TO麺×$ 25ジムの後に事務所に寄って欲しいというジェイドからのメールをロッカールームで確認した。今日のトレーニングは僕一人だったから、その足で事務所に向かう。ジェイドからの呼び出しと言う事は、運営費の件か、次のイベントの相談か。企画面でエースが入ってくれたことは非常に心強い。彼のアンテナは随分張り巡らされていて、僕らが気付けなかったような事まで指摘して、修正案まで出してくれていた。ケイトさんには感謝だ。
事務所に着くと、ジェイドは既にソファに座って膝の上にノートパソコンを広げていた。身長の問題でテーブルが合わないらしい。窮屈そうな姿ももう見慣れたけれど、彼らの体格に合わせて調度品を選んでいては他の人たちが使いにくくなってしまう。
「お呼び立てしてすみません」
「いえ、どうしました?」
ジムバッグを向かいのソファに置いて対面に座った。一連の流れを眺めながらジェイドが続けた。
「実は、アズールのソロ曲を担当してくださった方が既に完成させていまして」
「えっ、早いですね。コンセプトの件は?」
「お話ししたんですが、それならまた作り直すから取り敢えず、と」
それはそれは。随分と懐が広いと言うか何と言うか。一度差し戻したものは別の人への提供とかで再利用するのだろうけれど、それにしても作り直すからとは。しかし、コンセプトの件もあるし、あまりに懸け離れてしまうようであればそうしてもらわざるを得ないのかも知れない。
「歌詞も作って下さったんですが、こちらの方がコンセプトにダイレクトに影響するでしょうし、本人が作詞するならこれは破棄してもらって構わないと」
「作詞……」
考えたこともなかった。これまではカバー曲が多かったし、数少ないオリジナル楽曲は基本的に作家任せで、自分が作詞や作曲に携わることを想像すらしたことがなかった。どんな曲だろう。コンセプトはさて置き、非常に興味がある。作家は僕のことを知っていて書いてくれたのだろうか。それとも、数曲ある内のストックか。この早さだともしかしたら後者かも知れないなとひとつ深呼吸をした。
「一度聴いてからでもいいですか?」
「もちろん。そもそもコンセプトもまだ決まり切ってないですし」
「……そうですね……」
正直、いま最大の問題はまさにそれだった。アイドルのコンセプトなんて殆ど使い古されていて、いまいち目新しさがない。かと言って奇を衒ってしまえば受け入れられる可能性が急に低くなってしまう。はあ、と深く溜息を吐くと、ジェイドが苦笑した。
「まあ、何かヒントになるかも知れないですし」
スマホがメールの受信を報せる。見ると、ファイル添付のメッセージが到着していた。
「ありがとうございます。拝聴します」
パンツのポケットにスマホをしまって立ち上がる。コンセプトの件もあるし、家でゆっくり聞きながら考えよう。頷いたジェイドに見送られながら、事務所を後にした。
シャワーを浴びて、一息。そう言えばイメージカラーの件も宙に浮いたままだ。とは言え、三人しかいない中であまり馴染みのない色を持ち出してもインパクトに欠ける。無難に赤・青・黄とするのがいいんだろうなと思う。となると、僕は青かなと考えながら紅茶を淹れた。ローテーブルの前に座ってパソコンを立ち上げる。ジェイドからのメールを開いて、一度深呼吸をした。いやに緊張する。初めてのオリジナルソロだからなのか、それとも今後の事を含めて何か思うところが多いせいか。そう言えば、作家の名前を聞くのを忘れた。聞いたところで、作家に明るいわけではないしわからないかも知れないけれど。あとでお礼を言いたいし、ジェイドに聞いておこう。意を決してマウスを握って、添付ファイルを展開した。
再生された音楽はシングロイドの声。何故だか妙にどきりとしてしまったのは、恐らく『ネクラP』の曲以外でシングロイドに触れることがないからだ。そこが勝手に紐づけされてしまっているのかも知れない。それでも、紡がれる音符たちはどこか少し彼の音作りに似ているような気がして、胸の高鳴りが止められなかった。澄んでいるようで、時々毒が混じるような音使い。そんなまさかと思うけれど、この音に掴まれているのは事実。
