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    足の悪い審神者と元気な三日月宗近の話


    「もっ、もっとゆっくりお願いします! あっ、うわっ」
    「はっはっは、やあ風が気持ちいいなあ」
     からからと軽快な音が響く。砂利でややごつごつとした道を、四つの車輪と二つの草履が駆け抜けていく。車椅子に乗った方の少女は少し引き攣った顔で、それを押している三日月のほうは晴れやかな笑顔だった。二人が目指しているのは、本丸からほど近い丘である。
    「主、普段はどこまで行くんだ?」
    「も、もう少し先、ですっ」
     その辺の石ころに車輪が引っかかり、審神者の体が軽くバウンドする。ついでにギャッと小さく悲鳴が上がった。それを見て三日月がおやと歩調を緩める。自分が速足過ぎたとやっと気づいたらしい。
    「すまん、主。気が急いたようだ。怪我はないか?」
    「あは、いや、大丈夫ですよ。そうですね、三日月さんにとっては初めてのお散歩ですもんね」
     彼女は毎日初期刀の加州清光とこうして出かけるけれど、三日月と二人でそうするのは初めてなのだ。無論、出陣でしか本丸を出ることのない三日月にとっても散歩という名目で外出するのは珍しいことだらけらしい。
     審神者の乗る車椅子のグリップをしっかり握って、先程よりゆったりと歩きながら三日月は目を細めた。今日は小春日和で温かく、過ごしやすい。まるで日向ぼっこをしている猫のような表情をしている三日月を見上げ、審神者も微笑んだ。駄々をこねる彼を連れてきたのは結果として正解だったらしい。
     事の発端は、一五分ほど前のこと。
    「いつも加州ばかりずるいぞ。たまには俺にも主と散歩をさせておくれ」
     審神者愛用の赤い水筒を手にした三日月が、玄関先で出かける準備をしていた清光と彼女に声をかけてきたのだ。清光と彼女は顔を見合わせ、ぱちくりと瞬きをする。足の悪いこの本丸の審神者は、毎日昼下がりに初期刀の清光と車椅子で散歩に出ていた。どうやら三日月は今日は自分がそれに行きたいと言っているようである。
     彼女がどうしようかと考えている間に、清光がはあと息を吐いて首を振る。首に巻いた赤いマフラーが左右に揺れた。
    「だめだめ、三日月これうまく使えないでしょ? 車椅子は主の足なの。主に怪我でもさせたらどーすんの。だからだめ」
    「む、俺とてこれを押すくらいはできるぞ。押せば進むのだろう?」
     三日月がむうと頬を膨らませて清光に反論した。ついでに車椅子のハンドルを取ろうとしたので、すかさず清光がぺしりとその手を叩く。その間で審神者はおろおろと両者を見比べた。一人だけ車椅子に座っているせいで、視線が低いのだ。
    「段差とか坂とかどうするのさ。扱いわかんないでしょ」
    「だが加州ばかり主といつも一緒にいるではないか」
    「俺はいーの! 初期刀で近侍なんだからっ!」
     まあ確かに、長い間一緒にいる分だけ車椅子の扱いが一番うまいのは清光である。杖も使う審神者の体を支えるのもスマートだし、阿吽の呼吸で見事に彼女を介助できる。それを考えれば、いくらいつも同じルートを行くと言えど清光に同伴を頼むのが得策だと言えた。
     彼女は三日月には今度別なときに一緒に出掛けてもらおうと思いつつ、断るために口を開きかける。だがその瞬間三日月はパッと車椅子の背後についたポケットに水筒を入れ、先ほどより素早い動きで車椅子のグリップを掴むと一直線に玄関を出た。打刀の清光も吃驚な機動である。
    「えっ、あ、ちょっと!」
    「ではな加州、主を借りていくぞ」
    「あっ、清光っ」
     そうして彼女は一方的に三日月に散歩に連れ出されたのである。自分ではあまりうまく動けず、車椅子に乗せられていたからこその強制出発であった。
     春の温かな風に吹かれながら、いつも来る丘の上まで来たとき三日月もピタリと足を止める。忙しなく動いていた車輪たちが音を立てるのをやめた。
    「このあたりで構わんか?」
    「はい、毎日同じあたりですから。すみません、後ろのポケットから杖を出していただいていいですか?」
