イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    その胸に咲く藤の花



     へし切長谷部は、この本丸に二番目に来た刀だった。初期刀を迎え、初めての鍛刀で降りてきてくれた刀。真面目な長谷部は初期刀と共にまだ若い審神者をサポートしてくれた。右も左もわからずに、一から戦術を学ばなくてはならなかった彼女にとっては、大変ありがたいことである。
     優しくて、でもどこかおっちょこちょいなところもあって、そんな長谷部に恋をしたのはいつのことだったろう。いつの間にか、審神者にとって長谷部は大切な一振になっていた。
     だから、ある日やっと告げたのだ。「あなたが好きです」と。
    「だ、だめ、かな」
     頬と頸のあたりが異様に熱い。緊張で手も震えている。だが長谷部の反応が見たくて、彼女はおずおずと顔を上げた。喜んでいるだろうか、それとも失望しているだろうか。
     正座をしている膝から徐々に視線を上げ、紫のカソックを辿り、顎の下からやっと顔へ。そしてぎょっとする。目の前の長谷部は百面相をしていたのだ。
     初め真っ赤な顔をして口を押え、視線を惑わせる。かと思えば青くなってわなわなと震えだした。「えっ、怒ってる?」と審神者の顔からも血の気が引いたそのとき、がばりと長谷部がひれ伏した。
    「も、申し訳ございません主」
    「えっ、な、なに?」
     告白して土下座されたのなんて初めてだ。いや今までそんなにこういった状況に経験があるわけでもないのだけれど。長谷部が頭を下げたものだから、驚いた審神者は反対に体を起こす。
    「長谷部……?」
    「お、俺は、主のありがたい申し出を、受けることができません……っ。どうかお許しを……っ」
     あまりに切羽詰まった声だったので、何を言われるかと思ったらただのお断りの文句だった。落ち込むべきだったのだろうが、むしろ彼女はほっと胸を撫で下ろす。なんだ、腹を切るとか言われたらどうしようかと思っていた。
    「い、いいよいいよ。大丈夫。私もお返事貰おうと思って言ったわけじゃないの。伝えたかっただけなの。ごめんね、困らせちゃって」
    「あ、主、怒ってはいらっしゃいませんか」
    「怒るわけないよ、怒る理由もないよ。ね、だから気にしないで」
     そう声をかけてもやはり、長谷部は顔を青ざめたり赤らめたりを繰り返した。なんだかもう中間色の紫色になっている。ものすごく体調が悪そうだ。
    「と、とりあえず今日はね、ほら仕事もするから。平気だよ。長谷部が気にすることなんて何もないからね」
    「はい……」
    「資材の管理票を取ってきてもらってもいい? 今日記入しなきゃいけない部分があるの」
     指示を出してやっと、長谷部は「拝命いたしました」と執務室を出て行く。はああと審神者も息を吐いて文机に倒れこんだ。
     緊張した、驚いた。……それからやはり、少しだけ悲しい。長谷部を前にしている間は、百面相をして、酷い顔色の長谷部のほうが気になってそれどころではなかったけれど、こうして一人になってみるとやっと、遅れて胸の奥がずきずきとし始める。そうか、「受けられない」と言われた以上は振られたのか。文机に倒れたまま、審神者は長谷部の言葉を反芻する。それからいっそ言わないほうがよかっただろうかと反省もした。
     気持ちがあふれそうで苦しかったから好きだと口にはしたけれど、これはこれでやはり悲しい。まあ、彼女一人でどうこうできることではないのだから仕方のない。仕方ないのだと思える程度には彼女も冷静だった。それに安堵した。
    「振られちゃったかあ」
     一度口に出してみる。胸に詰まった苦しさを吐きだしたつもりだったけれど、それは余計に切なくなるだけだった。



    「振られた?」
     目をぱちくりとさせながら、饅頭を摘まんでいた清光が問いただす。結構心に来るのでやめてほしい。審神者は苦笑しながら手を伸ばして清光におかわりのお茶を注ぐ。清光は彼女の初期刀。何かと相談していたので、結果が気になったのか部屋に顔を出してきたのだ。口をもごもごとさせている清光がもう一度小さく「振られた」と繰り返す。だから繰り返すのはやめて。
