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    しおり
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    しおり
    キスをする幼馴染


     小さいころに好きな子のタイプを友達から聞かれて、ありきたりなことを答えた。
    「優しくて、足が速くて、サッカーが得意な子かなあ?」
     そんな典型的な答えがあるか。足が速くてサッカーが得意なら誰でもいいのか。成長した今ならそんな風にツッコミも入れられるものの、当時は本気でそう答えていたのだ。友達は「やっぱりそうだよね」なんてその年頃らしいませた相槌を打って去っていったけれど、私の隣で当たり前のように本を読んでいた鶯丸は小首を傾げる。
    「優しい、というのは問題がないと思うが。足が速いのとさっかあが得意なのは見逃してくれないか。俺にも得手不得手がある」
     何を言っているのやら。別に鶯丸のことだなんて一言も言っていない。そもそも自分で優しいと公言するのはどうなのか。
     けれど当時の私も何を思ったのやら、その鶯丸の弁明には欠片の疑問も覚えずに頷いてしまったのである。
    「別にいいよ。鶯丸はサッカーより他に得意なことがあるもの」
    「そうか。ならいい」
     それを聞いて、鶯丸は満足げにページ目を戻した。するすると古い紙が擦れ合う音まで覚えている。いやしかし、好きな子のタイプを聞かれて答えたのをすべて自分のことだと思って返してくるのはあまりにも厚かましくないか。
     思えば確かそんなことを聞かれたのは幼稚園だかどこだかの御遊戯室だった。他の女の子たちがおままごとなんかしている傍で、私もぬいぐるみを抱えていたような気がする。鶯丸はそこにごく自然に紛れ込んでいた。他の男の子は外でかけっこをしたりボールで遊んでいたりしたというのに。
     それでも、それが私にとっては当たり前だったのだ。私がいるところには鶯丸がいたし、鶯丸がいるところには私がいた。それが自然なことだった。



    「鶯丸」
    「ああ、すまない。切りのいいところまで読ませてくれ」
     廊下で壁に寄りかかっていた鶯丸が体を起こす。美しい指がスピンを引いて途中のページにそれを挟む。そうしてから顔を上げた。
    「時間がかかったな」
    「そう? いつも通りのつもりだった」
    「そうか、ならそうなんだろう。帰るか」
    「段々日が長くなってきたね、まだ寒いけど」
     肩に提げていた鞄の中に文庫本をしまって、鶯丸はそれを持ち直した。私は自分の腕時計を見てみたが、やはり普段通りだと思った。月半ばの水曜日は図書委員会の定例があるから、どうしても帰るのが遅れる。その間鶯丸はどこで時間を潰しているやら、定例が終わりかけた頃に図書館の前にやってきて一緒に帰る。それが月に一度水曜日のお決まりだった。
    「そう言えば俺のところは今日抜き打ちで試験があった。君は明日授業があったろう、備えておくといい」
    「何が出たの?」
    「それを言うとずるになるだろう」
    「なら試験のことも黙っててくれない?」
     私が言えば、鶯丸はくつくつと肩を揺らして笑った。頭のいい鶯丸ならまだしも、私は少し勉強をしておかないと抜き打ちのテストなんてひどい結果になる。でも鶯丸は絶対に範囲は教えてくれないとわかっているので、それ以上は聞かなかった。勉強を聞けば教えてくれるが、点数稼ぎのような学び方を鶯丸はしないのだ。試験に出る出ないにかかわらず均等にわかるようにならなければ意味がないといつも言う。わからないところを聞けば、そういう風に教えてくれる。
     冬の終わりの帰り道は薄暗く、それでも年の暮れのような寒さはほんの少し和らいでいる。息は微かに白かった。
     徒歩でも通える高校を選んだのは鶯丸だ。鶯丸は本当はもっと遠くにある、とはいえ自転車やバスなんかを使えば通えてしまう範囲にあるこのあたりでもトップ校に行ける成績だった。けれど担任の勧めの悉くを無視し、このくらいがちょうどいいとか言って今の高校を選んだ。
     まあ、端的に言えばとても我儘な性格なのだ。本人に自覚はなさそうだが。
    「夕飯は何だ?」
     家が近づいたとき、大抵鶯丸はいつも同じことを聞く。だから私はいつもどおりに少しだけ鼻をひくつかせた。ここまでくると換気扇からの匂いで献立がわかる。
    「この匂いは普通にお味噌汁だと思う」
    「そうか、温かいうちに帰ってこられてよかったじゃないか」
     我が家のほんの少し手前にある電柱。そこまで来ると鶯丸は足を止める。悔しいことに、私の体は鶯丸が止まると勝手に自分も止まるように習慣が出来ていて、同じようにぴたりと動きをやめてしまうのだ。
     目を閉じなくなったのがいつからだったかは忘れた。お互い真っ直ぐ前を見たままで、私と鶯丸は毎日帰り道にただ一度だけキスをする。
    ふわりと今日は高校から一番近いコンビニで売っている抹茶ラテの匂いがした。最近気に入っているのを知っている。私が委員会に行っている間に買って飲んだのだろう。本当に、一体いつもどう時間つぶしをしているのか知らないが。
