イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    きみはともだち?

     人生で、彼氏より先にセックスフレンドができてしまった。なんてことだ。
     翌朝になっても私は茫然としていた。いや、自分で返事をしたのは確かだ。けれどどうしてそうしてしまったのか後悔している。なんで、どうして。けれどスマホを見てみれば、源君から「講義のあと時間ある?」とメッセージが入っていて頭を抱えた。ある、あるけれど。大学も二年になると少し時間割の勝手がわかり始めて、適度に空き時間を入れてしまう。だから源君と同じ講義の後は空きコマになっていた。
    「三日間源君が休んだのよくわかった……」
     こんなところで理解したくなかった。私はごろんとベッドの上で寝返りを打つ。しかしそろそろ家を出なくては遅刻になってしまうので、仕方なしに上半身を起こした。一体どうしたら、昨日からそれを何度も考えているが私がどう打って出たところで、きっと源君は何も変わらないあの人当たりのいい笑顔でにこにこと待っているんだろうなと思うと脱力した。
     ひとまず大学に行こう。のろのろと私はベッドから降りた。随分ゆっくり用意してしまったので、大学の近くに一人暮らしの部屋を決めてよかったと改めて思う。
    「ありゃ、寝坊?」
     二限の古典文学基礎の教室の前で、源君は私を待っていた。開始時間五分前に到着したので、大教室はそこそこに埋まっている。空いていた後ろから二列目の端の席に座りながら「うん」と頷いた。
    「ちょっと起きるのに、手間取って」
    「君、大抵早めに来て座ってることが多かったから。僕と受けるのが嫌になってサボっちゃったのかと思った」
     あははと笑いながら源君は言う。返答に困った。  
     ルーズリーフと筆箱を出して、どうしたものか考えてしまう。やっぱりやめにしようと言うのなら、今なのでは。翌日ならばまだダメージも少ないだろう。けれど大教室で「セフレにはなれません」と口に出すのはちょっと。手元のルーズリーフを見下ろす。この間のゼミのときのように筆談でも……と思ったがその単語を紙に書くのも気恥ずかしかった。普通に生活していて接する単語じゃない。
     セックスフレンド、なんて。
    「君、今日授業いつまで?」
     源君も筆箱を出しながら、そう聞いてきた。今日はトートバッグの中にそれなりの量の荷物がある。源君は本当に必要なものしか持ち歩かないようだった。
    「あ……、このあと三限が空きで、四限で終わり」
    「そうなんだ、じゃあちょっとこの後だけ時間もらえる? 僕五限まであるから、帰り一緒にするのは難しいかな。早めに帰るんだよ。日が落ちて暗くなると心配だからね」
     源君は穏やかに言った。優しい人なのは、確かなのだろう。授業が始まったので、私は頷くだけ頷いてシャープペンシルを取った。しかし言われている内容があまり頭に入ってこない。ちらりと隣を見てみれば、源君のほうは普通に板書を写し取っていた。どうしてそんなに普通でいられるんだろう。
     私はやはり、源君のことを前よりは知っていてもまだわからないことのほうが多いのだ。シンプルにその結論に行きついて、私は息を吐いた。それも当然だ。こんな風になる一週間前までは、源君はただゼミが同じ同級生でしかなかった。「好きだから彼氏にしてほしい」と言ってくれたことを疑うつもりはないが、そこで「お互い都合がいいからセフレでいいから付き合ってくれない?」の発想に転換してしまうのはわからない。それも名案だと言わんばかりの表情だった。
     しかし、それにしたって。でももう返事をしてしまったし。うだうだと考えていたら九〇分はあっという間だった。普段は腕時計を見るたびに五分も過ぎていないことに驚く時間も、悩んでいたらこうだ。配られたレジュメやルーズリーフをしまった私と源君は大教室を出た。昼休みに入った大学はそれなりの人でごった返し始めていた。
    「今日も食堂使う? 僕はどっちでもいいけど」
     教室を出た源君が言う。でもお互い三限が空いているのだ、昼はゆっくりにしたっていいだろう。私は近くのベンチを指した。
    「少し空くの待たない? コンビニも食堂も今は混んでるし」
    「じゃあそうしようか」
     ざわざわとした学内はそれぞれ学生が昼食を摂るスペースを探して、あっちに行ったりこっちに行ったりしていた。普段はどうしていたっけ、と思い出す。少なくとも先週は、いつも通りコンビニで昼ご飯を買って適当なベンチでそれを食べていたと思う。
    「空き時間、普段は何していたの?」
     隣に座った源君が言う。私は今思い返していたことをそのまま答えた。
    「誰か空いてる友達とか見つけたら、捕まえて喋ったりしてたかな。ゼミの研究もこういうときしてたよ」
    「なんだ、じゃあ声を掛ければよかった。発表の準備一緒にできたのにね」
     源君は屈託なくそう笑った。私は鞄を抱え直し、同じ質問を源君に返す。
    「源君は、普段何してたの?」
    「僕? えーっと……何もなかったら、図書室で寝てたかな」
    「寝てた?」
     おうむ返しに聞けば、源君は頷いた。
    「静かだし、陽当たりも良くてね。退屈人あったら本もあるから。飽きたら寝ちゃえばいいし。でも今度から君のこと見かけたら、話しかけて捕まえることにするよ」
     なんだか、野生の猫みたいだ。私はふふと思わず笑った。気の向くままに日向ぼっこをして、飽きたら眠って。確かによく見れば、ふわふわした髪と蜂蜜色の丸い目をした源君は大型の猫のようだった。くりくりと源君の目は大きく、肌も白い。髪の毛だってふわふわで、背も高くて足も長いからそりゃあモテるだろうなと改めて思った。そんなこと今更、再確認したいわけではないが……。見れば見るほどわからない。