    「それ本当? 主の勘違いとかじゃないんだよね?」
    「ち、違うよ。だってはっきり言われたもの『受けることができないって』」
    「えぇー? 嘘だあ」
     首を捻りながら清光は言う。それから二つ目の饅頭に手を伸ばした。
     嘘でも何でもない。本当に振られたのである。慰めてもらえるかと思いきや、その真逆とは。傷を抉られている。彼女が若干俯いたのに気付いたのか、清光が慌てて隣に座り直してその背中を摩った。
    「いや、違うんだよ主。そうじゃなくって。俺前にちょっと長谷部に探り入れたことがあったから、意外だなって」
    「探り?」
    「主のことどう思ってるのって」
    「ええっ?」
     そんなこと知らなかった審神者は素っ頓狂な声を上げた。清光はふふんと鼻を鳴らして得意げにする。
    「偵察、苦手だけどここは大事かなって。そしたらさあ、もう明らかに脈ありだったから」
     清光曰く、長谷部はそう聞かれた途端に手にしていた湯呑をひっくり返し、手元にあった書類をお茶まみれにし、それはもう動揺したのだという。それから真っ赤になった顔で「軽々しくそんなことを聞くな!」なんて怒鳴ったのだとか。もう表情に大きく好きだと書いてあるその様子に、清光は安堵したのだという。うまくいきそうだなあと予想を立てていただけに、清光にとっても確認の意味で復唱していたのだ。
    「だから俺もおかしいなって思ったんだよ、本当に」
    「うーん、でもなあ……はっきり言われちゃったし……。あ、清光口の端に餡がついてる」
    「え、取って」
     清光の口元の黒子のあたりに餡がついていたので、彼女は手を伸ばした。ピッと指にそれを取ったとき、襖が開いて長谷部が顔を出す。
    「主、申し付けられた仕事を終わらせてまいりました」
     審神者はうっと声を詰まらせる。一応振られたばかりなので、彼女のほうは気まずい。すると長谷部の方も清光を見て眉を吊り上げた。
    「加州清光、怠慢は許さんぞ。何を堂々と主の部屋で油を売っている」
    「えー、別に俺は今日大した仕事もないし、サボってるわけじゃないよ」
    「では主はこれから俺と仕事をなさるから出て行け。主、今日記入するとおっしゃっていた書類ですよ。もう資材の数は数えてありますからね、確認して捺印だけしていただけますか」
    「う、うん」
     清光が若干怪訝そうな顔をしながら立ち上がった。彼女も正直逃げ出したかった。長谷部の態度は先ほどとてんで変わらず、彼女が告白したことや自分がそれを断ったことなどまるでなかったかのような調子なのだ。
    「主? いかがなさいました?」
    「う、ううん」
     何故こんなに普通なのだ? いつも通り隣でいそいそと書類の記入準備を始めた長谷部に、彼女はおずおずと切り出す。
    「あの、長谷部」
    「はい、何でしょう主」
    「……しばらく、近侍を清光に代わってもらってもいい?」
     長谷部は平気かもしれないが、彼女の方があまり大丈夫ではない。気まずさは結構なものであるし、どう接したらいいのかわからない。長谷部はむしろ普段と変わらない態度を取ることで、彼女を気遣ってくれているのかもしれないが、こちらとしては少し距離を置いて、普通の態度が取れるようになるまで待ってほしいのだ。
     しかし言われた長谷部のほうは、この世の終わりといった表情で畳に手をついた。崩れ落ちるようなその様子に、彼女はびくりとしてやや身を引く。
    「な、なぜです主。俺が何か」
    「いや、そうじゃなくって。あのね、その」
    「俺が一番、近侍のことはわかっているはずです、ね? 主」
    「えっと」
     理由を説明しようとして、彼女は言いよどむ。自分でもう一度「長谷部が好きだから」と口に出さなければならない。どんどん傷を抉っていく行為に、彼女は躊躇った。
     とはいえ明確な理由がなければ長谷部は引きさがりそうにない。何度か口を開いたり閉じたりし、それから顔に手をやって彼女は諦めた。もうどうしようもない。
    「……ううん、そのままでいいよ、ごめんね」
     すると長谷部はうってかわって嬉しそうに体を起こす。その変わり身の早さは機動から来るんだろうか。