    「また明日だ」
     それだけ済ませると、鶯丸はまた足を進める。同じように私も歩き出す。鶯丸の家は私の家の数軒先にある大きな家だ。もっと狭くていいが広くて悪いこともないなんて贅沢なことを鶯丸は言っていた。私も小さい頃に何度か遊びに行ったから広さは知っている。天井の高い家、そこの二階の陽当たりのいい部屋が鶯丸の部屋。
     私の家の前で「じゃあ」と穏やかに微笑むと鶯丸は一定の調子で歩き去った。その後姿も毎日変わらないもので、私が見つめていても振り返らないのも同じだ。だからもう私も待つことはやめて、さっさと玄関を開けることにしている。
    「ただいま」
     靴を脱いで上がったところで、台所から母親が顔を出した。
    「あら、おかえり。鶯丸君は? 一緒じゃなかったの?」
    「ううん、いつも通りそこまで一緒だったけど」
    「最近顔を見てないわね、前にみたいにたまには夕飯くらい食べて行けばいいのに。あんたも彼氏ならちょっと上がってけばくらい言えば?」
     それに私は曖昧に笑っておいた。彼氏じゃないと言えば面倒なことになる。
     二階の部屋に上がって、鞄をベッドに放り出した。ボスリと音を立ててそれは沈んでは跳ねを何度か繰り返し、最後には止まった。
    「……彼氏じゃない」
     そう、鶯丸は彼氏ではない。
     毎日帰り道に一度だけキスをする。けれど一度だって好きだとか付き合おうだとか、そういうことを鶯丸から言われたことはなかった。



     簡単に私と鶯丸を言い表す言葉があるとしたら、「幼馴染」だ。家が近所で同い年で、母親学級で親同士が仲良くなったために、自然と一緒に育った。端的に表現するのであればそれだけである。それ以上でも以下でもなく、それ以外でもない。
    「えっ、彼氏じゃないの?」
    「彼氏じゃないよ」
     昼休みクラスメイトにそう説明すれば案の定の反応をされた。聞かれてただの幼馴染だと言えば大抵同じことを返される。加州君が口をあんぐり開けたので、私は補足をした。空き教室に適当に入ったためか、遠くでキャッキャと休み時間らしい声が聞こえる。
    「親同士が仲良くて家が近所だったから。なんとなくで同じ高校まで来ちゃったし」
    「なんとなくでそこまでなる?」
    「なっちゃったんだよ」
     そう、なってしまったのだ。
     なあなあで十何年も。自分でもよくわからなくなってきた。
    「いやあ、てっきり彼氏だと思ってたけど違うんだ。そっかー」
    「そうなんだよ」
    「え、お互いそれを何とも思ってない感じ?」
    「この話しててそれ聞く?」
     ずずずと加州君が紙パックのジュースを啜る。私は肩を竦めた。
     何とも思っていないわけがない。何でもないならこんなに悶々としてクラスメイトに相談などしない。そう、一応これは相談なのだ。ゴシップの、噂話の一つとしてネタを提供したわけではない。
     十何年、正確に言うなら今は高校二年生なわけだから十七年、鶯丸へのどう形容したらいいかわからない感情を拗らせたまま私はここまで来てしまったのだ。恋というには何とも違う気がする。その枠組みの中に鶯丸は収まってくれない。
    「とは言ったってさ、何とも思ってない相手にそういうことしないでしょ普通」
    「もしかして加州君は鶯丸を普通って物差しで測っていい相手だと思ってるの?」
    「……ごめん、そこまで考えて言ってなかった。俺よく話したことないけどさ、噂ってかそういうのはよく聞くし。変わったやつだよね」
     でしょうね、と私は適当に相槌を打った。鶯丸は頭がいいから試験の番付には必ず名前が載るし、特徴的な性格すぎて噂にもなる。ちなみに特徴的というのは言葉をオブラートにかなり包んで表現している。
    「でも、加州君が言う通りで鶯丸が何でもない相手にそういうことする性格だとは私も思えないんだよね」
    「でしょ? まあ噂でしか知らない俺が言うのもなんだけど」
    「でもなあ……」
     十七年間私が同じ位置でずっとぐるぐると考えあぐねているのにも、一応きちんと理由がある。
    「……あのね、キス以上のことはしないんだよ、鶯丸」
     私からこんなことを言うのは非常に気恥ずかしい。それもクラスメイトの男子にこんなことを相談するのは何かが間違っている。だがもう壁に行きあたってしまって、しようがないのだ。
     何もしない、鶯丸は何もしてこない。お互いの親がよく見知っていることもあり、私の家と鶯丸の家と、行き来をよくしている。例えば貰い物のおすそ分けなんかをしに行けば「よければあがっていって」と鶯丸のお母さんは優しく微笑んでくれるのだ。思えば鶯丸のお母さんは私のことを何だと思っているのだろう、私の母同様に「彼女」だと勘違いしているのは薄々感じている。
     そうすると当然だが、鶯丸の部屋に通される。逆の場合も然りだ。私の部屋に鶯丸が上がる。私も鶯丸も兄弟もいないし、そうなると部屋に二人きりになる。
     だが、何もない。
