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    TO麺×$ 10ビルの三階にあるスタジオは近代的なデザインで、若いアーティストに人気がある。収録からレッスンまで広く使用できるそこで、毎週一度三人揃ってボーカルレッスンを受け始めたのは少し前のこと。師事しているリリア・ヴァンルージュのレッスンは中でも人気で、新規の予約は中々取れないし、気に入った相手にしかレッスンをしないものだから、尚更レアだ。僕達が彼のレッスンを受けられているのは、完全なる偶然。たまたま、何かの縁で僕らのライブを観てくれて、その時に何かを感じてくれたのだとリリアさんは言っていた。
    「ほう! ジム通いか。それは良いのう」
    ゲームのキャラクターを真似た喋り方。最初は違和感しかなかったけれど、だいぶ慣れた。ピアノの前に座って腕組みをしながら頷く。
    「明後日からみんなで行くんだ!」
    「そうかそうか。じゃがあまり腹筋はつけんようにの。音の響きが鈍くなる」
    「そうなのか?」
    「ま、トレーナーの見解にもよるが、わしの方針ではそうじゃ。筋肉というのは、」
    近くにあったホワイトボードを引き寄せ、体内の構図を描き出した。リリアさんのレッスンは、ただボイストレーニングを繰り返すだけではなく、広く歌に関する知識を採り入れられるのが何よりの魅力だと思う。サッと取り出したノートに板書しながら、耳を傾けた。
    一通りの説明を終えてから、レッスンに入る。ストレッチで体を解して、音階をなぞった。
    「次のライブはいつじゃったかの」
    「三週間後です」
    僕の答えにふむと鼻を鳴らしたリリアさんがカレンダーを見上げて何かを考え、やがてちろりと寄越された視線に首を傾げる。
    「アズール、お主ぼちぼちソロはどうじゃ」
    「えっ!?」
    突然の提案に驚いて声を上げると、予想通りと言う風に笑った。ソロ。一人で歌を歌うなんてやったことがない。知らず滲んだ冷汗にすら気付かずに呆然とリリアさんを見詰めた。
    「随分上達したし、人前で歌うのもレッスンのひとつじゃ。歌いたい曲はないのか?」
    あるかないか、それ以前の問題だ。歌にそこまでの自信がない僕では、人前で一人で歌うのはかなりハードルが高かった。けれど、できない、とは言いたくない。あと三週間。どこまでできるか。人前に出して恥ずかしくないくらいのレベルまで達することができるか。唾液を飲み込んだ音が大きく響いた気がした。

    結局、リリアさんには「考えておきます」と言うのが精一杯だった。以前、リドルさんがソロで歌った時の、あの華やかさや完成度に到達するとは到底思えない。
    「やればいいのに、ソロ」
    レッスンを終えた個室を出て、コミュニケーションスペースにいくつか置いてあるテーブルのひとつに荷物を置いたリドルさんが振り向く。その眼は真剣だ。
    「アズールは自分が言うほど下手じゃないよ。ここで一度やってみるのはいいと思う」
    「俺も。俺もアズールの歌は好きだ」
    椅子に腰かけながらそう言ったカリムさんが何のてらいもなく笑う。まっすぐ見詰めて来る二人に、思わず眉を下げた。でも、と、頭の中にちらついた否定の言葉に、思わず唇を噛む。らしくない。できるかできないかではなく、やるかやらないかだ。僕らがもっと売れるために必要な事なのであれば、やるしかない。
    「いつも歌ってるやつにしたらどうだ?」
    「え?」
    「歌い慣れてるのがいいと思うし、俺、アズールが部屋でよく歌ってるあの曲聴くの好きなんだ。何だっけ。くらい……ねむい……えーっと、」
    「リリアさんと話して来ます」
    決して、カリムさんに言われたからではない。もし一人で歌うならあれしかないと薄々考えてはいた。毎日聴いて、毎日歌っているあの曲。
    防音の扉を開けて中を覗くと、リリアさんは丸で僕が戻ってくることをわかっていたかのように悠然と足を組み、出入り口を眺めていた。
    「……ソロ、やります。個人レッスン増やして欲しくて」
    「そう言うと思って、さっきジェイドとスケジュール調整を終えたところじゃ」
    悪戯に笑いながらスマホを取り出す。不思議な人だと思う。もうこうなったら、後戻りはできない。前に進み、上を目指すのみだ。僕は改めて深く彼にお辞儀をした。

