【フレイア・フェスタ】(1) 町が浮き足立っている。色とりどりの花で飾り付けられた町並みに居心地の悪さを感じ、男は人を避けるように道の端を歩いていた。
ユージーン。この初老のセリアンは祭だというのにぱっとしない表情で、常よりもきちんとした格好ではあるものの華やかさはない――糊のきいた白いシャツに黒のベストとスラックスというシンプルな格好である――。夕方のダンスパーティーの音楽を担当するというのもあってこうして身だしなみを整えてはきたものの彼は着飾ることを楽しむ気質ではなく、いかにしてこの服を汚さずに日中を過ごすかくらいしか考えていなかった。
ふと喉の渇きを感じたユージーンは、通りの一角にジューススタンドが開かれているのを見てそちらへと近付いた。明るい色彩の果物が並び、大きな水差しにたっぷりとジュースが満ちている。
「それを一杯くれないか、一番小さいサイズでいい」
「毎度あり!」
シンプルなリンゴジュースを一杯購入し、店主の女性からコップを受け取ったユージーンは代金を置くと、中身を飲み干して一息吐いた。空になったコップを受け取った女性は、おや、と言いたげな顔でユージーンの格好を見る。
「あなた、スズランはどうしたの?」
その指摘に今更気付いたのか胸ポケットを押さえ、一言無愛想に「忘れた」とだけ返したユージーンに女性は眉を下げた。
「それは残念……そうだ! これを持っていって!」
女性は店先に飾られていた花瓶からスズランを一束取り上げるとユージーンへと差し出した。
「いや、私は」
「せっかくのお祭りだもの、幸せは分け合わないと! 素敵なフレイア・フェスタを!」
なかば無理矢理スズランを押し付けられ、ユージーンは困惑しながらその場を後にした。
スズランは持ち歩くのには不向きだ。しおれるのはもちろんとして、油断すると花が落ちてしまう。そんな予定はなかったのに手に入れてしまったこの花をどうするべきか、捨てるわけにもいかないし、と悩みながら歩いていたユージーンは視界の端で何かがきらりと光ったのを感じそちらを見た。
まず目に入ったのは青年の頭に生えた大きな角である。細かな装飾品で彩られたそれの持ち主は酒杯を片手に木立へともたれかかっていたが、ユージーンに気付くと軽く笑って会釈した。この青年はシルヴェストロという名の行商人であり、ここ数年アッシュバレーに滞在している。外部との接触が限られているこの小さな町において行商人という異物は人間と関わることを避けているきらいのあるユージーンにとっては隔意の対象であったが、需要が限られすぎていて町の店には置いていないような品――例えば五線譜であったり、写譜用のペンであったり――を用立ててもらううちに多少信用するようにはなっていた。
「ハロー、ユージーン。珍しいな、こんな日に出歩くなんて。しかも随分めかしこんでるじゃないか」
「ハロー。……今日のダンスパーティーで伴奏するんだよ」
その答えにシルヴェストロは少し驚いた様子を見せたが、そうか、頑張れよ、と笑ってユージーンの二の腕を叩いた。仏頂面のままその激励を受け入れたユージーンは、ふと自分の持っているものを思い出し、表情をほとんど変えないままそれを差し出した。
目の前で揺れる一輪のスズランに、シルヴェストロは怪訝そうな顔をする。
「世話になっているから」
笑顔のひとつも浮かべればいいものを、無造作に差し出されたスズランは初老の男の仏頂面には不釣り合いである。ぱちぱちと瞬きをしてから、シルヴェストロは小さく笑ってその花を受け取った。
「ありがとう」
くるりと回された白く小さなその鈴からは、音は聞こえない。
――スズランはまだ数輪残っている。