TO麺×$ 16地方ライブは初めてと言うわけではない。以前もこのバンドで何回か来ている。そうしょっ中ではないから、慣れていると言うわけではないのだけれど。今日の会場だって、半年以上前に来たきりで、かなり久し振りだった。とは言っても、ライブハウスなど大体どこも同じで、狭い楽屋はタバコ臭いし、落書きだらけだし、荷物を置くところも満足にない。ステージは高さがなく、ホールが横に長いか縦に長いかでステージの横幅が決まる。
「今日完売したんスよね。すげ~な~。売上いくらになるだろ」
しし、と肩を竦めて笑ったラギー氏に、この子お金が好きなんだなあと考えた。悪い事では決してない。何をするにもお金は必要だし。推し活するにも、推し活するにも。ワイヤレスイヤフォンでシャッフル再生しているのは自分たちの楽曲ではなく、推しの楽曲だ。何が悪いことがある。はちゃめちゃにキュートなアイドルソングを聴きながら、右目の青い炎のメイクが完成し、青の口紅が施され、鏡を覗くとものすごい人相の悪い男が映し出されていた。
「……ねえラギー氏、このメイク合ってる? 単なる不審者では?」
「この前のテレビと同じッスよ。評判よかったでしょ」
はい次~、と回転いすを回されてどかされる。メンバーの扱いが雑なんだよなあ。溜息を吐きながら楽屋の片隅に寄せられた長机に座った。
「マレウス様!!」
「うるさ……」
「声がデケェんだよ……」
「どうしたセベク?」
セベク・ジグボルト氏は、マレウス氏の声に惚れ込んで押しかけて来たローディーだ。うちのバンドはそんなのばっかりだ。セベク氏は身長もあるし力もある。手先が器用ではないけれど、大道具や楽器のセッティングはてきぱきとこなせるのでかなり助かっていた。
「卵が産まれました!」
「おお、そうか」
メイク前の素顔で目を輝かせたマレウス氏が立ち上がり、セベク氏の手からドラコーンくんを受け取る。いや何させてんの。ドラコーンくんは自分でやって、セベク氏にはライブの支度させてよ。
「セッティングは全て完了しましたので、あとは開場を待つばかりです!」
ああそうなの、すごいね。狭い楽屋に響き渡る大音量は、イヤフォン越しにもはっきりくっきり伝わって来た。横でレオナ氏がげっそりしている気持ちがわかる。
「あー、マレウスさんメイク最後ですんません」
「いや、いい」
鼻歌交じりにドラコーンくんを弄っている背中に頭を掻いて、この男のファンになる女の子たちの気が知れないなと考えた。いや、レオナ氏だって態度悪いし怖いしいかついし、トレイ氏なんて何考えてるかわかんないし、僕なんてネクラのアイドルオタクなわけで(公表してるわけじゃないけど)、このバンドのどこに魅かれた人達が客席を埋めているのかと実はいつも不思議だった。
ツアー初日は割と鬼門で、いつもマイクの不調だとか、楽器の不調だとか何かしらがあるのだけれど、セベク氏のセッティングのお陰か、今日は何のトラブルもなく成功を収められた。ホールを埋め尽くすお客さんは8割が女性。時々男性を見かけると、君たちよく女の子の中に紛れ込めるね、という気持ちにすらなる。
「っは~~~終わった終わったァ」
乱暴にジョッキを置いたレオナ氏の横でちびちびとコークハイを傾けた。会場とホテルからそう遠くない居酒屋は、半個室になっていてまあまあ居心地がいい。幾つか目のジョッキを持ち上げたトレイ氏が唐揚げ片手に笑った。彼も随分機嫌がよさそうだ。
「初日なのに成功ってなかなかないよな。幸先いいな~」
眼鏡の向こうが裏表なくにこにこ笑って、ビールジョッキが空になって行く。壁を背にして僕の正面に座ったマレウス氏は、既に舟を漕ぎ始めていた。て言うか僕ももう帰りたいんだけど。
「明日は移動か」
「そう、移動先で取材が1本入ってるからよろしくな」
