TO麺×$ 19ツアー三日目。そろそろ移動の疲れやライブの疲れも溜まって来て、近場のマッサージ店でも探したいなとマレウス氏とメイクを落としながら話していると、これまでの会場よりは比較的広めな楽屋のドアが乱暴に開けられた。驚いて目をやった先には、珍しく真剣な表情のトレイ氏が僕を見ていて、何かやらかしたかと身を強張らせる。
「な、なに……? どうしたの」
「イデア、落ち着いて聞いてくれ」
「は……?」
そんな漫画でしか見ないようなセリフ。しかもそれって絶対いい報せじゃないやつ。一体何を言い出されるのかと一気に冷汗が噴き出す気がした。どきどきと心臓が忙しなく動き出し、近付いて来るトレイ氏に、思わず立ち上がる。
「アズールが倒れた」
「は……?」
一瞬、何を言われたのかが分からずに思わず間の抜けた声を漏らして固まった。アズール氏が、何? て言うか何でトレイ氏がそんな事知ってるわけ? いや、そうか、リドル氏から連絡があったとか。え、でもリドル氏も何でアズール氏の事をわざわざトレイ氏に連絡したの。ああそうか、新曲依頼の打ち合わせの時に僕の事バレてたんだった。
「単なる疲労が溜まってって事らしいけど、少しの間入院するらしい」
「入院……」
全身の毛がぞくりと逆立つ思いがする。病院に、あまりいい印象はない。だって、オルトもすぐに退院できるからと言って未だに入退院を繰り返している。ああ、口の中が渇いて上手く言葉が出ない。こう言う時、単なるファンである僕は一体何をしてあげられるんだろう。ファン。そうか、誰かから連絡が来ているだろうか。
ジャケットのポケットに入れっぱなしになっていたスマホを取り出して画面を確認すると、案の定ジャミル氏とデュース氏からそれぞれメッセージが来ていた。
『イベント、アズール欠席だそうです』
『体調が悪いとか』
『どうにか二人で終えました』
『何かわかったら連絡します』
三人のトークルームに、代わる代わるメッセージが投げ込まれている。丁度、僕が本番で楽屋を離れていた間の時間だ。とすると、事前情報はなく、本当に直前での欠席だったのだろう。一体僕は何を思えばいいんだろうか。
大丈夫? お大事に? 残念だったね? 次があるよ?
次? 次って何だ。今日のイベントはそれなりのネームバリューがあるアイドルが出演するイベントで、数合わせとは言え出演できればそこの客に名前を売れるチャンスだったはずだ。特に彼女らがそう言っていたわけではないけれど、きっとアズール氏ならそのくらい考えるに決まってる。それに、穴を開けたなんて。いま彼女は一体何を思っているだろう。もしも気の利いた一言を思い付いたとしても、トレイ氏を経由して伝えてもらうのは何か違う気がして、呆然と爪先を見詰めた。
ファンて言うのはなんて無力なんだろうか。ただ、時間が経過して、彼女が一人で立ち上がるのをただただ待つしかできないのだ。初めて、彼女との距離がもどかしいと感じた。
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白い天井に段々と照準があって行く。最初に見たのは、泣きはらした目のカリムさんと、リドルさんだった。イベント会場に着くよりも前。何なら昨夜から、少し体調が悪かった。ここのところ、ユニットの方向性の見直し、衣装や企画の再検討、今後のロードマップに物販の手配、スケジュール調整に営業とやる事が多過ぎて、正直ろくに睡眠が取れていなかったし、合間を縫って通い続けているジムでは、ジャックさんに食事と睡眠は死守しろと叱られた。
「アズール! アズール!!」
「よかった、アズール」
倒れた瞬間の事は、悔しいことに覚えている。唐突にテレビを消した時の、あのぶつりとした途切れる感じ。目の前の世界がそうして強制終了されて、床にぶつかった衝撃までが記憶にあった。イベント会場の楽屋。挨拶回りを終えた片隅。ちらと走らせた視線で時計を確認する。当然だけれど、イベントはもうとっくに終わっている時間だ。
