TO麺×$ 21アズールの経過は順調で、明日にでも退院できそうだと言っていた。カリムが手配した個室は広く、シャワールームまで付いていてかなり快適らしい。それにしても、流石に不相応だと眉を寄せていた彼女を思い出して、少しだけ笑った。
恥ずかしい話かも知れないけれど。カリムの実家は有数のお金持ちで、カリムをアイドルとして活動させるのに資金協力をしてくれることも少なくはない。売れないアイドル活動を、アルバイトもなしにボクらが続けていられるのはそのからくりのお陰。けれど、それがあまりよくない事もわかっている。だから一刻も早く自立をしなくては、とそっと拳を握った。
「あれ~? リドルちゃん?」
病院の出口付近で声を掛けられて振り向く。手を振って近付いてきたのはケイトだ。何故病院なんかに。どこか悪いのだろうかと思わず眉を下げると、察した彼女が笑った。
「知り合いが入院しててさ~、お見舞い。リドルちゃんもアズールちゃんのお見舞い?」
「うん、もう明日には退院できるよ」
「ほんと? よかったね!」
「……ケイト、折角紹介してくれたイベントがこんな事になってしまって、すまない」
イベントは、言ってしまえばどうにかなった。アズールが抜けた穴はかなり大きく、殆どフォーメーションも何もないまま、持ち時間である二曲分を終えた。当初はたった二曲と思っていたけれど、今となってはそれに救われた形だった。
ケイトが折角紹介してくれて出演が決まったイベントと言うのもあって申し訳なく視線を落とすと、えっと声を上げたケイトが足を止める。
「俺は紹介しただけで、出演まで調整したのはリドルちゃん達でしょ? それを何で俺に謝る必要があるの?」
いつになく真剣な眼でまっすぐに見据えられて顎を引いた。確かに、それはそうだ。こういうイベントがあるから、興味があるなら連絡しておくよ、とだけ手配してくれて、そこから先、持ち時間やギャラの調整は主にアズールがやっていた。それもそうかと納得すると、右手に持ったままだったスマホを顎に当てて苦笑される。
「もう~、もっと自分たちに自信を持ちなよ~」
「……うん、ありがとう」
頭のてっぺんを優しく撫でられて、少しほっとした。いや、でも。こんな所でもアズールを頼っていた自分が浮き彫りになって、そこについてはもう誤魔化すわけには行かない。そうだ、丁度いい。ケイトに相談してみよう。ぐっと顔を上げたボクに、彼女が首を傾げた。
「ケイト、お願いがあるんだけれど」
「うん? どうしたの?」
「誰か、フットワークが軽くて、企画と営業ができる人を知らないかい?」
突然のボクの申し入れに、一瞬何かを考えた彼女がふふと笑う。ちらりと覗いた八重歯が少し幼く見せていた。
「事務所、人増やすの? アズールちゃんの負担分散?」
「うん……元はと言えばボクらのせいでアズールがあんなことになったんだし。ボクらも当然できることはやるけれど、それ以前に人を増やして戦略を改めたいと思って」
思ったよりも真剣な声になってしまって、少し情けなくなる。今頃こんな事を言い出すなんて、と思われているんじゃないだろうか。トレイのバンドは用意周到に全てを進めているように思えて、それと比較してしまって更に情けなくなった。
「おっけー! うってつけがいるから、事務所に連れて行くよ。いつがいい?」
「ほ、本当かい!?」
人差し指と親指で丸を作ったケイトに思わず目頭が熱くなる。ここをターニングポイントにすると決めたじゃないか。めそめそしている暇なんてない。できることをやらなきゃ。
ポケットからスマホを取り出してスケジュールを確認する。明日はアズールが退院する日だし、スタッフの面接はアズールにも出て欲しいから。
「そしたら、明後日はどうかな。14時頃」
「了解、調整しておくね!」