    「何もって、えーっと、その、何も?」
    「……何も」
    「同じ部屋に二人でいて? 普段はキスまでして? 嘘お」
     嘘ではない。いっそ嘘ならよかったのかもしれない。
     部屋にいてすることといえば、お互い課題を済ませたり試験勉強をしたり。思い出したかのように漫画や本を貸されることもある。だがそれだけだ。それなりの時間になると、鶯丸は「送っていこう」か「そろそろ帰る」と言う。そうして静かに別れる。
     加州君は苦笑いをしてストローを咥えた。どう言ったらいいかわからないと言う顔だ。気持ちは私にもわかる。私だって逆の立場ならこんな相談引き受けたくない。
    「いや、まあ、それがまあ健全というか、うーん……タダシイ高校生の交際ではあるんじゃないの」
    「交際なの? これって交際だと思っていいの?」
    「いやあ……」
     否とも是とも言い難いという表情で、加州君はもう中身が空になったジュースをぎゅっと握って潰した。同じ男性目線でこの反応なら、もうどうしようもない。もしかしたら女の私にはわからない心理なのかと思って加州君に聞いたが、当てが外れたようだ。半分以上、予想ができていたと言えばできていたが。
    「もーさ、聞けばいいじゃん、どう思ってるのって。そうしたら鶯丸も流石にはっきり言うんじゃないの?」
     その答えにぎゅっと私は顔を顰める。わかっている、それもわかっている。
    「そう簡単に聞けたら苦労しないよ」
    「気持ちはわかるけどさ、そこは白黒つけないともうどうしようもないよ」
    「そうなんだけど……」
     相談もどん詰まったところで、キーンコーンと予鈴が鳴る。ホッと内心息を吐いた。加州君は思い切りのいい性格だから、結論を出したらぐいぐいと背を押してくるだろう。
     今は、そうされても困る。
    「ここは次の授業で使うぞ」
     静かな声が聞こえて、私は弾かれたように顔を上げ振り返った。教室の入り口に、日本史の教科書とノートを持った鶯丸が立っている。どうしてよりにもよって。慌てて私が立ち上がるのと対照的に、加州君はじっと鶯丸を見つめてからゆっくり腰を上げた。ガガガと音を立ててタイルの床を椅子の金属の脚が擦る。それから一番近い屑籠にポイとジュースのごみを投げ入れた。
    「戻ろっか。俺たち次の授業なんだっけ」
    「え、あ、英語」
    「あーやだな、俺予習でわかんないとこあった。ノートちょっと見せてくれない? 次数学のとき俺の見せるから」
    「構わないけど」
     おや、と首を捻る。加州君は英語が苦手ではないはず。むしろ得意な部類のはずだから、私のノートなど必要ないだろう。その上、加州君は私の手首を軽く掴んで引っ張り、そのまま鶯丸の隣を通って教室を出ようとする。予想外の加州君の動きに私がよろめきつつされるがままでいると、すれ違う瞬間に鶯丸が口を開いた。
    「抜き打ち試験だ、忘れるなよ」
     すいとそのまま鶯丸は後ろ手に戸を閉めた。ぱたぱたとそのまましばらく進んで、完全に教室から離れたときくるりと加州君は振り返った。
    「なんだ、大丈夫そうじゃん」
    「えっ、何が?」
    「俺のことちょっとだけ睨んだよあいつ、本当にちょっとだけど。びびっちゃった、目玉だけ回してこっち見るから」
     睨んだ? 鶯丸が?
     私は言われている意味が分からずに首を回す。鶯丸が感情を揺らすことなど、十七年一緒にいて一度も見たことがない。何かの勘違いではないのか。
    「本当に睨んだりしたの? 鶯丸が?」
    「睨んだっていうか、強めに見たって言うの? あいつどういう反応するのかなと思ってやってみたんだけど、急に引っ張っちゃってごめん。手とか痛くなかった?」
    「平気、大丈夫」
     鶯丸が。つい閉まった教室の扉を見てしまう。想像がつかない、何かを睨む鶯丸の目など。私の知っている鶯丸の瞳は、いつも穏やかに凪いでいる。マイナスな感情や激しい情動なんて欠片も見せたことのない、鶯丸が。
     私がしばらくその教室の方を見つめていると、ぽんと後ろから加州君が私の肩を叩く。それはひどく軽やかで心地よい力だった。
    「ま、あの反応は何とも思ってないならしないでしょ。やっぱ聞いてみた方がいいって。ほら本当に遅れるよ、戻ろ」
    「あ、うん……ありがとう」
     やっと踵を返してやや速足で私と加州君は教室に戻った。その日の帰りもやはり鶯丸とはキスをしたけれど、そのときはやっぱり、普段と変わらず何を考えているのかわからない鶯丸だった。



    「うわ」
     思わず声に出して言ってしまった。抜き打ち試験の結果が酷い。まあ、成績に影響する模試や考査出なかったことが救いとでも言うべきだろうか。私の顔色と表情で隣の席の加州君も結果を察したらしい、苦笑いを浮かべた。
    「これはひどいな」
     帰り道、しっかと答案を手にした鶯丸が言う。そろそろ返ってきたころだろうと言われ、見せないわけにはいかなかったのだ。ちなみに鶯丸の点は見ていないし聞いてもいない。想像がつく。
