二度目の結婚⑥(最終話)・六章 【 ずっと一緒に 】
リックがニーガンと心を通じ合わせてから初めてのアレクサンドリアの徴収日。リックはいつものようにニーガンが運転する車の助手席に座っていた。
しかし、その様子はいつもとは違う。リックは全身に力を入れて顔を強張らせながら前方を凝視しているのだ。
「リィーック、全身が固まっちまってるぞー。」
ニーガンは運転しながらもリックに視線を向けて面白がるように笑った。
からかわれたことや笑われたことへの怒りは今のリックとは無縁だ。リックは今、とても緊張している。
緊張しているのは「ニーガンと心を通じ合わせたことをカールに報告する」と決めているからだ。ニーガンと両想いになったことを大勢に言い触らす必要はないが、我が子には話さなければならない。ニーガンへの想いに悩む自分を気にかけてくれていたのだから尚更だ。
カールは「自分は父の味方だ」と言っていたので反対されることはないと思いたいが、リックの相手はニーガンである。よりによって皆の宿敵のニーガンなのだ。報告を受けた瞬間に気持ちが変わっても不思議ではない。カールの反応がどのようなものになるのかを想像しただけで胃袋がキュッと掴まれたような心地がする。
リックが思わず胃の辺りを押さえるとニーガンが「しっかりしろよ」と呆れた。
「今から緊張してたらカールの前でひっくり返るぞ。」
「仕方ないだろ、妻の両親に結婚の報告をしに行った時と同じくらい緊張してるんだから。」
「心配するなよ。何だかんだ言ってカールは親父に甘いさ。」
ニーガンはそう言ってニカッと笑った。その顔を見ているだけでリックは肩の力が抜ける。ニーガンに言われると大丈夫な気がしてくるから不思議だ。
リックは口元を緩めて前方に見えてきたアレクサンドリアを眺める。緊張は少しだけマシになっていた。
間もなくサンクチュアリに到着し、訪問者たちを受け入れるために門が開かれた。先導する車に続いてリックとニーガンの乗る車も中に入る。サンクチュアリから来た車が町の中に次々と停車し、その車から救世主たちが降りると待ち構えていた町の皆の表情が強張る。こればかりはどれだけ月日が流れても変わらない。
お馴染みの緊張感を肌で感じながらリックは車を降り、アレクサンドリアの仲間たちと挨拶を交わす。
挨拶の後は町の中を一通り巡って様子を見るのもいつものことで、リックはニーガンと共に町を歩いた。その最中に二人が言葉を交わすことや些細な接触は今までにもあったことだ。
しかし、今までと確かに違うものがあったのだろう。
眼差し、表情、声音、触れ方、視線の絡め方。
自分の表情や仕草にニーガンへの愛しさが滲み出ていたのかもしれないと気づいたのは仲間たちの顔に驚愕と戸惑いが見えたから。
一人、二人と背を向けて立ち去る仲間たちを見て、リックは自分のニーガンへの想いが仲間たちにも伝わり、それが皆を傷つけたのだと悟った。
(覚悟はしていた。後悔は、しない)
リックは拳を握りしめて胸の苦しさに耐える。
ニーガンへの愛情が仲間たちを傷つけることも、怒りを買うことも、自身を拒絶されることも、全てを承知の上でニーガンと共に生きると決めた。それならば痛みも苦しみも胸に抱いて生きていく。
改めて自分自身に誓うリックの背中に温もりが触れる。それはニーガンの手だ。
「……リック。」
隣にはニーガンがいて、注がれる眼差しは気遣うようなものだった。
リックは背中に添えられたニーガンの手に意識を集中させた。そうすると彼の温もりを強く感じて安心する。
「大丈夫だ、ニーガン。」
リックはそう言って微笑む。その微笑みは無理に作ったものではなく自然と浮かんできたものであり、ニーガンが浮かべさせてくれたものだ。
大丈夫。隣にはいつだってニーガンがいてくれる。彼が隣で見つめていてくれるなら、どんな痛みも受け止めて前に進んでいくことができる。
リックはニーガンに促されて子どもたちの待つ家を目指す。痛みを堪えるために握りしめた拳は既に解かれていた。
「父さん、おかえりなさい。」
「パパ、おかえりー。」
玄関のドアを開けるとカールとジュディスがハグと共にリックを出迎えてくれた。
