JACK演目二次小ネタログ■XXX(ジョンとメルヴィル)
「だが、ある意味ではこうとも言える」
「……?」
「解放されたのです。彼女はようやく、その長い懊悩から」
「……、」
「貴方の姉上は長いあいだ悩み苦しんでいた。時が過ぎ、人が変わりゆくことを。美しいものが美しいままで、愛らしいものが愛らしいままでいられない悲劇について」
「最初に殺された大奥様も、それからお嬢様も、使用人も皆同じこと。彼女たちはそれぞれに、狂わしいまでに理想を求めていた。美しい夢だけを欲しがっていた。現実は必要のないものだった」
「……なぜ、君がそれを」
「なぜ?可笑しなことを言う。私は貴方のカウンセラー。すべて、貴方から聞いております」
「…………、」
「さて、そしてもし仮にそうだとするならば。貴方が嘆き悲しむことは、果たして本当に必要な行動でしょうか」
「メルヴィル、それは、」
「彼女たちは、理想と現実の乖離から逃れることができたのです。……その喜びが、一体どれほどのものであるか。貴方ならわかるでしょう」
「じき、夜が明ける。彼女を守ることは貴方にしかできない」
「……!」
「……さあ、早く彼女のところへ。彼女も貴方を待っているはずだ」
「私は《ここ》にいます。――必要であれば、呼んでください」
***
20190706Sat.
■XXX(医者と兵士)
「衛兵。衛兵はいるか」
「おや、これは侍医殿。貴方が城まで来るとは珍しい。なにかありましたか」
「そうでなければここにはいない。じき、君の助けが必要になるはずだ。すぐに支度をして、屋敷まで来るように」
「承知しました。城の出入口を封鎖したあと、すぐにそちらへ参ります」
「ああ」
「ですが屋敷へはどう入ったらよいのです?俺は、城のことしか知りません」
「そうか、……そうだな。では、窓を開けておこう」
「窓?」
「開いている窓はひとつだけだ。君ならすぐにわかるだろう。――それから、先にひとつだけ」
「?」
「仮に君の見た真実の一部あるいはすべてが幻だったとしても、なにも構うことはない。それがかれにとってうつくしいゆめならば、それだけで良いのだから」
***
20190803Sat.
■だれもしらない
なにひとつ思い出せないのです、と、彼は言った。
その青年が教会へやって来たのは細い雨の降る夜おそくのことだった。血の気のない痩せた体を冷たい雨にさらし、傘も持たず着の身着のままで礼拝堂の扉の前に立ち尽くしていた彼を、その晩のうちに屋根の下へ招き入れられたことは幸運と言うほかないだろう。なにせ、普段ならとうに夜回りを終えているような時分だったのだから。
「なにも、覚えていないのです。自分が何者であるのかも、どこに住んでいたのかも、どのようにしてここまで来たのかも」
礼拝堂に並ぶ長椅子の、その最後列に腰を下ろして、呟くように言葉をつむぐ彼の声はひどく悲しげなようにも、しんと凪いでいるようにも聞こえた。
言葉つきや身なりは、決して悪いものではない。所作に粗暴さはなく、けれども同時に、上流階級特有の風采の華やかさもない。この街のおおよそ半分ほどを占めている中層的な暮らしぶりの人々と同じ程度か、あるいはそれよりすこし裕福か、どうか、といったところだろうか。
なにも覚えていない、という言葉をどう取るとしても、彼の顔色がすぐれないことはあきらかだった。せめて一晩ここで休んでいきなさいと告げると、沈んでいた表情にわずかに温度がともる。丁寧な礼の言葉を述べる彼のために、なにか用意をしてやれるものはあるだろうかと思考を巡らせたそのときに、――ふいにかたかたと小窓が揺れた。
どうやら風が強まってきたらしい。傍らに置いたランタンの火も、空気の流れにふれてか一瞬大きくゆらりと揺れる。
礼拝堂にさす夜と灯りが曖昧に揺らいだその陰で青年が浮かべた表情が能面に似ていたことは、――彼も、牧師も、誰も知らない。
***
20200917Thu.