    「この辺りの文法は前に一緒に復習したと思っていたが」
    「忘れてたんですー……」
    「そうか、ならもう一度だな」
     というよりも、抜き打ち試験の直前に「鶯丸が睨んだ」事件があったために集中なんてできなかったのだ。言い訳をするならそうなる。けれど口に出せることでもなかったので、私は黙って鶯丸について歩いていた。巻いた赤いマフラーを直しながら、鶯丸は私の答案を上から下までしっかり見る。そろそろ恥ずかしいので返してほしい。
     くるりと首を回してこちらを向くと、鶯丸はそれを私に戻した。そそくさと鞄の中にしまってしまう。
    「鉄は熱いうちに打てという。まだ夕飯まで時間があるな、直そう」
    「どこで? 学校の図書館まで戻るの?」
    「君の家でいい。もし遅くなるなら俺が家に帰る方が危なくないだろう」
     夜道を歩くのなんて、ほんの、数歩の距離ではないか。変なところが律儀なのだから。そう思ったが鶯丸はさっさと我が家の門を開いていた。何故私より先に入るのだ。
    「久しぶりに来たな」
    「まあまあ、鶯丸君」
     鶯丸を彼氏だと思い込んでいる母の歓待は当たり障りなく対応して、「試験の直しをするから」なんてきっちり断ってから鶯丸は私の部屋に上がった。ああいわれた手前、母はお茶だのなんだの言って部屋に顔を出すことはないだろう。その代わり私はみっちり鶯丸に英語を見られるわけだが。
     鞄から英語の参考書と教科書を出すように言われ、私は大人しく従った。ここから何時までかかるのだろう。今日は委員会も何もなかったので、まだそう暗くなる時間でもない。先は長いだろう。
    「さて、まずは最初からだな」
    「テスト範囲で絞っちゃだめ?」
     だめで元々で聞いてみるが、鶯丸は静かに首を振った。
    「だめだ。その場しのぎで知識を身に着けても意味がないだろう」
    「だよね……」
     鶯丸がだめだと言ったことは、絶対に「だめ」なのだ。頑として何を言っても聞かない。私に残された選択肢は、大人しくそれに従うことのみである。諦めてシャーペンの頭をノックした。すると鶯丸は微笑んで参考書を示す。
    「君は素直でいいな、大包平ならもっと騒ぐ」
    「いや、大包平はそもそも鶯丸に勉強教わったりしないでしょう」
    「ああ、限界まで自分でやるさ」
    「そういえば元気にしてる? 大包平」
     大包平というのは鶯丸の親戚である。私や鶯丸の一学年下で、この春鶯丸が推薦を蹴ったトップ高に進学したと聞いた。元々頭のいい子だったので納得だ。鶯丸がなぜだか異様に気に入っているこの大包平は、よく鶯丸の家に預けられてはからかわれていた。そのために私も面識がある。とはいえ、中学に上がってからは向こうも忙しいのかあまり頻度は多くないが。
    「ああ、この間うちに来て菓子を置いて行った。前に君に渡した和菓子がそれだ」
    「えっ、言ってよ、お礼言いそびれた」
     私は慌ててスマホを取り出し、大包平に「お菓子ありがとう」とメッセージを送る。きょろりと鶯丸の眼球が動いて画面を見た。勉強中だからしまえという視線だ。それがわかっているので、私は送信だけしてすぐにスマホを鞄に戻した。
    「まあ元気にしているさ。今度来たときは君も呼ぼう」
    「うん」
    「その問題からだ」
     私が問題集に向き合い始めると、鶯丸は何も言わなくなる。けれど必要なとき私が顔を上げて問えば、必ず答えてくれた。昔からずっとそうだ。勉強がわからないとき、クラスでどうしたらいいかわからなくなったとき、友達と喧嘩したとき。鶯丸はいつだって話を聞いて、静かに答えをくれる。
    「……ねえ、鶯丸」
     英文を日本語に直しながら、私は鶯丸に言った。シャーペンを持っていないほうの手で辞書を捲る。単語の意味が分からない。
    「文法がわからなくなったか」
    「ううん、そうじゃなくて」
     今まで、わからないことは鶯丸にいつだって尋ねた。ただ一つ聞けなかったことがあるとするなら。
    「……」
    「どうした?」
     ぴっと辞書の薄い紙が音を立てた。力が入って引っ張りすぎたのだ。指先が白くなる。
    「鶯丸は、どうして私に何もしないの?」
     やっと絞り出せたのはそれだけだった。違う、もっと別なことがある。もっと別な、明らかにしなくてはならないことが。
    「何もって?」
    「なんでキスはするのに、他のことはしないの?」
     問題集から顔があげられなかった。シャーペンを持ったまま、もう片方は辞書を捲ったまま。
    「……」
     鶯丸は答えない。身動きをする音もしなかった。ただ沈黙している。私は一度だけ唇を噛んだ。
    「そもそもなんで、私にキスしたの、かな」
     私と鶯丸が初めてキスをしたのは、高校生になって初めての夏のことだった。中学だって同じ道を同じように登下校していたのに、不意に鶯丸がそうした。一学期を終えて、明日から夏休みで。式辞だけで午前で学校が終わった帰り道だった。あの日鳴いていた蝉の声さえ思い出せる、うだるような暑い日。
