知らなかった香り「これ、やっぱりいいや」
あと数本を残してこちらに向けられたタバコを見て、正宗は少しだけ顔をしかめた。
「ひめのんがやめろっていうから」
「尻にひかれすぎだろ。これくらい、自分で処理しろ」
「捨てるのもったいなくて」
「だからって人に返すな」
ちっと舌打ちして、中身を確認している正宗だったが、自分と一緒にガードレールに座っている明神を見てどことなくもどかしさを覚える。
「合わなかったのか」
「いや、違うよ」
そして、チラリと正宗をみると、苦い笑顔になった。
「初めて吸ったんだと思ってたけど、違ったよ。そういえば、昔も吸ったことがあったんだ。思い出した」
ああ、この顔は、そうだ。
二人が一緒にいるところは見たことがないはずなのに、正宗はこの表情がそっくりだとわかる。血も繋がってない二人なのに、気持ち悪いくらいに似ていると思った。
「一回だけ吸わせてくれたんだ。いつだったかなあ。覚えてないけど。やっぱりすぐにのどむせてアイツが慌てて水持ってきた。その直前にオレ、アイツにボコボコにされてたんだけど、そっちよりもタバコのほうが重傷みたいな顔しやがって、アイツおかしいんだよ、順序がさ」
「そうか」
「でも、今回のほうが、美味しかった気がする」
「前の味なんて覚えてないだろ」
「だって、オレの健康なんて気にかけてくれる人がいるんだぜ?背徳感ってうまいんだな。初めて知ったよ」
正宗は自分のタバコに火をつけた。
*
最初は師の真似だった。
あの人みたいに強くなりたくて、年齢が許したらすぐに手を出した。むせる自分に、時折投げかける優しい瞳で「無理をするな」と言われた。涙目で言い返したのが、つい昨日のことのようだ。今はポケットにタバコがない日はない。
言われてみればそうだった、と思った。なにもタバコを吸っていたのは自分の師だけではなかった。あの空の戦士もまた、タバコをくわえたまま話すのが癖だった。
いつからか、見なくなったその癖を、明神を見ながら思い出した。
*
思い切り吸い込んだ煙を、明神の顔めがけて吹きかける。
「おえっ、おま、やめろよ、においがつくとひめのんがうるさいんだから!」
「吸えたんだから、お前は気にしないだろ」
「なんなの、お前。人の不幸を楽しみやがって」
不幸?
幸福の間違いだろう?
その困るという顔からにじみでる幸福感は、叱ってくれるだけの関係性が彼に甘い痺れを与えていることに他ならない。そのまま幸福の感度に麻痺してしまえばいいのに、と思う。
「昔、よくお前んとこの師匠にやられたよ。急にふきかけられるんだ」
「え?」
「それを見てあの人はよく笑った。自分が笑われたみたいで俺はよく怒ったけれど、多分、あの人は俺を笑ってたんじゃなかったんだろうなぁ」
「ははは。オレの前でも一回だけやられた。オレもめっちゃ怒った。そしたら次からやられなくなった。意外と正宗も昔は隙だらけだったんじゃないか」
へへへ、とにんまり笑う明神のスネをけっ飛ばしてから、正宗はもう一度深く煙を吸い込んだ。
「でも、タバコをやめたのは、お前の前だけだろ」
明神が正宗を見た。
ああ、とこぼれるように、口元が開いた。
そうかもしれない。出会った頃に見たタバコを吸う行動は、そういえば、いつの間にか、無くなっていた。
オレが、いたから、と思っても、おかしくないタイミングで。
正宗の携帯が鳴る。
「まだ終わらないのか。こっちは待ちくたびれた」
そういいながら明神を射るような視線で見た。
明神も立ち上がり、長い時間座っていたガードレールで痛くなった尻を気にしないように屈伸をして、背伸びをした。
夕日だった空が、今はもうすっかり落ちて正宗のタバコの火が目印になっている。
「あと15分待て、だってよ」
「別にオレら二人でも良かったんじゃないの?」
「バカ。お前が包囲する術さえ覚えてればそれで良かったんだ。澪もいないんだから白金しかいないだろ」
「ちぇ。お前だって出来ないくせに」
「ああん?」
互いに持て余した足を蹴り合いながら、プラチナに指定された待ち合わせの洞窟の前に行く。
正宗が新しいタバコに手をのばす。
それを見つめていた明神に、ニヤリと笑った。
「吸うか?」
「いや、やめておく」
「嫌われたら、たまらないから」
そういって、へらりと笑う表情は、いつから見えるようになったものだったろうか。
それはそれで、悪くはない。