昨日目指した東の星
「ちょっとぉ! 今日の朝食当番村雲だったじゃん! 何寝坊してんの!」
「ごっ、ごめん、朝苦手で」
身支度を整えて厨の方に向かうと、何やら喧しい声が聞こえた。それにおやと彼女は首を傾げ、同時に少し笑う。暖簾を捲って中を覗き込めば、寝起きらしく跳ねたふわふわの髪をそのままにしてバタバタと動き回る村雲と、既にばっちり身なりを整えた清光とが朝食の支度をしていた。
「おはよう」
「あっ、おはよう主! ごめん今朝ごはん出すからね!」
彼女が挨拶すれば、清光が振り返ってはきはきと言った。手にはしゃもじと三人分の重ねた茶碗を持っている。どうやらお米はもう炊けているらしい。彼女は食器棚から三膳のお箸と皿を取り出した。
「ううん、大丈夫だよ、ありがとう。手伝うよ。お皿用意するね」
「うぅ、ごめん、おはよう」
半べそをかいた村雲が、フライパンから目玉焼きを移す。毎日声を掛けに行っていたときから、朝は特に顔色が悪かったから本当に起きるのが苦手なのだろう。それに平気平気と返しつつ、彼女は村雲が目玉焼きを載せた皿を厨にある大きめのテーブルに並べた。まだ大人数で食事を摂るわけではないので、彼女たちは今厨でそのまま食事を摂っている。
しかしフライパンを流しに置いた村雲は、戻ってきて食卓を見ると彼女の並べた皿を入れ替えた。自分のものと彼女の席に置いたものとを交換している。
「どうかした?」
「ううん、君のはこっちだから」
何でもないように村雲は言って、再び踵を返し冷蔵庫の方に戻る。野菜室からプチトマトなんかを取り出していた。清光も手早く配膳を進めているので、当番が寝坊したとは言っても特に問題なく朝食は摂れそうである。とはいえ三人分だけだから今はなんとかなるけれど、これで本格的に本丸の運営を始めたら厨当番はかなり責任が重いのでは……。
そんなことを考えつつ彼女はグラスに水を注ぎ、それも並べつつふと先ほどの目玉焼きに視線を落としておかしなことに気づいた。
「あれ?」
彼女の分の目玉焼きだけ、焼き具合が違う。
「……なんで私の好み知ってるんだろう」
村雲にそれを教えた覚えはない。清光にもない。偶然だろうか。しかし村雲は先ほどわざわざ彼女の皿を「君のはこっち」と入れ替えてさえいた。
「主ー、ご飯にかけるのなんかいる? ふりかけとか納豆とか」
だが疑問を覚えたのと同時に、清光にそう言われて彼女は顔を上げた。清光は既に自分用の納豆を取り出している。
「あ、平気。そのままでいいや」
「そ? 村雲は?」
「俺も大丈夫。……加州朝から納豆食べるの?」
「納豆って肌にいーんだって。美味しいよ?」
一体どこでそんな知識仕入れてきたんだか。あははとつい笑ってしまう。そして得意げにしている加州に気を取られ、彼女はすぐにその疑問のことは頭の隅によけてしまった。
やることが、ない。いや、ないわけではないが、実はもうこの彼女がこの全八回に分けられた講習動画を見るのは四周目なのである。ため息を吐きかけて、咄嗟に口を押えた。いくら何でも研修中にそんな態度はよろしくないだろうと思ったのだ。とはいえ、いつまでこの研修が続くかわかったものではないわけだから、こうして惰性で延々と見続けるのも……。
「いや、もうだめだ、休憩、雲さん休憩にしよう」
「え?」
カチリと動画を止めると、彼女は隣で本を読んでいた村雲に声を掛けた。相変わらず彼女の影法師をしている村雲だけれど、近頃は膝を抱えてただこちらを凝視するのはやめて、今日のように読書をしたり好きに寛いでいることが多くなった。
村雲の困惑を他所に、彼女は立ち上がると執務室から中庭に向けて声を張った。清光はこの時間中庭の花の手入れをすると言っていて、執務室からは座り込んで土を弄る内番着の後ろ姿がやや遠くに見えている。日除けが欲しいなとこの間言っていたので、清光には現世から持って来たつばの広い帽子を貸していた。
「清光ー、お茶にしよう! 映画見よう、一段落したら広間来て!」
彼女の声が届いたのか、清光は立ち上がるとこちらに向かって手を振った。よし、じゃあ清光が戻ってくるまでにおやつの準備をしよう。そう決めた彼女が厨と自室に向かおうとすれば、村雲は慌ててこちらに声を掛けた。
「えっ、映画? え、ねえ、君」