     歩き続けようとしたこちらの肩を片手で押さえて、今より少しだけ背が低かった鶯丸はそれでも屈んで私にキスをした。何の断りもなかった、ただ唇を合わせただけだ。
    「……明日から長い休みだなあ」
     そのあとに言ったのは、それだけ。他には何もなかった。そのまま歩き出した鶯丸の項を、一滴だけ汗が流れ落ちたのが見えた。
     付き合おうとも、好きだとも言われていない。だから私はわからなくて、そのあと夏休みの課題を一緒にしようと言ってきた鶯丸が部屋に来ても、毎年のことだから一緒に夏祭りに行っても、鶯丸がどういうつもりでそうしているのか知らなかった。
     それを聞くことが、怖かった。
    「そうしたほうがいいと思ったからだ」
     やっと鶯丸がそう言ったので、私はギシギシと軋む首を回してそちらを見る。鶯丸は背筋を伸ばして自分も英語の参考書に目を落としていた。奔放に伸びた前髪で、私の座っている位置からは表情が見えない。
    「そうしたほうがいいって何?」
    「問題を解く手が止まっているぞ」
    「っそうじゃなくて! 私、ずっと聞きたかった!」
     思わず声を荒げてしまい、ぴくりと鶯丸の指が動く。
    「なんで何もしないの? なのにどうして帰り道にいつもキスだけするの?」
    「少し静かに。あまり大きな声を立てると下に聞こえる」
    「じゃあ答えてよ! どうして!」
     どうして、何も言ってくれないのだ。
     いっそ、鶯丸が私とキス以上のことをしようとしたのなら。そのときは流石に聞けると思った。私のことをどう思っているのか、どうしようとしているのか。鶯丸は何も思っていない相手にそんなことしない。それはわかっている。わかっているから、鶯丸がわからない。
     それを明らかにするのが、どう思っているのかつまびらかにするのがあまりにも恐ろしかった。だからまだ、私はこの期に及んで直接的なことを聞けないでいる。
    「なんだ、じゃあ君は、俺がその辺に君を押し倒して、君の服を剥いで、無責任に抱きでもすれば満足するのか」
     カッと頭に血が上ったのが自分でもわかった。思わず持っていたシャーペンを握り締める。そのせいでギシリとプラスチックのそれは音を立てた。
    「……何その言い方」
    「質問をしているのは俺の方だ」
    「なんでそんな怒ってるみたいな言い方を鶯丸にされないといけないの」
     ゆっくりと鶯丸が問題集から顔を上げる。私は思わず固まってしまった。
     生まれて初めて、鶯丸のこんな顔を見た。
    「……怒っているからだ」
     パンと音を立てて、鶯丸が分厚い参考書を閉じる。それをそのまま机の上に置いて、鶯丸は淡々と言った。
    「今日はしまいだ、答案だけ取っておくといい」
    「うぐいすまる」
     ぱっと自分の分の筆記具なんかを鞄の中に放り込み、鶯丸は立ち上がる。腰を上げかけた私を見てとり、鶯丸はすかさず私の手首を掴んだ。
    「もう日が落ちているから、家から出るな。ほんの数歩の距離だろうが、君のような年若い女相手ではどうこうしようと思えばどうとでもできるんだからな。俺でもできる」
     するりと鶯丸の手が離れる。どうしたらいいかわからなくなって、私はもう一度座り込んだ。俯いてしまったために、鶯丸の顔は見えない。ただ離された手が見えた。
    「……すまないが俺も君も、今は考えがまとまっていない。今話すのは得策じゃない、それだけだ」
     なんだそれは、まったくわからない。結局私はただ下を向くばかりだった。
     いつもいつも、鶯丸は自分が必要だと思ったことしか、言ってくれないのだ。けれどそれで私に何も言わないということは、きっとそうなんだろう。ここまで言って、そうなのだから。
     これ以上追いすがったり、問い詰めたりする勇気は私にはもうなかった。昔から、ずっと怖かったのだ。
     私は鶯丸からたった一言、拒否や拒絶を聞くことがただ、怖かったのだ。



     頭が痛い、とても痛い。額に手をやったが、そこは異様に熱いような気もした。だがきっとそれは腫れぼったくなった瞼のせいもあるだろう。
    「大丈夫なのあんた」
     苦笑しながら加州君が私の前の席の椅子を引き座る。それに答えたかったが頭がガンガンとしたので曖昧に笑っておく。冷やしてもこれが限界だったのだ。まあ、一晩中泣いたらこうなるのも納得なのだが。
    「まあついこの間あんな感じだったし、鶯丸と喧嘩?」
    「……喧嘩っていうか、お互い一方的に怒っただけだったかも。鶯丸が怒ったとこなんか初めて見たけど」
     結局、何一つ鶯丸の本心はわからなかった。どう思っているのか、どうしたかったのか。いつもいつも、わからないことばかりだ。
    「あんたら、昔から喧嘩とかしなかったの?」
     呆れたような、困ったような口調で加州君が言う。私は少しだけ考えてから、首を振った。
    「昔はもうちょっと色々あったな、ああしたいとかこうしたいとか。遊ぶ趣味とかもあんまり鶯丸と合わなかったし」
    「まあ、そーね。あいつなんか特殊そうだし」
