ヘイ&ウィリ小ネタログ■前途洋々、星降る港
豪華客船オケアニック号が、無事に母港のあるイギリスへ到着した翌朝。早くも次の航海の出立の支度に追われ、オケアニック号が停泊する港の荷受け場は騒然とした雰囲気と活気に包まれていた。
出港まであと数時間。そのうちに船体の点検確認、物資の補填に客の乗船手続きと、やるべき仕事は山積している。
補填の物資を抱えて気忙しげに行き交う船員のなかに、頭ひとつほど抜けた長身を見つけ、ヘイミッシュは息を切らしたまま叫ぶように彼の名を呼んだ。
「ウィリアム!」
「ヘイミッシュ!?」
ぱんぱんに膨れた麻袋と木箱を抱えた彼が、ヘイミッシュの姿を見て驚いたように目を瞠る。
「どうしてお前がここにいるんだ!就任式は――」
「終わらせてすぐに来た、俺の船は出航までもう少し余裕があるから……!」
動揺した彼の声を遮り、ヘイミッシュは早口にそう答えた。
彼が驚くのも無理はない。今日この日から、ヘイミッシュは新船長として自分の城を与えられることになっていた。この船着き場から少し離れた場所では、ヘイミッシュが船長を務める船が待っている。長い年月を海の上でともに過ごしたオケアニック号とはすでに別れを告げているし、仕事に追われる彼の邪魔になることもわかっているから、来るつもりではなかった。なかった、のだけれども。
運良くそばにいた同僚が彼の荷物を引き受けてくれ、謝りながら作業の列を離れたウィリアムが、「どうしたんだ」ともう一度問うてくる。
「早く持ち場に行かないと、せっかくの昇進がふいになるぞ」
「大丈夫、すぐに戻る。邪魔してすまない」
「いや、俺はべつに、多少どやされるくらいだからいいんだが」
明るい茶色の双眸が、ヘイミッシュを案じてゆらりと揺れる。さらりとこんなことを言えてしまうところが、つくづく人の好い男だとヘイミッシュは思う。
就任式で真新しいマントと、襟元に光るバッジを与えられ、潮風を肌に感じた瞬間、ヘイミッシュはこの港に向かって駆け出していた。今後滅多に会うことがなくなるであろうこの友人に、どうしてもひとめ会っておきたかった。
「ウィリアム、少し屈んでくれないか」
「は?……こうか?」
けれどもその心情をゆっくり説明しているいとまはない。訝しげにしつつもヘイミッシュの背丈に合わせて身を屈めた彼の肩に、腕に抱えたままのマントを広げて留め付けた。
「ヘイミッシュ、お前、」
「『俺と同じ道を歩こうとは思うな』って君は言ったけど、同じ船に乗れなくなっても、俺は君と一緒に海に出たい」
強い潮風を受けて彼の背でひるがえる真新しいマントの白が、抜けるような青空を背景にしてあざやかにひかる。ヘイミッシュは一瞬固く目を閉じて、彼の姿を瞼の裏に焼き付けた。この光景を、自分は決して忘れない。
「ウィリアム。いままで、本当にありがとう。――それから、また会おう。いつか、必ず!」
「……っ、」
背に腕をまわし、彼の厚く逞しい体を強く抱く。
昨夜の甲板では、胸が詰まってどうしても言えなかった言葉たちだった。これを言い残したまま別れ別れになれば、また後悔を抱え続ける羽目になっていただろう。熱い雫がつぎつぎに眦を濡らしていくのを感じながら、けれどもそれを拭う気にはなれなかった。
「ああ、ああ!約束だぞ、ヘイミッシュ!」
ぼろぼろと、彼の目からも大粒の涙がこぼれて落ちる。陽の光を跳ね返しながらつたいあふれる雫の軌跡は、航路を照らす星々に似ていた。
***
20161207Wed.
■Congratulation!!
我らが愛しのオケアニック号に近々――というか次の航海から、新しい船長が赴任してくる。
まあ、俺みたいな一介のヒラ水夫には顔合わせの挨拶のときまでその程度の情報しか入ってこないもんだから、どんなやつが来るんだろうなあ、一緒に酒が呑めるくらい気さくなやつだといいが、なんてことを呑気に考えていたわけだ。
出航を翌日に控えたオケアニック号は荷入れや客室の点検整備のためにどこもかしこも大忙しで、作業にひと区切りついたやつから交代で休憩を取っていくのが毎度の流れになっている。
朝から荷運びに精を出して腹も空いてるだろうに、先輩船員に気を遣って自分からは休憩に入りにくい若い連中に適当なところで声をかける。全体の動きを見ながら、そいつがいた場所のフォローに入るのが、いまの俺の役回りだ。これでも船乗りとして生きてきた年数のぶん客室周りからちょっとした点検整備までひととおりのことはわかってるから、どこのフォローにも入ってやれる。
俺としちゃ新人連中みたいに荷運びにまわったってまだ余裕なんだが、ベテラン、なんて呼び方のほうがしっくり嵌るくらいになったころからとんとその手の仕事がまわってこなくなった。なにやら少しばかり寂しいような気はするものの、まあ、適材適所って言葉もあるからな。
「こんなところにいたのか、ウィリアム」
「こんなとこにって、俺だって一応仕事中なんだぞ、――」
だって。なんて、いい年した大の男が言うもんでもないだろうが、そのくらい許してほしい。
だって、あんまりにも普通に声がしたから。まる二年聞いていないそいつの声が、当たり前みたいに俺の名前を呼んだから。ぽかん、と呆けてその場に立ち尽くした俺に、白くて糊のきいた制服を着たそいつは悪戯めかした顔で肩を揺らして笑う。
「あいつはどうせまだ休憩取ってないだろうから、適当なとこで引っかけて来いって、みんなが言ってたぞ。……本当に、相変わらずだな、君は」
「いや、べつにそれはいいんだが、お前、なんでここに」
どうしてこいつがここにいるかなんて、それくらい、さすがの俺でも聞くまでもなくわかってる。それでも、聞かずにはいられなかった。確かめずにはいられなかった。
「どうしてって、船長が自分の船にいるのは当たり前だろう?」
俺の間の抜けた質問に、それでも律儀にそうやって答えた男の名前を、今度こそはっきり呼んだ。
「ヘイミッシュ!」
「うん。ただいま、ウィリアム」
「ああ、うん、……うん、久しぶりだな、元気だったか?」
「ああ。君も」
「見てのとおりだ」
「良かった。……ああ、そうだ、ウィリアム、なにか忘れていないかい?」
「?」
「俺はさっき、『ただいま』って言ったんだけどな」
その言葉に、ぽかん、と、もう一回呆けてしまう。
ああ、駄目だ、せっかくこいつの未練にならないように格好つけて送り出したってのに。迎えるときにこれじゃ、まるで格好がつかないじゃないか。これだから、この親友にはかなわない。
「……おかえり、ヘイミッシュ」
俺の声を聞いたヘイミッシュが、もう一度「ただいま」と言って満足げに笑った。
***
20180630Sat.