     どうしたって、源君は私にセフレなんて提案をしてきたのか。
    「それで、君僕に話したいことあるよね?」
     急に源君が確信をついてきたので、私は言葉に詰まる。やっぱり源君は不思議だ。何を考えているのかさっぱりわからないのもあるけれど、人のことをよく見ていて勘が恐ろしくいい。
    「そういうわけじゃ、ないんだけど……」
     言葉を濁して、源君から視線を逸らす。じっと視線を合わせていると、心を読まれるような気さえしたのだ。すると源君はうーんと伸びをした。
    「そう? この間の今日で冷静になって、僕とせふれになるのなんかやめようって言いたいのかなあって思った」
    「んっ」
     図星だったので私はぎくりとして肩を震わせた。一方の源君はと言えば、ふふふと笑いながら膝の上に頬杖をついて鼻歌交じりに目を閉じる。
    「君、顔を合わせたとき僕のことまた源君って呼んだから。そうなのかなって」
    「えっと……」
     その通りは、その通りだ。取り繕いようがない。私はまだ源君とそういう名前の関係になることに躊躇いがある。それは正直に伝えるべきだ。源君も私に嘘は吐いていないのだから。明け透けすぎて、少し驚きはするが。
    「正直ちょっといきなり、セ、フレっていうのは……。それから一応聞いていい? 意味わかってる?」
    「わかってるよ、流石に」
     片眉を上げて源君は言う。そりゃあ流石に……そうか。そもそも源君がよく言われる言葉なんだった。それもどうなんだろうと思いはするけれど、モテる男は辛いというやつかもしれない。
    「いたことあるの? せ……セフレ」
    「うーん、難しい質問だね」
    「ど、どこが?」
     いるかいないかではないのだろうか。源君は頬杖をついていた体を起こして、今度は壁に寄りかかった。
    「最初に全部喋っちゃった方がいいだろうから言うけど、僕女の子に振られたの君が初めてなんだよ」
    「あ、そう、なんですか」
     思わず敬語になってしまった。それ以外どうしたらいいかわからなかった。どういう反応が正解なのか、源君の前にいると全くわからなくなる。
    「自分から好きだって言ったのも初めてだけど、振られちゃったのも初めて。これ言うとねえ、弟にすごく怒られるんだけど。僕にとって女の子って向こうから来てくれるものだったんだ」
     ただそうだという事実を述べただけの淡々とした口調で、源君はそう言った。自慢なんかでも、別にそれを良いとも悪いとも思っていない。そうだからそうだと、研究成果を発表しているような話し方だった。
    「世の男の人が聞いたら羨みそうな話だね」
     一応の相槌を打てば、源君は首を傾げる。
    「そうかな。どんなに女の子が好きだって言ってくれても、自分が好きな女の子に好かれなかったら意味ないんじゃない?」
     身も蓋もない。私は閉口した。
     でも、それはむき出しの言葉だったけれど理解はできる。私だって、できるなら自分が好きになった人に好かれたかった。そうだったら、一番嬉しかったに違いないだろう。何がいけなかったんだろうと、どうしてだろうと、ずっと考えることもなかっただろう。
    「でもそういう女の子の中にたまにいたよ、僕に『せふれでもいいから』って言ってきた子。そのときには何でそんなこと言うのか全然わからなかったなあ。あんまり興味もなかったし。ただ、この子はそう思うんだろうなって。僕にとってはそれだけのことだったんだ。変だとは特に思わなかった、わからないだけで」
    「そ、それでその、セフレ? いたことがあるんだ……?」
     源君は微妙な笑みを浮かべた。これはほぼイエスと取っていいだろうか……。はは、と乾いた笑いが出た。すると源君はやや焦って体を起こす。ガタンとベンチがやや揺れて音を立てる。
    「だけどね、長続きはしないんだよ。こんな弁解しても意味ないの分かってるんだけど」
    「あ、うん……」
     意味がないと自分で言うだけあって、源君はそれ以上言い訳も何も取り繕いもしなかった。本当に正直な性格のようだ。肩を竦めた源君は苦笑しながら続ける。
    「僕はその子のこと何とも思ってあげられないから。女の子は柔らかくて可愛いし、好きだけど。その子が欲しいのはそういうことじゃないだろう? そうするとね、向こうからもういいって言われちゃうんだよね」
    「……そうなるだろうね」
     そちらの気持ちなら、私にもまだ理解ができる。
     自分に絶対振り向くことのない相手の一番傍にいるのは、あまりにも愚かで、苦しい。
    「ま、そういう愚か者に僕も仲間入りするんだけどね」
     ふざけたような口調で源君は言った。源君の顔は笑っていたけれど、私はどうにも笑えそうにはない。どうしてそんなこと言えるのだろう。辛いのがわかっているのに、そこまで理解していてどうして。
     私が黙っていたせいか、源君は困ったように眉を下げて口を開く。
    「そうは言ってもね、昨日も言ったと思うけど、変に身構えなくても、僕は君が嫌がるのにどうこうするつもりないから」
    「どうこうっていうのは、えーっと」
    「口に出したほうがいい? セッ」
    「いや結構です」
     ここは大学の廊下なのだ。それも昼休みになったばかりの、真昼間の。そんな単語出さなくていい。正直こんな話をしているのも気が引けるくらいなのに。ある程度学内がざわめいていて、周囲に誰もいないおかげで紛れているだけで。
     いや……そういう関係になろうと言うのはやっぱり間違っている気がする。源君は悪い人ではないと思う。たぶん優しい人だ、少しずれてはいるけど。このままちゃんと話していれば、友達にはなれるだろう。おそらく、お互いのことを知っていけば。だからこそ余計に、今そんな関係になってはいけない気がする。