どことなく海を連想させるその音に目を閉じた。きらきらと光る水面に、寄せては返す波。見目は美しいけれど、その癖、危険な生物を住まわせ、気を抜くと深海に引きずり込まれるような。
(…………)
どこか懐かしい音に呆然とした。これを、歌うのか。自分が? シングロイドのハミングだけでもこんなに心を揺らす事ができるこの音を。できるか、否、できるかできないかではない。やるしかないのだ。だって、この曲を断ったらきっと、これを誰かがいつか歌うに違いない。それだけは、絶対に嫌だった。そのくらい、心に刺さった。
「海、海か……」
聞き終えたファイルをもう一度再生させて呟く。海をコンセプトにするのもいいかも知れない。にしても、例えば。ずっと水着と言うわけにはいかないし、海の生き物をモチーフにするとか、だろうか。何の脈絡もないし、イマイチ受けそうもないか。そのままごろりと床に寝転んだ。
それにしても、この曲に一体どんな歌詞が付けられているんだろう。一から作詞をするのはハードルが高いから、つけてくれた歌詞をベースに少し書き換えさせてもらうとかは失礼だろうか。きっと素敵な歌詞が付いているに違いない。それをまだ見ぬコンセプトに沿ったものへ変えて使わせてもらえるのなら。これもあとでジェイドに確認しよう。
考えながら、ジムで疲れた身体が睡眠を欲するものだから。そのまま床で眠ってしまった。海の夢を見た気がする。苦しくはない、海の中で伸ばされた誰かの骨張った白い手を取って、何だかとても幸せな夢だった。
事務所の机に広げられたそれらに目を瞠る。どうだと言わんばかりに胸を張ったカリムさんが褒めてくれと言わんばかりに鼻を膨らませた。
「これは……」
「図書館で借りて来たんだ、どうだ?」
どうだ、と言われても。今日はコンセプトを持ち寄った検討会。それについての資料を提出して欲しいと行った所、並べられたのは可愛らしい表紙が目立つ、絵本達だった。
「なあ、童話っていいと思わないか?」
「童話……」
「シンデレラとかって事かい?」
「そう! プリンセス!」
「「プリンセス…………」」
少し、いやかなり顔を顰めてしまったのは僕だけではなくて、隣にいたリドルさんも口元を引き攣らせている。正直、プリンセスと言うタマではないような気がしたからだ。
「でも、三匹の子ブタとかでもいいんだ。何でもいい。その時々で童話からテーマを決めてやれたら。ただ、ベースになるテーマはいるだろうから、それはみんなで考えたい」
きらきらとした眼で見詰められて、思わず言葉に詰まる。いや、でも。それは結構いい案なんじゃないか。ふむと鼻を鳴らし、手元にあった一冊を手に取った。
「……人魚姫……」
昨日聴いた曲が耳の奥に蘇る。昨日どころか、今日ここへ来るまでに何度も繰り返し聴いたあの曲。海を思わせる歌。僕が人魚姫だなんておこがましいけれど、あの曲があればできる気がした。
「いいですね、これで行きましょう」
「本当か!? やった、俺も役に立てたな!」
わっと両手を上げたカリムさんの言葉が少し引っ掛かったけれど、テーブルの上の絵本を綺麗に並べ直して、まずは最初のミニアルバムのテーマ決めに移ることにした。
「リドルは赤ずきんだな~。親指姫もいいな……」
「身長の事を言っているのかい……?」
二人の会話を聞きながら、これは自分から『僕は人魚姫で』と言うのは中々勇気がいるなと思う。イメージが違うと言われてしまうかも知れないし、どうしようかと考えていると、絵本を物色していたカリムさんが一冊を取り出して僕に渡して来た。
「アズールは人魚姫だな! 眼の色が海みたいだしな」
押し付けられた絵本を反射的に抱えて、そう言ってもらえたことに嬉しさが抑えられない。けれどどうにも恥ずかしくて、絵本で口元を隠してふふと小さく笑うと、それを見たリドルさんとカリムさんも一緒になって笑ってくれた。