リックが子どもたちを抱きしめて「ただいま」と再会を喜び合っていると、後ろからニーガンの指に頬を突かれる。それに反応して振り向くと小さく笑みを浮かべる彼と目が合った。
「俺は町の周りを見てくる。遠くには行かないから何かあったら呼べ。」
その言葉に「わかった」と頷くリックの頬をニーガンの指が滑る。
「反対されたら俺が説得してやる。だから心配するな。」
ニーガンはその言葉を置いて去っていった。
リックがニーガンの後ろ姿を見つめていると咳払いが聞こえ、慌てて振り返ればカールがこちらを睨んでいた。
「早く家に入って、父さん。こんなところで立ち話なんて嫌だよ。」
「すまない。」
リックは家の中に入ってドアを閉め、さっさとダイニングテーブルに向かうカールの後を追う。
カールは椅子に座ると自分の膝の上に幼い妹を座らせた。リックは兄妹の隣の椅子に座り、椅子ごと二人の方に体を向ける。
そして膝の上で手を組むと深呼吸して気持ちを落ちつかせた。
「……カール、今日は大事な話がある。」
「ああ、ニーガンのこと?両想いになったんだね。意外と時間がかかったよね。」
リックが緊張感を漂わせながら話を切り出したというのにカールは軽い口調で本題を口にした。世間話をするような雰囲気のカールに気が抜けてしまいそうになる。
リックは気を取り直してカールに疑問をぶつけることにした。
「……まあ、そういうわけなんだが、いつ気づいた?」
「さっきのやり取り。」
カールは先程のほんの僅かな時間で二人の関係性の変化を見抜いたようだ。
リックは恥ずかしくなって思わず口元を片手で覆った。
「そんなに態度に出ていたか?」
「うん。今までと雰囲気が違ったから鈍くなければ気づくんじゃないかな。」
リックとしては今までと変わった自覚はないのだが、やはり周りから見ると違いがはっきりしているようだ。無意識というのは恐ろしい。
もう少し気をつけるべきだろうか、と考えているとカールから「父さん」と呼ばれた。
ジュディスの頭を撫でながらこちらへ顔を向けるカールの表情は穏やかで、少し大人びた笑みを浮かべる我が子にリックは釘付けになる。
「僕は二人のことを祝福も反対もしない。でも、父さんの味方だ。」
それはカールの精一杯の優しさだった。
仲間を殺した上に物資を搾取する男と自分の父が愛し合うなど許し難いはず。それでも父の幸せを願い、そのように言ってくれた。どれだけの感謝を捧げても足りないくらいだ。
リックは目が潤むのを自覚しながらカールの頬に触れる。
「ありがとう、カール。そう言ってくれるだけで俺がどれだけ救われるか……お前に伝わればいいのに。」
「父さん、大げさだよ。」
そう言って笑うカールの笑顔に胸がいっぱいになっていると幼い声に呼ばれた。父と兄の二人だけで話し込んでいたことが不満だったのか、ジュディスは頬を膨らませている。
リックはすっかり拗ねてしまったジュディスをカールの膝から抱き上げると「ごめん」と謝った。
リックは腕の中にいるジュディスに話しかけながら、彼女がある程度成長した時にニーガンのことや自分たちの関係について説明しようと決めた。
ニーガンが仲間にしたことやサンクチュアリとアレクサンドリアの関係をきちんと説明し、その上で自分たちが愛し合っていることを話さなければならない。それは父親としてのリックの責任であり、娘であるジュディスには知る権利があるからだ。
全てを知ったジュディスがどう思うのかはわからない。リックを嫌悪し拒絶する可能性もあるだろう。仮にそうなったとしても全て受け入れる。
リックは大きな決意を胸に秘めながら愛する娘の額にキスを落とした。
*****
季節が移り変わっていく中で様々なことが変化する。
まず、夏の気配が完全に消えてから農場の周囲に壁を作り始めた。大掛かりな工事なので多くの救世主と労働者が作業に加わり、あらゆる面で人手不足になった影響で誰もが大忙しだ。それでも不満が出なかったのは仕事量が平等であったことや、全員がきちんと休みを取ることができるようにスケジュール調整を行ったり、ポイントは関係なしに全員の食事にボーナスを与えたからだろう。