     三日月はごそごそとそこを漁り、伸縮式のその杖を取り出す。肘当てのついた金属製のそれは、いつも審神者が本丸内で使用しているものだった。
    「これだな」
    「はい、ありがとうございます」
     杖を伸ばして、審神者はよいしょと立ち上がる。三日月はいつ手を差し出したらいいものかわからず、迷っている間に彼女はさっさと体を起こしてしまった。カシャンと華奢な金属音が響く。
     三日月はその音がとても好きだった。何となく、同じ鉄の身としてなにやら近しいものを感じてしまうのだ。無論、彼女のそれは彼らの重い剣戟のそれとはまるで違う軽やかな音。だがなぜだか、彼女の杖の音が三日月はとても好きだ。だから彼女が動いているのを見るのが、三日月にとっては同様にひどく好ましいものだった。それを見つめていると、なんとなしに嬉しくなったり、ずっと見ていたくなったりするのだ。
    「主、差し障りはないか? 手を貸そう」
    「ありがとうございます。じゃあすみませんが、左側に」
     本丸の周りはそれを隠す意味も含めて森や林に囲まれている。だが少し歩けば、この丘のように菜の花や菫、季節の植物に溢れた長閑な場所もある。もっと足を伸ばせば湖や小川もあったはずだった。足の悪い審神者には、こうした場所を散歩することがちょっとした運動になるらしく、清光は毎日彼女を散歩に連れ出しているのである。
    「動かんのは……左だったか?」
    「ああ、はい、そうです。左ですね」
     ぽんぽん、と何でもないように彼女は自身の左足を叩く。動きやすいようにトレンカにショートパンツを履き、サポーターに固定された足は、一見してどこも変なところはない。左右の足に太さの違いもない。だが歩くときは、いつもその足を引きずっていた。三日月はきちんと彼女の手を掴みながら、その重そうな足を見つめる。
     その神妙な表情を目にして、思わず審神者はくすりと笑った。
    「大丈夫ですよ、特に不便はありませんから。こうして杖で歩けていますし、もっと動かなきゃいけないときはあの車椅子もあります。平気ですよ」
     審神者は笑顔であったし、確かにゆっくりではあるが歩みに問題はない。だが果たしてそうだろうか。三日月は何も言わずに彼女の歩調に合わせる。
     三日月の知るこのくらいの年のヒトの子といえば、もっと快活にくるくると動き回ったりなんだりするものだ。長くヒトの世を見つめてきた三日月だから、そのあたりはよく知っている。審神者だって、まだ若い年頃なのだ。
     鼻歌なんて歌いながら、カシャンカシャンと杖を突く審神者を見つめ、三日月は思い立ったように彼女の腰を抱いた。それからえいとその体を持ち上げる。からんと杖が地面に転がった。
    「うわっ、え? 三日月さん?」
    「ふむ、やはり軽いな。もっと食わねばならんぞ主」
    「あ、はあ? え?」
     そうして彼女を抱き上げたまま、三日月はくるりと一回転する。ひらっと藍色の狩衣がはためき、紗彩の模様が太陽の光に煌めいた。急にそんなことをされたのも相まって、審神者の胸がことりことりと跳ねはじめる。残念ながら、その八割くらいが驚きによるものだったけれど。
    「あ、足が地面についてませんっ」
    「はっはっは、まあよかろう。この方が自由に動けるだろう? さ、主俺と踊ろう」
    「え? どうしたんですか急に」
     三日月は彼女を抱き上げたまま、くるくると何度か回る。それからしっかり彼女を自分の腕で支えて、両足で立たせてやった。まるでダンスをするように片手を取り、腰に腕を回して。
    「じじいと言えど、なかなかうまいだろう?」
    「ふ、ふふ、はい、そうですね。随分お上手なステップでした」
    「はっはっは、そうだろうそうだろう? どうもこの体は心地よくてな、無性に動いていたくなる」
     その言葉に審神者は笑って「そうですか」と目を和ませた。三日月もまた、瞳の月を緩めてもう一度ステップを刻む。彼女の体の負担にならないように支えて、右へ左へ、それから一回転して。一しきりそうして踊った後、三日月は審神者を再び抱き上げて車椅子へと戻した。赤い水筒を取り出し、一緒にお茶を飲む。
