【始春】ひとつの空にいる 長期ロケで泊まるというより住む状態になっているホテルへ春が戻ってきたところで始からの着信が来た。
撮影が終わる時間をわかっているかのようなタイミングだけれど、本当はもっと早く電話をしたかったに違いない。
始がメッセージではなく通話を選んだ理由を知っている春の口元は自然とゆるむ。
「なんだ、あれは」
耳元でいつもより低い声が響くので、ジャケットを脱ぎながら春は笑う。
「もう届いたんだ。早かったねえ」
「春」
「なに?」
電話を持ちながら浴室へ向かう。
浴槽に栓をしてお湯を出しながら始に聞いた。
「味はどうだった?」
「うまかった」
水音がうるさいので浴室を出る。
ソファに座りながら春はうなずいた。
「それはよかった」
「あのなあ、」
「こっちの銘菓なんだって。撮影でお世話になった地元の人が教えてくれてね? おじさんやおばさんがこっちに来る機会もそうないだろうから、せっかくだからみんなと同じものを送ったんだよ。あ、うちにもちゃんと送っているからね?」
「春」
思いついたらやってみたくなったので、ツキノ寮宛に送ったお菓子を春の実家と始の実家にも送った。
自分で食べてみて美味しかったからというのがひとつ。
始の実家へ遊びに行ったとき、たまたま送った銘菓と似たようなお菓子が好きなのだと始の母親が話していた。
それを覚えていたから送ろうと思ったのがひとつ。
「それにさ」
天井を見上げながら春は少しだけ言葉の速度を落とした。
とたんに始の声がやわらかくなる。
「はる」
「……あのね、たまにはこういうのもいいんじゃないかなって。いる場所は違っていても、同じものを食べて、同じように美味しいって思えたら、って」
もう何週間も始と会っていない。
グループトークで会話は頻繁にしているし、電話で話してもいる。
けれど、グラビやプロセラのみんなと食卓を囲んだのはいつだっただろう。
日々の撮影は楽しいし、いろいろな新しい発見もある。学ぶこともたくさんあるし、淋しいなんて感じている余裕なんてない。
それでもどこかで、ほんのすこしだけ淋しいと思ってしまうのだ。
他愛もないことで笑いあえる仲間がそばにいないのは、やっぱり淋しい。
会いたい。
そう思うけれど、遠くにいても大丈夫だとも思う。
「始やみんなといるのがあたりまえになっているからかな。同じものを一緒に食べているんだ、って思えるだけで嬉しいんだ。それなら、始だっておじさんやおばさんと離れて暮らしているんだから同じお菓子を食べるのって幸せになれるでしょ?」
淋しいと思っていても、ひとつの空にいるのだ。
ちゃんとそこで食べて、笑って、立っていてくれたらそれでいい。
そう思えるだけの関係を、自分たちは築いている。
「というわけで、たまには始も自分からおばさんに連絡しなよ?」
すこしだけ漏らしてしまった本音を回収しながら春は茶化すように念を押した。
そうだな、と東京にいる始が小さくうなずいた。
「ところで春」
「なあに?」
「そろそろ溢れるんじゃないか?」
「……あ」
慌てて浴室へと戻る。
電話の向こうで始が笑っている。
「風呂で寝るなよ?」
「始じゃないんだから寝ません」
「俺は寝てない」
「記憶にないだけじゃない?」
「おまえみたいに醜態は晒さない」
「そうさせたのは始でしょ」
うっかり飛び出た言葉にふたりして笑う。
笑いあい、時間だ、と始が終了を告げてくれた。
「じゃあな」
「うん、おやすみ、始」
「おやすみ」
いつもと同じ言葉を交わし、通話を切る。
部屋の明かりを消してカーテンを開けると真っ暗な空が広がっていた。
春の淋しさを察してくれた始もこの空を眺めているだろう。