壁の建設は少しずつであっても確実に進むため皆の表情は明るい。リックがサンクチュアリに来たばかりの頃は全体的にどことなく殺伐としていたが、今ではそのような雰囲気はどこにもない。
他の大きな変化と言えばニーガンの妻たちだ。シェリーを始めとする数人の妻が「ニーガンとの婚姻関係を解消したい」と申し出て、それをニーガンが受け入れたのだ。理由は「ニーガンの妻としてではなくコミュニティを支える一員として生きていきたい」というものだった。
ニーガンは彼女たちの申し出を受け入れて罰を与えることなく関係を解消した。他の妻たちにも「望むなら、いつでも関係を解消して労働者に戻ることを許す」と伝えて驚かせたそうだ。
その話をリックに教えてくれたのはシェリーで、黒のワンピースではなくセーターにジーンズという格好の彼女は明るい笑顔を浮かべていた。
そしてリックに自分の思いを打ち明けてくれた。
「今のサンクチュアリを見ていたら部屋の中でぬくぬくしているなんて嫌になった。私もみんなと一緒に働きたい、みんなと一緒にここを良くしていきたいと思ったの。」
陰りを帯びた笑みしか見せなかったシェリーが心からの笑みを浮かべていることをリックは嬉しく思う。
シェリーと同じくニーガンとの関係を解消した元妻たちは皆に混じって様々な作業を行っている。その誰もが明るい表情をしていることがサンクチュアリの変化を表す一つなのだろう。
その後も関係の解消の申し出はポツポツとあり、その全てをニーガンは受け入れた。「もしかしたら全員と離婚かもな」と明るく笑うニーガンにリックが苦笑を返したことは記憶に新しい。
ニーガンは自分から妻たちに関係の解消を持ちかけるつもりはないが、申し出があれば全て受け入れるつもりなのだと言う。「離婚したがってる相手を無理やり抱く趣味はないから離婚するのが当然だ」というのが彼の考えだ。
「ニーガンの妻」という役割を演じ続ける気があるのならそのままで構わない。そうではなく救世主や労働者と同じように皆のために働きたいと望むならそれを叶える。つまり、そういうことなのだ。
そして秋が終わり、冬になると別の変化が起きた。それはアレクサンドリアの徴収に行った日のことだ。
リックがいつものように自宅で子どもたちとの時間を過ごしていると玄関のドアがノックされた。
ドアを開けてみれば、そこに立っていたのはダリルだった。ダリルが「リックと二人で話したい」と申し出たので、彼とは久しく会話をしていなかったリックはとても驚いた。
ダリルと会話をしていなかったのは向こうがリックを避けているからだ。ダリルはリックがニーガンと愛し合っていることを察したらしく、秋頃から避けられるようになっていた。それは他の一部の仲間も同様で、そのことをリックは寂しく思いながらも受け入れていた。
そんな相手が訪ねてきたことに驚きを隠せず返事をすることを一瞬忘れたが、不安げな眼差しを向けられたので慌てて「わかった」と頷く。
リックはカールとジュディスの方に顔を向けて「しばらく二階で待っていてほしい」と頼み、父の頼みにカールは素直に頷く。
「わかった。話が終わったら呼んで。」
カールはジュディスと手を繋ぎながらそれだけを告げて二階へ上がっていった。
子どもたちが二階へ行くのを見届けてからリックはダリルにダイニングの椅子に座るように勧める。ダリルが椅子に座るとリックもその正面に腰を下ろした。
「せっかくあいつらと過ごしてるのに邪魔して悪い。」
「気にしないでくれ。それで、話って?」
ダリルはテーブルの上に手を乗せて拳をギュッと握り、躊躇う素振りを見せながらも口を開く。
「……まだ、ニーガンのことが好きか?」
向けられる眼差しは痛いくらいに真っ直ぐだ。
リックはその眼差しを受け止めながら首を縦に振る。
「ああ、愛してる。」
リックの答えにダリルは唇を噛んだ。その顔に浮かぶやりきれなさに胸が痛むが目を逸らさない。
ダリルは言葉を探すようにリックから視線を外し、しばらく考え込んだ後、再び視線を戻した。
「あいつはグレンとエイブラハムを殺した。俺たちを侮辱して、いろんなものを奪った。それでも好きなのか?」