    「特殊って。でも私がそうやって癇癪起こすたびに、鶯丸はじーっと黙って話を聞いて、それからじゃあこうしようって言いだすの。それでも鶯丸が怒ったことなんか一度もなかった。……でもそういえば、一回だけちょっと不機嫌になったときはあったかな」
     小学校の頃だったと思う。そのとき私は、登下校がずっと鶯丸と一緒だったのだ。家が近いから、何の疑問もなく。けれど冬の頃、クラスの女の子たちで集まって編み物をしていて、私はそれに混ざりたかったのだ。だから通学を別にしたいと鶯丸に言ったときだけ、鶯丸は少し顔を顰めた。
    「俺も早く行くのではだめか?」
    「だってそうしたら鶯丸一緒にいるでしょう?」
    「俺がいたらいけない用なのか」
     それに私が頷くと、鶯丸は考え込んだ。やや時間をおいてから、鶯丸は答える。
    「……なら朝だけだ。夕方は、俺が図書室で待つ。日が落ちるのが早いからな、君を一人で帰らせるわけにはいかない。だからだめだ。まあ、考えてみれば君にも付き合いがあるだろうからな」
     だから、今も朝だけ私は一人で登校している。確かに始終鶯丸が側にいると女の子同士で話せないこともあって、クラスが分かれると昼も一緒に過ごさなくなって、高校からは帰りだけ。
     黙って話を聞いていた加州君が、「うーん」とやはり笑って首を捻る。さらりと揺れた髪の隙間から耳飾りが見えて、男の子でもそんなのつけるんだなあと私は思った。私の知っている男の子は、鶯丸だけなのだ。
    「やっぱ喧嘩じゃん」
    「……そうかな」
    「そうだよ。だって俺からしたら、鶯丸は拗ねてるように聞こえるし」
    「拗ねてる? 鶯丸が?」
     そうだよ、と加州君は眉を片方だけ下げて笑った。
    「なんでわかってくれないって、あんたに対して拗ねてるように聞こえるよ。言葉足んないけど」
    「……」
    「俺も、女の子相手じゃないからアレだけど、付き合い長い友達いるから覚えあるよ。昔からの友達ってさ、なんかそこにいるの当たり前で。でもそっちに新しい仲間ができちゃうとさあ、よくわかんないけど寂しいじゃん。俺は俺で友達作るのにさ、置いてかれたみたいな気持ちになってさ。だから焦って変に引き止めちゃったりして」
     私は一度だけ瞬きをした。そんな風に考えたことも、感じたこともなかったのだ。鶯丸が焦ったり、拗ねたりするだなんて。ましてや怒ったことなんか一度もなかったから余計に。
    「それがわかんないのはさ、あんたの傍にはなんだかんだ、いつも鶯丸がいたからじゃないの?」
     じゃ、あとなんかあったら報告よろしく、と加州君が立ち上がった。座っていた加州君がいなくなると腫れぼったくなっていた瞼に外からの光が差し込んで明るくなる。
     思えば、鶯丸はいつだって私のことを待っていた。夕方の図書室で、私が扉を開けると振り返ってくれた。中学になって放課後にお互い部活が入っても、鶯丸は帰る頃に昇降棟にあったベンチに座っていた。下駄箱に来た私を見て「遅かったな」と笑って。
    「やはり時間がかかっている気がするな、この時期は忙しいのか?」
     委員会が終わって図書室から出る。寄りかかっていた廊下の壁から体を起こした鶯丸を見て、思わず唇を噛み締めてしまう。今日は文庫本を持っていなかった。
    「……いつも通りだよ、別に忙しくない」
    「そうか。ならいいが、帰ろう」
     いつも通りの鶯丸は、ずれかけた赤いマフラーを首に巻き直して踵を返す。それからふふふと小さく笑った。
    「小学生の頃だったか、君が毛糸玉をくれたのは」
    「いや、あれは、その」
     私が編み物の上手な女の子たちに交じりたかったのは、鶯丸にマフラーをあげたかったからだった。けれどやはり初心者向けではなかったのか、どうにもうまくいかなかった。冬の時期には間に合わなくて、困った結果毛糸で作ったボンボンで苦し紛れのプレゼントにしたのだ。一緒に登校できないと言った手前、何もなしにするのは申し訳がなくて。
     隣のクラスの靴箱からローファーを取り出して履きながら、なお笑って鶯丸が言う。
    「何に使うのかと聞けば、君はただのますこっとだからと言っていた」
    「……あれしか作れなかったの」
    「ふふ、俺は君が買った毛糸がいつになったら完成するものかと思って待っていたんだがな」
     編み棒はあれきり、クローゼットの中にしまい込んでいる。次の年には忘れてしまっていた。
     大事なことを忘れていたのは、私のほうかもしれない。いつも一緒にいるものだから、変わらずに、そこにいたものだから。
     嫌われたくないだとか、どう思われているのだとか、年を経るごとに余計なことが増えていって。一番大切なものを見落としたのかも。
    「昨日は声を荒げて悪かったな」
     今日は半歩先を歩く鶯丸が言った。穏やかな、いつもの鶯丸の声音だ。
    「……先に謝られたら、喧嘩吹っ掛けた私は謝りづらいよ」
    「そうか?」
    「ごめんね。もっとちゃんと話せばよかった」
     聞き方が悪かったのだ。一番直接的な、核心を私から避けたのだから。
