騎士だった若者の話 トラヴィス・ノーフォークは騎士である。
ノーフォーク家は代々優秀な騎士を輩出する家系で、トラヴィスも漏れなく立派な騎士となる筈だった。恵まれた体躯に真面目な気質、努力を惜しまない姿勢は彼を健全に育む、筈だった。
それはほんの些細な巡り合わせの悲劇、あるいは喜劇であった。貴族が多少狼藉をはたらいたところで──たとえば少しぶつかっただけの子供に対して剣を抜くとか──誰も咎めはしないのに、トラヴィスはそれを見過ごしてはおけなかったのだ……。
「スマイス卿、そこまでにしておいたらどうです」
若い騎士に口を挟まれたその貴族は、あからさまに気分を害した様子でそちらを見た。トラヴィスはその視線に怯まず、胸を張って堂々たる口振りで貴族に苦言を呈していた。
「貴人たるもの常に立ち居振る舞い優雅で人々の敬意こそ集めれど、好奇の視線に晒されるべきではないでしょう」
たしかに、その貴族が哀れな子供の鼻でも切り落とそうかとする様を見る周囲の人々は、この光景への好奇であるとか子供への哀れみであるとかあるいは貴族への憤りの感情を孕んだ目をしており、貴族を敬い尊ぶ様など少しもない。貴族もそれに気付いたのか少し憤慨した様子をみせたが、今さら引っ込みもつかないのだろう、目を泳がせた後その底意地の悪そうな目がトラヴィスを見た。
「であれば、トラヴィス・ノーフォーク、君がやれ。確かに私自ら手を下すようなことではない」
トラヴィスは心の底からこの貴族に呆れていた。貴い身分であるならば立ち居振る舞いには気をつけるべきだし、いたずらに自分より立場が下の者を弄んだり虐げるべきではない。あまつさえそれを他人に押し付けるとは!
「お断りします。寛容の美徳を示すべきかと」
「私に指図する気か!」
これ以上の押し問答は無意味と判断したトラヴィスは、そっと子供を自分の背後へ押しやり、逃げるようにと手を動かした。慌てて逃げ出した子供を見て貴族は激高し、トラヴィスを口汚く罵り始めた。
トラヴィス・ノーフォークは騎士である、それもきわめて真っ当な。騎士たるもの心身共に鍛えられており、いっそ哀れにも見える貴族の罵詈雑言程度で動揺するような惰弱さは持ち合わせていない。だが、……だが、彼はまだ若かった。聞くに堪えない言が彼の両親にまで及んだところで、かっと頭に血が上ってしまった。
気付いた時には、トラヴィスの拳が貴族の鼻柱に叩き込まれていた。
その後、貴族はトラヴィスの暴行を不当なものだと告発した。トラヴィスはほとんど申し開きをしなかった。目撃者は皆口を噤んでおり、ノーフォーク家がいかに名家といえども貴族相手には太刀打ちが出来なかった。とはいえこの程度のことで厳罰を下すことは叶わず、トラヴィスが罪に問われることはなかったが、貴族との対立を嫌った騎士団はトラヴィスを騎士団から除名した。
騎士でなくなったトラヴィスは自分が家の汚点となることを避けるために自ら絶縁を申し出、街を出ることに決めた。衝動的なものではなく、熟慮の末だった。行き先はアッシュバレー、来る者を拒まない穏やかな場所だと聞いていた。新居も手配し、荷物をまとめて旅立つ彼を、見送る者はいなかった。
* * *
トラヴィスの新居は、こじんまりとした一階建ての家である。都会では寮暮らしだった彼にとっては初めての一人暮らしだったが、アッシュバレーの住人たちは親切で温かく、すぐに慣れることが出来た。
「ハロー! 今日もいいお天気ね」
「はい、洗濯物がよく乾きそうですね!」
恵まれた体躯を持ち精悍な顔立ちのトラヴィスは、ややもすると近寄りがたい印象を与えかねないが、アッシュバレーでは特に浮くこともなく馴染んでいた。それは彼が真面目で礼儀正しいたちであるというのも影響していたが、なにより、アッシュバレーという土地柄のおかげもあっただろう。
優しく、穏やかで、ヒトもセリアンも争うことなく暮らしている。ここに拒絶や隔絶はない。
都会で生まれ育ったトラヴィスにとって“セリアン”というものは見慣れぬ隣人であり、最初の頃はどこかぎくしゃくとしていたし知らず無礼を働くこともあったが、今となってはヒトにもセリアンにも変わらず接することが出来ている。
また、騎士として叩き込まれた戦闘技術や高い身体能力はトラヴィスを今でも助け、退治屋としての仕事は勿論のこと、そのほか様々な短期の力仕事をするなどして何不自由なく生活することが出来た。もう二十代も折り返しにきているためそろそろ落ち着いた仕事を見付けなければという気持ちもあるにはあるが、こうして様々なひとを助けることの出来る生活も悪くはない。
トラヴィス・ノーフォークはもう騎士ではない。だが、その気質はいまだまっすぐなままである。