「そうだ。ニーガンがやったことを許したわけじゃないが、それでも好きになった。」
「俺たちを傷つけても、それでもあいつを選ぶのか?」
ダリルの言葉はストレートにリックの心に刺さる。
彼の主張はもっともだ。ニーガンを愛するということは仲間ではなくニーガンを選ぶということになる。それが仲間たちの心を傷つけるのは当然で、リックを避けるようになった者がいるという事実がそれを証明していた。
リックとニーガンの間に生まれた愛は存在するだけで誰かを傷つける。
その事実にリックは膝の上で固く拳を握った。
「みんなを傷つけることも誰からも祝福されないこともわかってる。俺はみんなにとって裏切り者だということも。それでも俺は、ニーガンを好きになる前の自分には戻れない。」
リックはダリルの目を見つめ返しながら言葉を続ける。
「全て覚悟した上で俺はニーガンを愛して、一緒に生きていくと決めた。みんなに許してもらえるとは思わないし、許しを乞うつもりもない。俺がみんなのためにできるのは少しでもアレクサンドリアやヒルトップの負担が軽くなるようにサンクチュアリを変えていくことだけだ。……こんなことしか言えなくてすまない。」
リックが言い終えると沈黙が下りた。
ダリルは睨むようにリックを見つめ、リックは目を逸らすことなくそれを受け止める。
やがてダリルはテーブルに肘を突き、その手に額を押し当てた。静まり返った部屋に彼の溜め息だけが響く。
そして姿勢を正したダリルが「腹立つな」と呟いた。
「本当に腹が立つ。俺たちからあんたを奪ったあの男に腹が立つし、あんなクソ野郎に引っかかったあんたにも腹が立つ。俺たちよりニーガンを選ぶことも、あんたが戻ってくる気がないことも、全部腹が立って仕方ねぇ。」
「ダリル……」
「それでも。……それでも、俺はリックを嫌いになれない。あんたを憎んで嫌いになれたら楽なんだろうけど無理だ。兄弟だからな。」
そう言ってダリルは小さく笑みを浮かべる。彼が笑うのを見たのは久しぶりで、リックは胸がいっぱいになった。
「もしニーガンが嫌になって戻ってきたくなったら、いつでも帰ってこい。他の奴らは俺が説得でも何でもしてやるから。わかったな。」
ダリルの優しさにリックは笑顔で頷いた。
消化しきれない感情を抱えながらも受け入れてくれる気持ちが、今でも兄弟だと思ってくれていることが嬉しかった。
リックは涙が溢れそうになるのを堪えて微笑む。
「ありがとう、ダリル。本当にありがとう。」
「これくらいで泣くなよ。あんた、意外と泣き虫だよな。」
からかうようにニヤリと笑うダリルにリックは「泣いてない」と言い返しながら笑った。
そこにあるのは以前と変わらない二人の姿だった。
二人で話をしてからダリルのリックへの態度は以前のように戻った。今までと同じように町の現状について話をしたり、帰り際に「体に気をつけろ」と互いへの気遣いを素直に示せるようになった。
以前と変わらずに接してくれる仲間もいれば距離を置かれたままの仲間もいる。ダリルのように和解できる可能性は期待しない方が良いだろう。きっと和解しようと無理に近づいても相手を傷つけてしまう。
ただ、リックなりにできる方法で守ることを許してほしい。それだけだ。
その後も季節が変わると共に様々な変化が起きていった。その変化に喜びの笑みを浮かべる時もあれば、苦悩に顔を歪める時もある。
そんな時、リックの隣にはいつもニーガンがいた。ニーガンは様々な表情や感情をリックに晒しながらいつも傍らに立っていた。変化を続ける日々の中で唯一変わらない互いへの気持ちがリックには尊く、愛おしく思える。
何度季節が巡っても二人は離れることなく一緒にいた。
*****
──リックがニーガンと結婚してから、三度目の春。
暖かな春の日差しの中、広い農場では種蒔きが行われていた。複数の区画に分けた畑では何人もの救世主や労働者が種を蒔いたり苗を植えている。その誰もが慣れた手付きなので作業はスムーズに進む。
畑のあるエリアから少し離れた場所には柵で囲われた放牧地がある。野生化していた乳牛を捕らえて飼い始めたのは半年ほど前のことで、ウォーカーに食われずに生き残っていた牛が何頭もいたことに皆が驚いたものだ。