    「そうですよね、主。俺が一番わかっていますからね」
    「うん……」
     肝心なところは、何一つわかっちゃいないが。


     彼女の本丸には、花が多い。それはまあ彼女が現世でそれらを育てるのが趣味だったこともあり、だたっ広い本丸の庭をただそのままにしておくのもなんだか寂しかったのもあり。本丸に来てすぐの頃に、種なり苗木なりを取り寄せて植えたのだ。
     そんな中でもひときわ目立つものがある。それは彼女の部屋からもよく見える位置に植えられている藤だった。「何の花がいい?」と就任当時に長谷部に聞いたとき、返ってきた答えがその花だった。
    「あの、藤は手がかかるでしょうか」
     おずおずと、長谷部が言った。彼女も流石に藤は育てたことがなかったので、その場で調べた覚えがある。
    「藤棚がいるね、あとは特に問題なさそうだけど。広いお庭だし」
    「でしたら俺が作りますから! もし、もし主が構わないのでしたら、その、藤を」
     長谷部があまりに遠慮がちに言うものだから、彼女はくすくすと笑いながら「いいよ」と返事をした。
    「でも長谷部、いいの? 織田なら木瓜の花でしょう?」
    「あ……それは、その。勿論木瓜も植えてはみたいのですが」
     藤は黒田の紋である。まあきっと長谷部にも長谷部なりの、それぞれの元の主に対する想いがあるのだろう。だから彼女もわざわざそれを聞くことはしなかった。
     長谷部が丹念に育てたおかげで、藤は今や毎年見事な花を見せてくれる。藤棚まで長谷部の謹製なので、随分しっかりしたいいものが出来上がっていた。器用なものだ。ちなみに木瓜の花も向こうのほうに植えてある。
     彼女がじっとその藤棚を見上げていると、背後から声を掛けられた。
    「主! ここにいらっしゃいましたか。どうです、今年も見事に咲いたでしょう?」
     振り返れば、得意満面な表情で長谷部が立っている。うまく撒いたつもりだったのだが、無駄だったらしい。彼女は苦笑しながら頷いた。
    「今年も綺麗に咲いてよかったね、長谷部」
    「はい、主がこちらにいらしてからずっと育て続けてきた花です。これからもずっと、美しい花を主にご覧に入れたく」
     嬉しげに微笑んで、長谷部は藤の花に手を伸ばす。藤棚から垂れ下がる、どっしりとした美しい花と長谷部。思わずその姿にどきりとしてしまい、彼女は頭を振った。早く忘れなければ。
    「主は藤の花言葉をご存じで?」
     彼女の様子を見ていなかったのか、長谷部は笑って尋ねる。話を振られた彼女は肩を竦めて首を振った。
    「おや、てっきり俺は主は花にお詳しいものだと思っていました」
    「育てるのは好きなの。でもそこまで詳しいわけじゃないよ。しっかりお世話してる長谷部の方がよっぽど詳しいんじゃないかな」
    「それはもう、たくさん学びましたから。主の大切な花を枯らすわけにはいきません」
     新しい花を植えるときは、いつも長谷部が「これはなんという花で?」なんて聞きながらメモを取っていた。それから書庫で色々調べているようで、次に世話をするときには「水はもう少し少なくてもいいようですよ」だとか「こうした方が綺麗な花が咲くようです」なんて細やかに教えてくれる。彼女はここに来てから、花の世話がもっと好きになった。
     庭を見ればその一つ一つを思い出せるのもあり、今は少し辛い。やや視線を逸らして、彼女は踵を返した。
    「主、今日は何をいたしましょう」
    「昨日一緒に編成組んじゃったし、大丈夫だよ、今日はちょっとゆっくりできるから」
    「主」
     やはりまだ距離を置かないと辛い。特に仕事もないので、適当に逃げようと思ったのだが、長谷部は後をついてくる。
    「長谷部?」
     振り返って聞けば、長谷部は所在なさげに視線をどこか別なところへやった。
    「俺は、主の近侍ですから」
    「でも仕事ないよ?」
    「……ですが」
     要は離れる気がないらしい。彼女は流石に溜息を吐いた。すると長谷部はほんの少し肩を震わせる。それで今度は審神者がそれに罪悪感を感じる。嫌な堂々巡りだ。
