「だから、身内に警察がいる人の話しだし、そんときなんか、納得しちゃってたんだよね」
いいながら野明はよっと体を起こす。そして軽くコンクリの砂をはたきながら、
「でも、納得するのやめた」
「なんで? 吉原の見解に反して女性がそういうことやってるから?」
野明に倣ってやはりスカートをはたきながら、由香が聞く。
「うん、それもあるのかもしれない」
言いながら互いに校舎へと歩き始めた。もう昼休みも残り少ない。
「あるんだと思うんだけど……、いや、ちょっと違うかな」
なんて言えばいいかな、と野明は少し言葉を吟味する。
「まあ、自分でやるまえから限界を決めるなんて、らしくないことしたな、って思って」
そこで一回、言葉を切った。言葉にしたら、それは案外単純なものだった。
「ともかく、やれることはやらなきゃ、って思った。その他もろもろのことは、そのあとにするよ」
由香はそんな野明に軽く相槌を打ったが、ふと思いついたように、
「ところでさ」
「なに?」
「なんで吉原の言葉に過敏に反応しちゃったわけ? 普段はそういうのあんまり気にかけないジャン」
「それが、負けたんだよね」
「負けた?」
「帰りのラーメン賭けて、待ったなし5回勝負でストレート負け。サーブのキレがいまいちでね」
「で、それで弱気になったの? なんとなく敵わないと」
「ま、そういうことだと」
「なんだ、そんなのたまたまだよ。勝負は時の運、ってね。それくらいでへこんでたら、次の大会で勝てないぞ、卓球部のエースくん」
「いやあ、そんなんじゃないってば」
「またまたあ」
「いや、ちょっと違うんだな」
野明はそう言って、少しだけはにかんだ。
「ともかく、目の前にあった壁の一部は、自分で設けた分だった、ってなんか分かったからすっきりした。ありがとね。切り抜き」
教室に帰って、机の中に置いておいたわら半紙を取り出す。
進路調査票、と書いてあるそれをほんのちょっとだけ見た後、野明はおもむろにシャーペンを取り出した。