    「ああ、いいなあ。ほんにこの体は心地よい。毎日歩いたり話したり、飽くことがないぞ」
    「そう言っていただけると、私も三日月さんをお呼びした甲斐があります」
    「そうだな、主には礼を言わねば」
     車椅子に合わせるように屈みこみ、三日月はその手すりに腕をついて微笑んだ。
     それからふと気になって、審神者の左足を擽ってみる。ひえっと彼女は驚いて素っ頓狂な声を上げた。
    「ふむ、感覚はあるのか」
    「ありますっ、ふ、あははっ、う、動かない、っふふ、だけなんですっ」
    「はっはっは、いいぞいいぞ、もっと笑え。楽しげな主の顔は好きだ」
    「あっちょ、んふふっ、やだくすぐったい、あははっ」
     けらけらと愉快げな少女の声と、三日月の穏やかでのほほんとした声が春の丘に響く。それはとても、とても穏やかな光景だった。



    「もーっ! 二度とあんなことしないでよね三日月っ! 肝が冷えたんだから!」
    「はっはっは、あいすまん。だが楽しかったぞ。なあ主」
    「ええ。だからあまり怒らないで、清光」
     二時間ほど経ってから二人して笑顔で帰ってきた三日月と審神者に、真っ先に落ちたのは清光の雷だった。清光は本丸の門の前ではらはらとしながら、ずっとその帰りを待っていたのである。
    「主がそう言うならいいけど……でも勝手に連れてっちゃだめだからねっ!」
    「ああ、わかった。では主、また俺とも出かけておくれ」
    「はい、もちろん」
     満足げに笑って、三日月は先に三和土から上がって廊下の奥へと消えて行った。未だ玄関で車椅子に乗っている審神者は、穏やかな微笑のままその後ろ姿を見つめている。ふうと息を吐いて、清光が屈んだ。
    「それで? 平気だった? 主」
    「うん、何も。問題なんてなかったよ。ただ思っていたよりよく動く方だった。ふふふ、おじいさまなのにね」
     楽しげに笑う彼女を見て、清光は何とも言えない表情で俯く。それからぽつりと呟いた。
    「……そりゃそうだよ、だってあの人の足は、元は主の足なんだから」



     どたどたどたと喧しく廊下を走る足音が聞こえる。処置をしていた薬研藤四郎が顔を上げるのとほぼ同時に、スパンと勢いよく障子の戸が開いた。ぜいぜいと息を荒くした加州清光が飛び込んでくる。
    「三日月が足捻ったって?」
     据わった目で清光が尋ねた。すると薬研が手にしていた包帯をひらひらと振って、目の前で左足首を出している三日月宗近を指し示した。当の三日月は穏やかないつもの笑みを浮かべ、ほけほけとしている。赤く腫れた足首を見て、清光の切れ長の瞳がますます吊り上った。
     三日月に詰め寄って、思い切りその狩衣の襟元を掴み引き寄せる。清光は普段いつもにこにことして、元の持ち主譲りの子ども好きであったが、やはりそこは新撰組の刀。血気盛んで喧嘩っ早いところもあった。
    「ちょっと! 何しててこんなことになったの!」
    「はっはっは、あいすまんな。縁側から庭を眺めていたのだが、つい夢中になって花びらを追っていたら滑り落ちた」
    「不注意すぎるでしょ!」
     怒る清光を見て、薬研がやや困った顔で「まあまあ」と宥めた。この本丸で初めて鍛刀された刀である薬研は、清光がこんなにも感情を高ぶらせる理由をよくわかっている。だがそれでも「大将は加州がこう怒ったとして喜ぶまい」ということも知っていたので、一応止めるのだ。
    「旦那、落ち着けって。冷やして固定しときゃ治る捻挫だ。取っ組み合いになって青タン作ったりしたほうが、大将は泣くぜ?」
    「でもさあ……っ」
     しかしこんなときにもマイペースな三日月は、自分の胸倉を掴んでいる清光の髪がイヤリングに引っかかっているのを見つけ、つい手を伸ばしてそれを取ろうとした。すると弾かれたように清光は三日月の狩衣を離し、突き飛ばすようにして距離をとる。それからものすごい剣幕で怒鳴った。
    「俺の髪に触るなよっ!」