「雲さんは広間でお茶の準備しててくれる? 今日は冷たいお茶がいいかな。ちょっと待っててね」
確か実家から持って来たはず。彼女は村雲に言い置くと速足で部屋に戻り押入れを開けた。目当てのものを取りだすのにさほど時間はかからず、彼女が広間に着いたときには村雲がグラスとお茶の準備をし、ちょうど清光が母屋に戻ってきたところだった。天気の良い今日はやや気温が高かったからか、清光はパタパタと帽子で顔を仰いでいる。
「おかえり清光、ご苦労様。雲さんもお茶ありがとう」
「う、うん」
「主帽子ありがとー、俺も買おうかなこういうの。それよりなにー? 映画って」
不思議そうにする清光に、彼女は笑って部屋から持って来たパッケージを見せた。
「うん、これです。現世から持って来たの。清光は映画初めてだよね」
こちらに来るとき、私物の持ち込みには絶対に遵守しなければならない決まりがあった。それは名前の書いてあるものは基本的に持込不可というもの。刀剣男士は神格が比較的低い付喪神とはいえ、神の一柱でもある。だから神隠しの防止のため、名前は秘匿しなければならないということだった。だが逆を言えば、それ以外なら基本的には自由だったのだ。
それで彼女は気に入っていた服や慣れ親しんでいた寝具なんかは勿論、本やこういった映画のソフトなんかも本丸に持ち込んでいる。本丸は純和風の建築物だけれど、通信環境や電子機器に関しては現世と変わらないと説明を受けたので、それならば見られるだろうと思った。そして案の定、広間に備え付けのテレビには最初からプレイヤーが繋がっていた。
彼女に薄いケースを渡された清光は、しげしげとそれを見つめる。その間に彼女はテレビとプレイヤーの電源を入れた。
「え、なにこれ、これで何が出来んの?」
「その中に入ってるディスク、えーっと円盤でね、中に入ってる映像が見られるんだよ」
「そんなことできんのっ?」
ぎょっとして清光が言うのに、彼女はクスクスとしてパッケージを開いてディスクを見せる。そりゃあ幕末に活躍したと言う清光には珍しい代物だろう。
「うん、ほら。これで見られるからね」
「へ、へえー。すごいねー、こんな風になったんだ世の中……」
「ふふ、うん、雲さんは? これ見たことある?」
プレイヤーにディスクをセットしながら彼女は村雲に尋ねた。するとグラスに冷えた麦茶を注いでいた村雲はちらりとそれを見て頷く。
「映画じゃないけど。その丸いのは見たことある」
「そっか。じゃあ雲さんの本丸にはDVDとかプレイヤーがあるんだね」
ついでに、それらを見る人も。いや、刀かもしれないが。セットのために屈みこんでいた彼女は体を起こした。すると村雲がはいとグラスを手渡してくれる。先に渡されたそれに口を付けていた清光が、一口お茶を飲みほしてから彼女に尋ねた。
「で、それ何のえーが、なの? 主の好きなやつ?」
「うん。結構古い映画ではあるんだけど、私は好きで。あとタイムスリップ……えっと過去に戻ったりとか未来に行ったりとかするから、参考になるかなと思って持ってきたんだよね」
向こうでは名作中の名作だが、刀剣男士の清光と村雲には初めてだろう。彼女はいくらか画面を操作して、言語を英語から日本語に切り替えた。初めて見るのなら、慣れ親しんだ言葉のほうがいいに違いない。
映画が始まると、その二時間近い物語を清光と村雲はじっと見つめていた。少年が知り合いの博士の開発したタイムマシーンで過去に向かい、ひょんなことから自分の両親の馴れ初めを邪魔した結果、「未来の自分」が生まれなくなってしまうその映画。未来が変わった瞬間、清光が小さく「げ」と漏らしたので彼女は少し笑った。彼女はたまに清光が「あれ何?」だとかなんだとか聞いてくるのに答えるだけにして、できるだけ二振が集中して見ることができるようにしたかった。こういうものは、最初の感想だとか印象が大切なのだ。しかし村雲はそのあたり何も質問してこなかったので、やはり清光よりはヒトの体で経験を積み、人間社会に対しても知識があるのだろうなと彼女は思った。
持ってきたお菓子を食べ終え、お茶が入っていたグラスも空になる。映画が終わり、エンドロールが流れ始めると清光がはあと小さく息をついた。それから勢いよく彼女の方を見る。
「えっ、これで終わり?」
