ハッピーバースデイ
ついにヒメノが誕生日を迎え、二十歳になった。
うたかた荘で例年通り霊も人間も交えて誕生日会が盛大に行われた。
そして、翌週、ついにこの日が訪れた。
「と、いうわけで、ヒメノちゃんの飲酒解禁祝いを始めます!」
ヒメノが一番楽しみにしていたのが、飲酒だったのだ。
***
十味のじいさんくらいしか明神の飲み相手は長年いなかったのだが、案内屋の面々と知り合ってからは年齢も近いこともあり、さらに正宗がバーを営んでいることから、そこそこの頻度で集まっては情報交換という名の飲み会が開かれていた。
ヒメノは常々、しこたま飲まされて帰ってくる明神を心配してはいたが、一方で大人ばかりずるいという素直な感情を持ち、母親に向かって「私、お酒の解禁は正宗さんのところでする」と宣言していた。
当然のように、雪乃にヒメノを託された四人は多少縮こまったものの、正宗のバーなら霊は入れないようになっているし、夜道も明神がいるため問題ないだろうし、貸し切り状態にしてその日に備えていた。一週間前に誕生日会はしたので、本日は本当に初の飲み会となっている。家庭環境というか、彼女の持つ特性上、危険なことは避けるために禁酒を大学入学してからもちゃんと貫きとおしたため、ヒメノはワクワクしながら明神と一緒に正宗の店に向かった。
「じゃあ、かんぱーい!」
一杯目はビールで、というヒメノの希望により、瓶ビールでの祝杯をあげた。
「ここって、瓶ビールあったんだ……」
「当然だろ」
「ねえ、オレ、いつも生頼んでたけど、これからは瓶がいい……瓶のが絶対安いし分量あるじゃん……。お前、絶対黙ってただろ……」
早速白目を剥く明神と、あくまで知らぬ存ぜぬを貫く姿勢の正宗がいた。
一口ビールを飲むが、すぐに「にが~い!」と甘党の新成人が叫ぶ。
「ほら、一口飲んであとは冬悟くんにあげちゃいな」
「カクテルにしろ、甘いから」
「おい、あんまり度数高いのやめろよ! ほんとに初めてなんだぞ!」
「お、早速彼氏面か冬悟」
「甲斐甲斐しいねえ」
「うるさい」
「はい、明神さん」
ヒメノが渡したグラスの中身を一瞬で飲み干した。
「えー」
「相変わらず情緒のない飲み方するなあ」
「で、どれがいいんですか? みなさんのおすすめは? いつもなに飲んでるの?」
ニコニコとしたヒメノは明らかにいつもより浮かれている様子で微笑ましい。
「俺はなんでも飲むけど、ここでは正宗くんのジン系のカクテルかなぁ。練習台の頃からずっと飲んでるし」
「私は家では日本酒で、外ではワインが多いかな」
「へ~、かっこいい~。正宗さんは?」
「売上がよくないやつ。あと材料が余っているものから先に使っている」
「現実的」
会話をしながらも、正宗が事前に用意していたチーズやクラッカー、ウインナーといったつまみが出された。会話をしながらもカウンターの中にいる手はなにかしら動いている。
それに各々手を出しながら明神は手酌でビール瓶を空ける。
「明神さんは?」
「家と一緒だよ。ビールが一番多いかな。あとはプラチナと正宗におすすめ聞いたり、適当に。あんまり詳しくないからな」
「え、家じゃ発泡酒でしょ? ビールじゃないじゃん」
「細かいな」
「そうだ、全然違うだろ。相変わらずバカ舌だな」
「ほっとけ」
「あ、これ甘い!」
「ひめのん、なに飲んでんの? オレンジ?」
「スクリュー・ドライバー。安心しろ。度は抑えてる」
「これ、お酒なんですか?」
「それはウォッカベース。お店によって割合違うし、度数全然違うから気を付けてね。お酒の味があんまりしないし、カクテルは甘いと思って何杯も飲んでるとうっかり回ってたってことがよくあるから」
「ふうん。飲み会でお酒ってなに飲めばいいのかなぁ。ビール、あんまり好きじゃないかも」
「もっと年取ればきっとわかるから、それまでは違うのでいいんじゃない?」
「最近はハイボールなの?」
「もう流行ってないだろ」
「梅酒とかでいいんじゃない? 割り方も変えられるし」
「白ワインとかかわいいじゃん」
「かわいいってなんだ、酒だろ? ワインって当たりはずれあるし、玄人向けじゃないか?」