■そして錠の降りる音(ジョンと姉)
ジョン、ジョン。どこにいるの。……まあ、こんなところにいたのね。今夜もわたしとお約束をしていたでしょう。忘れてしまったの?さあ、はやくこちらへいらっしゃい。ねむる前のあたたかい紅茶も、あなたの好きな絵本も、おもちゃもたくさん用意してあるのよ。もちろんきれいなお花もね。
大丈夫、こんな時間ですもの、ふたりで秘密の夜ふかしをしていたって、だあれも来やしないわ。それに、お部屋にきちんと錠を掛けることを、いままでわたしが一度でも忘れたことがあって?
――でも、ああ、ほんとうに、どうしてこんなに体ばかり大きくなってしまったのかしら。せめて心だけは、いつまでもあのころのままでいてちょうだいね。わたしのかわいい、ちいさな天使。
***
20200920Sun.
■夜を航る(ジョンと母)
ジョン、ジョン!どこにいるの、ジョン――ああ、そこにいたのね。いたなら返事をして頂戴。探し回ってしまったわ。
どうかしましたか、ですって?とんでもない!貴方、切り裂きジャックの噂を知らないの?先週も先々週も、街で人が殺されているのよ。それも美しい女性ばかりと聞くわ。ああ、なんて怖ろしい……。
娘たちが心配なの。あの子たちも、次は自分の番かとたいそう不安にちがいないから。あの子たちの美しさを考えれば、貴方もそう思うでしょう?
そうだわ、ジョン、貴方これから、館の戸締りを確かめておいでなさい。いいこと、窓も、扉も、ひとつ残らず確かめるのよ。
それが済んだら、私のところに戻って来るの。
ええ、そうよ。私もとても不安なの。英国貴族の紳士なら、怯える母に眠れぬ夜など過ごさせはしないでしょう?
さあ、ジョン、行きなさい。――ほら、早く!
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20200921Mon.
■陶杯に罪(ジョンとメイド)
旦那様、旦那様。私です。お休み前のお茶をお持ちしました。
ご気分はいかがですか?このところ、街で良くない噂もありますし、旦那様のお体のことが気がかりで。
……ところで旦那様、実は、折り入ってのご相談があるのです。お話しさせていただいても、よろしいでしょうか?
――ああ、嬉しい、私のようなメイドにまでお心を砕いていただいて、旦那様はほんとうに、お優しい御方でいらっしゃいます。
え?ええ、大丈夫です、大奥様方へのお休み前のお茶も、もうしっかりお届けして参りましたから。とびきり美味しいお茶なので、みなさま今夜はとてもよく、お眠りになられることと思います。
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20200921Mon.
■綻んで傲慢(ジョンと妹)
お兄様、……お兄様!もう、こんなところにいらっしゃったのね。今夜はわたしが眠ってしまうまでわたしとお話ししていてって、昼間にようくお願いしたでしょう。どうしてこんなところを歩いておいでなの?
お母様の言いつけで戸締りの確認を?
ばかね、先週も先々週も、そうやってひと晩じゅう家のなかを歩き回っていたじゃない。今夜もまた同じことをするつもり?
ねえ、お兄様、わたしのお部屋でお話ししていてよ。わたしが眠ったら、お母様のところへ戻ればいいわ。少し調子のわるい錠があって直していたからとか、適当に理由をつけて――お母様はご自分で見回りなんてなさらないから、少しくらいうそをついたって、ばれやしないもの。
どうしてそのくらいのうそもついてはいけないの?お兄様はわたしのお兄様でしょう?こんな夜ふけにわたしを放っておくより非道い仕打ちが、この世にあって?
***
20200921Mon.