    「怖かったの」
    「何がだ?」
    「鶯丸にね、色んなことを聞くのが」
     鶯丸は首を回してこちらを振り返った。不思議そうな目で首を傾げる。
    「どうしてだ?」
    「だって、鶯丸が傍からいなくなったら嫌だもの」
     関係性を明確にすることが怖かった。今なら幼馴染だと言える、でもこれ以上大きくなったら、大人になったら。はっきりと言葉にして、聞くのが怖かった。
    「それなのに何も言わずにキスだけするのは酷いと思う」
    「……そこまで思い至らなかった。悪かったな」
     思い至らないってなんだ、鶯丸は何を思っていたのだ。やっぱり鶯丸が考えることはわからないなあ、と思いながら苦笑する。
     一度だけ、私は深呼吸をした。澄んだ空気が肺の中に入って染みわたる。今度こそちゃんと聞かなくては。
    「ねえ、鶯丸にとって私って何?」
     冬の冷たく鋭い風が、跳ねきった鶯丸の前髪を通り過ぎる。深い緑の色をした目はどちらも真っ直ぐ私を見つめていた。
    「それは改めて言葉にしなければいけないことなのか?」
     純粋な疑問のようだった。面倒くさがったり、照れたりしている風ではない。鶯丸は、ただひたすらにその言葉の必要性を問うている。それに私はしっかり頷いた。
    「言ってほしいよ、鶯丸」
     わからない。いつもわからなかった、鶯丸が考えていることは。ただそれでも、鶯丸はいつだって私の隣にいた。本当はその言葉にしない鶯丸の気持ちを察しなかったわけじゃない。ただ一度でいいから、言葉にしてほしかっただけで。
     そう、私はただ一度だけ、鶯丸からその言葉を聞きたかったのだ。
    「……君のご両親に嫌われるのを避けたい」
    「……え?」
    「小さい頃から好かれていたと思うが、今は年が年だから勝手も違うだろう。だから嫌われるようなことはしたくない。まだ高校生だからな、責任の取れないこともできない。最低でも大学を出るまでは。当たり前だが君を食うに困らせるわけにはいかない」
     ……鶯丸はなんの話をしているのだ。
     若干わからなくなって首を傾げそうになった。けれど鶯丸のほうは大真面目な顔で続ける。
    「君の母親のほうは大丈夫だと思うが、父親は娘の相手には過敏だろう。だから君の父親が家に帰ってくる前には俺も家に戻りたいし、休日に君を部屋に呼ぶのも好ましくない。だからまあ、休日に会うなら外がいい。日が落ちる前には帰そうと思う。その分大学はまあ、いいところに行くつもりだ。そのときは家から通える範囲とはいかないかもしれないが」
    「待って」
     ストップ、と手を上げて鶯丸を制した。このまま延々と聞いていてもわからない。少なくとも、私が想定していた返答ではない。
    「どうした」
    「鶯丸、何の話を、してるの?」
    「君が聞きたがったことだが」
     そんなことを聞きたがった覚えはない。私は頭の中で記憶を巻き戻した。これはもしかして、昨日の方の質問の答えなのだろうか。どうして何もしないのか、のほうの。
    「わ、私の昨日のほうの質問に答えてる?」
    「そちらにも答えてないからな」
    「いやまあ、そう、なんだけど」
     私に何もしないのは、私の両親に嫌われないため? 後々面倒だから? それじゃあまるで結婚するみたいな言い方ではないか。話が一足飛び過ぎる。
    「結局さっかあは得意になれなかったな、悪かった。だがそれでもいいと君は言っただろう? 俺には他に得意なことがある、今は君に勉強を教えることもできるし、編み物はまた来年の冬を待てるぞ。気は長いほうだ、これまで君に何もしなかったくらいにな」
     私があげたほうの手を鶯丸が握る。今度は何の話だ、と記憶を探って思い出す。これは好きな子のタイプの話だ。
    「そんな昔の話、まだ覚えてたの?」
    「そりゃあ、君が言ったことだ」
     はは、と笑い声が口から漏れた。
     なんだ、……なあんだ。
    「……なにそれ、鶯丸、我儘だよ」
     我儘だ。私の意思も確認する前に、勝手にしたいようにしてしまって。あんな幼稚園の頃のなんでもない話で、全部合点して決めないでほしい。
    「我儘か?」
    「そうだよ」
    「そうか」
     何故だか鶯丸はくつくつと嬉しそうに笑う。私は呆れてしまった。だが同時にそのおかしさも理解できる気がして、ふふふと肩を揺らす。
     どうにも、お互い色々なことの意思疎通を怠っていたようだ。
    「我儘だとは初めて言われたなあ」
    「そう? じゃあ周りの人が辛抱強かったんだよ。大包平とか」
    「ふふ、そうか、そうか。それで、君は俺の我儘に付き合うのが嫌なのか?」
     指を絡めるようにして握られた手はややひんやりしていた。マフラーと手袋とどちらが難易度が低いのだろう。
    「一つだけ私の我儘聞いてくれたら、いいよ」
    「なんだ?」
     鶯丸が少し屈んでこちらを覗き込んだ。なんとなく、今日は目を閉じてもいいかなという気分になる。
