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    月がとっても青いから「篠原ぁ、隊長、今日出てこれそうな感じだったか?」
    「隊長でしたらもう出てきてましたよ」
    「お、本当か山崎。じゃあ判子を貰いに行けるな」
     太田がそんな確認をしたのは、昨日締めの書類を持っているからだろう。上司が休むとあっという間に提出する書類がたまるのは、官民問わず、人員も仕事も期限もぎりぎりで回している部署ではよくあることだ。
    「言葉は悪いんですが、あの後藤隊長が風邪で休みと聞いたときは、隊長も人間だったとなんか安心しちゃったんです。いやあ治ってよかったですよね」
     進士がさらりと失礼ながら隊の全員が同意する意見を述べると、山崎がにこにこしながら、
    「でも、隊長って意外と純情ですし、とても人間らしい方だなあって僕なんか思ってしまうんですよ」
    「純情? 隊長が?」
    「そうですよ太田さん」山崎はとても優しい目で太田と皆を見る。慈愛の男そのものだ。「だって、チョコミントアイスは歯磨き粉みたいで嫌いって言われてたのに、南雲隊長がよく冷凍庫に入れているなあと思ってたら、最近は隊長も時々食べてるみたいじゃないですか。そういうのってなんかいじらくありません?」
    「ちょっとストーカーチックな感じですけど、確かに純情ですねえ」
     進士がまた的確に失礼なことをいう。それから、思い出したとばかりに、
    「そういえば隊長って家庭的というか料理好きですもんね、前に家電の買い換えの相談に乗ったんですが、それがレンジと野菜室が大きい冷蔵庫だったから、あんなだらしなさそうな人でも、管理職ともなるときちんと家事するんだなあって感心したんですよ。僕も多美子さんのために料理の腕でも磨こうかなあ」
     包丁を握れる男っていうのは、奥さんが風邪を引いたときとか安心ですものねえ、と、進士が包丁を握れる男である山崎と頷きあっているとき、太田がふいに口を開いた。
    「篠原、あと泉どうした?」
    「太田さん何よ突然、どうしたって何が?」
     どこかぎこちない声で遊馬が返すと、間髪入れず。
    「おまえらがこういう話のときに黙ってるわけがなかろう、どうした、なにかあったのか?」
     普段繊細だけれど鈍感を地で行っている太田なのに、なぜ今日に限って観察眼を発揮してしまうのか。掴んでしまったスクープについては黙っていようというのが二人の結論だ。だから野明は「なにもない、特になにもないってば」と頭をぶんぶんと振った。
    「泉お前怪しいな。篠原、ほら、素直に言ってみろ」
    「俺はいつだって寡黙だろ」
     遊馬もまた適当に説得力のないことを言ってごまかした。すると、
    「ひょっとして、……篠原さん、確か昨日、隊長の家に行ってましたよね」進士が少しの好奇心をあらわにして眼鏡を光らせる。「まさか女の人でもいたりして。南雲さんだったらそれこそびっくりですよねえ」
    「ほら、あなたたちそろそろ上司のプライベートから仕事に興味を移して」
    「あらまあ、南雲さんと、後藤さんが」 
     熊耳が鋭く叱咤するのと、第三の女性が好奇心全開でそう声を上げるのはほぼ同時で、野明も遊馬も、隊の誰もが一気に入り口の方へと目を向ける。
    「あ、交通費の精算に来ました」
     二課イチの事情通こと、事務の副島さんが、おかめのごとき満面の笑顔でそこに立っていた。

     始業直後の二課は昨日までと変わらない無骨さと実直さしかない雰囲気だった。
     先に後藤が、次にしのぶが出勤したが朝イチで特になにかが起こったりもせず、なので二人はなにもなかったのだと繕って、いつものように過ごすことが出来た。後藤は水虫の薬を塗った後は隅々まで新聞を読んで、しのぶは昨日定時で上がったときに残った書類を淡々と片付ける。
     しかし、だ。
     事務の副島が、なにか確かめるような顔をしながら交通費の精算の書類を置いていったあたりから、二課棟の雰囲気がほんのすこしざわつき始めていると、後藤には思えて仕方が無い。
     昨日しのぶと「あの二人ならなにかを言いふらすことはない」と確認しあったとおり、泉も篠原も他人の私生活について不用意なことをいうほど未熟でも失礼でもない。
     無いはずだが、火があれば煙は立つし、手に汲んだ水は必ずこぼれる。
     しのぶも隊とのミーティングの帰り、そのざわざわとした空気に触れたらしく、眉をぎゅっと寄せて、さてなにがどうなって、そしてどうしてくれようかと考え込みながら仕事をしているようだ。
     どこから出た噂かは皆目見当がつかないが、暇に任せた噂だとすれば、今日か明日か来週か、とにかく出動があれば消える。だからそれまでのらりくらりとしてようよ、そう言おうとした矢先。ノックもなく隊長室のドアをがちゃりと開けた福島が「二人ともちょっと」と手招きをする。
    「ふたり……ってなにかしら」
    「第三小隊の話、じゃなさそうだねえ。次の訓練も来月以降だよね」
    「で、なければ」
     後藤はぎくっとしたあとに、ぎこちなく笑った。
    「いやまさか」