    「その名前じゃなくても、友達じゃ、だめなのかな。普通に、友達じゃ」
     連絡先も交換したのだし、同じ講義を取っていることも分かったのだ。わざわざそんな、一般的に口に出せないような名前の関係にする必要ない。
     しかし源君は笑顔で首を振った。
    「ううん。無理だよ、それはだめ」
    「なんで」
     ビー玉の瞳を細めて、源君はそれでも笑う。口元は緩んでいるけれど、目元は確かに笑みなのだけれど。それでも正確にそうだと言うには躊躇うような、不思議な表情だった。
    「だって、僕今ならわかるから」
    「……なにが?」
    「僕に『せふれでもいいから』って言ってきた女の子の気持ち、今ならわかってしまうから」
     手首を掴んで、源君が繰り返す。痛くはない。けれど離してもくれなかった。
    「だからだめだよ。それに、君だって他に好きな人がいるのに僕に諦めろって言える?」
     源君は目を細め少しだけ意地の悪い顔をする。ぐっと私は唇を噛み締めた。
    「……私は別に、清光とどうこうなろうとは思ってないよ」
    「でも、それは君が傷つきたくないからだよね」
    「っ違うよ! そうじゃない、ただ私は」
     ただ、私は。ただ……。
     清光にこれ以上のことを望むつもりはない。それは本当なのだ。友達としての清光を失ってしまうより、このままのほうがいい。それは確かなのに、まだ胸が痛む。だから時間が解決するのを待っているのだ。それだけだ。
     けれど何か言い返したかったのに、結局私は腕を掴まれたままで黙りこくってしまった。似た者同士だ。私と源君は、どうしたってそこに納まってしまう。
    「……そういうわけだから、納得してくれないかい。せふれで」
     するりとやっと手が離れた。しかしそれは源君が諦めたのではなく、私に逃げる気がないと思われたからだ。そしてそれは、腹立たしいことに正しかった。本当に、源君は人のことをよく見ている。
    「僕は君の気持ちに付け込んでるだけだから、同じように君も僕のことは好きにすればいいよ。僕の我儘に付き合ってくれる分は。それなら対等だから、それでよしとしてくれない? 他にしてほしいことがあれば、何でも言ってね。お互い、納得してせふれになろう」
     納得して、かあ。脱力して私は壁に寄りかかった。
    「……やっぱりまだ、わかんないや、源君のこと」
     考え方も、説明されればやっと「そういう風に思うんだ」くらいで。私にとってはずっと不思議なままだ。たぶん、これからもそうだろう。
     でも、源君のほうが手を伸ばしてくる。私のほうに、何度でも。……私にはできなかったことだ。
    「そう? これで普通の友達にされちゃ、意識もされなくて癪だから。やっぱり別な呼び方のほうがいいよ」
    「癪って」
     まるで小さい子みたいな言い方だ。純粋に腹立たしいと、それだけを表現して。
    「それでさ、昨日も言ったけど、次から名前にしてくれないかい。源君じゃなくて。気が向いたらでいいから。お腹空いちゃった、そろそろ何か買いに行こうよ。もうどこも空いてると思うし」
     次から、と言われてもまだ慣れない分どうにも口に出しづらい。そもそも、女の子の友達以外を名前で呼ぶこと自体がそうそうないのだ。
     例外が清光、くらいで。……清光はこんなの知ったら怒るだろうなとぼんやり思った。口が裂けても言えない。
     よいしょと弾みをつけて源君は立ち上がった。うーんと一つ伸びをして、首を回す。ふわふわとした髪が揺れた。この際だから、気になることは全部聞いておこう。私はまだベンチに座ったままで、源君の背中に聞く。
    「源君じゃ何か駄目なの?」
    「うーん、気分転換みたいなものだよ、たぶん君も『源君』とは付き合おうって思えなくても、『髭切君』なら違うかもしれないよ。気が変わるかも」
     言葉遊びのようなことを源君が言うので、私は何となく笑った。
    「どっちも同じ人じゃない?」
     私がそう問えば、振り返って源君は笑った。
    「うん。だからね、本当はどっちでもいいよ、君が好きだって言ってくれる方なら」
     それも考えておいてね。源君は歩き出した。少しだけれど、スニーカーの靴底が絨毯敷きの廊下を擦る音が響く。
    「ほら、コンビニ? 行こうよ」
     いくらか歩いて源君が言うので、私はうんと慌てて返事をしてベンチから腰を浮かせた。
     まだ、どうしたいか源君は私に問いかけている。無理に関係を進めるのではなく、かといって引き下がるわけでもなく、どうするのかはきっと私が決めていい。どうするのが一番いいんだろう。
     結局、その日は源君と一緒にコンビニスイーツを食べた。買った新作のプリンが美味しいとかで、源君は一口分けてくれた。しかしその代わり私の買ったプリンパフェも半分食べられた。源君の一口は随分大きかったのだ。


     週に三日、私はアルバイトをしている。とはいっても別に変わったバイトではなくて、大学近くのファミレスだ。大学の近くなら移動の時間が短縮できるからと決めたのだけれど、家から少し距離が開くのだから土日はやや面倒だった。機会があれば家の近くにしようと思ってはいるが、なかなかバイトを辞める理由もない。これから大学の学年が上がって、授業が減ったらまた考えよう、そう思って二年目である。
     ファミレスは大学に近いこともあって、利用者はうちの学生が大半だった。他は通りがかりのサラリーマンが入ってくる程度。だからそう忙しくもなく、変な客もいないことがいいところだった。まあ、たまに顔なじみが来てしまうところが困った点でもあるが。
