TO麺×$ 29レコーディングは通常、一週間はスタジオに篭ることになる。全員で作り上げた楽曲の微調整を加えながら、各楽器の修正、音を録り重ねてからの調整、メンバーにいない楽器を使う場合のレコーディング立ち合い、仮ミックス、ボーカル収録後の調整。案外やる事は多いのだ。とは言え、楽器隊はまだマシかも知れないなとレコーディングブースのマレウス氏を眺めながら思う。もう数時間歌いっぱなしで、流石に疲労が見えて来た。
「あー疲れた」
ガラス張りのブースが見える廊下のテーブルセットでソシャゲの周回を進めていると、正面にどかりと座ったレオナ氏が乱暴にスティックをテーブルに置く。ドラムも全身を使う楽器だし、大変だろうと思う。目を上げないまま、口先だけで「おつー」と労った。
「お前あんなライン付けやがって、嫌がらせか」
「まさか。レオナ氏ならできると思って~」
「くそ」
新曲の内のひとつはドラムの見せ場を用意した。きっと彼ならやってくれるに違いないという信頼による作曲だったけれど、どうやら見透かされているらしい。照れたように乱暴に頭を掻くレオナ氏に肩を竦めた。
「あっ! いた!!」
階段から姿を現したケイト氏はどうやら怒っているらしい。もしかして何かしてしまったのかと身を縮めるが、彼女の矛先はレオナ氏のようだ。
「レオナくん~~あれだけこのタイミングで面倒起こさないでって言ったのに~~」
「ああ?」
左手にコンビニの袋を提げ、スマホを握り締めてずんずんと近付いて来たケイト氏がテーブルにばんと手を着く。身体を半回転させてテーブルから逃げた。もちろん、周回する手は止めない。
「掲示板の書き込み! 自称オキニが大暴れしてるんだけど」
「オキニ?」
何の事だと顔を顰めたレオナ氏に思わず噴き出した。これは完全に知らないやつだ。掲示板、というワードに反応してゲームを中断させ、僕らのバンドの『裏掲示板』というやつを覗いてみる。精神衛生上よくはないので滅多に見ないようにはしているけれど、それよりもレオナ氏が叱られてる理由の方が面白そうだから知りたかった。
「はー……ライブ開始と同時に私に気付いて? ハケる時にドラムスティック手渡しして? 私だけにまた来いよって言って手を振ってくれた? ふは、妄想乙」
「はーー?」
「あの人数でどうやって『私だけ』に言えるんだか」
くだらない、と画面をゲームに戻すと、額に手をやったケイト氏が深く溜息を吐く。恐らく、彼女もこれが真実だとは当然思っていないのだ。けれど。
「スティックは手渡ししないで、投げて。こういう勘違いが生まれちゃうから」
「知らねー」
「いい? 今は余計な所に煙を立てない事に集中して。くだらないことで足元掬われないようにしないと、一瞬なんだからね」
ケイト氏のいう事はご尤もだ。ファンなんてものは大なり小なり自分の理想を相手に押し付けて、あわよくば自分を見て欲しい、なんていう下賤な想像をするのが大半。ひとつでも他の連中と違う事をされようものならこの通り。これがガチ恋勢だったら尚更だ。
「もー、ほんと頼むよ」
「へーへー」
ひらひらと手を振って、さっさと行けと言うレオナ氏のジェスチャーに背中を丸めたケイト氏がコンビニ袋を持ったままサブブースに入って行く。マレウス氏のお使いだったらしい。
「めんどくせ」
「ひひ、ガチ恋勢は甘く見ると怖いですぞ~、やつらストーカー紛いの事でも平気でしますからな~」
帰り道をつけて行ったとか、SNSの写真から家を割り出して待ち伏せしたとか、郵便物を抜き取ったとか。果てはゴミ袋をあさったり、ツアー先のホテルの部屋に現れるなんてこともあると聞く。ぽちぽちとゲームを操りながらそう言うと、ふんと鼻を鳴らしたレオナ氏がテーブルに肘をついた。
「お前もか?」