     いつだってまさかに備えろ、とはベタな保険のキャッチコピーだが、真理だ。
     二人連れだって課長室で敬礼をした瞬間、福島は迷わずためらわずに剛速球を投げてきた。
    「後藤君、南雲君。私もさきほど耳にした噂なんだが、その、君たちが、交際をしているというので」
    「誰から聞きました?」
     はい? と後藤が間髪入れず高めの声になると、福島は表情をぴくりとも動かさずに「事務の副島さんが、交通費の精算の書類を置いていったときにだな」
    「あー……副島さんですか……」
     そうだよなあ、あの態度からしても彼女しかいないよなあ。後藤は内心で手を額にあてた。
     とてつもなく優秀で仕事は速いし間違いもほぼしないが、女性週刊誌の記者のごとく、噂と情報について情熱を注ぐのが副島という人間だ。後藤や南雲が警視庁から見たら飛ばされてここにいるように、事務職員もそれぞれ訳ありでここにいる人が多く、副島はその筆頭だった。
     その副島に感づかれたなら、もう二課のすみずみまで噂は広まっていることだろう。泉や篠原が情報源のはずがないが、完璧に隠しきれないものもあったかもしれない。恐らくはそのようなかすかな情報と普段の観察眼から、たくましい想像力で描いた〝真相”を誰彼構わずに話して回ったに違いない。
     しかし副島のことはどうでもいい。二人で未来のことを決めていない今、しのぶになにかを背負わせる気は毛頭ない。後藤はとぼけた顔を作って、「課長それは」と口を開く。
     ただの噂に踊らされるとは課長らしくもありませんな、と続けようとしたのと、横のしのぶのまとう空気がきゅっと締まったのはほぼ同時だった。
    「――はい」
     しのぶの短い答えに、後藤は思わず彼女の顔を見た。
     しのぶは恐ろしいほど真剣な顔で、口を美しく結び福島のことを見ている。その麗々しい強さに後藤は打ち抜かれ、そして目が離せなくなった。
     南雲さん。そう呼ぼうとするのと、しのぶの声にかぶせるように、つまりしのぶの話を聞くこともなく福島がさらに口を開くのはほぼ同時だった。
    「いやいまはそんなことよりだな、もっと大事なことがあって」
    「あの、課長俺たちの話聞く気あります? あと、その、もっと大事なことって、なんです」
    「そりゃもちろんあれだ、挙式はいつだね後藤君」
    「は?」
     三段跳びにしたって助走というものがあるだろう。あまりの飛ばしように思わず後藤が聞き返すと、福島はしごく真面目な顔で「上司として出席をする以上休みを取らなければならないから、早めにわかるに越したことはないんだ。君たちの年齢ならもうプロポーズは済んでいるんだろ」
     福島のあまりに真面目な様子に、後藤もついにぽろりと本音がこぼれた。
    「いやまだ、といいますか、今度二人で食事に行くときにする予定なんで、挙式なんてそんなまだ」
     あれ、俺、いまなにを言っちゃった?
    「ちょっと、後藤さんそんなつもりだったの!」
     しのぶが顔を真っ赤にして後藤にかみつくのを見て、福島がさらに責めるように言葉を重ねてくる。
    「後藤君! きみ、正式にプロポーズをする前にここでそういう大事なことを言うのはどうなのかね! 仮にも管理職だろ!」
    「どうなのかねもなにも課長が言わせたんでしょうが! あと管理職関係ないでしょ!」
     勘弁してよー! という後藤の悲鳴が、課長室から二課棟に広々と響いた。