牛以外にも他のコミュニティーとの物資の交換で得た鶏や豚を飼っているため、農場にはいつも動物の鳴き声が響いている。それに引き寄せられるウォーカーは壁に阻まれて農場に近づくことができず、壁の周りを彷徨いているところを倒されるのが定めだ。
そんな農場では新たにログハウスの建設が始まった。農場の作業は二週間ごとの交替制で作業する人間を派遣しているのだが、「農場に住んで野菜や動物の世話に専念したい」と希望する者がいるため、一部の救世主と労働者を農場に常駐させることに決まったのだ。
そのためのログハウスの建設作業のためにリックは農場に来て皆と一緒に汗を流していた。いつものように作業しているとシェリーが「リック!」と小走りで近づいてくる。シェリーは畑と家畜の世話のために農場に来ており、今日は畑の作業を担当しているはずだ。そんな彼女が自分のところへ来たことにリックは首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「サイモンがあなたを捜してるから呼びに来た。」
「サイモン?来ているのか。どこにいる?」
「門の前で待ってるはず。一緒に行きましょう。」
リックはそれに頷いてシェリーと共に歩き出した。
サイモンのいる農場の門を目指しながらリックはシェリーに話を振る。
「シェリー、農場に住むのを希望していると聞いたんだが本当か?」
「本当よ。言ったり来たりするんじゃなく腰を据えて野菜や動物の世話がしたくて。」
「ドワイトと会う時間が減るが、いいのか?」
リックがシェリーとドワイトの関係について知ったのは彼女がニーガンとの関係を解消した後だ。「簡単に前のような関係に戻るわけにはいかない」というシェリーの思いをドワイトが尊重したので二人の関係は今のところ友人のままだが、少しずつ距離を縮めているのは第三者から見てもわかる。それなのに離れてしまってもいいのかとリックは少し気になったのだ。
そんなリックの心配を吹き飛ばすようにシェリーは晴れやかに笑う。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。私たちの関係はゆっくり進んでいけばいいし、会う時間が少なくなる程度で気持ちは離れないから。それに、ニーガンの元妻仲間と一緒にここで頑張りたいしね。」
シェリー以外にもニーガンの元妻たちの中で農場に住むことを希望している者が数人いる。彼女たちは互いに支え合っていたので結びつきが強いのだろう。
リックは小さく笑みを浮かべながら「それならいいんだ」と頷いた。
シェリーについての話が終わると今度はシェリーから「そういえば」と次の話題を振られる。
「ニーガンは最近どうなの?最後の一人とも離婚したんでしょう?離婚するとビックリするくらい顔を合わせることがないから、どんな様子か全然わからない。」
先日、ニーガンは一人だけ残っていた妻から関係の解消を申し込まれた。「一人だけ何もせずにいるのは嫌なので労働者として働きたい」という思いを受け入れ、ニーガンは他の妻たちと同じように罰を与えることなく関係を解消したのだ。これにより大勢いたニーガンの妻は一人もいなくなった。
リックはその時のニーガンの顔を思い浮かべながら答える。
「特に落ち込むこともなく、いつもと変わらない。『仕方ないだろ』ってあっさりしていた。」
「……あっさりすぎると逆に殴ってやりたくなる。」
シェリーが不愉快そうに顔をしかめたのでリックは思わず「すまない」と謝った。
それを受けたシェリーは「あなたは悪くないでしょ」と笑い飛ばす。
「私たちがいなくなった分、リックが大変になるだろうから無理してあの男に付き合わないでね。自分を大事にして。」
「ああ、ありがとう。」
そんなやり取りを続けるうちに門の前に立つサイモンの姿が見えてきた。腕組みをして待ち構えるサイモンは苛立っているように見える。
リックがシェリーと別れて急ぎ足で近づくと、サイモンは大股で寄ってきて思いきり顔を近づけられた。迫力のある顔に至近距離で睨まれると怯みそうになる。