     あまりに過剰に反応されたものだから、三日月はぱちくりと何度か瞬きを繰り返した。きょとんとした三日月の顔を見て、清光は何か言いたげに口を何度かはくはくとしたものの、結局は立ち上がり薬研の部屋を出て行った。
     薬研は再び苦笑気味に首を振る。薬研とて、何も思わないわけではない。だがこういうことは口で言っても仕方がないのだ。
    「まあ、気にすんな旦那。ただ怪我には気をつけろよ」
    「……あいわかった」
     赤く腫れ上がった足首を見つめ、薬研はふふふとほんの少しだけ笑った。この三日月宗近がこんなにもよく動き回り、活発に色々なところへ行くのはきっと、彼の主の影響なのだから。



     三日月宗近の主は、足が悪い少女だ。左足を動かすことができないので、いつも杖か車椅子を使って移動している。動きやすいようにと短い丈のパンツをはき、黒いサポーターで固定した足を引きずって歩く審神者を介助するのは、近侍であり初期刀の加州清光の役目であった。
     けれど最近は三日月もその間にちょくちょく割り込むことがある。昼下がりの日課になっている散歩も、三日に一度くらいは三日月が勝手に彼女を連れ出していってしまうことがある。まあそのたびに、清光から酷い雷を落とされているのだが。
     今日も三日月は清光の目を盗み、審神者をいつもの丘へ連れ出した帰りである。
    「知りませんよ、三日月さん。また清光に怒られてしまいますよ」
     くすくすと笑いながら、審神者は車椅子を押す三日月に話しかける。三日月もまたふふふと笑みを零して歩みを進めた。
    「まあ、たまにはいいだろう? いつも加州ばかりが主を独占している。俺だって主との時間がほしい」
    「光栄ですねえ」
     カラカラと車輪が回る。散歩の行き帰りは、砂利道で足や杖を取られてしまうため車椅子のほうが楽なのだそうだ。審神者が杖を突いて歩く音が好きな三日月としては残念なところだが、最近は車椅子を押しているのも楽しい。
    「乗り心地はどうだ? 主」
    「ええ、最初よりずっといいですよ」
    「む、それは言いっこなしだぞ」
     審神者が振り落とされたり、落ちたりしないように。三日月はちょうどいいスピードを身につけ始めていた。それに、その速度ならば丁度周りの景色にも意識を配れる。二人で咲き始めた花やら、鳥の鳴き声やらに注意を払って散歩するのが最近のお気に入りである。
     三日月はちょっと屈んで、道端の菫を摘んで審神者に手渡す。彼女は顔を綻ばせてそれを受け取った。こういう顔を見るのが、三日月は一等好きなのだ。
    「三日月さんは本当にお外が好きですねえ」
    「ああ、そう言われてみればそうかもしれん。何せ目新しいものが多くてな。それからヒトの身は楽しい。自分の足で歩き、手で触れ、感じることができる」
     どれも鋼の身ではできなかったこと。それがひどく幸せで、嬉しい。三日月は目を細めて自身の胸に手を当てた。新しいものを目にするたびに、触れるたびに、この奥がきゅうきゅうと音を立てる。暖かくて、愛おしい気持ちが溢れてくる。まるでこの、小春日和のような。
    「……だから俺は、ヒトの身が好きだ。今が心底楽しい」
     千年の時を経たからこそ得られた、新しい感覚。そしてそれを与えてくれたこの小さな主が、どうにも愛おしい。だからこうして、車椅子を押したり歩くのに手を貸したりして彼女の手助けをすることも三日月はとても好きだった。
     そんな風に穏やかな気持ちで道を進んでいると、三日月の視界の端に見事な桃の花が映った。もうそんな季節かと感じ入ると同時に、そう言えば桃の花は魔除けの花であったなと思い出した。
    「主、しばし待て」
    「どうしたんですか?」
     車椅子の駐車ブレーキを引き、動かないように固定した後三日月は道として開けていたそこから、やや坂になっている土手へと足を踏み入れた。
    「三日月さん、足元気をつけてください! そこ、危ないですよ」
    「はっはっは、まあ大事無いさ」
     確かに、普段の三日月ならば大事無かったかもしれない。
     だがしかし生憎前日は雨で地面はぬかるんでおり、三日月の左足首もまだ癒えていなかったのだ。桃の枝に手を伸ばした三日月の足元が、ずるりと滑った。体の踏ん張りもきかなかった三日月はそのまま仰向けにバランスを崩す。