    「あれ、あんたバイトあそこのファミレスにしたの? 俺もそこ応募しようか迷ってたんだよなあ、先越されたー」
     入学したての頃、清光が言っていたのを思い出す。清光も応募すればいいじゃないと言ったなら、少し考えた後に清光は首を振った。
    「ううん、ま、別探すよ。他にもあるだろうし。大学もバイトも一緒じゃ、あんた他に友達作りづらいでしょ?」
     ……しばらく話していないな、と制服のボタンを留めながら私は思った。元々清光は別学科で、うちの大学は学部も学科も多い分だけ人数が多い。連絡を取って、時間を作らないと清光には会う機会すらないのだ。中学からの友人だから、家も今近所に住んでいるから、これまで定期的に顔を合わせていただけで。
    「ケーキ屋さんの女の子とどうなったかな」
     無理に声に出して、私はバタンとロッカーを閉じた。うまく、いっているといい。
     そこまで客入りのない店内はたまに注文に呼ばれるくらいだった。平日夜なのもある、だから店員も少ない。入れ替わりのバイトさんと少し話をしてから、私も布巾やら注文を取るハンディを持って出る。そのうちにピロピロと安っぽい電子音が来店を知らせたので、私は「はい」と返事をしてから空いたテーブルを拭く手を止めて入り口に向かった。
    「何名さまです、かっ?」
    「やあ」
     声が裏返る。そこに手を振って立っていたのは源君だった。
    「一人なんだけど、どの席に座ってもいいの?」
    「あ、はい、お好きな席へどうぞ。ど、うしてここに」
     驚いているのにマニュアル通りの接客台詞が出てくるので、二年続けてきただけあるなと思った。源君は窓際を選んでストンと座った。本来なら四人掛けの、広めの席だ。私は慌ててお水を汲むと源君に出しに行く。
    「何食べようかな、決まったら呼ぶね」
    「いや、どうしてここ、私のバイト先」
    「大学からこれだけ近くて気づかないほうが難しいよ?」
     源君は悪戯っぽく笑うとメニュー表を開いた。まあ、そうかもしれない、それは言えているけれど、実際に来るとは思わないじゃないか。ごゆっくりと裏返った声で告げて裏に引っ込む。
     なんで、どうして来たんだろう。お腹が空いたから? いや、源君も一人暮らしだと聞いたし、単純に夕ご飯かもしれない。
     そんなことを考えていると、ピンポーンとテーブルからの呼び出し音が鳴った。源君のテーブル番号だ。繰り返すようだが今日は今店員がいない。私はハンディ片手に店内に戻った。源君は広げたメニュー表を見ている。
    「はい、ご注文は」
    「ちょっと聞きたいんだけど」
    「なんでしょう」
    「こっちと、こっち、どっちが量多い?」
     神妙な顔で、源君はハンバーグのプレートとステーキのプレートを指した。
    「え?」
    「どっちも美味しそうなんだけど、量が足りるか心配なんだよね。夜中にお腹が空くと困るから。多いほうを食べようと思って」
     心底困った顔で、源君はそう言った。……だめだ、笑っちゃだめだ、一応私はバイト中なのである。声が上ずらないようにしながら、私はメニュー表を示した。
    「プラス二百円で、大盛にできます」
    「そうなのかい? じゃあはんばあぐでそうするよ。よろしくね。おやつはまた決めるから」
    「かしこまりました」
     ハンディでハンバーグ、大盛とボタンを押して注文を繰り返す。それからそそくさと裏に引っ込んだ。
     本当に、よく食べる。厨房に入ってから私はふふと笑った。食堂のときも思ったけれど、源君は大食いだ。まあ確かに、体つきもいくらかしっかりしているし……もしかしたら何かスポーツでもやっていたとか。
     出来上がったハンバーグプレート大盛を持って、私は源君のテーブルに戻る。付け合わせはライスで、それも大盛だった。温められた鉄板が熱くなっているので、それだけ気を付けるよう前置く。
    「それではごゆっくりどうぞ」
    「ありがとう。あ、そうだ、君今日何時まで?」
     テーブルの上に置かれたケースから、箸を取りだしながら源君が言う。ハンバーグなのにフォークではなくて箸なのか。
    「え、今日は十時まで」
    「じゃあ待っているね。一緒に帰ろう、夜遅いから」
     一緒に。私は面食らった。もしかして今日はそのために来たのだろうか。
    「一緒って、まだ七時過ぎだよ、十時まで三時間近くも」
     今日は平日だから、滞在時間に制限はない。だからここで待つのに問題はないとはいえ、かなり時間が空く。
    「平気。予習だとか、発表の準備できる用意も持ってきたし。もちろん君が嫌じゃなければだけど」
     源君は隣に置いたトートバッグをポンと叩いた。確かに、今日は荷物がいくらか入っているように見える。けれど……。
     ピンポーンと呼び出し音が鳴ったので、私は振り返った。別なテーブルだ。はいと返事だけ先にする。
    「じゃああとでね、いただきます」
     源君が箸でハンバーグを割る。それはとても綺麗な仕草だった。
     私はハンディで注文を取りながら、なんとなくチラチラと窓際のテーブルを見てしまう。三時間本気で、待つつもりでいるのか。そんな馬鹿な……。しかし源君はそのあとデザートにチョコレートパフェを食べ、小腹が空いたからとサイドメニューのフライドポテトを食べ、ドリンクバーのお茶とジュースと飲んで、スープバーを全制覇した。おいしそうだった。食べ過ぎだ。
    「いやあ、お疲れ様。遅くまで大変だねえ」
     十時過ぎ、源君はファミレスの出入り口に立っていた。
    「よく待ってたね源君……」
    「あはは、ゆったり過ごすのは得意なんだよねえ。発表の準備も進んだよ。お腹空いてない?」