    **********

    アズールが戻るまでの間、ボクとカリムはコミュニケーションスペースの円卓を囲み、三週間後のライブについて会話をしていた。
    ふと、通路を歩く姿に目が引き寄せられる。プロのアーティストも利用するこのスタジオで、容姿が優れている人なんて少なくない。けれども何故か、それとは別に、惹き付けられるような雰囲気のその人を目で追ってしまった。
    「ふぁー、美形だなー」
    同じように目を奪われていたらしいカリムが呟く。確かに、すごい美形だ。けれど、どこかで見たことがあるような。記憶を辿り、彼の横顔を見送りながら考えた。背が高くて、黒い髪。翠の瞳は宝石のように煌めいて、通った鼻梁が美しい。あれは、どこで。
    「あっ!」
    そうだ、思い出した。思わず立ち上がったボクをカリムが不思議そうに丸めた目で見上げる。トレイのバンドのボーカル、マレウスだ。まさか同じスタジオを使っていたとは。と言うことは、トレイ達も来たりするのだろうか。鉢合わせてしまわないといいけど。マレウスさんの背中を見送りながら考えていると、彼と反対の方向からアズールが戻って来た。
    「お帰り!」
    「は、話はできたかい?」
    「はい。来週から個人レッスンを増やすことにしました」
    凛とした姿が綺麗だと思う。何故だか妙に自己評価が低い事があるけれど、アズールはこのままでも十分だ。それでも上を目指すのだから、負けていられない。マレウスさんの事はさておき、ひとまず事務所に戻ろうと立ち上がった。

    **********

    開いた扉に振り向くと、アズールが立っていた時よりも頭の上に余裕がない男がそこに佇んでいる。特にレッスンの予約は入っていなかったけれど、何か用事ができたのだろうと察して部屋の中に招き入れた。
    「どうかしたか?」
    「三ヵ月後にツアーをやることになった」
    「ほう。じゃあそれに向けてレッスンスケジュールを変えるとするかのう」
    「頼む」
    マレウスは、言ってしまえばわしの一番弟子だ。同じ故郷のよしみと言う事もあって、子供の頃から面倒を見ている。気まぐれで歌を教えてみたら、あれよあれよと上達したものだから、教えるこちらが楽しくなって、結果、マレウスはヴォーカルとして活動しているし、わしはボイストレーナーとしての仕事にありつく事が出来た。
    今のバンドはまだそこまでの規模ではないらしいが、時間の問題だと踏んでいる。以前メンバーを紹介された時に確信した。ちなみに、トレイはわしの料理の先生で、イデアはゲーム仲間だ。レオナとも時々釣りに行っている。
    「……さっきの銀の髪……どこかで見たことがある気がする」
    「ああ、くふふ」
    人の縁とは不思議なものだ。そもそもリドル達のユニットの事は、マレウスを通したケイトに是非と言われて観に行って、そこで拾って来た金ぴかの卵だった。絶対に伸びると確信したからこそ、こうして面倒を見ている。イデアがアズールのオタクだと知ったのはつい最近。けれど、アズールにもイデアにも、特にその事は話していない。
    「わしの育ててる金の卵じゃよ」
    「そうか」
    恐らくイデアにあれやこれやと見せられてその姿をぼんやりと記憶していたのだろう。変に思い出させる必要もあるまい。適当に会話を終わらせ、窓の外に視線を投げる。
    忙しくなりそうじゃのう。頑張れ若者たち。窓の外は雲一つない、綺麗な青空だった。
    KazRyusaki Link Message Mute
    2021/04/07 1:03:29

    TO麺×$ 10

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