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    14 リテイク:森の屋敷の兄弟 光の奔流が、穢れを押し流していく。

     それは風となり波となって、ギフトが形づくった黒の砦を、跡形もなく散らしていった。
     はぎとられた暗色の破片が、頬をかすめる。質量をもった輝きが、2本の足首をすり抜けていく。
     おしまいだ、全部。
     混沌の波間にひとり立つギフトは、悟っていた。
     負けたのだ。新しい理―――いや、あの赤い髪の幼馴染に。
     夢も望みも彼の手によってすべて打ち砕かれ、今まさに、ギフトは滅びて消えていくのだ。ギフトは、月の地平線の果てから、己の短い生涯が畳まれていく音を聞いていた。

     吹きすさぶ風のなか。
     ギフトはうっすらと唇をひらき、その言葉を喚んだ。

     背後から、透きとおった蒼い影が差す。
     その影は靄のように漂いながら、ギフトを包みこんでいく。
     皮膚一枚の隙間もなく。震えながら剣の束を握りしめる指先の一本一本までをも、守るように優しく。
     ギフトは後ろを振りかえらず、髪をはためかせながら、口元に笑みを浮かべた。
     声は出さなかった。口をひらけば、この幸せが散ってしまう気がしたからだ。
     うっとりと目を細め、ギフトは最後のときを待った。胸には、おもちゃの剣をしっかりと抱きしめて。

     世界のどこかで、「リテイク」の声を聞いた。

    ***

     泥んこ遊びをしていた。

     陽が落ちた薄暗がりのなか、地面にしゃがみ、夢中になって泥をこねる。手のひらですくい、形を整えていく。うつむく首筋は外気にさらされ、寒々しい。
    「できた」
     ギフトは額の汗を、手の甲でぬぐった。
     4人の正義のヒーローが、ギフトを囲むように、泥場に立っていた。
    「世界をすくう、英雄たちの誕生だ!」
     ギフトは満足げに宣言し、泥人形たちを見まわした。ギフトを入れて、5人組。
    「これからオレたちは、悪い怪物たちを、バッタバッタと切りふせるんだ。オレたちは強い強い正義の味方。正しい力をもつヒーローに、敵はないぞ―――」
     しかし直後、人形たちは次々とくずれる。
     ギフトは、土塊に戻ったヒーローたちを前にして、ああ、と嘆きの声をあげた。
     諦めきれずに呼びかけるも、もはや泥はしんとして動きそうもなかった。
    「なんだよお……」
     ギフトはがくりとうなだれる。

    「ギフトー。もう帰ろうよ」
     肩を落としていたギフトの背後から、声がかけられた。
     ギフトは、はっとして振りかえり、顔をかがやかせた。
    「フォルス!」
     そこは、幼馴染の少年が、情けない顔をして立っていた。月の光のなか、彼のあざやかな赤い髪が、明るく縁どられて揺れている。
    「フォルス、よく来た。オレと一緒に遊ぼう」
    「ダメだよ、もう真っ暗だよ。みんな、心配するよ」
    「頼む、あと1回だけ」
     ギフトは幼馴染に、ねだるように言った。腰にさしたおもちゃの剣をかまえる。
    「あと1回だけ勝負しよう。フォルス」
     少年は、ええ、と不平を鳴らしたが、諦めたようにため息をついて、腰の鞘から剣を抜いた。しぶしぶ、かまえる。
    「あと1回だけだよ? 本当にギフトは、負けず嫌いなんだから」

     鈍い音がして、剣が飛んだ。
     少年の、得意げな声が耳に届く。
    「へへ、ぼくの勝ち!」
     ギフトは自らの、空になった両手を見おろした。両膝を地面に落とす。また、負けた。
     ギフトはうつむき肩をふるわせると、空をみあげ、月に吠えた。

     ちくしょおぉー! くやしいよおおお。

    「……」
     地面にうずくまって唇をかんでいると、土を踏む音が聞こえた。見つめる地面に、影がさす。
    「……気が済んだかい。ギフト」
     影をたどって顔を上げると、月光を背に、赤い髪の少年が立っていた。
     しかしその面は、陰っていて見えない。
    「もう、いいだろう。そろそろ、行きなさい」
    「フォルス……?」
    「彼も―――きっと、待ってる」
     幼馴染のシルエットから響く声は、ひどく大人びて、寂しげだった。
     その姿はよく知る少年のものであるのに、知らない誰かに語りかけられているような気がした。
     影はつづける。
    「今度はやり方を間違えちゃダメだよ。もう一度、やり直しておいで」
     君が本当に、やりたかったこと……。
    「……」
     ギフトは口をあけたまま動きを止めて少年を凝視していたが、やがて、ゆっくりと立ち上がった。
     2本の足で地面をしっかりと踏み、顔を上げ、幼馴染の少年を見つめる。
     少年は、うなずいた。笑みの気配がした。
    「さあ、急いで……。大丈夫。僕が見てる」


     ギフトは、走った。
     握りしめた拳をふり、息せき切って、夢中で走った。
     空には大きな月が浮かび、穏やかに地上を見守っている。透きとおった月の光は、駆ける幼子の影を、柔らかに照らしていた。