    「うん、軽く賄いもらったから」
    「へえ、いいなあ。じゃあ帰ろう、ゆっくり休まなきゃね」
     大学の一番近い駅に二人で進む。源君は、ここから数駅離れた場所で一人暮らしをしているらしい。私の最寄りのやや手前だ。
    「通り過ぎちゃうよ、家。もう電車に乗ったから大丈夫」
     そう言えば、源君は首を振った。
    「ほんの少しだろう? 君が夜遅くに一人で帰るよりいいよ」
     もう、大学に入学して二年通っている道なのだけれど。だが源君は引きそうになかったからやめる。そうしてガタンゴトンと小さく鳴る電車に乗って、私と源君は最寄りの駅まで帰ってきた。
    「アルバイトは週に何回?」
     駅から十分の道を歩きながら、源君が言う。
    「大体三回くらいかな。……いいからね、毎回迎えに来なくて」
    「あはは」
     あからさまに誤魔化されたが、まさか週に三日通ってくるつもりじゃないだろうな。私はじっと源君の顔を見たが、源君はそうだそうだなんてぼやきながら手を叩く。
    「君、今週の土日はアルバイトある? 僕それが聞きたかったんだよね」
    「土日?」
     シフト表を思い返す。どうしても大学の授業後では短時間しか入れないため、休日のどちらかはできるだけアルバイトを入れるようにしているのだ。だから今週も例にもれずそうだったはず。
    「日曜がバイトだったかな」
     すると源君は、顔をパッと輝かせてこちらに身を乗り出す。私はその分一歩距離を取った。
    「じゃあ土曜日僕とでえとしない?」
    「デートッ?」
     また声が裏返った。今日二度目だ。私のおうむ返しに源君は頷く。
    「うん、せっかくだしと思って。遊園地、でえとって普通そういうところに行くものなんだろう?」
    「そ、うかもしれないけど、したことないからわかんない」
    「じゃあしよう、嫌? それとも何か先に予定があった?」
     反射で正直に首を振る。何もない、特に何をしようだとかは決めてはいなかった。決めていなかったけれど、源君とデートする予定も入っていなかった。嫌かと言われたらまた違うが、想定外すぎてろくに反応できない。
     私の住むマンションの下まで来て、足を止めたことで源君も家だとわかったのか首をもたげて建物を見る。それからひらりと手を振った。
    「それじゃあ、土曜日に。あ、でもまた明日も同じ講義があったよね」
    「まっ、待って、源君、どうして? どうして、バイト先に来たり、デートなんか」
     源君は静かに笑って首を回した。夜風に吹かれたふわふわの髪が揺れる。やっぱり、何度見てもあれだけの量の食べ物がどこに入ったのか、私にはわからなかった。
    「だって、僕に今できることってそれだけだからね。君と時間作って、僕のこと知ってもらうこと。もちろん、嫌なときは嫌って教えてね。ほら、早く家に上がって、もう遅いんだから。おやすみ」
     源君は、また十分歩いて駅に帰るのだろう。それからさっき通り過ぎた自分の家のある駅に戻るのだろう。
     ふうと小さく息を吐いた。どうして、とまた心の中で思う。
     怖くないのだろうか。だってもう既に一度、源君は私に気持ちを断られているのに。ぎゅっと鞄の肩紐を握る。それからやっと、私は部屋へと戻った。


     何を着ていくのが正しいのかわからずに、箪笥の前で考え込んだ。源君は「デート」と言っていたけれど、セフレとするのはデートに該当するのだろうか、わからない。そもそも彼氏がいたことのない私には、一般的にセフレと言ったらそういうことしかしない印象だけがある。それなのに、遊園地デート。いかがわしいところに誘われるよりよっぽどましだ。ましだけれど。
    「……いっか、普通で」
     行く前から悩んでいたって仕方がない。私は大学に行くときよく着る服の中から、この間源君に会ったときに着ていたのとは別なものを取る。身支度を整えて、待ち合わせをしている駅に向かった。遊園地の現地集合でもいいと言ったのに、源君が通り道だからと私の最寄りで待つと言っていたのだ。
     休日の駅前はそれなりに人がいて、私は首を回す。時計を見ると、約束のまだ十分前だった。まだ来ていないのかもしれない。スマホで「ついたよ」とメッセージを送れば、すぐに既読のマークがついた。
    「あれ……?」
    「あ、こっちだよー」
     存外近くで声がしたので私は顔を上げた。人ごみの中で、左右に振られる大きな手が見える。一歩二歩、そちらに近寄れば源君が花屋の前で屈みこんでいた。それも、何故か花束を掴んでいる。
    「おはよう、これあげるね」
    「えっ?」
     源君が手にしているときは普通のサイズに見えたのに、実際差し出されると存外大きめのものだった。一気に視界が緑とピンクと白の何かで埋まる。それからふんわりと甘い香りもした。
    「弟が花を買って行けって言うんだよ。初めて好きなことでえとするんだからって」
    「花っ? 弟さんも何参考にしたのっ?」
     確か受験生だと聞いたが、まさか自分の初デートでもそうしたのか? 頬の筋肉が引き攣るのがわかった。大きい、ピンクの薔薇と小さな白いカスミソウの花束。確かに女の子向けのそれ。しかし源君がこんなの全部選べるのだろうか。無造作に抱えて、花屋の前にしゃがみ込んでいたような人が。
    「ふ、ふふ、源君が選んだの?」
     そう聞けば、源君はううんと首を振った後に薔薇だけ指し示す。形の整った爪だった。
    「全部はわからなかったから、その大きい桃色のだけ。可愛かったからね、君は好きかなって。後はお願いしちゃった」
    「あはは、そっか、ふふ、うん、ありがとう」
