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    明日、恋をする君の話。


    「なんで売り飛ばしたりするって思うの? こんなに可愛いのに」
    「かっ、可愛いっ? 俺が?」
     ぎょっとして村雲が返しても、彼女は依然としてにこにことしたまま隣で村雲と同じように膝を抱えていた。
    「うん、可愛いと思ってるよ。すぐ気に病んでお腹痛くなっちゃうけど。でも案外図太いところもあるし、手先も器用だし。自分に自信がなくても、他の皆に当たったりしないで、いざとなったら仮病してでも進軍止めるくらい大事にしてくれるでしょ? それに結構頑張り屋さんだし。とっても可愛いと思ってるよ」
     挙げられた事柄はあまり可愛いに繋がるような理由だとは思えなかった。村雲は気恥ずかしくなって膝を自分の方に引き寄せる。いつもそうして惜しげもなく自分を褒める彼女のことを、村雲は不思議な人だなと思っていた。
     勧善懲悪、という言葉が嫌いだ。物事を正義と悪と、白と黒とではっきり分けるのが嫌いだ。中間ではだめなのだろうか。これにはこんな悪い点があるけれどこういう良いところもある、ではだめなのだろうか。村雲はいつもそう思っていたし、そう判断してほしいとも思ったけれど、村雲の知る限り人間は大抵白黒つけたがるほうであり、モノである村雲も例に漏れず金額という価値観で判じられた。
     世に名高い悪人の持ち物で、二束三文の値段で売られた刀。それが人間の世界で定められた村雲江なのである。
     しかし、この本丸に来てから一度も村雲はそういう扱いを受けたことがない。同じ江のものたちが人間でいう兄弟同然に接してくれるのは何となく理解できるのだが、他の刀剣も何かと親切にしてくれる。村雲は自分が名だたる刀たちと並べられるのなんて恐れ多すぎてどうにかなりそうなのだが、周りはそんなの全く気にしていないらしい。
     極めつけは、今も傍らでにこにこしている今の主である。
     人間界の価値基準で言えば、彼女はどこにでもいる人間の女性の一人なのだという。審神者になったのはもうしばらく前。適性が見つかって、時の政府に召集されたのだそうだ。だが召集されてすぐは時の政府も人材不足だの色々あって、新米の頃は大変だったと彼女はそう話したときも明るく笑っていた。
    「でも何とか無事に審神者になれたし、本丸の運営も軌道に乗って、いくらか余裕も出てきた。今は楽しいことも多いよ。もう第二の我が家かなあ」
     本丸を案内してくれたときのんびりそう言った彼女のことを、村雲はちょっと大丈夫なのかなという気持ちでいつも見ていた。
     一応とは言えないくらい厳しく、ここは戦場だった。彼女は審神者になって長いと聞くけれど、それでも戦況は一向に良くならない。村雲たちが毎日出陣しても、この戦いは終わりが見えない。そしてこの戦争が終わらないということは、彼女は審神者の任を解かれることがないということである。何か月かに一度、どこそこの審神者が殉職したという公報は政府からもたらされていた。
     それなのに彼女と来たら、いつもにこにことして明るくて。村雲が卑屈になっても、腹痛でべそをかいていても気になんてしなかった。負け犬だと言えばその都度否定し、二束三文にも首を振る。売り飛ばし先なんて探さないと根気強く言った。
    「今はもう、ここが雲さんの家なんだから。だから私は皆をどこにもやらないし、雲さんだっていつでも、何があっても、ここに帰ってくればいいよ」
     そう、彼女は笑っていた。
     だから本当はずっと、村雲は本丸に帰りたかった。
     おかえりと、あんなのは全部夢だと誰かに言ってほしかった。本丸に戻れば、江のものは皆でれっすんをしていて、清光に遠征結果を報告したらそれに合流して。あの日は確か夕飯の片づけをする当番だったから、あれが美味しかったとかこれをまた食べたいだとか、そういうことを考えながら皿でも洗っていたかった。そうして寝支度を整えたら、もし彼女が眠っていなかったなら、ちょっと勇気を出して部屋を訪ねておやすみを言って眠って、なんでもない明日を迎えたかった。
