君が消えてしまった後の話
あの朝帰って来た部隊に、青江は「主ってばさ、ちょっとポカしたみたいで政府に呼ばれて行ったよ。慌てて飛び出していったから、僕にしか会えなかったんだ。皆にお疲れ様って言ってたねえ」と伝えた。歌仙は呆れて肩を落とし、小夜は若干残念そうに眉を下げ、石切丸は静かに目を閉じて「そうかい」と返事した。
それから一月が経ったけれど、音沙汰は何もない。あの子がどうなったのかも、これからここがどうなるのかも、まだわからない。ただたまに、青江は空を見上げてみる。どこからか、「にっかり青江さん」と声が聞こえたら、すぐに手を振れるように。
「一言好きだと、言っておけばよかったんじゃないのかな? 青江」
縁側で、のんびりお団子なんて食べながら石切丸が言う。
「……んっふふ、それは野暮ってやつじゃないのかなあ」
今更口に出して言うのは、逆に照れくさいのだ。だから、あれでよかった。ああして笑顔でさよならできたのだ。あれで、十分だ。
「でも、そろそろ歌仙が痺れを切らしそうだねえ。ただでさえ『連絡がない! あの子から文のひとつもない!』って毎日喧しいのに。『文も書けない女子に育てた覚えはないよ!』なんて言ってたけど。寂しいだけだろうねえ」
「どう誤魔化すんだい、青江」
「僕は文の一つもなしに振られた男を演じるので手一杯だよ。石切丸が考えてくれないかい」
うーんと二人して青江と石切丸は空を仰いだ。こればっかりは、仕方がない。本当のことは話せないし、話してしまうには惜しい気がした。彼女と二人、秘密を守っていた日々は、何となく青江だけのものにしておきたい。
まあきっと、こんのすけあたりがうまく言いくるめるだろう。考えるのをやめて、青江は組んだ足の上に頬杖をついた。後任は決まっているといっていた。来るまでに時間がかかるだろうとも。直に、きっと通達が来る。
ひらりと纏った白装束が翻り、心地いい風が頬の辺りを撫でた。青江は気分がいいのに任せて、目を閉じる。
「主はどうなったと思う? 青江」
石切丸の問いに、青江はふふふと笑った。
「どうなったかなんて、関係ないさ。あの子はここで、しっかり生きた。そうして出て行った。そしてきっと、今は素敵な場所でにっかり笑ってるよ。それ以上何か必要かい? それ以上のことを、僕らが覚えている必要があるかい?」
泣きながら、ここで精一杯生きていった女の子のことを。それ以上の言葉で語る必要があるだろうか。そんなことしなくても、青江の心がずっと覚えているのに。
「いいんだよ、あの子も、僕たちと一緒さ。僕たちがあの子は、明るくて楽しい場所で幸せにしていると思えば、きっとそうなんだから。僕が幽霊を斬った刀だといわれている間はそうでありえるように、石切丸が御神刀としてヒトに祀られている間はそうであるように、僕らがあの子が笑っていると思っている間は、あの子はどこかで幸せにしているんだよ」
「にっかり青江」にまつわる幽霊斬りの逸話が、青江が青江たる所以。人々の心がそう思っている間は、青江は神剣にはなれないし、その代わりに実戦刀としての矜持を誇れる。人々の心が、青江をそうさせていてくれる。
だから青江は、青江の心の一番綺麗で優しい場所を、彼女にあげたのだ。あの日見送った朝焼けのような場所を、ずっと彼女のために空けておくと決めた。
「……きっとそうだね」
石切丸は静かにそう言った。さらりさらりと長い髪が揺れて、頬を擽る。いい日和だ。そういえば、もうすぐ新しい季節の花が咲くころのはず。一緒に見ると約束したから、彼女もどこかから見ているといいのだが。
本当は、もっと見せてあげたいものがあったんだよ。言葉にうまくできなかったから、本物を見せてあげたいものがたくさんあったんだよ。ヒトの身になって、綺麗だと感じたもの、君と見たかったんだよ。一緒にしたかったことも、あったけど。
ほんのちょっぴり、心がすうすうとして、鼻がつんとした。青江は目を閉じたままで息を吐く。長い間一緒にいて、泣き虫が移ったのだろうか。
「……おえ、さーん! にっかり青江さーん!」
バッと青江は目を開けた。嫌だな、感傷的になっていたら幻聴が聞こえたらしい。空を見るけれど、無論姿など見えるわけもなく。
「あっ、青江! あっちをごらん!」
ばしばしと強い力で石切丸に肩を叩かれる。痛い痛い、君もっと自分の打撃考えておくれよ。だが急かされるままにそちらを見やって、青江は目を見開いた。
なんで、どうして。
中庭の向こうから、手を振っていたのはあの子だった。後ろから歌仙が、「玄関から入りたまえ! 雅じゃない!」と叫んでいる。そんな、だって、いなくなったはずなのに。
「言ったでしょう、にっかり青江様。わたくしは正しくここから出る方法を教えただけですよう!」
「こんのすけっ?」
ひょっこりと顔を出した管狐に、青江は目を白黒とする。
「わたくしは優秀な政府のサポート管狐ですようっ! 主さまのお名前やご住所から、素性を調べるなど朝飯前っ! 主さまが本当は、事故に遭いずっと眠っていただけだと、わたくしはなから知っておりましたっ!」
「なっ、なんで教えてくれなかったんだい!」
「ええ? 主さまのお名前やらなにやらをお伝えするわけにはいきませんもん」
いやだからといって、それとなく言ってくれれば。青江が開いた口をどうしようか考えている間に、石切丸がぽんと手を打った。
「そうか、わかったよ。青江を傍に置いたのは間違いではなかったんだね。霊を斬った刀を傍に置いて霊体を弱め、ここから追い出し彼女を体に戻す必要があった、あの子を引っ張っていたのは体のほうだったんだ。やっぱり中途半端な霊体化は体が僅かに生きていたせいだったんだね」
「そうですとも! こちらに長居されたおかげでお体のほうが弱り、一時期は危なかったのですようっ! 限界まで弱まってから現世にお戻りになるし! まったく、お二人ともちっとも私の言葉を信じていらっしゃらなかったのですねえっ! ですがどなたかが強く祈ってくださったおかげで、魂が繋ぎ止められて、無事戻ってきたようですよ」
ぷりぷりと怒って、こんのすけは尻尾を振った。ええ? ちっとも理解できない。なんでこんのすけと石切丸は納得しているのだ。
「青江が祈ったんだろう?」
驚きで何もいえない青江に、石切丸が優しく微笑みながら言った。
「あの子が、幸せに笑っていますようにって。明るい場所にいますようにって。ほら、ごらんよ」
君が祈ったから、今あの子は日向にいるんだよ。
……泣くのなんて、みっともない。今まで散々「泣かないで」と言ってきたのに。笑顔が一番だって、あの子に言い聞かせてきたのに。だけど一体どうしたらいい。笑ったらいいのか泣いたらいいのか、胸にいっぱいの気持ちを、どうしたらいいだろうか。
ぱっと彼女が駆け出したので、青江も縁側から立ち上がって地面を蹴った。がばりとしがみつかれて、同時に青江も彼女を抱きとめる。紺色の制服から、お日様の匂いがした。
「ただいま、青江さん!」
「……おかえり。んっふふ、待ってたよ」
さあ一緒に、今度は別な秘密を見つけに行こう。
了