     香りが豊かな薔薇は持っただけでいい匂いがした。いや、いやしかしだ。
    「源君、これ持って遊園地に行くの?」
    「……ありゃ」
     そこに至ってやっと、源君はこの花束のちぐはぐさに気づいたらしい。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、あははと笑いだす。
    「そこまで考えていなかったよ。確かに邪魔だねえ」
    「邪魔だねえって、自分で買ったのに」
     結局、その花束はロッカーの中に入れることになった。萎れてしまわないか少し気になったが、源君が「長持ちする薬入れてくれたって」と言うので、そっかと答えて仕舞いこむと源君が鍵を閉める。大きな数字の書かれたタグを摘まむと、源君はそれを私の手のひらに乗せた。
    「はい、帰るときに忘れないでね」
    「うん、わかった。ありがとう」
     私の最寄り駅から遊園地までは電車に乗って少し。休日の、しかし集合をゆっくりにして人が多い時間を避けたので電車には並んで座った。
     ガタンガタンと僅かに揺れる車内で、黙って隣同士にいるとなんだか大学の授業を受けているような気持ちになる。源君とは普段、こうしていることのほうが多いのに。休みの日で、キャンパスの外で、今は遊園地に向かっている。
     なんだか、不思議だ。
    「あ、そうそう、君に渡さなきゃいけないものがあってね」
    「え、何を?」
     急に話しかけられて見てみれば、源君はごそごそと鞄の中を漁っていた。今日の荷物も最低限だ。小さいボディバッグには財布くらいしか入っていなさそうである。そこからメモ書きのような、源君はたたまれた紙を出す。
    「あった、これこれ」
    「何、これ」
     無造作に折られたそれは、一番上に源君の名前、その下には数値がつらつらとある。何かの、検査結果のような。それはわかるけれど……。
    「それねえ、僕の血液検査の結果」
    「えっなんで」
    「一応、病気してないよって。わかったほうが安心だよね」
     病気、何の。もう一度その紙切れを見直してみれば、梅毒、クラミジ、これは。
    「せっ、性、病」
     そこにはいつか保健体育で習った病名が並んでいた。ついでにその隣にマイナスの記号。つまり陰性ということか。顎が外れそうになっている私を余所に、源君はにこにことして検査結果を指さす。
    「何もかかってなかったよ。まあ僕も一つも心当たりなかったんだけど、弟がこれまでのこともあるし、誠意を示したほうがいいって」
    「お、弟さんの教育どうなってるの? ちょっと方針考え直した方がいいよ」
    「そう? まあとにかく、それは君にあげるね」
     ほしくない、とは思ったが突っ返すわけにもいかず、「ありがとう……」と小さく返して鞄にしまった。遊園地に、これから一緒に行くセフレの性病の検査結果を持って行くのか……どうして。
     デートが始まる前から色々度肝を抜かれてしまった。いや、逆にこれから何も驚かないで済むのかもしれない。大体の吃驚イベントが終わったと思えば。
    「普段の休みの日は何をしているの?」
     自分にそう言い聞かせていると、急に話を振られたので気を取り直す。普段、普段……。
    「どっちかは、バイトしてることが多いかな。あとは家でゴロゴロしてたり、家事したり、特に変わったことはしてないよ」
    「おや、友達と出かけたりしないの?」
    「あー、あんまり、得意じゃないんだよね、友達作るの」
     広く浅くが苦手とでも言えばいいのだろうか。一度固定の友達を作ってしまうと、その友達とばかりになってしまって。思えばこれもよくなかったのだろう。大学にも、ある程度同じように授業を受ける子はいても、それ止まりになってしまう。そうして結局、清光といる。
     私の恋愛は、反省点ばかりだなと改めて思う。あれをすればよかった、あれをしなければよかった、ばかりで。
    「み、源君は何してるの?」
     いけない、と慌てて話題を変更する。これ以上考えてもよくない。源君はうーんと斜め上に視線をやって考えた。
    「僕もそんなに変わらないな、アルバイトしてないってだけで」
    「バイトしてないの?」
    「うん。別に無理しなくても、大学のほうに集中していいからって家からは言われてるんだけど。でも一度くらいしてみようかなあ、君もしてるんだし」
    「お、同じファミレスはやめてね」
     そう言ったのだが、源君はニコニコするばかりだった。まさか本当に応募しては来ないだろうなとやや考えもしたが、源君の行動力を考えると何とも言えない。
    「それからたまに、弟が勉強を教わりに来るよ」
    「あ、受験生なんだっけ」
    「うん。まあ、僕に教わったりしなくたって弟は大丈夫だと思うんだけどね」
    「頭いいんだ、二つ下の弟さんかあ」
     源君そっくりなんだろうか。となればきっと源君同様に女の子に人気で、人当たりがよくて、行動力がすごくて、よく食べて……? 私がそんな風に思っていると、くつくつと源君が肩を揺らして笑った。隣通しにあまり間も空けないで座っているのでそれはダイレクトに私に伝わる。
    「君がどんな想像しているかわからないけど、僕と弟はあんまり似ていないんだよ」
    「そうなの?」
    「顔の部分部分は似ているかも、よくそう言われるし。でも弟は真面目で僕よりずっとしっかりしているし、本当は僕より要領もいいんだよね。正解への最短距離見つけるのが得意なのかな。あと僕よりご飯も食べないよ。あんまり食べないから、よく持つなあって思うくらい」
     真面目で、しっかりしていて、ご飯も食べない源君の弟。全然想像がつかない。顔のパーツは似ているけど、似てない……?