「ううん、実は後続きが二本ある」
「だよね、びっくりした。でも、へー! 面白いんだね映画って、俺割と好きかもしんない」
キラキラした表情で言う清光に、彼女も微笑む。自分が好きなものを清光も好きになってくれたことが何となく嬉しかった。
「うん、私も映画好きでね。向こうでよく見てたんだ。今はすごく便利になって、このディスクがなくても配信で見られたりするんだけど……ここでも使えるのかなあのサービス。今度聞いてみるね」
通信環境があると言うことは、動画配信も見られるかもしれない。彼女はうーんと首を捻りつつ、停止ボタンを押して再びディスクをケースにしまう。続編はまた今度にしよう。このまま見続けるとそれなりの時間になる。
その一方で後半は固唾を飲んで見ていた清光は、体が凝り固まったのか大きく腕を伸ばして伸びをした。「え」だとか「うそ」だとか小さく声を漏らして見ていたのを、実はこっそり横目で観察していた彼女は微笑む。思ったより楽しんでくれたようだ。
「えー、でもあんな簡単に歴史が変わっちゃたまったもんじゃないよねー。どおりで、政府からはできるだけ時代に介入するなって言われるわけね。よくわかった」
うんうんと頷きつつ、清光が「刀剣男士らしい」感想を言うのに彼女は少しおかしくなった。まあ確かに、清光の言うことには一理ある。映画ではかなり不運なめぐりあわせで主人公は自分の両親の馴れ初めを妨害してしまったわけだが、何も知らないで車に引かれそうな「目の前の誰か」を見過ごせというのは無理がある。そしてその結果「自分が生まれなくなった」という状況は不運な事故としか言いようがない。だがそのくらい、未来は不確かで頼りないものなのかもしれない。些細なことで全てがまるきり変わってしまうくらいに。
そういう意味では、やはりこの映画は審神者として参考になる作品だなあなんて彼女は思った。どんな歴史も、この映画のようにほんの少しの干渉ですべてが変わってしまうなら。出陣や遠征には細心の注意を払わなくてはならない。
そして彼女と同じように思ったのか、不意に清光が首を回して村雲の方を向いた。そう言えば、ここには例外的に「歴史を守る先輩」がいるのだ。
「ねえ、実際問題としてどうなの? 出陣してて、ああいうことってあるー?」
軽い口調で清光は尋ねる。だが村雲の方はといえば、かなり真剣な、そして神妙な表情でテレビ画面を見つめていた。
「え、なに、どうしたの。またお腹痛いの? 膝掛けいる?」
押し黙った村雲に清光は側にあったブランケットを手に取って差し出した。しかし村雲はそれを受け取ることはせず、視線を惑わせる。
「あれ……歴史を変えたことに、ならないのかな」
「え?」
清光の質問とてんで違うことを言って、村雲は困惑したようにこちらを見た。
「だって、あれ、過去で未来を教えて、撃たれることがわかってたから最後あんな風にしてたんだろ。ならあれってだめなんじゃないの?」
「え、あー、どう、なんだろ、確かにね」
想定もしていなかった質問返しに、清光は驚いて返す。だが改めて村雲から提示された疑問には説得力もあり、それには彼女も同様に疑問を覚えた。
村雲の言う通り、本来なら主人公の知り合いの博士は物語の冒頭で銃で撃たれ死ぬ運命にあった。だがそれを、過去で主人公が博士に教えてその運命を回避させた。
それは、過去改変に当たらないのだろうか。
当たり前にあの映画の内容を受け入れていた彼女は、それに対してすぐに答えを出すことはできなかった。言われてみれば村雲の言う通りのようにも思えるし、事実主人公の周囲環境は物語の最初と最後で大幅に変わったのだから過去改変と言えるのかもしれない。だがいくらか考えて、清光のほうが先に口を開く。清光は薄い唇に赤く塗られた指先を当てていた。
「でもさあ、大まかには変わってないじゃん。お父さんとお母さんは無事結婚したし、兄弟は生まれたことになったみたいだし、まあ助かってはいたけど銃で撃たれて倒れたとこまでは過去に戻る前のあの主人公が見た光景と全部一緒じゃん。でしょ? そのときの状態と、生きてる人間は大体合ってるから別にいーやってことなんじゃない?」