「へいへい……」
面倒そうに頷いたレオナ氏に、そこは同意する。取材って何なの。オンラインでよくない? どうせ大した質問して来ないくせに。はあ、と小さく溜息を吐き、トイレ、と言い捨てて立ち上がる。落としてしまわないようにワイヤレスイヤフォンを机に置いて、テーブルを離れた。
何となく、視線は感じていた。多分、他のメンバーも。細い通路の先にある唯一の個室トイレから出ると、道を塞ぐように二人組の女の子が立っていた。見るからに「バンギャ」と言うやつだ。否、正確に言うと、「狙い」だ。つまり、目的のメンバーと「繋がる」ために行動を起こすファン。
「イデアさんですよね? 私たちさっきのライブ行ってましたぁ」
「お話してみたくて~」
ビンゴかあ。声を出すのも面倒だなと思う。こんなことならイヤフォン置いて来るんじゃなかった。聞こえない振りもできやしない。僕の肩くらいまでしかない彼女らが計算され尽くした上目遣いで見上げて来た。
「イデアさん達って~あんまり地方公演しないじゃないですか~」
「この後一緒に飲みませんかあ?」
茶色のゆるふわパーマを指先で弄りながら片方が言うと、追随するように同じような髪型のもう片方が言う。正直見分けがつかない、所謂量産型だ。可愛い、んだろうけど、全く刺さらないと言うか、特に何とも思わない。何となく、ちらと足元に視線を落とす。ミニスカートから覗く足首はきゅっと細い。脚の形はいいなあ、なんてふと思って、アルコールに浮ついた頭で考えた。
そう言えば随分“ご無沙汰”だ。アルコールが入ったいい気分でセックスするのって気持ちいいんだよなあ。解放感とか、そんなもののせいで。暫くそんな感覚忘れてたけど。こんな所で待ち伏せして僕に声を掛けて来たと言う事は、つまりそういう事なんだろう。いつの間にか身体を寄せて来た彼女らの胸元に目線を落として、ふうん、と心の中で呟いた。
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イデアの戻りが遅い。そんなに呑んでいなかったはずだが、まさかトイレで気分が悪くなったりしているのだろうか。ちらちらとトイレの方を窺っていると、レオナが「珍しいな」と呟く。何の話かと彼の方へ眼をやると、にやりと意地悪く笑った。
「あいつ。シケこんでんじゃねえか?」
「いや、まさか」
苦笑しかけて、飲み込む。完全に否定ができるかと言われると、残念ながら答えはNOだ。有り得なくはない。アルコールも入っているし、ライブ後のテンションもある。地方で解放的になってる可能性だってあった。
正直、バンドも軌道に乗り始めたこのタイミングで変なトラブルは避けて欲しいと言うのが本音なのだけれど。
「触れもしねえ女にうつつぬかし過ぎたか?」
笑うレオナに苦い顔をする。逆に、アズールの存在がストッパーになってくれるかと思っていたけれど、それとこれとは完全に話が別か。アズールはあくまで手の届かない憧れのようなもの。ここ最近は俺が知る中ではイデアに浮いた話はないし、そのテの話も聞いていない。言ってしまえば、健康な成人男子であるから全く何もない方が不健康なのかも知れなかった。
「それは関係ないだろうけど……トラブられるのは困るな」
「お前が言うか」
酔って気分がいいらしいレオナが大きく笑う。きっと、俺のファンの事を指しているんだろう。本気になるファンが多くて何故だかいつも炎上しているらしいとは知ってはいるけれど、俺がどうしたところでどうしようもないから放っておいている。
いや、今はそんな事よりもイデアだ。仕方ない、トイレまで見に行くか。置きっぱなしになったイヤフォンを視界の端に捉えながら立ち上がる。放っておけよ、と言うレオナの声には、ひらりと手を振るだけで答えた。