    「今度機会があったら紹介してあげるね。弟も会いたがるだろうし」
     どんな弟さんだろう。少し楽しみになってきた。いやしかし、なんて紹介されるんだ。友達? 彼女ではないのだから、セフレ……? いや、それはちょっと。
     ひとまず深く考えるのはやめた。その時はその時だろう。それから一度電車を乗り換えて、また少し移動すると遊園地に到着する。何でもない風に源君が二人分入園チケットを買おうとしたので、私は慌ててそれを止めた。
    「いや、自分の分は自分で出すよ!」
    「そう? 弟が、でえとのときに女の子に財布を開かせちゃだめだって」
    「弟さん本当にどこから何を学んでるの?」
    「あはは」
     笑いながら源君はそれでも入園料を全部払ってしまった。バイトもしてないくせに……食事代は私が出そうとこっそり決める。源君は受け取った園内地図を開いてうーんと首を捻った。
    「君、何したい? 何する?」
    「どうしよ」
    「手当たり次第に行ってみようか、じゃあ右から」
     私の手を掴むと、源君は右と言ってそちらに足を向け手近に見えた列に並んだ。これは何の列なのだ。大して長いわけでもない列だ、アトラクションには思えないが何なのだろう。園内地図は、と思ったがそれは源君が持っている。
    「源君、これ何?」
    「さあ? 列ができてるなあって思ったから、なんだろうね」
     ワゴンで売っている菓子だった。わあ美味しそうと源君が言うので、私は今度はと財布を開いた。二人分ワゴンのにこやかなお姉さんからお菓子を受け取って、源君に手渡す。
    「ありがとう、いいの?」
    「入園料源君が払っちゃったから。おごってもらうわけにはいかないよ」
    「ふふ、いただきます。……ん、美味しい、君も食べなよ」
     同じものを持っているのに、源君は私の口に自分が一口かじった焼き菓子を押し付ける。香ばしいシナモンの匂いがした。ガリとそれを食めば源君は口から菓子を離してくれた。
    「美味しい?」
    「ん、美味しい、確かに」
    「ね、美味しいね。じゃあ次、右回りで行こう」
     源君がまた私の手を引っ張って右に右にと歩き出す。そうしてまた何の列だかわからない列の最後に着いた。それは今度はジェットコースターだった。
    「ありゃ、君こういうの平気?」
    「え、ま、まあ。このくらいなら……」
     ゴーッとすごい音を立てて、傍のレールをコースターが走り抜けていく。アップダウンがあるだけの、普通のジェットコースターのようだ。これで一回転されたりなんだりしたら、ちょっと厳しい。
     ……ただし、一回なら。乗るのが一回という想定だった。
    「源君、すごい、体力あるね?」
     私がやや息が上がった状態で聞けば、源君は晴れやかに笑って言った。私と違って、ちっとも疲れた様子はない。今連続してジェットコースターに三回乗ったところなのだが。
    「高校卒業するまで、剣道やってたんだ。弟と一緒に」
    「け……?」
     剣道? 剣道ってあの、防具を着て竹刀振り回すあれだろうか。
    「結構強かったんだよ。弟と二人でね、団体と個人で全国大会優勝まではいったかな。実家に全部道具とか置いてきちゃったけど」
    「優勝っ? なにそれっ」
     ものすごく強いんじゃないのか、それは。そりゃあ体力があるはずである。私より、桁外れに。あれだけたくさん食べるはずだ……。脱力する私を他所に、源君はこちらの手を引っ張る。
    「君は何かやってた? 並んでる間に教えてね」
    「な、何もやってない、何もやってないけどもうジェットコースターはいい!」
    「あはは」
     源君はまた「右回り」と楽しげに言って私の手を握り、進み始める。あは、と何故だか笑いが漏れた。どうしてだろう、でもそうしていると源君も一緒に笑い始める。いつの間にか私は引っ張られるのではなく、源君の隣を歩いていた。


     ひとしきり遊んでいたらあっという間に夜になった。最後は観覧車と源君が言うので、右回りを始めたとき飛ばした中央にあるそこへと向かう。もう日が落ちたのもあって、観覧車はきらきらとライトアップされていた。
    「お二人ですか? 可愛い彼女さんですね、今が一番園内が綺麗に見えますよ! 一周十五分です」
     乗り場を案内するお兄さんが営業スマイルを浮かべる。彼女、という言葉に私はウッと詰まった。違う、違うのだがここで違うというのもちょっと。
    「うん、可愛いでしょ? ありがとう」
     しかし源君はそんなのどこ吹く風。私と繋いだ手をちょっと上げて、お兄さんにじゃあねーなんて手を振りゴンドラに乗った。「いってらっしゃーい」といい笑顔でお兄さんは扉を閉めて外から鍵をかけてくれる。ゆっくりゆっくり、ゴンドラは上昇し始めた。
     すとんと源君は座ると、くつくつと笑う。私もその向かいに腰を下ろした。ぐら、とそのときだけゴンドラが左右に揺れる。
    「君、嘘つけないよねえ」
    「えっ、だって……」
     彼女じゃ、ない。私が口を噤むと、源君は肩を竦めた。
    「大丈夫だよ、わかってるから。君は彼女じゃない」
     すぱっと、源君は言いきった。どうにも、そのあたりの割り切りは異様にいい。
    「それでね、嘘のつけない君に聞きたいんだけど。今日、楽しかったかい?」
     源君は足を伸ばして私に聞いた。観覧車のゴンドラでは狭かったらしく、若干つかえている。コンとつま先が私の座っている席に当たった。
    「楽しいといいなあって思って、朝から頑張ってみたんだけど。どうだった?」
     頑張って、か。源君の長い足に挟まれて、私も何となく同じように両足を伸ばす。
    「久しぶりにたくさん動いたから、疲れちゃった」
    「あはは、僕も」
    「……でも楽しかった、ありがとう」
     楽しかった。なんだか色んなことで驚いたような気もするし、文句も言ったし、本当によく動いて疲れたけれど。でも同じだけ随分笑った気もする。
    「そう……よかった」
     源君も笑ってそう言った。段々と地上から離れていく観覧車は、周りにあった木を追い越して、遊具を追い越して、遠くのビルや景色を見せ始めていた。ゴトゴトと少しだけ音がする。
    「女の子と二人で出かけることってないからねえ。何したらいいかわからなかったけど。君とあれこれ言いながら遊ぶの楽しかったよ」