    「……藤の花言葉って、何なの? 長谷部」
     すると長谷部は顔を上げて、口を開きかけて、やめた。いつも喜んで答えてくれていた長谷部には珍しい反応だった。長谷部はそのまま瞳を細めて首を振る。切なさと、どうしようもない寂しさを秘めた瞳に釘付けになってしまう。
    「お時間があるときにでも、植物図鑑をご覧になってください。存外面白いものだなと、俺はヒトの身を得て思いました。……では俺は」
    「あっ、待って!」
     踵を返した長谷部をつい呼び止めてしまった。自分から仕事はないと言ってしまったのにと口を押える。しかし長谷部のほうは光の速さで振り返った。
    「何でしょう主」
    「あ、えっと。その、久しぶりに仕事もないから、丁寧に庭の仕事しようかなって……」
     ぱっと嬉しそうな顔をした長谷部が、どこからか軍手やらスコップやら如雨露やらを持ってきて両手に抱えた。もうこうなったら自棄だ。彼女も諦めて着ていた服の袖をまくった。
    「さ、主、陽のあたる南の庭から参りましょう。どこからでもご随意にどうぞ」
    「うん……」
     本丸の庭は大きく南と中央と西に分けて使っていた。そのあたりが一番日当たりが良かったからである。植物も作物も、やはり日当たりのいい方がよく育つ。本丸の塀の外だけれど、畑もその位置だ。
     剪定なんかはこまめに長谷部がしてくれているおかげでしなくて済んだ。かわりにひとつひとつ根腐れをしていないか、間引く必要はないかを見て行く。まあ前述したように日当たりのいい場所なので、根腐れの心配はなさそうだった。たまには本丸に飾るのもいいかなと、いくつか盛りの花を選んで切っていく。
    「長谷部、今花瓶っていくつあったっけ?」
    「そうですね、五つはあるかと」
    「じゃあまず玄関に一つと……広間に置くと短刀の子がひっくり返しちゃうかな」
    「そのようなことにはならないよう俺が」
    「いやそれはいいから」
     すぐさま主命の気配を察知して長谷部が体を起こしたので、彼女はどうどうとそれを制した。思えば彼女と長谷部はそんなことの繰り返しである。
     初期刀の清光と、彼女と。最初に好きな量の資材を決めて鍛刀してくださいと言われたので、本当に直感で炉にそれを放り込み、精霊に鍛刀してもらった。そうしてやってきたのがへし切長谷部である。最初は短刀が来ることが多いと聞いていたのに、おおよそ短刀とは思えない長さの刀が来ただけでもかなり驚いた。加えてそれだけではなく、長谷部は一癖も二癖もあったため、そこから随分苦労したのだ。
     本当のところを言うと、現世のように本丸でも花を育てようと決めたのも長谷部のためだ。長く続く花の世話なら、長谷部の仕事がなくなることは早々ない。
    「主、こちらの花はいかがでしょう。丁度盛りです、主のお部屋を飾るにはいいですよ」
    「あ、チューリップね。球根だし、綺麗なうちに摘んじゃってもいいかも」
    「では俺が」
     長谷部が剪定鋏を手に、ぱちぱちといくつか切り始める。赤とピンクと紫、花壇には他に白や黄色もあるというのに、長谷部はその三色だけを摘んでいるので、彼女は首を傾げた。
    「長谷部、他にも色があるよ? それにチューリップと言ったら赤白黄色って歌もあるし」
    「いえ、その……白と黄色は意味があまりよくありませんので」
    「意味? あ、花言葉? 本当によく調べたんだね長谷部」
    「それはもちろん!」
     腕いっぱいにチューリップを抱えた長谷部が勢いよく彼女のほうを振り返った。別な花壇で根の具合を見ていた彼女はその様子にびくりとする。
    「主の大切な花壇をお預かりしているのです! 俺の不注意で枯らせてしまったり、萎れさせてしまうわけには!」
    「大切なって、あはは。大袈裟だなあ。花はまた咲くよ。そんなに気負わなくて大丈夫だよ」
    「ですが……」
     ややしゅんとした長谷部に、彼女は慌てた。長谷部なりに張りきってしていた仕事なのだろう。そんなに気にしないでという意味合いだったのだが、そうは伝わらなかったらしい。
    「でも、綺麗に世話してくれて嬉しいよ」