なるほど。清光の答えを聞いて、彼女もまた考える。清光の指摘におかしなところはないように思えた。主人公からしてみれば、博士が撃たれる瞬間までの歴史は何も変わっていない。見ていた光景は、過去に戻る前と何も変わらない。だから厳密には「過去改変」ではない……のかもしれない。少なくともそう考えるのであれば不自然はなかった。
それに政府の映像講習でも聞いた記憶がある。出陣の際万が一時間遡行軍による妨害を受け、歴史が変わってしまった場合、「完全には無理でもできるだけ大多数の人間の知る歴史に戻るように」修正を試みることが先決だと。つまりはやはり、観測できる範囲で如何に史実の通りの状態に近づけるかということを時の政府は重要視しているのだ。いわば歴史の教科書に載る年表程度の事実が死守されていれば良い、経緯がどうであれ、結果さえ史実通りなら問題ないと考えてもいいのなら、今の映画の結末でも支障はない。
「……でも、でもあの博士、生きてるよ」
小さく、村雲がそれでも呟く。それに対し彼女は「あれは映画だから」と窘めようとしてやめた。
村雲は、何かを迷っているような表情を浮かべていたのだ。映画の構造に対する、刀剣男士としての単純な揚げ足取りではない。もっと真剣に博士が生き延びたことに対して正しいのかよくないのかを決めようとしている。
「……私もよくわからないけど、でもほら、あの状態だと名のある誰かじゃなくてただの博士だし、教科書に載るような大きい歴史には大した影響がないからってことなのかもしれないよ?」
「影響?」
村雲が繰り返すのに、彼女はうんと一つ頷いた。
仮にあの博士が本来の歴史と逸れた形で生き延びていたとして、それが歴史の大きな流れに干渉しない程度の小さな影響しか持たないのだとしたら。たった一人の人間の生存くらいは大した問題にならないということなのかも。
「うん。もちろん、これは予想の域を出ないけどね。もしその人が生きていてもその後の歴史に大きな変化がないんだとしたら、歴史にとってはそういう人の一人や二人、誤差なのかもしれない。だから見逃してくれたのかも」
「……誤差」
彼女の出した結論を、村雲はやはり繰り返していた。そんな村雲が納得してくれたかどうかはわからないが、清光の方は合点の言った風で頷く。
「あー、なるほどね。主の言うことも一理あるかも。徳川将軍が一人死んだ、とかじゃないもんね」
「うん、まあ全部想像だけどね」
それにやはり当然この映画は「実際に過去改変をすることができ、かつその勢力から本来の歴史を守る勢力もある」ことを想定していない。だから全ては机上の空論なのだ。
しかし村雲はそれに是とも非とも相槌を打たず、お茶のおかわりを持ってくると厨に消えて行った。その態度にどうにも釈然としない気持ちになり彼女も首を傾げる。やはり既に実際に戦場に出て歴史を守っている村雲と、まだ実戦経験のない彼女とで意識に差があるだけなのだろうか。それならばただ、彼女の方がもっと真剣になればいいだけなのだが。
「……ねーえ、主」
「ん?」
だが彼女がそんなことを考えつつ村雲が向かった暖簾の方を見つめていると、今度は清光が声を上げる。
「やっぱあいつ、変じゃない?」
「え? 雲さんが?」
彼女がそちらに視線を向ければ、清光は厨の方をちらりと見やりつつ声を潜めた。
「だって……全然、あいつここから帰りたがらないじゃん。前からおかしいなって思ってたけど……やっぱ俺、それ変だなって気がしてさ」
がしがしと少し、清光にしてはやや荒っぽい動作で襟足の髪を掻き乱した。
「もし、もしだよ? もし俺が迷子になったりしたらさ。何が何でも本丸に、っていうかあんたの所に帰ろうとすると思うんだよね。だって俺、主の刀だもん」
「う、うん、ありがとう?」
見当違いな返答だとわかっていたが、彼女はついそう答えた。それはとても嬉しいと思ったのだ。何が何でも、必ず自分の元に帰ろうとすると清光が言いきってくれたことが。すると清光もそれを聞いて、パチパチと二度瞬きを繰り返した後にえへへと笑う。どうやら先程の珍しい粗雑な動作は照れ隠しだったらしい。
「へへ、そりゃね。……でもあいつそうじゃないんだよ」
清光は不可思議そうな、けれどどこか村雲を心配するような様子で言った。