    「一応聞くんだけど止めなきゃジェットコースターまだ乗るつもりだったよね」
    「うん、割と好きだったし」
    「勘弁してよ、次はやめてね」
     髪は乱れるし、目は回るし、一度で十分だ。私が笑いながら言うと、源君は僅かに首を傾げて目を細めた。
    「次も来てくれるの?」
     あ、と視線を下げる。つい、考える前に言葉のほうが口から出た。
     楽でなかったと言えば、嘘になる。何も考えなくていい日は、気持ちが楽になる。時間をかけて、恋をしていた気持ちを忘れることは、きっとできなくはない。
    「……わからないや、やっぱり。源君が考えてること。そういう風に付き合うのがいいことなのかなって、そもそも、今まで一度もしたことないし」
     少しでも胸が痛む間は。そういう風に誰かと付き合いたいと考えてみたこともなかった。自分の中で納得ができていない。だから時間をかけてでも、きちんと忘れてけじめをつけるまでは、と。
     でも、いいのだろうか。そのために、源君の手を借りるのは。都合がよすぎやしないだろうか。
    「それでいいって、僕は言ってほしいな」
     ね、と源君がゴンドラの手すりに頬杖をついた。
    「次点ってことだろう? まあそれで今は我慢していてあげる」
    「……我慢って」
    「前に言ったよ。これでただの友達にされたほうが、僕は癪なんだ。その代わり約束してね、せふれは僕だけだよ。君に振られるのは一度で十分だから。次があったら今度は一週間くらい大学休んじゃいそう」
     冗談めかして源君が言うので、私はふふと口元を手の甲で押さえた。
    「そんな何人も作らないよ、そんなの」
    「ならよかった」
     いきなり立ち上がった源君が、ストンと私の隣に座る。急に重心が変わったゴンドラは若干だが揺れた。ぐらっとしたゴンドラの中で慌てて手すりを掴む。
    「うわびっくりした!」
    「あはは」
    「あははじゃないよ」
     天辺が近づいて、園内の明かりも他のビルの明かりも下になる。手すりを掴んだときに視線が外に向いたので、何となくそれを眺めた。すると肩に源君の頭が乗っかったので、首を回す。せっかくの夜景なのに、源君ときたら目を閉じていた。私より長い睫毛だななんて、その顔を見てぼんやり思う。
    「我慢するから、たまにでいいから、甘やかしてね。君の嫌がることはできるだけしないようにするから」
     ゆっくりとだが、景色が下がり始める。一周、一五分だと言っていたっけ。私はそんなことを考えていた。それなら折り返した今からなら、地上に着くのにはあと八分ないくらい。
    「できるだけなんだ」
     そう返すと、源君は目を閉じたままでふふふと笑う。
    「うん、そうしたらたまには我儘聞いてもらうことにするよ」
     源君の頭は少しだけ重かった。背が高いもんなあともしかしたら頓珍漢かもしれないことを思いながら、私は地上までの八分ないくらいを黙ってそのまま座っていた。


     もうとっくに日が落ちているからと、それでも大して遅い時間でもないが源君は最寄駅から私の家までわざわざ送ってくれた。ロッカーから取り出した花束は、包んでもらった薬のおかげかまだしゃんとしている。家に帰ったら何か瓶に入れなくては。ちょうどいいものがあったかな、なんて棚を思い返す。
    「じゃあ今日はありがとう、また月曜だね」
     今日は部屋の前まで来て、源君はそう言った。
    「送ってくれてありがとう、源君」
    「明日は休めるのかい?」
    「夕方からバイトだから、午前中はね」
     本当にしばらくぶりに随分動いたから、朝は起きれないだろうなあと苦笑いする。実はもう既に足や腰が痛い。
    「そっか。じゃあバイト先遊びに行っちゃおうかなあ」
    「えっそれはちょっと」
    「ええ? だめかい?」
     あははと源君は笑った。でもだめだと言っても源君は来るんだろうなあなんて、ちょっと思う。きっと、ここ一週間のように「やあ」なんて。
     抱えていた薔薇の花束を軽く握った。甘く香るピンクの薔薇、きちんと手入れすれば、長く咲いてくれるだろうか。そうあってほしい、できるなら。
    「……源君」
    「ん?」
     マンションの廊下の壁に寄りかかり、源君は小首を傾げる。どこまでわかっているのかわからないけれど、きっと源君は言葉にしてほしがる。そういう人なんだろうと、最近知った。
    「何度も言うようだけど、私、もう清光の彼女になりたいとか、そういうのはないの」
    「……本当に?」
    「……うん」
     それでいいと、ずっとずっと前に決めた。友達として一緒にいたい、昔からの大事な友達として。それは本当なのだ。……本当なのに。
    「それでもいいのかな」
    「……」
     私にはもう、わからない。何が正しいのか、どれだけ考えても。
     ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
    「私、源君といるの、楽しいよ」
     もしもそれで、本当に忘れられるのなら。
     源君は私が花束を握っている手を上から包んだ。温かくて、大きなそれはすっぽり私のものを覆ってしまう。
    「さっきも言ったじゃない。僕はそれでいいって、思うよ」
     コツン、と源君の額が私の額にぶつかった。視線を上げれば、にこりとした源君と目が合う。蜂蜜色の、あのビー玉の瞳だ。
    「じゃあまた月曜日ね」
     いつものようにひらっと手を振って、源君はエレベーターのほうに行ってしまう。
    「あっ、明日バイト先、来ないでね! 源君!」
    「ふふ、あそこのはんばあぐ美味しかったからなあ」
     『源君』のことを、私は好きになれるだろうか。スニーカーの走る音が遠ざかる。軽やかな、足音。
     好きに、なれるといいな。私は部屋に帰ってその花束をコップに活けた。やっぱりちょうどいい花瓶がなかったのだ。
     それを明日バイト帰りに買いに行くことが、私はちょっと楽しみだった。
    micm1ckey Link Message Mute
    2024/08/13 20:12:45

    きみはともだち?

    #髭さに #現代パロディ #刀剣乱夢
    既刊再録です。

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品