     
     森にたどりついた。
     息をととのえ、深呼吸する。澄んだ冷気が、肺の隅々までを満たした。
     ふと、ギフトは、己が握りしめた手がざらついているのに気づいた。拳をひらく。手のひらは、泥で汚れていた。
    (きちんと手を洗うのよ)
     思い出のなかから懐かしい声が聞こえた気がして、ギフトは辺りをみまわした。
     星のきらめきをうつした小さな湧き水が、目に入った。
     駆けより、水面をのぞきこむ。底までが明瞭な、清らかな泉だった。
     こんこんと新たな水が湧きでるそれに、ギフトは手を差しいれ、よく洗った。
     清水から出した手のひらは汚れひとつなく、濡れて光っていた。
     泉は濁ることなく何処までも透きとおり、金剛石のきらめきに覆われている。


     木々を抜けた先に、湖が見えた。
     ひやりとした空気と、すずやかな緑の匂いが体を包む。
     ギフトは濡れた落ち葉を踏み、湖に近づいていった。

     そこにいた。

     白いコートをまとったひとりの青年が、月影うつす湖に向かって、立っているのを見た。

    「……」
     ギフトは言葉もなく、立ち尽くす。頭が真白になり、その背に声もかけず、ただ目に焼き付けるかのように見つめつづけた。
     青年の柔らかい薄茶の髪が、風にそよいでいる。
     その向こうにひろがる水面は鏡のように穏やかで、夜空の星月を反射して、きらきらと輝いていた。
     ふいに、青年の背が動いた。
     ゆっくりと振り向く。ギフトは全身を緊張させた。
     青年は真っ直ぐ後ろに向きなおり、ギフトの姿を認めると、にこりと笑った。
    「お帰り」
    「お、」
     体いっぱいに、膨らむものがあった。
     名前のつけられない感情の塊が、胸のうちをせりあがってくる。目のまわりが、じわりと熱をもっていくのが分かった。
     ギフトは、喘ぐように息を吸い、大声で叫んだ。
    「オレが言おうと思ってたんだぞ。何で先に言っちゃうんだよ」
    「そっか」
     微笑みを浮かべたまま、青年は言った。
    「じゃあ、言ってくれ」
     その優しい声音は、ギフトの胸を締めつけた。
     ギフトはひくつく喉を励まし、10年あたためていたその言葉を、ついに言った。
    「お帰りなさい。……エルスト、兄さん」
     兄は、透きとおった目で弟の姿を見つめていたが、やがて、かけられた言葉をよく味わうように瞼を閉じた。
    「ただいま。ギフト」
     弟の目から滴がこぼれる直前。ふたりはどちらともなく駆け寄り、抱き合った。痛むほどに強く、腕のなかのぬくもりをかき抱く。
    「―――ごめんなさい兄さん」
     兄の胸のなかで、ギフトは泣き濡れた声をあげた。
    「ずっと言いたかったんだ。謝りたかった。許してって言いたかった。でもきっと許してくれないって、そう思ったら、言えなかった。兄さんに、もうお前のことなんて知らないって言われたら、オレはきっと崩れちまうから」
     すがりついた白いコートを握りしめ、ギフトは兄を見上げた。
    「でも、本当は謝りたかった。ごめんなさい兄さん。ひどいことしてごめん。たくさん傷つけてごめん。オレを許してください」
    「バカだな、ギフト」
     ギフトの頬に、あたたかい滴が降ってくる。月を背負った兄の目から、光る雨が、幾粒も。
    「とっくの前に、俺はお前を許していたよ。この10年、泥に少しずつ心と体を食われている最中も。自我を失う、その瞬間だって」
     兄の親指が、ギフトのやわらかい頬をぬぐった。
    「ずっとお前を許していたよ。俺はお前の兄さんなんだから」
     滑らかな髪にさしいれられた指が、ギフトの頭をやさしく撫でる。
    「俺の方こそ、ごめんなギフト。あのとき小さなお前の手をはなしたりして。俺たちはこの暗い森で身を寄せ合って生きてきた、ふたりきりの兄弟なのに」

     夜の森に、幼子の嗚咽がひびきわたる。
     エルストは震える幼い背を抱きしめ、艶やかに流れる髪に頬を寄せた。
    「バカだな、俺たち。最初っから、こうすれば良かったんだ」
     眉をよせ、口元に笑みを浮かべ、つぶやく。
    「これで良かったんだ……」

     辺りは少しずつ、明るくなってきていた。
     しゃくりあげていた弟は、兄がのぞきこむと、照れたような上目づかいで、はにかんだ。
     エルストがぐしゃぐしゃになった顔を手でぬぐってやり、額と額をつけると、ギフトの目からは新たな滴が落ちる。ふたりは声をたてて、笑いあった。
    「はは―――ようし! これで全部おしまいだ。いいな?」
     エルストは、むかしのように溌剌とした声で、弟に語りかけた。
    「うん」
     満面の笑みでうなずき返したギフトの髪を、エルストの大きな手がかき混ぜる。


     東の空が、白んでいく。
     夜明けの清浄が森に差しこみ、闇の気配を薄めていく。 
     腕のなか、弟は兄の胸にもたれかかり、眠るように目を閉じていた。静謐な明るみに照らされながら、その唇には薄らと、微笑みが浮かんでいる。
     兄は、終わりのときを待っていた。
     強く、強く。皮膚一枚の隙間もなく、弟の体を抱きしめて。
     目をしっかりとひらき、光差す方向を真っ直ぐに見つめながら。

    (―――とけていく)

     調停召喚師エルスト・ブラッテルン。
     彼がこの世で最後に見た光景は、流魂万華の輝きであった。

    (風に。記憶に。光に)

     世界に。
    yoshi1104 Link Message Mute
    2018/09/29 4:44:54

    14 リテイク:森の屋敷の兄弟

    (ブラッテルン兄弟)

    ##サモンナイト

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