     そう言えば、長谷部はやっと肩の力を抜いたようだった。そんな様子を見て、ふと彼女は長谷部が自分の傍にいるとき以外の姿を見たことがないなと思い至る。まあそれは当たり前の話なのだけれど、そういうときに何をしているのかが想像できないのだ。
    「ねえ、長谷部」
    「はい」
    「長谷部は普段、何をしてるの?」
    「なに、とは」
    「えーっと、仕事してないとき。まあ近侍だから一緒にいる時間は長いけど、それでもまあ自由時間だって当然あるんだし。そういうとき何してるの?」
     例えば寝る前や、お風呂上り。ご飯を食べ終わった、後だとか。近侍とは言え二十四時間ずっと一緒にいるわけではなし、当然趣味の時間だってあるはず。
     例えば清光は空き時間にネイルを直したり髪を整えたりする。他にも本を読むのが好きだったり、テレビを見るのが好きだったり、刀剣によりそのあたりは好みの差が出るようだった。長谷部は一体何をしているのだろう。
    「……」
    「長谷部?」
     長谷部が黙りこくってしまったので、彼女は彼のほうを覗き込んだ。長谷部はチューリップを抱えたまま、しばし何か考えている。
    「何でもいいよ、長谷部の好きなこと教えてよ」
    「……何でも」
    「うん、何でもいいよ」
     彼女がそう言ってやっと、長谷部は小さく口を開いた。
    「……花の図鑑を見ているのは、好きです」
    「うん」
    「それから、先日歌仙の作った料理は美味かったと、思いました」
    「なんだっけ、あ、わかったロールキャベツだ」
    「あとは」
     ぽつりぽつりと長谷部は好きなものを列挙し始める。
     熱い風呂、それから芋焼酎。ソーダなどではなく湯で割るのが好みらしい。
     博多程ではないけれど、新聞の経済欄を見ていること。
     きっちり書類が埋まること。
     本当に細々としたことを、最初はおずおずと段々と調子よく話し始める。
    「最近博多からえくせる、なる現世の道具を見せられました。あれは好ましいと思います。作業の効率もあがりそうですし、それに」
    「ふふ」
    「主?」
     チューリップを抱えたままそんな風に饒舌に話すものだから、彼女はつい面白くなってしまった。それからひどく自然と、そんな長谷部のことを好きだなあと思ってしまう。
    「ううん、長谷部が楽しそうに話すからね」
    「俺が、ですか」
    「今まであんまりそういうの聞いたりしなかったし。もっと早く聞けばよかったなあ」
     そうしたら、もしかしたら自分の恋の終わりももっと違うものだったかもしれない。
     彼女は少し反省していた。長谷部のことをよく知らなかったのだなあと痛感していた。長谷部が傍にいてくれることに満足して、色々なことを知ろうとしなかった。いいや、知りたくなかったのかもしれない。知って、本当は自分は長谷部の好みに掠りもしていないのだと知りたくなかったのかもしれない。
     そんな独りよがりな恋だったのだからやはり、振られたのは妥当なのだろう。
     少し悲しくなって、彼女は膝を抱えたまま地面を見つめた。この花は、長谷部と最初の年に植えた球根だ。
    「……朝起きて」
     急に長谷部が隣に座りこみ、チューリップ片手にその球根から芽吹いた茎を確かめる。
    「え?」
    「主に朝の挨拶をしに行くときが、俺は一番好きです」
    「……」
    「主はいつも、俺に『おはよう長谷部』と返してくださるので。俺は、あなたの刀なのだなと……わかるので」
     かあっと頬と頸のあたりが熱くなる。何も言えなくなって、彼女は長谷部の横顔を見つめたまま動けなくなった。すると長谷部も彼女の視線に気が付いたのか、首を動かして真っ赤に染まっているだろう顔を見た。それから自分も耳を染めて、おろおろとしたあと、さっと顔を青くして立ち上がる。またもや百面相だ。
    「は、花が萎れてしまわないように水を吸わせてきます! 主の部屋に置いておきますので!」
    「う、うん、よろしく」
     長谷部はさっさか歩いて母屋の方に消えて行った。彼女はやはりその場からしばらく動けそうにはなかったけれど、同時に頭を抱えた。なんて未練たらしいんだ。