「……すみません。大事なイベントで穴なんて」
「何言ってるんだ。責任はアズールの体調を気遣えなかった僕らにある」
「ごめんな、アズール疲れてたのに。ごめんな」
ベッドに縋りながら泣くカリムさんの髪をぼんやりと眺めて、そのまま隣に立つリドルさんの悔し気な表情を見詰める。その向こう、ドアの両サイドにはジェイドとフロイドが控えていた。二人とも、厳しい表情をしている。
「……二人とも、悪いんですが少しジェイドとフロイドと三人にしてもらえませんか」
からからに乾いたのどでそう言うと、やや困惑した二人が素直に立ち上がった。何度か振り向きながら病室を出て、静かにドアが閉められる。
「情けないです」
「ご尤もです」
「て言うかあ、無理があったんだって~。アズールばっかりあれこれやってさあ」
出て行った二人に代わってベッドサイドに近付いた双子の手を借りて、どうにかベッドから身体を起こした。まだ少しふらふらする。額を押さえるように手を当てて、立てた膝にぺたりと身体を寄せた。
イベントは、成功したのだろうか。僕を欠いて二人だけで。きっと頑張ってくれたに違いない。リドルさんの歌とカリムさんのダンスがあればきっと。名前を覚えて帰ってくれた人たちはどのくらいいるだろう。今日のキャパの30%でも覚えて行ってくれたら万々歳だ。いつもよりも大きなキャパとステージ。リハーサルで観た会場を瞼の裏に描く。
それはやがて、じんわりと輪郭を滲ませた。
「う、……うっ、うああああああっ!」
叫び声にも似た泣き声に、ジェイドとフロイドが寄り添う。そっと抱き締めてくれる二人の体温が優しくて、どうしたって泣くのをやめられなかった。
悔しい、悔しい。僕だってあのステージに立ちたかった。パフォーマンスを成功させて、認知を広げて、大勢に僕らの事を知ってもらって、観てもらって、拍手が欲しかった。折角のチャンスをこんなことで潰してしまうだなんて。何故もっと、ジャックさんの言う事を聞いておかなかったんだろう。何故リドルさんやカリムさんが手伝うよと言ってくれた時にお願いしますと言えなかったんだろう。後悔ばかりが押し寄せて、涙になって次から次へとあふれ出した。
「ねー、アズール、もっと俺たちを頼ってよ」
「アルバイトを増やして担務を分散させましょう」
「ああああああ!」
自分の声に耳鳴りがする。背中に頬を付けたフロイドと、頭に頬を寄せたジェイドが僕を包むようにただ黙って寄り添ってくれるのだけが救いだった。頼っていないわけじゃない。ただ僕の立ち回りが悪かっただけだ。以前、ヴィルに言われた言葉を思い出す。
『他人に任せることができないのは二流よ』
今ほどそれを痛感したことはなかった。もう一度出直しだ。これを機に立て直すしかない。今は思う存分泣いて、明日から切り替えよう。そう決めて、声が枯れるまで泣き続けた。
病室のドア越しに聞こえたその声に、胸が引き裂かれそうだった。アズールは、いつだって前を向いて、毅然としていて、何でも器用にこなしてしまう。だから、甘えていた。手伝おうか、なんて言っておきながら、具体的に彼女の仕事を引き受けようとして来なかったんじゃないか。不甲斐なさに親指の爪を噛んだ。
「……俺、もう少しちゃんとする。できることを増やして、アズールと一緒に頑張る」
涙も枯れた眼で、カリムが呟く。アズールの声を聞きながら、同じことを考えていたんだろう。そうだね、と頷いて、白い天井を見上げた。
あとは。僕らの前でも泣けるくらい、アズールに寄り添ってあげられればきっと、僕らはもっと高みを目指せるはずだ。ここがターニングポイント。それを決して忘れないように、強く強く奥歯を噛んだ。