Good morning, sweetie
ああ今日もダメだった。
微かにしか残っていない体温を指の先で確かめて、深く溜息を吐く。シーツの上に転がったそれが床に落ちる前に寝室のドアが開いた。
「起きました?」
覗いた恋人は少し前から起きていたらしく、もう既にスッキリした顔をしている。先にベッドを抜け出された悔しさに顔を顰めつつ、彼女の笑った顔が可愛くて口元を弛めるものだから、僕は何とも複雑な顔をしていたに違いない。僕を見て笑ったアズールの反応でよく分かった。
「たまには拙者がアズール氏を起こしてあげたいんだが」
「じゃあ早く寝て早く起きる練習してください」
「キミが寝坊したらいいじゃん」
「目が覚めてしまうので無理です。さ、早く起きてください。卵はどうします?」
「ベーコンとスクランブルで…」
早寝早起きの習慣がある彼女は中々寝坊というものをしない。彼女が学園を出て三年。一足先に会社を起てた僕と、進学しながらも昨年起業したアズール。彼女の方が忙しくしているはずなのに、僕が先に起きていたことなんて、一緒に住み始めてから今まで数えても僅か数回、あるかないかだ。
寝起きに目を瞬かせたり、ふわりと小さな口が欠伸をしたり、呂律の回らない舌でおはようと言ったりして欲しい。僕の腕の中で、シーツの上で。どんなに乱しても翌日には清廉として穢れを忘れてしまう彼女を起こしてあげたい。と。思いながらも遅くまでネトゲをするものだから、当然早くなんて起きられるはずがなかった。毎朝こうして後悔することが分かっているのに。
再び落とした大きな溜め息を蹴飛ばしながら寝室を出た。
あれ。そう言えば、ルームウェアのトップスはどうしたっけ。ベッドの足元には落ちていなかった。アズールが洗濯に持って行ってしまったのだろうか。まあいいかとあくびを噛み殺しながらキッチンに立つアズールに何気なく目を向ける。その姿を見止めた瞬間、欠伸が霧散した。じんわりと滲んでいた涙が目の端に溜まる。
「アズールそれ、」
「ああ、落ちていたのでお借りしました」
「あ……そう……」
彼女が身に着けているトップスは明らかに僕のもので、だぶだぶの袖を鬱陶しそうに捲りながらフライパンを操っていた。昨夜、彼女は何を着てベッドに入ったっけ。考えに考えて、ふと思い当たった。そう言えば、"汚した"んだった。ついうっかり発射位置がズレてしまって、盛大に。洗えばいいですよ、と言う閨での掠れた声を思い出して、思わずうぐとひとつ呻く。
それにしても。僕の服を着てるアズールを見るのは初めてではないし、体格差があるから当たり前だけれど、ぶかぶかの僕の服を身に着けている姿は何度見てもいいものだなと思う。どうやったって見紛うことはない、僕の物だと一見してわかるマーキング。誰にともなくふふんと鼻を鳴らしてキッチンに入った。丁度スクランブルエッグが焼きあがったらしいアズールが僕に気付いて顔を上げる。
「わっ」
フライパンを置いたのを見計らって、軽い身体をカウンターに持ち上げ、驚いた声も気にせずに座らせた。シンクの水が彼女のお尻についてしまわないよう気を付けながらそうやって、額を擦り寄せる。
「朝から可愛いことしないで」
「なんの……ああ、ふふ」
何事かと長い睫毛が数回瞬いてから、ふと視界に入ったらしい自分の袖を見て合点が行ったように小さく笑った。艷黒子が誘うように持ち上がる。
僕は愚かな蝶だから。キミと言う花が咲いたらそれはもうそこへ吸い寄せられるしかない。小さく音を立てて黒子に口付けた。輪郭を辿るように顔を動かして首筋に唇を押し当てると、擽ったそうな吐息が落ちる。
「こら、」
笑いを含んだ密やかな声が僕を叱って、撫でるように肩に流していた髪を細い指がサラリと梳く。
「くちにしてください」
「りょ、」
頷いて唇に触れた。朝だからメイクもしていないはずだけれど、艶やかなそこは吸い付くように柔らかくて気持ちがいい。ちゅ、ちゅ、と触れ合うだけのキスを繰り返してから、濡れた唇を後にした。
「デザートはどうします? この前取り寄せたフルーツ、少し剥きましたよ」
「んん……それもいいけど、キミがいいかなあ」
なんちゃって。
ちらと目を上げると、驚いたように目がまん丸になっている。それから、ふいと逸らされた頬がふうわりと赤くなった。
「きょ、うは、一限から入ってるので……」
上擦った声のその答えに、思わずゴクリと喉を鳴らす。ああ、そんな予定無視して今すぐに寝室に連れ去ってしまいたいけれど。成績の邪魔をしたら何と罵られることか。んぐう。腹の底から絞り出した声に奥歯を噛む。
「早く帰りますから」
きっと僕のこの状況を分かった上でそうしているのだ。僕の扱いに関しては超一級のアズールに逆らえるはずもなく。無意識に尖らせた唇に何かが触れた。瑞々しいそれは彼女の可愛い唇ではなく、むきたてのキウイフルーツ。
「……すっぱ、」
「まだ熟してませんでしたね」
苦笑したアズールとふたり、笑いあってもう一度キスをした。こうすればほら、酸っぱさはキスの甘さで中和されるでしょ。