    「う、むっ!」
    「三日月さんっ!」
     ガシャンと音を立て、車椅子がひっくり返る。カラカラと空を回る車輪の音が響いた。



     どたどたどたと再び廊下を駆ける音がする。今度は薬研が顔を上げるまでもなくものすごい音を立てて障子が開いた。
    「三日月っ!」
     泥だらけになった狩衣は燭台切が光の速さで洗濯場に持っていったため、三日月は今やや汚れた内着に袴姿だった。とはいっても足にも腕にも擦り傷やら何やらがたくさんできており、天下五剣一美しい刀は割と無残な姿になっているのだけれど。
     薬研が「ああ」と額を押さえる。もう擁護のしようがなかった。何せ薬研は、三日月の手当てをする前に審神者の擦り傷を処置してからここへ来たのだ。
    「あれだけ気をつけてっていったのにまた怪我したわけっ!? しかも今度は主にまで!」
    「あいすまん」
     三日月が土手を滑り落ちたのを見て、審神者は慌ててそちらへ行こうとし、車椅子から身を乗り出したせいでそこから落ちてしまったのだ。泥だらけになって戻った三日月が見たのは、ひっくり返った車椅子と地面に倒れ伏した審神者である。流石に血の気のうせた三日月は慌てて審神者を抱き上げ、車椅子もそのままに本丸に走って戻った。ただ転んだだけなので、審神者のほうも特に大きな怪我はなかったし、彼女も「大丈夫だよ」なんて清光には笑って見せたのだけれど。
     ややしゅんとして三日月は視線を伏せる。勝手に連れ出して怒られるのはわかっていたが、三日月とて審神者に怪我をさせるつもりはなかったのだ。
    「すまなんだ、俺の不注意だ」
    「旦那、そう怒ってやるな。大将も平気だって言ってたろ? 三日月の旦那の怪我も、そう酷いもんじゃねえ」
     言っても無駄だとはわかっていたが、それでも一応薬研はフォローを入れた。だが清光の怒りは収まる気配がない。清光は三日月の胸倉を掴み、無理に立たせて引っ立てた。
    「加州」
    「薬研は黙ってて、もう我慢できない。三日月ちょっと来いよ!」
     どすどすとものすごい足音を立てながら清光は自分の部屋まで三日月を引きずっていった。無造作に部屋の中に三日月を放り込むと、自分は文机の引き出しをひっくり返して一枚写真を取り出す。それからその写真を三日月に突きつけた。
    「これ誰だと思う」
    「なんだ……?」
    「これっ! 誰だと思うっ!」
     三日月は渡された写真を見つめた。そこに写っているのは、顔は審神者だが髪の毛が長い。それに、何より――
    「……主が、立っている」
     杖も突かず、車椅子に座ることなく。主に良く似た少女は自分の足で立っていた。その他にも何枚か清光が三日月にどんどん写真を押し付けていったので、三日月もそれを全て上から下まで食い入るように見た。短刀たちと走ったり、屈んだり、とにかく自分の足を動かしている。あるときを境に髪が今の長さになってしまったが、写真に写る彼女は全て自身の足を使っていた。
    「……ねえ、俺の髪、主の髪なんだよ、三日月」
     清光は穴が開くほど写真を見つめている三日月にポツリと呟いた。ゆっくり顔を上げれば、清光は何とも言えない表情で三日月を見下ろしている。
    「俺が重傷負って帰城して、主の力じゃ手入れするのに限界だってなったとき、主が俺を治す代償に髪を差し出したんだ。だから俺の髪は、主の髪なの。……この間はごめん、突き飛ばしたりして」
     ついと清光が自身の美しい髪を撫でる。それで三日月は合点がいった。先日の、ヒステリックなまでに清光が髪を触られるのを嫌がった理由。だが、それならば、清光が怒っている理由は、三日月が怪我をしてここまでして怒る理由は……。
     ばらばらと畳に散らばった写真を見て、三日月の手が震える。三日月の推測が正しいなら、足は、自分の足は。
    「……俺の足は、主の足か」
     この本丸で最高練度を誇る加州清光が、重傷で帰城した。戦況は芳しくない。本丸は新たに戦力を補充しなければならなかった。だが審神者のほうにそれだけのキャパシティーが残されていなかったのだ。