     いつだってずっと、村雲は彼女のいる本丸に帰りたかった。
     帰りたくて、帰りたくて、帰れなくて。途中何度かもうやめようと思った。このまま何も知らないふりをして最後まで彼女といれば楽になれる。転移装置から手を離せば、こんな手段思いつかなかったことにしてやめてしまえば、それで全部終わる。そうわかっていたのに。
     でもそれでも、諦められなかった。だから村雲はもっともっと前に帰ることにしたのだ。
     あと一度だけ、たった一度だけ、元気に笑う彼女に会えたなら。それが悪いことだなんて百も承知だった。だが村雲は後ろ指を指されるのには慣れている。刀剣男士として一番してはいけないことをするわけだから、村雲自身がどうなるかもわからない。だがもうどうにもならないなら最後にもう一度笑っている主に会いたい。
     だって、村雲はもう思い出せないのだ。
     いつもいつも彼女は村雲の隣で笑ってくれていて、その顔が村雲は大好きだったはずなのに。ここに帰ってくればいいと言ってくれたときの彼女をもう思い出せなくなっている。見たくもなかった彼女の真っ赤な血や、それが染みてぶよぶよとした畳の感触や、最後の力を振り絞って、過去へ飛ぶ村雲を止めようとした彼女の辛そうな目や、そういうものしか思い出せない。それが禁忌を犯そうとしている自分への罰だというのなら、仕方ないことなのかもしれない。
    「お腹痛い……」
     先程から、どこともわからない真っ暗な中を村雲は歩いている。随分ひんやりしている場所だ。手足は泥のように重たい。それも当然だ。村雲はもう何度も何度も一振で時間を遡ってきた。気力も体力も尽きかけている。一歩踏み出すことも億劫で、村雲はそのまま膝を着いた。
     もう、疲れてしまった。だが自分にしてはかなり頑張ったほうだろう。江の皆も褒めてくれるはずだ。あの日、一緒に戦えなかったけれど、かなり反則をしたけれど、主のことは守ることができた。だらりと腕を垂らす。自分の鞘に手が当たってゴトと重く音を立てた。頭は俯いたまま上げることができない。
     座り込んでぼんやりと瞬きをする。もう自分がどこを見ているかどうかさえ分からなかった。ここでじっとしていたら、どうなるのだろう。ここで力尽きた自分は本霊に戻ることができるのだろうか。戻れなかったとしたら、一体どこに、村雲は何になってしまうのだろう。
     しかし目を開けているのかいないのか、それさえわからなくなりかけたとき。真っ暗だった村雲の視界に何かが現れた。
     輪郭がはっきり取れない瞳に映る、五つに分かれた指。それはどこか懐かしいのに、ついさっき見たような気もする。
    「……ねえ雲さん、私の刀にならない?」
     ハッとして村雲は反射で顔を上げた。
    「……っ」
     何度か瞬きを繰り返す。眩しい。ただ明かりが強いだけではない。天井も、どうやら周囲の壁も真っ白なようだった。村雲は呻いて目元に手をやった。とにかく光源から遠ざかりたい。そのままごろりと横を向く。するとこの目を潰すかのような光とは真逆な、真っ黒ななにかが視界に入った。
     何度か目を瞬き、やっとはっきりと色が線を結ぶ。それは細身の黒い洋袴だった。
    「……あれ?」
    「お疲れー」
     そろそろと村雲は視線を上に向けた。すると村雲が今横になっている寝台の横、簡素な椅子に足を組んで加州清光が座っている。清光は色白の頬に大判の絆創膏を貼り、かつ額には包帯が巻いてあった。しかし真っ赤な瞳はしっかりとこちらを見ている。
    「……え? えっ、え、なにっ、加州っ?」
     どうしてここに加州がいる。
     がばりと勢いをつけて村雲は起き上がった。だがその途端に体の節々が軋んで悲鳴をあげる。なんだこれは。おまけに手足には鉛の重しがついているような倦怠感もある。目を白黒させながら村雲は再び寝台の上に蹲った。とてもじゃないが起きていられない。
    「ぅあっ、あっ、あー、なに、なにこれぇ」