     その日、書庫で植物図鑑を手に取って私室に帰ったけれど、流石に考えることに疲れて開くことはできなかった。



     長谷部の様子は一向に変わらない。彼女と距離を置く兆候も見られないのに、こちらが少しでも反応を見せると逃げるようにして去っていく。彼女はもう頭を抱えてしまいたかった。一体なんなのだ。
    「ねえどう思う? 清光から長谷部に何か言って?」
    「俺が何か言ったところで聞きやしないよ、長谷部」
     清光も困り果てた顔で肩を竦めた。今は長谷部は短期の遠征に無理矢理出したので、彼女はいい機会だと清光に泣きついたのだ。
    「長谷部は長谷部でなんかあるんだと思うけど、あいつ口なんか割らないしなあ……」
    「でも流石にもう限界だよ、生殺し、生き地獄、振られたんだよね? 私」
    「そう言ってなかった?」
     しかし長谷部の態度は振ったそれではない。どう見てもそうではない。一体どうしろというのだ。審神者が額に手を当てると、清光も首を捻りながら顎に手をやった。
    「ねえ、もっとちゃんと長谷部と話した方がいいよ。絶対何か主と話さなきゃいけないことがあるんだよ」
    「でも」
    「主、そういうところ長谷部とすごいよく似てる」
    「え……?」
     清光は言うのを何度か躊躇ってから、それでも口を開いた。
    「主さ、怖いんでしょ。また長谷部に振られるのが」
    「……それは」
    「わかるよ、俺だって主に一度でも『要らない』なんて言われたら立ち直れないもん。……今割と自分で言って傷ついたくらいには」
    「元気出して、それはないから」
     彼女が即座にそう答えれば、「うん」と清光は少し嬉しそうに微笑んだ。
    「でも前からそうだったでしょ? 傷つくのが怖くて、長谷部に気持ち言えなかったでしょ? 長谷部のこと、なかなか知れなかったでしょ?」
    「……」
    「長谷部もそういうところあるよ。嫌われるのが怖いんだよ。あいつ、主に嫌われるのが何より怖いんだ。俺、ここに来てからの付き合い長いからわかるよ」
     彼女はただ黙りこくって膝にやっていたこぶしを握り締める。そんな様子を見て、清光は「ちょっと言い過ぎたかな……」なんて襟足を掻いた。
    「ねえ、藤の花言葉、調べてみたら?」
    「……藤?」
    「あいつ後生大事に育ててるじゃん、あの藤。調べてみなよ、自分で見てみろって長谷部も言ってたんでしょ?」
     そこでやっと、彼女は部屋に置きっぱなしの植物図鑑を見やった。
     本当のことを言うと、あれを開くのも少し怖かったのだ。開けば、長谷部の本音がわかってしまう気がして。もしかしたら、長谷部がずっと言わないだけで、彼女に抱いていた不満やら何やらがわかってしまう気がして……。
     ほらと清光に促され、彼女は渋々それを開いた。藤を索引で調べて、ぺらぺらと捲る。
     藤、マメ科、フジ属。花の見ごろは春。
     そんな学術的な知識と共に、ひっそりと花言葉は記載されていた。清光も一緒になって文字をなぞりつつ、それらを確認する。
    「へえ、花言葉って一つじゃないんだ」
    「……優しさ」
    「うん」
    「……決して離れない」
    「まだあるよ」
    「……歓迎」
     ぽたぽたと涙が零れた。藤は、黒田の家紋。長谷部は元の主に思い入れがあるから、それを植えたのだと思っていた。でも、これは。この花言葉では。
    「……あは、なあんだ。あの藤、主のための花じゃん」
     そんな風に思っていいのだろうか。長谷部は、自分のためにあれを世話してくれたと。木瓜よりも先に、あの藤を植えた長谷部を。
    「主、遠征が終わりまし……主?」
     顔を出した長谷部と目が合い、同時にぎょっとした表情をするのがわかる。彼女は慌てて涙を拭いたのだが、もう既に長谷部の眉はつりあがった後だった。ひらりと纏っているストラが翻る。
    「加州清光! 一体どういうことだ!」
    「待った待った、俺じゃないよ。むしろあんただから」
    「何を言っている。主、いかがなさいました? 命じていただければ今この場で加州を圧し切ることもできますよ」
    「ち、ちが、ごめ、清光」
