【始春】小さな相棒 通りを並んで歩いていると、春が小さな声を上げた。
始が顔を左へ向けると春が足を止める。
「懐かしいなぁ……」
嘆息のような言葉に始は首を傾げた。
春の視線の先にはショーウインドウに置かれたくまのぬいぐるみたちがいる。
春の部屋にこのくまがいたことはない。
けれど始の記憶になにかがひっかかっている。
「俺が生まれたときに親戚からプレゼントしてもらったんだ」
「……ああ」
ぬいぐるみたちを見つめたまま話す春の懐かしそうな声に始は引っかかっていた記憶を捕まえた。
バラエティ番組の企画で幼い頃の写真を出したことが何度かあった。
その中の一枚に、赤ん坊の春と並んだくまのぬいぐるみがいたのだ。
当時の春と同じ大きさのそれは淡い茶色で、春の髪と同じようにふわふわとしていた。
ショーウインドウにいるくまとほぼ同じ。違うのは体につけられたいくつかの装飾くらいだ。
「買っていくか?」
あまりにも熱心に見つめるから思わず言ってしまう。
「えぇ?」
春が振り返った。
伸びつつある髪が遅れて揺れる。
始を見つめた春はゆるやかに頭を左右に振った。
「欲しいってわけじゃないよ。大丈夫」
「そうか」
「待たせてごめん。行こうか」
ショーウインドウから離れた春が歩きだし、始も並ぶ。
店からは離れたが春の心はまだ残っているらしい。始だけのラジオはくまのぬいぐるみについてを語る。
「小さい頃はずっと一緒だったんだ。それこそ相棒みたいに。たぶん、写真の半分くらいは一緒に写っているんじゃないかなぁ」
遊園地も一緒だったと笑う春に始は春の幼少期の写真を思い出す。
なるほど、では始が弥生家で見せてもらった写真はあえてぬいぐるみがいないものばかりだったのか。
始がからかうとは春も思っていないだろう。おそらく春の母親が息子を気遣った結果だ。
ラジオは続く。
「それだけ一緒だと当然汚れるから母さんは洗いたがったけど俺はそれもいやで、珍しく抵抗したんだよ。洗濯機でヨレヨレになったぬいぐるみにショックを受けたよね……。うん、それくらい大切な存在だった…って、そのときは、だよ? 今は違うからね?」
わかっていると始は小さく笑う。
「それで? その小さな相棒とはいつお別れしたんだ?」
春のことだ、ぬいぐるみの代わりに本を抱えるようになったのだろうという始の予想に反し、春は微苦笑を漏らした。
「妹がね、欲しがったんだ。だから、妹にあげた」
それ以上を春は語らない。
音の流れないラジオはそれ以上のことを印象づける。
「……そう、か」
なんでもないことのように言う春だが、当時の年齢を考えると相当な葛藤があったはずだ。もしかしたら小さな相棒のいない夜は声もあげずに泣いたかもしれない。
軽口で流せるような過去ではないと始は理解した。
けれど店へ引き返してぬいぐるみを買うのはまた違う。今の春は代替品を欲してはいないのだから。
「春」
「なぁに?」
「おまえの今の相棒は、俺だからな」
春が何度かまばたきをする。
少しだけ考えた春のくちもとがゆるんでいく。
「うん。今もそうだし、これから先もずっとだよ?」
目を細める春のやわらかな髪を始はくしゃりとかきまぜた。