「じゃあ、安定のカシオレで」
「ダメだ。カクテルは甘くてガンガン飲んだら困る」
わいわいと一斉にしゃべりだしたのを見てヒメノは一瞬、キョトンとした。
「ほんと、みんな仲いいんですね」
自然と、顔がほころんでヒメノがそう言ったのを、正宗だけが聞いていた。
「そうか?」
明神の、年相応な顔は、ゴウメイとのやりとりの最中や、ガクとの喧嘩の時、ヒメノ以外に見せる。
その時の顔とも微妙に違う。もう少し幼いような、少年まではいかないけれど、まるで弟分のような、甘えているようなそんな安心感のある顔だ。ヒメノにはあまり見せることがない。
本当は、案内屋の弟子のみんなと一緒にいるところが見たかった。少しだけ、寂しい気持ちもあるけれど、年齢の壁は仕方ない。
それでも、これからは自分も一緒にこうして杯を交わすことが出来ることがうれしい。
「みんなほんとバラバラなんですね、飲むの」
「スピードも全然違う。面倒な奴らだ」
そういいながらプラチナのグラスが完全に空く前に新しいカクテルを彼の前に出す。それがいつもの感覚なようで、プラチナも自然と受け取っていた。いつの間にか、澪と明神の前には水が置かれている。ヒメノにも言外に「いるか?」という合図があり、小さく頷いた。
今まで、大学での飲み会は楽しいこともあれば、苦痛だけだった時もあったが、こうして自分勝手に好きに飲んだり食べたり、話したりしている少人数の飲み会は、ある意味でとても新鮮だった。大人って自由でいいんだなぁなんてしみじみする。お水もおいしい気がする。
「ひめのん、ちゃんと食べながら飲まないとダメだからな。空きっ腹で飲むと悪酔いするぞ」
そしてほら、これ食べな、と言ってポテトを差し出された。
「それ出したの、正宗くんじゃん」とプラチナが笑う。
「あー、今度からは飲み会行ったら本当に飲んで帰ってくるのかー。ちゃんと必ず連絡するんだよ、迎えに行くから」
「今もじゃないか」
「心配性」
「当たり前だろ! どこの馬の骨ともわからない男たちと一緒に飲んでるんだぞ!」
「わかる! わかるよ冬悟くん! 澪ちゃんもすぐに君と正宗くんと飲み歩くし、ほんと信じられない! せめて胸は締まってから行ってほしい!」
「ほー」
「へー、そんなこと思ってたのか、白金」
「はい!」
「どこの馬の骨とか、めっちゃブーメランじゃん」
「いやいや、自虐すぎでしょ……」
ヒメノの呆れが逆に新鮮だったようで、四人は顔を見合わせた。
「そういうもんなんだよ、今更ね」
まるで四人の意思を代表しているように、プラチナがそういって笑った顔は、ついさっきまで妻の服装についてふざけていたのに、どことなく長老みたいに落ち着いていた。
*
「寝るまで飲ませたの、誰だよ」
明神がトイレから戻ってくると、ヒメノがカウンターに突っ伏してスヤスヤと寝息を立てていた。
いつも通り、赤ワインを飲む澪と、付き合いなのか白ワインを飲んでいたプラチナは明神が帰ってきたのを見て「じゃあ、そろそろお開きにしようか」と言って立ち上がった。
「ま、主役がこれじゃな。そうするか」
「ひめのん、おい、大丈夫か? 立てる?」
「ん~、おかえり、冬悟さん、どこ行ってたの?」
「トイレ、ほら、帰るよ」
「え~、もう~?」
はー、とため息をつく。この駄々っ子っぷりは完全に眠たい時だ。とりあえず自分の上着を着るか、と立ち上がると、澪とプラチナが肩を震わせていた。
「な、なんだよ、お前たち。なにニヤニヤしてんだよ……」
「いや、別に、なんでもない」
「ほら、冬悟。ヒメノの上着だ」
「お、おお、サンキュ。湟神」
「お代はつけておこう」
「あ、そうなの? え、オレ持ちなの?」
「出世払いだ」
「悪いな」
ヒメノを再び起こすが、ムニャムニャ言っているだけだ。
「ほらー、起きろー。帰るぞー」
「まだ、日付変わってない……」
「そんな遅くまでいません」
「飛ならあっという間じゃん」
「しませんよー。ゆっくり歩いて帰りますよー。ほら、遅くなるとお母さん心配するから。もう行くよ」