「おい、リック。お前がここに泊まり込んで何日経ったと思う?」
いきなりの質問にリックは困惑した。
「え?五日目になるが……それが?」
「それが?じゃねぇ。こんなに長くニーガンの傍を離れていいと思ってるのか?さっさと帰るぞ。」
そう言ってサイモンは胸を突いてきた。それなりに強く突かれたので痛い。
なぜそんなことを言われなければならないのか、とリックは睨み返しながら反論する。
「一週間泊まり込んでログハウス建設の作業をするとニーガンには伝えてある。反対もされていないぞ。」
「それは今までお前が長期でサンクチュアリを離れたことがなかったからだ。ニーガン自身、自分がどうなるかわかってなかったのさ。俺からすりゃ考えなくてもわかることだけどな。」
「どういう意味だ?」
リックが尋ねるとサイモンは深々と溜め息を吐いた。
「お前がこっちに来て二日目でニーガンの口数が減った。仕事はきっちりするし俺たちに影響はない。だけどな、あのお喋り大好きなニーガンが必要最低限しか口を開かないってどうだ?不気味でしかない。」
リックは言われた言葉が信じられず「嘘だろ」と呟いた。
その呟きを否定するようにサイモンは首を横に振り、ニーガンの様子を話し続ける。
「酒は飲まないし、つまらなさそうにぼんやりしてるし、何か話を振っても『ああ』だとか『そうか』としか言わない。異常だろ。お前がいなくていつもの調子が出ないんだ。だから今すぐに帰ってやれ。お前の代わりは連れて来てある。」
そう言ってサイモンはリックの頬を軽く叩き、「荷物を取りに行くぞ」と歩き出した。リックはきょとんとして頬を擦り、先を行く男の後ろ姿をじっと見つめる。
サイモンは「不気味だ」「異常だ」という言い方をしながらも本当はニーガンを心配しているのだろう。だからわざわざ代わりの人間を用意してまでリックを迎えに来たのだ。
リックはクスクスと笑いながら小走りでサイモンの後を追った。
隣に並ぶとサイモンはじろりと目線をこちらに寄越した。リックが笑い続けていることが気になるようだ。
「何を笑ってる?」
「いや、その──あんたはニーガンが好きなんだな、と思って。」
リックの返事にサイモンは思いきり顔をしかめながら肘で脇腹を突いてきた。
その態度に「素直じゃないな」と思ったことは胸に秘めておくことにした。
リックはサイモンと共に車でサンクチュアリに戻った。車には他のコミュニティーの名前が書かれた木箱も乗っており、到着するとそれを降ろすのを手伝った。
木箱の中には農場で収穫された野菜が入っている。これはそれぞれのコミュニティーに渡すもの。徴収は相変わらず続いているが、サンクチュアリでしか栽培していない野菜やハーブを少しではあるが渡すようになったのだ。他にも各コミュニティーの壁や建物の修理にサンクチュアリから人を派遣するなど、徴収に対する見返りを強化しつつある。
「完全に対等な関係で協力し合う」というのを実現するのは難しいかもしれないが、それに近づけることはできる。リックはそう考えて努力し続けていく。
荷物を降ろした後、リックは自室に荷物を置いてからニーガンの部屋へ向かった。部屋の前に着くとドアをノックしながら「ニーガン、いるか?」と声をかける。
次の瞬間、勢い良くドアが開いて驚いた表情のニーガンが姿を見せた。顔を見ていないのは数日だけなのに随分と久しぶりに会った気がして気恥ずかしい。
「さっき戻った。予定より早いが──」
話の途中で部屋に引きずり込まれ、そのまま強く抱きしめられた。
ニーガンの体温と匂いに包まれると「帰ってきた」と実感して思わず安堵の息が漏れる。
リックが抱きしめ返すと耳元で深く息を吐く音が聞こえた。
「お前がいなくて調子が狂ってた。抱きしめたいしキスしたいし、とにかく顔が見たかった。」
「サイモンが迎えに来たんだ。ニーガンのために早く帰れって。だから帰ってきた。」
「流石は俺の右腕だな。……リック、俺に会いたいと思ってたか?」
「もちろん。あんたのことを忘れた日はない。」
リックが正直に答えるとニーガンは感極まったように「ああ、リック」と呟いて頬に口付けてくる。何度か頬にキスされ、目が合えばキスの場所が唇へ移った。