「主がお願いしてる政府の調査が進まないのは、なんか政府の方で事情があるかもしれないけど。でもあいつ、そういう調査にも協力しようともしないじゃん。だって自分の本丸に帰るための手がかり、何にも持ってないってことはないでしょ、多分」
「それは……清光の言う通りだと思う」
「うん。俺たちと村雲は縁もゆかりもないんだから、どうしてもここに居たいってことはない、だろうし。だから帰れないっていうより、なんか理由があって帰りたくない……だと俺は思うんだよね」
なるほど、それは考えが至らなかった。彼女もまたちらりと村雲のいる厨の暖簾を見やる。
あまり考えたくないことだが、「刀剣男士」に対して良くない接し方をする審神者がいることは彼女も映像講習で知った。清光の予想が正しかったとして、帰りたくない理由は様々あるかもしれないが、最悪の場合に関しては考えておかねばならないだろう。
「……ありがとう、清光。雲さんのことは、気を付けて様子を見ておくようにするね。私はまだわからないことの方が多いから、教えてくれて助かるよ」
彼女が言えば、清光は片眉を上げて微笑んだ後に首を振った。
「んーん。俺は俺でできる見方あるし、主は主で気づくことあると思う。だから二人で何とかやってこ。村雲、いつまでもここに置いとくわけにもいかないし」
「うん……、そうだね」
村雲に関して、政府からの連絡はない。一度せっついてはみたが、「調査中」と最初と変わりない報告が返ってきただけだった。だが清光の言う通り、村雲をずっとこの本丸にいさせることはできない。村雲は迷子で、彼女の刀ではないのだ。しかし村雲とはいくらかここで一緒に暮らしたのだし、清光と喧嘩をしたときは彼女の背中を押してもくれた。だから彼女としても経験の浅い審神者ながら、できるだけ村雲にとって良い形で本丸に返すなりなんなりしてやりたいと思っている。
そのためにはやはり、村雲の現状と村雲自身がどう思っているかを正確に把握しなければ。
「おやつもお代わり、いる?」
暖簾から顔を出し、煎餅の袋を持った村雲が言う。それに彼女は笑って首を振り立ち上がった。
「ううん、そろそろご飯の用意しちゃおう。晩御飯何にしよっか」
「あ、じゃあ手伝う。朝は寝坊したし」
「本当? ありがとう、雲さん手際が良いから助かっちゃうな。じゃあ一緒に作ろう」
元々手先が器用な方なのか、それとも本丸で厨担当をすることが多いのか、村雲は料理が上手い。だからそう褒めると、村雲はパッと顔を明るくして頷いた。
「う、うん! 一緒に作る!」
「えっ、何それ狡い! 俺も主と一緒に料理する!」
「それじゃあ当番の意味なくなっちゃうね」
一緒になって立ち上がった清光と彼女は笑って厨に入る。村雲は既にいそいそと調理の準備を始めていた。当番ではないはずなのに、一番やる気があるように見えておかしい。
「何作る? お米、昼のが余ってる」
村雲が言うのに、彼女は炊飯器の中身を覗き込んだ。まあまあの量があるし、確か冷凍でもいくらか保存していたはず。
「お米あるなら手っ取り早く炒飯かオムライスかなあ」
「わかった、じゃあふらいぱん、出さなきゃ」
手早く髪を一つに結い直し、村雲は流しの下の収納を開けた。調理器具はそこに重ねておいてあるのだ。清光はそれを見て内番着に襷を掛けつつ肩を揺らした。
「あんた迷子のくせになんでもううちの厨使い慣れてんだよー」
「え……えへへ」
照れ臭そうに村雲ははにかんで肩を竦めた。
それを見て彼女はどうしても考えてしまう。村雲の審神者は、村雲が帰ってこないことに何とも思っていないのだろうか。少なくとも村雲は既に半月近くここにいるのに。
「……こんなに可愛いのに」
「え? なに?」
ついぼそりと彼女が呟けば、フライパンを手にした村雲が体を起こして振り返る。それに彼女は慌てて首を横に振った。見ず知らずの審神者の刀剣男士に「可愛い」はちょっと気が引ける。
「ううん! 作ろっか、私、具切るね」
「うん、俺も準備する」
村雲は着ていたワイシャツの袖を捲った。この本丸に所属しているわけではない村雲の衣服は、最初に迷い込んできたときの戦闘服のみ。だから清光のように内番着はなく、楽な服装をすることもできない。このままずっと、そんな状況にはしておけない。
どうするのが一番いいか、考えなくては。彼女はそう考えながら流しで手を洗った。