     美しい天下五剣が一振を呼ぶには、下法と呼ばれても審神者は何かを犠牲に巫となるしかなかった。一番手っ取り早く使える髪はもうなくなってしまったから、今度は身体の一部しかない。
     そうして彼女は、自由を失った。
    「俺も皆も、こんのすけだって止めた。でも主はそういうとき迷わずに自分のこと投げ出せちゃう、そういうヒトなんだよ。言ったって聞いてやくれない。だから頼むよ、その足だけは大事にして、その足は」
     見えている世界がすべて、バラバラになってしまった気がした。転んで傷だらけになった自分の足に触れる。自分が今まで得意げに車椅子を押してやっていた少女の自由を奪ったのは紛れもなく自分で、それを三日月は露ほども知らず、介助してやったりなんかしていたなんて。
     先程まで温かく明かりの灯っていた胸の内が軋み始める。体をくの字に折って、三日月は蹲った。そんな、ならばこれから自分はどうしてやればいい。あの主に一体、何をしてやれるというのか。
    「加州っ!」
     薬研の叫び声が聞こえ、清光と三日月は同時に顔を上げる。玄関が騒がしい。どうやら出陣していた部隊が戻ってきたようだった。
    「どうしたのっ!」
    「鶴丸が」
     真っ白な衣装を赤く染め、息も絶え絶えに鶴丸が燭台切に担がれていた。出陣していた部隊は軒並み負傷している。さっと清光の顔が青ざめた。
     カシャン、カシャンと華奢な音が廊下に響く。あの、金属製の杖の音だ。
    「光忠さん、鶴丸をこちらへ」
     三日月が振り返ると、審神者がやんわり微笑んで廊下に立っていた。足元には不安げな顔のこんのすけが控えている。いつもより少し早い歩調で、審神者は手入れ部屋に入って杖を傍らに置いた。サポーターを巻いた足では、正座ができない。足を崩したまま、道具を広げて「うーん」と首を傾げた。
    「……困りましたね、やはり少し、今は無理があるようです」
     はは、と困ったように笑う。こんのすけが焦ったように審神者の服の袖を引っ張った。
    「だめですようっ! 主さま、これ以上はっ!」
    「でもね、こんのすけ。鶴丸を折るわけにはいかないでしょう? 今まで頑張ってきてくれた仲間だよ」
    「ちょっとまて、きみ……」
     ひゅうひゅうと掠れた息をした鶴丸が、辛うじて薄く目を開ける。それから微かに首を振った。三日月や薬研、清光も固唾をのんで手入れ部屋の外に控えている。
     ほんの一瞬部屋の中が沈黙した瞬間、三日月がスパンと断りもなくその襖を開けた。それから中に飛び込み、審神者の手首を掴む。その手には小柄が握られていた。
    「愚か者めっ、何をしているっ!」
     三日月はぎりぎりとその細腕を握りしめたが、審神者はその小柄を離しはしなかった。痛そうな素振りを見せることもなく、彼女は困ったように眉を下げる。
    「……右足は、やはり少し困ります。手は、いけません。皆さんの手入れができなくなります。ですが目なら、まだ片方あれば事足ります」
     審神者は、やはり小柄で目を潰す気なのだ。三日月はぐいっとその腕を自分のほうに引いた。
    「やめよっ、小柄を離さんか!」
    「いいえ、それは、できません。ごめんなさい」
     あまりに真っ直ぐで、けれど細いその視線を見て三日月は思わずその頬を打った。パンと乾いた音を立てて、審神者の首が左右に揺れる。三日月っという清光の叫び声も聞こえた。だが同時に三日月の視界も潤んで滲み始めた。叩いた方が泣くなんて、おかしいのはわかっている。だが三日月は無性に悲しかったのだ。
     なぜ、なぜだ。どうして。
     胸が粉々に砕け散ってしまいそうなほどに痛い。目の縁が熱く、ぼろぼろと自分が涙を零しているのがわかる。だがそれでも、決して審神者の手首は離さなかった。
     三日月はそのまま、もう片方の肩も抱いてずるずると縋り付く。
    「何故その身を大切にしてくれんのだ、そなたのそのたった一つの体に、どれだけの価値があるのか何故考えてくれん」
    「……ですが、私は、皆さんが大切なんです。大切に、したいんです。そのためなら何だってしたいんです、だから、皆さんの体を損ないたくな」