     村雲が情けなくか細い泣き言を言えば、清光は長い長い溜息をつきながら足を組みなおし、更に腕まで組んだ。
    「まーしょうがないんじゃない? ぶっ続けで何回時間遡行したのあんた」
    「えっ? え、うぅ」
    「普通なら二、三日指一本動けないくらいだと思うけど、跳ね起きれたんだから平気そうねー。あんた案外頑丈なんじゃないの? お腹痛いとか言ってるけどさあ」
    「か、加州……? なんで俺、ここは?」
     相変わらず体のあちこちが言うことを聞かなかったけれど、村雲は何とか首を回して今いる部屋の中を見渡す。目はもうだいぶ慣れてきていた。
     白い天井、白い壁の洋室。村雲が今寝かされていたらしい寝台の布団や枕まで同じ色。ただ薄手の白い幕に縁どられた窓の外だけは、良く晴れているのか空が青い。今日は天気がいいようだ。ぽかんとして村雲がそちらを見ていると、清光がつらつらと喋り出す。
    「よかったねー。あんた帰ってきた時間が神がかっててさ、救援が来てー、戦闘が終わって政府の役人がバタバタ事後の確認とか始めたとき? ちょっと崩れた本丸の梁の下で疲労困憊でぶっ倒れてる状態で見つかったわけ。おかげで何にも疑われなかったしばれなかったー。ま、即入院だったけどね。俺とみんなと一緒に」
    「へ……?」
     言われている意味が全くわからない。戦闘、救援、疲労困憊。いやとにかく疲れていたのは記憶にあるが、何をどうやってここにたどり着いたのかは色々混濁している。どんどん流れてくる情報の洪水に村雲が目を回していても、清光は淡々と続けた。
    「そういうわけで、あんたはお咎めなしになりましたー。墓場まで持ってく覚悟して口裏合わせろよ。遠征帰ってきたら戦闘になってたから、とにかく戦ったとかなんとか。もし聴取があれば適当に言っといて」
    「わ、わかっ、えっ、聴取? そんなのあるの?」
    「一応だよ。よろしくねー。ここまでが報告、でこっからが本題」
     えっ、まだあるのか。
     村雲は寝台で横になったままごくりと唾をのんだ。もうだいぶお腹いっぱい、というか処理しきれていないのに。しかし清光はお構いなしにスッっと息を吸い込んだ。
    「あのねえ! ほんとに大変だったんだからね! どうせならもうちょっと細かく伝えて行けよ、俺本当に折れるかと思ったんだから」
    「ご、ごめんっ」
     訳が分からないながらに反射で村雲は謝った。清光はかなり怒っていて、包帯やら何やらで乱れた髪は更に逆立ってまでいる。思うように動かない体が震えた。清光は本丸の法である。それを怒らせたとあってはただでは済まない。
     清光は据わった目でじっとりと村雲を見つめると、低い声で言った。
    「悪いけど、俺たちの本丸極貧だから」
     極貧、とても貧しい。
     がぁんと衝撃を受ける。村雲は金銭感覚にはかなり敏感であった。
    「え、え、なんで」
    「もーありとあらゆる防御設備入れたせい! 襲撃対策もだけど防火とか監視かめら、とか、ついでに耐震? それに隠し扉とか隠し部屋とか、あと全員分の御守とか、もーやばいって、超小判使った。死ぬほど大阪城回ったし比叡山延暦寺なんてもう見たくもないくらい行ったー。設備だけなら世界最強の自信ある、うちの本丸」
     目の前がくらくらする。視界がやっとしっかりしてきたのに、村雲は目を回しそうだった。
     なるほどそうか、襲撃に備えるために設備投資をしたのか。うぅと村雲は呻いて両手で顔を覆った。それはとても正しい。最大の攻撃は防衛なのだ。砦となる本丸の設備自体が粘れれば粘れるほど、生存率は比例して上がる。
    「うー、ごめん、でも、あんまり喋んない方がいいかもしれないって、一緒に見た映画でも言ってたから……」
     村雲はまだよく回らない頭でぼやいた。だって映画で言っていたじゃないか。未来のことを不用意に知ると、どんな影響を及ぼすかわからないと。だから村雲だっていろいろ悩んだのだ。襲撃があることは伝えられても、それ以外はどの程度主に話していいのかだとか……。
