けーくんBD!今日という何でもなくない日は、主役であるケイト先輩にご満足頂けたらしい。プレゼントに囲まれてあちこち写真を撮りまくってはマジカメにアップしている。
「めっちゃはしゃいでますね?」
「ああ、去年もあんな感じだったよ」
ケーキ皿を片付けながら小さく笑った寮長にふうんと鼻を鳴らして、三年生と写真を撮ってるケイト先輩に目を走らせた。
ふと、談話室の片隅で珈琲を飲んでいるトレイ先輩が目に付く。あの二人は一緒にいそうで一緒にいない、時々その距離感を不思議に思うことがある。何気なくその近くに移動すると、何も言わずも俺を見止めてから珈琲を近くのテーブルに置いた。
「何か言いたげだな?」
「べっつにー。お祝いしてあげないんスか?」
「散々しただろ」
くつくつと口許に拳を当てて笑う仕草がひどく大人に見える。兄貴よりも落ち着いて見えるのは何故なんだろうか。言われた通り、うちの寮では朝からケイト先輩の誕生日お祝いで完全なるお祭り騒ぎだ。俺も何度おめでとうと言ったか分からない。「っすね、」とだけ答えて、トレイ先輩の横の壁に背中を凭れさせた。
「そう言えばトレイ先輩何あげたんすか? プレゼント」
「ケーキ作ってやっただろ」
「えー、あれがプレゼントー?」
恋人のくせに、とは繋げない。俺が知っていることを彼も知っているけれど、誰が聞いているか分からないこの場で言っていいことかどうかが分からなかったからだ。不満げな俺に肩を竦めたトレイ先輩が時計に目をやる。
「さあ、そろそろ引き揚げる時間だぞ」
ぱんぱんと両手を鳴らすと、寮生達がはあいと返事をしてぞろぞろと片付けを始めた。あれこれと縛りのあるこの寮では、当然布団に入る時間だって決まっている。その時間に間に合わせるためには、少し早めの片付けが必須だ。てきぱきと指示をし始めた寮長と、飲みかけの珈琲を片手に立ち上がった副寮長の指示に従って片付けに参入した。
元通り綺麗な談話室を後にして、歯磨きも終えてデュースとくだらない会話をしながら部屋に戻る。何気なくポケットに手を入れて、ふと指先に触れた感触に首を傾げた。
「どうした?」
「あ。やべ。戻し忘れた?」
余興として披露したマジックで使った談話室の小さな時計。戻したつもりだったけれど、うっかり持って来てしまったらしい。これは寮長のお気に入りで、明日の朝寮長が談話室に来た時にあるべき場所にないと叱られるに違いない。とは言え、朝早く起きる自信はなかった。ちらと手の中の時計を確認する。部屋に帰らないといけない時間までまだ少しある。
「ちと戻して来るわ」
「おう、遅くなんなよ」
「わーってるよ」
デュースに言いながら、談話室に向かって駆け出した。もうきっとみんな部屋に戻っているだろうから、なるべく静かに廊下を駆け抜ける。
「……….、……」
ふと、静かなはずの廊下で、人の話声がした気がした。反射的に足を止め、隠れるように壁にピタリと背中を付ける。隠れる必要なんてないのかも知れないけれど、そろりと覗いたそこでの光景に、咄嗟にそうした俺を褒めてやりたかった。
談話室の窓際。電気が消えたそこは頼りない月明かりだけ。俯いたオレンジの髪が顔を隠し、スローモーションのような相手の動きをひとつも見逃さないように見詰めている。
男にしては細い指に、するりと通されるシルバーのリング。月光に反射したそれが妙に印象に残って、思わずの喉を鳴らした。リングの嵌った左手を持ち上げて、ケイト先輩が、ふと笑う。その表情は困ったようなそれで、何となく不思議に思った。
ああそうだ、前髪を上げていない。だから表情が読みづらいんだ。ケイト先輩は人を近付けるくせに中に入れない。おでこを出して笑っているのに、一歩踏み込もうとすると一気に遠ざかるような人だ。けれど、どんな時も笑顔は崩さずにやり過ごす先輩が、髪で顔を隠しているのを見るのは初めてだった。
それにしても、リングだなんて。これはまさかプロポーズの現場か。嫌なところに居合わせたと思いつつ、何となく廊下にしゃがみこんだ。きっと、けーくん嬉しい、とか言って笑うんだ。そうしたら出て行こう。「結婚おめでとうございます! いやー、忘れもんしちゃいましたよお」って笑いながら行くしかない。早くケイト先輩笑わねーかなあ。
なんて、思っていたのに。
「……指輪って」
鼻で笑ったその声は、聞いたことがない音をしていた。一瞬誰の声か分からなくて、思わず眉を寄せ、第三者の存在を確かめるけれど、そこにいるのはどう見てもトレイ先輩とケイト先輩、そして、俺だけだ。焦った俺を置いて、知らない声の会話が進む。
「そんなキャラじゃないくせに」
「でもこう言うの好きだろ?」
吐き捨てるようなそれを、トレイ先輩は丁寧に拾い上げた。目の前に手を翳して指輪を見詰めるケイト先輩の眼は喜びも嘲笑もない。言ってしまえば虚ろなそれに、鳥肌が立った。
「別に」
「嘘だな。ロマンチストなくせに」
「言ってれば」
詰まらなさそうにふんと鼻を鳴らしたケイト先輩の左手を、トレイ先輩が鮮やかに掬い取る。捕まえたそれに恭しく唇を寄せた。
月明かりを背景に、ロマンチックな場面。のはずが、二人の表情は丸でハンターと獲物のような、ひりつく緊張感を浮かべている。出て行くタイミングなど欠片もあるはずがなかった。さてどうするかと天井を見上げて思案する。このまま部屋に戻るか。時計のひとつちゃんと置いてなかったところで、ペナルティはせいぜい談話室の掃除三日くらいなものだろう。寮長のユニーク魔法を食らうよりも全然マシだ。そうと決まれば、と立ち上がりかけた俺の背中で、くすりと笑った気配がする。
「やだやだ。外堀のつもり?」
「まさか。誓いの証人だよ」
二人分の足音に慌ててももう遅い。見上げたそこでは二人の先輩が薄笑みを湛えていた。
「どうしたのー? こんな時間に。リドルくんに叱られちゃうよ」
そう言って笑ったケイト先輩はいつものケイト先輩で、先刻までの雰囲気とは丸で違っている。脳内処理が追い付かずに曖昧に笑って今度こそ立ち上がった。おやすみ、と廊下を歩いて行く先輩の背中は鼻歌交じりで、どこからどう見ても俺の知っているいつものケイト先輩。ちらとトレイ先輩を見上げると、肩を竦めてこちらも歩き出す。ふと、足を止めて振り向いた緑の髪が不敵に笑って
「証人ありがとな」
とだけ告げられた。
なるほど。戻したはずの時計を入れたのはトレイ先輩か。
寮長に見付かってペナルティ付けられたら絶対に巻き込んでやる。鼻息荒く時計を元の場所に戻して、さっさと部屋に引っ込んだ。
翌日、寮長にはバレずに済んだし、トレイ先輩がチェリーパイを焼いてくれたものだから、もう全部許すことにした。