     そう言えば、清光は優しく笑って頑張れとこっそり耳元で囁き、部屋を出て行った。部屋に残されたのは長谷部と彼女だけである。
    「主、いかがなさいました? 政府が何か厄介ごとでも言ってきたのであれば、この長谷部が何とかしますよ」
    「ううん、そうじゃなくて、ねえ長谷部」
    「何でしょう、主」
     長谷部は笑顔満面で正座をし、彼女の正面にいた。丁度いい、もう視線を逸らして、何もかも知らないふりをしたくない。
     初めの告白とは違い、彼女はしっかりと長谷部を見つめた。
    「長谷部、私長谷部が好き」
    「え……」
     長谷部は目に見えて動揺し、今度は彼女から視線を逸らした。顔が青ざめる。百面相の前兆だ。
    「……主、俺は前にも申し上げましたが」
    「じゃあ近侍を外れてほしい。私にも、考える時間が欲しいから」
    「主!」
     長谷部は焦って顔を上げた。今までの彼女であれば、それだけで十分に怯んだだろう。しかし今度は顔を背けることはなかった。
    「長谷部は結局、どうしたいの?」
     少し、語調を強める。正直もういい加減訳が分からなくなっていた。振られた以上諦めようと思っていたのに、長谷部は近侍を外そうとすれば嫌がるし、仕事だからと一日の大半傍にいる。最初は気を遣ってくれていたのかとも考えたのだが、これ以上はもう苦しい。
    「私のこと気にかけてくれてるのかもしれないけど、これ以上はもう、辛いよ。長谷部が何を考えてるのかわからない」
    「俺は、その、主のお役にたてればと」
    「その気持ちは嬉しいけど。でも、じゃあ少し距離を置こう? 少しでも私が長谷部のことを、普通の仲間だと思えるまで待ってもらえないかな」
    「いいえ、それは。俺が一番、主の仕事のことはわかっています」
     でも審神者からしてみたら、長谷部の考えていることが、わからない。
     中途半端な優しさや思いやりは苦しい。それでも長谷部の迷惑になりたくないから、普通の仲間だと思って接したかった。気持ちに応えられないと言ったのは、長谷部なのに。それなのに、どうして。
    「俺は、怖いんです」
    「怖い……?」
    「もし、主の気持ちを受け入れて、主の一番になったら」
     スラックスを握りしめて、長谷部は肩を震わせながら俯いた。
    「次は、一体、どうしたらいいですか?」
    「え……?」
    「主の一番になってしまったら、もう、あとはそうでなくなるのを待つだけに、なってしまいます。そうしたら、俺は、一体」
     登り詰めたら、あとは下るだけだと。言いだしたのは誰だっただろう。彼は、だから一番になることを恐れたのか。気持ちを受け入れて、特別になってしまったら、そうでなくなる日を恐れて。
    「俺は、刀です。どう頑張ったって、ヒトにはなれやしません。主と一緒に生きていくことは、叶いません。主がそれを嫌になってしまったら、いつか俺に飽きてしまったら、俺はそれを止める事すらできない」
    「長谷部」
    「俺はヒトが、どれほど簡単にモノを手放していくか知っています。それに俺が逆らえないことも。だから、だから俺は」
    「長谷部!」
     審神者は長谷部の両手を掴んだ。するとハッとして長谷部は口を噤む。それから小さな声で「申し訳ございません」と謝った。
     顕現して間もない頃、長谷部はいつも彼女が出かける度に「迎えに来てくださるならば」と必ず言い置いた。どこにも行ったりしないよと何度念を押しても、ただ微笑んでそう繰り返した。黒田の刀剣たちに話を聞いて、長谷部自身から前の主の話を聞いて、思うことがなかったわけでもない。だがここまで根深く、気にしているだなんて想像もつかなかった。
     言葉では、長谷部にとって薄っぺらだ。きっと長谷部はなんと言っても、心のどこかで不安を抱き続けるだろう。いつ捨てられる、いつ離れていく、そんなことをずっと気にして。
     だったら、気持ちをもっとわかりやすくカタチにしよう。
    「じゃあ結婚しようよ、長谷部」
    「……はっ?」
     ぱちぱち、と長谷部は何度か瞬きを繰り返した。藤色の瞳が真丸に開かれて、その正面に審神者を映す。