     すると村雲がぐちぐち言っているのに清光がふっと笑い声を漏らした。顔に当てていた手を退けて、村雲はそちらを見る。清光は呆れたような、それでいて愉快そうな表情を浮かべていた。
    「……ま、そーだったね。それに謝るならあの子に謝った方がいーんじゃない?」
    「……え」
     あの子。
     情報の波に押し流されて何となく会話を続けていた村雲は、唐突に、そしてやっとそのことに気づいた。
     白い部屋で目覚めたこと、お咎めなしになったこと。小判の大盤振る舞いで増強された本丸の話、そしてそれらを全て語って聞かせてくれた清光が、無事に村雲の寝台の隣に座っているということ。
    「なんで、今あんたが政府の医療施設にいると思ってるわけ?」
     悪戯っぽい表情で清光がそう告げる。
     村雲は目を見開いた。
    「っどっ、どこっ!」
     先ほどまでもう二度と動かしたくないと思っていた手足を使い、寝台から跳ね起きる。見れば服装も戦闘服ではなく寝巻のようなものだった。
     清光はやや色の剥げた赤い爪で、この部屋の扉を指さす。
    「部屋出て右の階段二つ昇って突き当りー、言っとくけど会えるかわかんないからね」
    「わかったありがとうっ!」
     それから飛び出していきかけて、村雲は慌てて振り返った。勢いあまって手を掛けた扉が喧しく音を立てる。
    「あのっ、加州!」
    「なーに?」
     頭に包帯を巻き、顔や体のあちこちにも傷を手当した後のある清光が足を組んだまま椅子を傾けて村雲の方を見た。村雲は急いで、それでもきちんと呼吸を整えてから言っう。
    「ありがとう、あのっ、頑張ってくれて、ありがとう」
     パチパチと二度、清光は瞬きをした。それから組んだ腕を解いて、ひらりと右手を振る。
    「早く行って来いよ。俺達、あんたとあの頃の話するの、あんたが顕現してからずーっと待ってたんだから」
    「うん!」
     力いっぱい首を縦に振って、今度こそ村雲は病室を飛び出した。裸足のせいで、ペタペタと足音が響く。政府の医療施設の床は、本丸のように板張りではなかった。
     出て右、村雲はそのまま駆けていく。するとその音を聞きつけたのか、並んでいた扉の一つが開いてひょこりと誰かが顔を出した。紫色の髪、額には清光同様絆創膏を貼っている。五月雨江だった。
    「雲さん、目が覚めたのですか?」
     何でもない風でそう言う五月雨に、村雲はつい涙ぐんだ。五月雨にもたくさん話したいことがある。けれど今はどうしても先に行かなければいけない場所があった。仕方なしに村雲は足を止めずに走りながら五月雨に答える。
    「あっ、あっ、雨さん! ごめん、後でもう一回来るから!」
     そう声を掛ければ、五月雨は瞳を細めて微笑む。元気そうだった。
    「はい! ふふ、お気をつけて!」
     階を二つ、上に。随分遠いじゃないか。村雲は息を切らせながら階段も一段飛ばして駆け上がった。途中すれ違った医療用らしい管狐の係員に「院内は走らないでください!」と叱られる。だが今日ばっかりは許してほしい。すみませんとだけ答えて村雲はまだ走る。
     突き当りの部屋、全力疾走して荒くなった呼吸をなんとか整える。それでも逸る気持ちが引き戸の取っ手を掴んだ。病室の扉は滑らせると小さく音がして、ふわりと気持ちの良い風が部屋の中を通り抜け、村雲の顔に吹き付ける。誰かが、開いた窓の傍に立っている。
     髪を揺らして、懐かしく、先程別れたばかりのその人はこちらを振り返った。
    「……久しぶり」
     再びこちらに伸ばされた手を取るため、村雲はまた一歩踏み出した。
    micm1ckey Link Message Mute
    2024/12/30 18:56:12

    明日、恋をする君の話。

    #雲さに #女審神者 #刀剣乱夢
    新米審神者の本丸に迷子の村雲江が来た話。

    2023年6月に頒布、完売した本の再録です。

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