「……は?」
突き付けられたそれに思わず顔を上げ、目に入ったレオナ氏のにやにやとした表情に目の下が痙攣する。何と言われたのか、今。
「お前もあのアイドルに『ガチ恋』してんだろ? さっさと付き合えばいいじゃねえか」
何だか前にも同じようなことを言われた気がする。その時の事を覚えていないのだろうか。すっと冷えた胃の辺りと同じように表情を消してレオナ氏に向き合った。
「別にアズール氏とは付き合いたいとかそういう気持ちはないでござるよ。ファンがみんなガチ恋だと思わないで欲しいでござるな~、そもそも拙者レオナ氏みたいに下半身ユルくないですし」
「んな強がりいつまでもつと思ってんだ、金も時間も使って、見返りがなきゃやってられっかよ。金持ちの道楽じゃあるまいし」
じゃあ例えば、レオナ氏はファンに何を返していると言うのか。演奏やライブと言うのであれば、僕らが使った時間と金の分アズール氏達がライブで返してくれているのと同じじゃないか。何が言いたいのかわからずに、苛立ちが増す。
「じゃあ何、レオナ氏はファンの女の子みんなに何を返すわけ。ひとりひとりとハグでもする?」
「握手会だの何だのやってんだろーが。お前それすらも行ってねえんだろ」
「それは個人の自由でござる」
「はっ、だからそれがいつまでもつかって話だよ。どうせその内てめえのモンにしたくなるんだ」
何を根拠に。知った風にそう言われて、スマホを握る手に力が篭る。ぎりりと握った右の拳をちらと見たレオナ氏が肩を竦めた。
「大体お前、一歩引いて見守るタイプなんかじゃねえだろ。さっさとモノにしちまえばいいんだ。一度寝たら案外、」
「っざけんな!!」
どうしてそんな事を言うの。レオナ氏は僕にどうして欲しいの。胸の辺りを渦巻く疑問と、咄嗟に上った血のせいで目の前が真っ赤になった。スマホを投げ出す勢いで伸ばした左手でレオナ氏の胸倉を掴む。それでも浮かべた笑みは余裕のまま、ついと細められた目が挑発的に僕を見た。
「レオナ氏なんかにわかんないよ、僕はあの子を汚したいんじゃない、ただ見てるだけで」
「強がんな、じゃあお前、急にこんだけの曲数仕上げたのも、これまでやらなかったファンサだの始めたのも何でだよ」
「それは、バンドのために、」
「違うな。お前気付いてないのか。仮歌で書いた歌詞殆ど恋愛詞だったじゃねえか。だからマレウスにラーメンに書き換えられたのが不服だったんだろ」
心臓が掴まれた気がした。恋愛詞? 全く意識をしていなかったけれど、僕の書いた詞はそんなものだったのか。マレウス氏が書き換えてくれた歌詞は僕のそれよりも全然よくて、よくてというのはバンドの色に合っていて、でもそれは、僕が本当に伝えたかったテーマとは少し違っていた。それは認める。間違ってないけどちょっと違うなと思ってしまったのは確かだった。
「ちょっと! 何してんの!」
ケイト氏が慌ててサブブースから飛び出して来て僕らを引き離す。レオナ氏の胸倉を掴んでいた手にはもう力は入っていなかったから、ケイト氏の細腕でも簡単に外せた。
「図星じゃねえか」
ダメ押しの一言に、後頭部が殴られたような衝撃を覚える。そんな、だって、僕は、アズール氏が一生懸命歌って踊る姿を見られるならそれでいいと思ってた。彼女が僕の事を知らなくたって、それでいいと。
(本当に?)
リリースイベントの参加を迷っていたのは、彼女の瞳に僕を映して欲しいという欲求があったからじゃないのか。認識して、僕を知って欲しい、あのきれいな瞳で見上げて欲しい。
「………帰る」
「えっ!? ちょっと!?」
スマホだけ乱暴にポケットに突っ込んでスタジオの階段を走り抜けた。追いかけて来るケイト氏の声は聞こえていたけれど、混乱した頭には何も入っては来なかった。