    「うん、それがいいよ。そうしようよ長谷部」
    「け、結婚ですか? ですが主、俺は刀剣で」
    「長谷部、案外指がしっかりしてるね、指輪のサイズいくつだろう」
    「主!」
     焦ったような、戸惑ったような口調で長谷部は彼女を呼んだ。何度か視線をあちらこちらへとやり、口を開いたり閉じたりを繰り返す。逡巡している様子だった。
    「主は、自分が何をおっしゃっているかわかっていない」
    「そんなことないよ」
    「俺はモノなんですよ」
    「そうだね」
    「正式な結婚なんてできないんです」
    「そうかもしれないね」
     握って、感触を確かめるように指を絡める。長谷部の手は大きくて暖かかった。白い手袋越しに伝わる体温は、ヒトのものと相違ない。伏せられた目も、震える唇も、何にも変わりない。
    「でもそれでも、私は長谷部と一緒にいたいよ」
    「……」
    「たぶんあと、五、六十年しかいられないし。それだったら、何も考えずに傍にいたいんだよ」
     ぎゅっと唇をかみしめた長谷部が、膝のあたりをじっと見つめながら、やっと口を開く。
    「お、俺は、面倒くさいですよ」
    「そうだね、最近ちょっとわかった」
    「あなたと一緒に、年を取れないんですよ」
    「うーん、私がおばあちゃんでも平気?」
    「死ぬことも、ないんですよ」
    「そうしたら」
     下から、潤んだ瞳を覗き込む。こんなに泣き虫なのも、今日初めて知ったことだ。
    「待ってるから、長谷部が育てた綺麗な花を持って、毎日お墓参りに来てほしいな」
     一緒にいる形は、星の数ほどある。
     今度は痛いほどの力を込めて、長谷部に抱きつかれた。肩口がじんわり濡れる。とりあえず、指輪を買いに行かなくては。あははと笑い長谷部の背に腕を回しながら、審神者はそれは万屋に置いているかなあなんて考えた。



    「そこ! 手が止まっている! 怠慢は許さんぞ!」
     今日も主命を受けた長谷部が、張りきって本丸を取り仕切っている。今の時間帯は何を頼んだんだっけかと彼女は思い返した。そうだ、庭の剪定だったか。大体何をお願いしても人並み以上に、それも素早くできてしまうものだから、大抵のことは長谷部にお願いすれば何とかなる。
     いそいそと他の刀剣たちに指示を出し終えたらしい長谷部が、縁側でそれを眺めていた彼女の元にやってくる。いつもの内番のジャージ姿だが、胸に手を当て恭しく頭を下げた。
    「では主、俺は庭の剪定に行って参ります。すぐに戻りますので」
    「うん、いってらっしゃい。戻ったらお茶にしようね」
    「有難き幸せ」
     ほくほくとした笑顔で、長谷部は立ち上がる。だがどうやらそれを聞いていたらしい清光が花に水をやりながら「ずるい!」と声を上げた。
    「主とお茶は俺だってしたいよ! 混ぜてー」
     彼女はいいよと言おうとしたのだけれど、その手前で長谷部が即座に首を振る。
    「だめだ。主は俺とお茶をなさる。加州はいつもの通り大和守といればいいだろう」
    「ええー、いいじゃんたまには。長谷部ばっかりずるいよ」
     清光の文句に、長谷部は自信たっぷりに鼻を鳴らした。それから得意げに、していた左の軍手を外し、高くかざす。
    「当たり前だ! なんたって俺は、主の一番であり、夫だからなあ!」
     きらりと薬指で白金の指輪が陽に光る。それは彼女の左手にも揃いのものが嵌められている。あははと彼女は声を上げて笑った。
    micm1ckey Link Message Mute
    2023/11/09 14:38:07

    その胸に咲く藤の花

    人気作品アーカイブ入り (2023/11/10)

    #へしさに #刀剣乱夢 #女審神者
    審神者と結婚したくないへし切長谷部の話。

    2017年1月に発行した刀さにプロポーズ短編集からへしさにの再録です。
    多少修正加筆してあります。
    お手に取ってくださった皆様、まことにありがとうございました。

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品