    「そなたが大切にしないものを!」
     三日月は思わず声を荒げた。動けないように、審神者の体を羽交い絞めにして抱きしめる。もうこのどこも損なわせまい。決して傷つけさせまいと、ありったけの力を込めて抱いた。
    「そなたが大切にしないものを、どうして俺達が大切にできると思うのだ……」
     ぴくりと彼女の体が震える。それから困惑したように審神者の手があちらこちらへ彷徨い、そして遂に手にしていた小柄を落とした。
    「……ごめんなさい」
     ぽたぽたと、畳の上に三日月の涙が落ちる音だけが部屋には響いては消えて行った。



    「主!」
     軽やかに丘を駆け、三日月が手にたくさんの花を抱えて審神者に駆け寄る。車椅子に座り、そちらを見た彼女はやんわり微笑んだ。
    「どの花が何と言うのかわからんが、可愛らしいだろう?」
    「あはは、そうですね。うーん、薬研あたりに聞いたらどれがどれだかわかるんでしょうか? シロツメクサくらいしかわかりませんね」
     丘に生えていた野花をありったけ摘んできたらしい。三日月はそのすべてを審神者の膝に広げ、車椅子の正面に屈みこんだ。それからそのうちの一輪を彼女の耳に挿す。三日月は満足げに微笑んだ。そんな三日月を見て、彼女はふふふと笑いをもらす。今日も三日月は忙しなく駆けたり歩いたり、忙しない。やはりよく動く三日月宗近だ。
    「主」
    「はい」
    「……俺を恨んではいないか?」
     くるくるとクローバーを指につまみ、回しながら三日月は問う。審神者はハッとして顔を上げた。それから「聞いちゃったんですね」と呟き自身の左足を擦った。
     あの日、三日月に頬を打たれ、抱きしめられた日。結局審神者は自身の目を潰すことはなかった。出来うる限りの手入れを時間をかけて行い、鶴丸国永はゆっくりゆっくり治された。他の負傷した刀剣もそうだ。怪我が痛んでも、他の刀剣たちも主が片目になるよりずっといいと笑った。
    「……恨みはしません。確かに私は左足を失いましたが、代わりに三日月さんが来てくれました」
    「だが、俺はそなたから自由を奪ってしまった。俺はこのヒトの身が好きだ。自分で歩き、手に触れることのできるこの体が好きだ。だが、それを俺はそなたから奪った」
     一度神に捧げたものだから、もう戻らないと。こんのすけはそう言った。だからもう彼女の足は二度と動かない。野を駆け回ることも、踊ったりすることもない。それでも。
    「いいんですよ、これで。皆には本当に……申し訳ないけど。でも自分で決めたことです。後悔はありません。だからその代わりに」
     審神者もまた、一輪自分の膝から花を手に取って三日月の髪飾りに挿す。それは菫の花だった。
    「私の代わりに、三日月さんが沢山その足を使って色んなものを見てきてください。それを、私に教えてくれたら、それで十分ですよ。その足は、私と三日月さんの足なんですから」
     三日月は一瞬だけ目を見開いた後、泣き出しそうな顔で微笑んだ。それから少し首を伸ばして、触れるだけの口づけをする。
    「ああ、約束しよう。この足は、そなたから賜ったもの。この三千世界どこまでも駆けて、すべてそなたに見せよう」
     びっくりした表情を浮かべた後、審神者は瞳を和ませて笑った。それから自分の膝に視線を落とし、「あ」と声を上げて左膝の上にあったそれを手に取る。
    「このクローバー、四つ葉ですよ」
    micm1ckey Link Message Mute
    2023/12/15 15:32:37

    足の悪い審神者と元気な三日月宗近の話

    人気作品アーカイブ入り (2023/12/16)

    #みかさに #女審神者 #刀剣乱夢

    ATTENTION!!
    ・オリジナルの女審神者がいます
    ・捏造設定も多々あります

    以前pixivに掲載していたものの加筆修正版です。

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