     副島の力なのか課長室からなにかがじわじわとにじみ出たのか、午後になると二課全体に宣言とは言いがたい交際宣言が行き渡ったらしく、後藤が榊に会いに行けば大金星じゃないですか、とシゲに大げさに背中を叩かれたり、しのぶはしのぶで廊下ですれ違った五味丘に「あの、おめでとうございます……」と小さな声で祝福されたりと、些細な祝いが桜吹雪のように積み重なりはじめ、ついには恥ずかしさからいたたまれないとばかり、二人とも隊長室に閉じこもることにした。こんなことは想定外だ、今日、前触れもなく、ありとあらゆるところからこんなに祝福が降り注ぎ続けるなんて。
     祝福されるのは嬉しいが同時にむずがゆい。つまりは、すべてが突然すぎて二人して困ってしまっているのだ。
     ただ、福島も含めて、二課の人たちから注がれる視線と言葉は、どんな祝辞よりも心を明るく満たすものだった。
    「今日、早上がりじゃなかったの?」
     終業時刻が過ぎたあたりでしのぶが後藤にそう聞いてくる。病み上がりだから早く帰りなさい、と同義だ。後藤はそのやさしさを受け取りながらも、だらしなく背もたれに寄っかかって伸びをして、そしてうんざりした顔を作った。
    「たった一日休んだだけでこの未決済の山だよ、もう少し片付けていかないと明日からおちおち休めやしないよ」
     まったく役所の書類体質っていうのはさあ、と愚痴をこぼす後藤に、しのぶは今日最後の印をおしながら優しく声と掛けた。
    「あなた今日病み上がりだからバスでしょ、だったら送ってあげるわよ」
    「いいの? 待たせるよ?」
    「それくらいの労力は労力じゃないわよ」
     当たり前だと言うしのぶに、後藤はじゃあ遠慮無くといいながら、内心で深々と頭を下げた。
     先ほど、課長室でのしのぶが示した覚悟は、後藤の心を強くしてくれる。この部屋に帰ってきた後に、これ以上ないぐらい顔を赤くしながら、本当にプロポーズするならあれで済まさないで改めてきちんとしなさいよね、という真っ当な一言も含めて。愛している人に愛されているという奇跡は、夜道のような人生でなにかを確実に照らす光だ。
    「あら、今日は細い月なのね」
     ふと窓の外を見たしのぶが綺麗だわ、感嘆する。夕闇に染まり始めた空に、溶けそうな白の三日月がぽっかりと浮かんでいる様子はいつも美しく。そして気高いものだ。しのぶさんみたいだ、と言ったら、照れながらも何言ってるの、で済ませられるのだろうが。
     思ったことの代わりに、後藤は同じく月を見ながら「ねえ、ほんとに、月がとても綺麗だね」と空を愛でたあと、あのさあと話し始めた。
    「有名なエッセイであるじゃない、夏目漱石が愛してますを月が綺麗ですね、と訳したって話」
     後藤の話にしのぶは「や、ちょっと後藤さん」と顔を真っ赤にする。こういうところがとても愛おしい。後藤はいつもの調子で笑って、
    「でも、それはただの都市伝説で実際にはそう訳してないってオチがつくんだけどさ。ところで月って西洋では昔から恋人たちのシンボルだから、月にまつわるそういう感性は間違いとは言えないって、そう思わない?」
    「相変わらず話の引き出しが多いわよね」
    「昔取った杵柄ってやつだよ、刑事なんて話芸だから」
    「また適当なことを」
     しのぶはいい加減なんだから、といつもの調子で流そうとしたが、突然なにかを思いついたとばかり、なにか企んだ顔になって楽しそうに後藤さん、と呼びかけてくる。
    「はいなんでしょう」
    「ねえ、月がとても綺麗だから、私を月に連れて行って」
     後藤はぽかんと口を開けて、トーテムポールのように立ち尽くしてしまったが、数秒して、自分が凍り付くほど照れていることに気がついた。
    「しのぶさん、あのさ、それって」
     しのぶは満足したとばかりに上機嫌になって、
    「うんちくのある会話は、あなただけの特権じゃないのよ」
    「もちろんそうだけどさ」
     後藤の耳に、古いスタンダードジャズの歌声が蘇った。火星と木星の春が見たいの、ずっと探していたのはあなた一人だけ……
     もちろんしのぶが望むなら、月にだって、天王星にだって、小さな鞄一つで連れて行きたい。
    「……しのぶさん、じゃあさ、今日どこかで月を見て帰ろうよ」
     後藤の誘いに、恋人はどこらへんがいいかしらね、とおだやかに答えた。しのぶの素のしなやかで柔らかいところからでる声だった。
     その響きに打たれるように気付く。こんな月の日にはいつでも遠回りして帰ろうよと言える人生がいまここにあることにも、そして、二人で同じ家に帰る日が、家族になるその時がもう遠くない未来となったことにも。後藤はめまいを覚えそうになった。
    「俺たち、上手くいってるよね」
     それは独り言のようなものだったが、しのぶはその一言に嬉しそうはにかんだ。
    「ええ、とても上手くいってる」
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    2023/03/21 18:01:47

    月がとっても青いから

    C94で発行した本の再録です。
    二人で遠回りして帰ろう
    #パトレイバー #ごとしの

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