啄むようなキスを交わした後、ニーガンは体を離して「ちょっと待ってろ」と部屋を出ていった。
しばらくして戻ってきたニーガンは真っ赤な苺が実る小さな植木鉢を腕に抱えていた。リックが「旨そうだな」と感想を漏らすとニーガンは嬉しそうに微笑む。
「お前にナイショで育ててたんだぜ。お前がいない間に食べ頃になったんだ。見事なもんだろ?」
得意げなニーガンの言葉にリックは瞬きを繰り返す。
「ニーガンが育てたのか?誰かに育てさせたんじゃなくて?」
目を丸くしながら問うリックにニーガンが顔をしかめる。
そして「失礼だぞ、リック」と植木鉢を目の前に突き出してきた。
「お前にやるものを他の奴に育てさせるわけないだろ。ほら、受け取れ。」
リックは突き出された植木鉢を受け取って胸に抱き、腕の中にある苺をじっくりと見つめる。
赤く艷やかに輝く苺はとても美しい。まるで宝石のような──いや、宝石よりも美しいそれはニーガンがリックに贈るために育てたもの。その事実が苺を更に美しく輝かせている。
リックは苺を見つめたまま素直な気持ちを口にする。
「とてもきれいな苺だ。すごいな、ニーガン。」
「そうだろ。全部お前が食べていい。」
「ありがとう。本当に嬉しい。どうやって言ったらいいのか……とにかく嬉しい。ありがとう、ニーガン。」
リックにとってニーガンは自分から大切なものを奪うだけの存在だった。仲間、誇り、生きる糧など、ただただ奪われるばかりだった。
そんなニーガンが今では大切なものを与えてくれる存在になった。彼から与えられるものはリックの心を喜びで満たし、幸せにしてくれる。「自分はニーガンに何か返せているのだろうか?」と不安になりそうなくらいにニーガンはリックにたくさんのものを与えてくれた。
幸せだ、とリックは心から思う。
幸せを噛みしめるリックの顎にニーガンの指がかかり、優しく上を向かされた。注がれる眼差しには愛しさが滲んでいる。
「リック、苺の花言葉を知ってるか?」
「知らない。どんな花言葉なんだ?」
「『尊重と愛情』だ。俺たちにピッタリの花言葉だろ?」
そう言われてリックは小さく吹き出した。
「なるほどな。……全く違うとは言わないが、完全にそうだとは言いきれないと思うが。」
「どこが違うって言うんだ?」
「アレクサンドリアに戻りたいから別れてほしいと言ったら、その意思を尊重してくれるか?」
リックがいたずらっぽく微笑むとニーガンは一瞬目を丸くして、次の瞬間には「参ったな」と苦笑いを浮かべた。
「確かに、それだけは尊重できないな。お前が俺から離れることは許さない。」
そう囁かれた途端にリックは片手で腰を抱き寄せられて額に唇の柔らかさを感じた。
そして額同士が触れ合わされ、ニーガンが目を細めて笑う。
「リックを幸せにできるのは俺しかいないぞ。だからずっと傍にいろ。」
「離れろと言われても離れてやらないさ。」
ニーガンの手を放せば死ぬまで後悔し続けることになるとリックは確信している。それほどに彼に愛情を捧げている自覚があった。
だから何があってもニーガンからは離れない。もし引き離されるようなことがあっても必ず彼の元へ戻ってみせる。
リックの決意を察したようにニーガンが「良い覚悟だ」と呟いた。
「お前の意思を尊重して、ずっと傍にいてやる。」
その言葉と共に顎に添えられていた指が頬に移り、ゆっくりと唇が重ねられた。
これから先、良いことばかりではないだろう。大きな壁が立ちはだかることがあるだろうし、人の心は常に凪いでいるわけではない。トラブルが起きればそれに悩まされることになる。その度に自分たちは意見をぶつけ合って傷つけ合うのかもしれない。
そうであってもニーガンとなら乗り越えていけると信じている。ぶつかり合って傷つけ合っても別々の道を歩むことにはならない。きっと最後にはこうしてキスを交わすのだ。
リックはそれを疑うことなく信じられる幸せを噛みしめながら愛しい人の唇の感触を確かめる。
口付けを交わす二人の胸には共通する一つの思いがあった。
──あなたと、ずっと一緒に生きていく。
END