そしてヒメノを背中に乗せて、澪にヒメノの上着をかけてもらった。よっこいしょ、と立ち上がるが、軽くて驚く。
「お前は平気だろうな、冬悟。ヒメノを連れて帰るんだからまさか飲みすぎてないだろうな」
「当たり前だろ。俺がちゃんと見ていた」
「正宗、お前が返事すんのかい」
「でもまあ、気を付けてね。だいじょうぶだと思うけど。一人ならどうでもけど、今日はお姫様が一緒なんだから」
「おお。今日はありがとな。ひめのんも楽しかったみたいだし」
「それならいいけどね。この調子で二日酔いにならなければ」
「そこはおいおい自分で学習していくだろう」
「ははは、さすがバーテンは言うことが違うな」
「じゃ、おやすみ」
プラチナが扉を支えてくれ、隙間からスッと出ると、春の朝夕だけ涼し気な風が黒いコートにもスッと染み入る。全身が冷やされてアルコールが抜ける幻想を抱く。
「じゃ、ゆっくり、歩いて帰れよ、冬悟さん」
そういって、ゆっくり自重で扉が閉まった。
明神は、ようやく澪とプラチナがなにに笑っていたのかに気が付いた。
そうだった。ヒメノはいつも「明神さん」と呼んでいるのだ。
二人だけの時に「冬悟さん」と呼び分けている。そうだ。気が付かなかった。なんて迂闊な!
そして、実は少し早めに出ている自覚もある。
そうだ。ゆっくり、歩いて帰ろうと、思ったから。
全部兄弟子たちに筒抜けな自分の思考を読み取られたようで、飲酒ではない顔の赤みを感じた。
*
月が足元を煌々と照らしていて、街灯が薄暗くても全く問題がない夜だった。
時々ずり落ちたヒメノをよっこいしょといって上に持ち上げるけど、重さが全然感じられなくて自分も酔っているのだと感じる。
後ろに回した手にはヒメノのカバンを持って、小さい女の子が、背中で立てる寝息は変わったように感じられないのに、もう一緒に酒が飲める年になったんだなぁとしみじみした。
一歩一歩、踏みしめるように歩く。ゆっくりと。
月の明るい夜に、自分も大きな背中に何度も背負われて帰ったことを思い出す。
力を全部使い果たして一歩も自力で歩けなくなった時。
前日から飲まず食わずで、気付いたら倒れていた時。
血の流しすぎで、貧血になっていた時。
背負われるということは、当然あんまり体調が良くない時が多いから、思い出すだけでもそんな手ひどい思い出ばかりだけれど、それでも、毎回その度に説教と一緒に、「ま、お前もいつかはこんなこと無くなるんだし、今だけだからな」というのが明神の口癖だった。
そして、その次の日くらいの晩酌で、いつも「お前が大人になったら一緒に飲もうな」というのだ。
そうなんだよなぁ。
師匠と過ごした日々よりも、この子と一緒に過ごした日々のほうが、もうとっくに長くなっているんだなぁ、なんて、思い出す。
自分もヒメノに何度か言ったことがある「一緒に飲もうな」という言葉。
そういうことだったんだよなぁ。
それを言った師匠の気持ちを、ようやく理解した気になった。
これでよかったのだろうか、それでもこれでよかったのかもしれない。
もう過ぎてしまったことを、悔やんでも仕方がない。同じところを延々と回っていつも同じ答えに行きつくようになってから大分経つ。
それでも、思わずにはいられないことがたくさんあって、うれしい気持ちと、悲しい気持ちがないまぜになる。
自分が果たせなかったことを、彼女が果たしてくれている。
代理行為で満足できるようなものでもないし、彼女はなんにも知らないのだから無意味だけど、それでも、よかったという想いは明神冬悟の体中に酩酊した頭に広がっていく。
この背中のぬくもりがかつては自分だったこと。
背負われていた自分が、これから背負っていくこと。背負う側になったこと。
ありがたいことだ。
まだ、人生にはチャンスがこんなにも転がっているんだから。
少し酔いが醒めたけれど、過去に浸っておかしくなっている頭を振って、自分の居場所に帰る。
日付はまだ変わっていないが、普段なら消されている灯りが明るく灯っていた。
「ただいま」
オレの家。
そして開かれた明るい扉に、まだ足元に残っていた酔いで、躓いた。