    「好きだって言ってくれる?」
     鼻がぶつかったとき、鶯丸は笑い声交じりで答えた。瞼を閉じていたので、どんな表情だったのか見損ねたのだけが残念だ。
    「なんだ、君はそんなことも知らなかったのか」
     はは、と私も笑う。
     それは、鶯丸が言わなかったからじゃないか。



    「で、今日は編み物の本読んでるってわけ? はあー、そりゃあごちそうさま」
    「あはは」
     私がページを捲るのを、加州君は呆れ果てた顔で見た。だがどこか安心したように息を吐いてくれたので、今度ジュースでも奢ろうと思う。
     あの赤いマフラーは鶯丸によく似合っていたから、赤い毛糸で編むのもいいかと思っていたが出来上がりを既製品と比べられると辛い。深緑でもいいかなあなんて考えるのは浮かれた頭。
    「それで? 晴れてくっついたから今朝一緒に来たってわけ?」
    「いや、そうじゃなくてね。なんか今朝は挨拶しに来ただけ」
     鶯丸曰く、「考えを改めた」らしい。朝私が登校する時間帯にインターホンを鳴らした鶯丸は、深々と私の両親に頭を下げてこう言った。
    「昨日娘御と交際させてもらうことになった。日没までには家に帰すつもりでいるから、たまに休日に外に誘ってもいいだろうか。行き先も言う」
     それで元々高かった母の鶯丸への好感度は更に馬鹿みたいに跳ね上がった。父も「きちんとした子だ」と褒めていた。二人とも小さい頃からの鶯丸を知っているので、色々許しきっている。だから私は「両親に嫌われると困る」という鶯丸の言を理解する羽目になった。こんな形で。
     加州君は首をもう捻りに捻った。全然わからないという顔だ。その気持ちはよくわかる。
    「なにそれ、やっぱ変な奴」
    「私もそう思う」
    「……の割に嬉しそうだけどね」
     私は何となく手の甲を当てて口元を隠す。嬉しいのだから、仕方ない。
    「何の話だ?」
    「うっわ!」
    「鶯丸」
     音もなく、いつの間にか加州君の後ろに立っていた鶯丸が笑顔で言う。驚いて跳ね上がった加州君はガタンと机にぶつかった。よろけた加州君を鶯丸が腕を伸ばして支える。
    「怪我をするぞ」
    「ビックリさせたのあんただよ……」
    「そうか、すまなかった。君、昼だ。君が来ないから俺が来た」
    「え?」
     今まで昼休みに鶯丸が来ることなどなかったのだが。見れば鶯丸は片手に弁当を持っている。もしかして一緒に食べるつもりなのだろうか。私が呆気に取られていると、鶯丸は空いていた私の前の席に勝手に座る。
    「いやあ、いいものだな。彼氏なら多少遠慮しなくていいと気づいた」
    「今までのって遠慮だったの……」
    「うわあ……、いや、じゃあ俺行くわ」
    「あ、うん……」
     ごめんね加州君、と心の中で謝りつつ私もお弁当を出す。鶯丸のほうはもう蓋を開いていた。
    「食べないのか?」
    「いや、食べるよ。いただきます」
     手を合わせてお弁当に手を付け始めると、鶯丸もきちんとした箸遣いで食べ始める。なんだか不思議な気持ちだった。自分の教室に鶯丸がいて、目の前に座っていて、お弁当を食べている。一緒に昼食をとるのなんて、最後にクラスが一緒だった中学一年生の時以来ではないだろうか。
     ちらりと鶯丸は私のお弁当を見る。何か気になることがあったのだろうか、と思っていると口を開いて言った。
    「君の弁当は母親が作っているのか?」
    「そうだよ、たまに手伝うけど」
    「なら今度時間があるとき俺の分も作ってくれ。俺は彼氏だからな」
     彼氏、ねえ。鶯丸は随分その名前がお気に召したらしい。こんな人だったっけ、と私は小さく笑う。
    「考えておくね」
    「ああ、そう言えばこの間のだがな」
    「待って、この間ってどれ?」
    「君が部屋で怒ったときのだ」
    「ああ」
     今度から逐一確認しよう。鶯丸は言葉が足りない。もしくは、全部理解してくれていると私に甘えきっているのかもしれない。
     ……それはそれで、悪い気はしないな、なんて。
     これでは私も鶯丸に毒されていると苦笑した。
    「機を見て言ってくれ。君のほうから何もしないのかと誘われるのは悪い気はしない」
    「げほっ」
     やっぱりやめた、もう少し厳しくしよう。
     私は机の下で軽く鶯丸の足を蹴った。痛いぞ、と鶯丸は笑った。
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    2023/09/12 17:15:44

    キスをする幼馴染

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    #鶯さに #うぐさに #刀剣乱夢 #現代パロディ
    幼馴染の鶯丸と下校するときに毎日キスする話。

    pixivに以前掲載していたものです。

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