その場で即座にメッセンジャーアプリを立ち上げてくれるのを見て、流石だなと思う。ケイトもフットワークが軽く、何でもてきぱきとこなしてしまう。疲れている顔なんて見せたことがないし、人当たりもいい。
「……ケイト、ついでにもうひとつ、無理を承知で言うんだけど」
「うんうん、なになに?」
「アイドル業界に、コネがある人がいたら紹介して欲しい」
同じくらいの規模の地下アイドル事務所とは多少交流があるけれど、正直それじゃダメだ。もっと広く、色んな人と交流をして、営業をしないと。少し目を丸くしたケイトが、再びどこかへメールを送る。役目を終えたスマホをポケットにしまい、目を細めた。
「オッケー、じゃあ、二人紹介するね」
「ありがとう、恩に着るよ。何も返せなくて申し訳ないんだけど……」
「いいのいいの。だって、リドルちゃんは俺の友達じゃん」
ねっと肩を組んで来たケイトに頬を緩める。
元々は、トレイを通じてしか話したことがなかったけれど。二度ほど会っただけでこの距離感の詰め方は本当に感心する。友達、と言われたのが思いの外嬉しくて少し頬が熱くなった気がした。それを目敏く見つけたケイトに少しからかわれたけれど、何だかそれも楽しくて、嬉しかった。
メッセージを受信したらしいスマホが彼女の手の中で震える。再び病院の敷地を歩きながらスマホを確認したケイトに問われた。
「アズールちゃんの退院て、明日何時頃?」
「11時頃だと言ってた気がする」
「そっか。了解~」
もしかして紹介してくれると言った相手だろうか。明日の方が都合がいいとかだったら調整が必要だなと思うけれど、流石に退院してきて早々のアズールを引っ張り出すのは気が引けた。否、こういう時にきっちり休ませられてこそのメンバーだ。もしも明日になったとしたら、ボクとカリムでどうにかしなければ。
「何か手伝う事ある? 俺でよければ明日手伝うよ」
「いや、ジェイドとフロイドが車を出す予定になってるから。ありがとう」
と言っても、大した荷物はない。たかだか一週間足らずの入院だったし、私物もノートパソコンくらいしか持ち込んでいなかった。着替えは多少あったけれど、ボストンバッグひとつでも十分なくらい。だけれど、双子が随分と心配するものだから、結局事務所の車で迎えに来ることになったとアズールがこめかみを押さえていた。
「それじゃあ、明後日14時に」
敷地を抜けて大通りに出ると、ケイトがスマホを持ったまま手を振る。駅まで一緒に行くものだと思っていたけれど、何か用事があるのかも知れなかった。
「うん、悪いけどよろしく」
「了解! じゃ、またね~」
鼻歌交じりで駅と反対の方向へ歩いて行くのを見送って、ボクも歩き出す。さあこれからボーカルレッスンだ。やる事は沢山あるけれど、アイドルとしての基礎力を上げるための努力は当然続けねばならない。頑張るぞ、と下腹に力を入れて、唇を引き結んだ。
歩きながら、スマホでメッセージを送る。送信先はトレイくん。
『アズールちゃん、明日11時退院だって』
『そうか、じゃあバッティングしなくて済みそうだな』
オルトくんの検査入院は3日後まで。アズールちゃんが同じ病院にいるって聞いた時、イデアくんのお見舞いがぶつかったりしたらどうしようと思ったけど、それも杞憂でよかった。病院なんかでエンカウントしたらテンパッたイデアくんがどんな行動に出るか分かったものじゃない。
それに。アズールちゃんへの“想い”がバンドに還元されている部分も多かった。今回の新曲を始め、ファンへの対応、バンド活動への意欲。イデアくんには悪いけど、アズールちゃんと変に接触されてその意欲が削がれるのは困ってしまう。
「しかるべきタイミングに出会ってくれないとね~」
今はその時ではない、と言うのが、俺とトレイくんの共通見解だった。