春に妬く悪びれた様子もなく平然と、俺の大事な人達をかっ拐っていくあの男。
憎くて、目障りで、疎ましくて。
気づけばいつも眼で追っていた。
その背中を目掛け、足が追っていた。
どす黒い燻りは確かに己のなかで蠢いて。
いつだって奴の咽を噛みきらんと、疼く魔物が胸中息づいていた。筈なのに。
(参ったねぇ...)
死にたいくらいに苦しいのに。
沖田にもたらすのは、蝋燭の灯火のような安息であったから、参ったと思ったのだ。
これが変化であったのか、気付きであったのか、自分の想いを図るには眼を背けすぎた。
沖田は項垂れた。
仕事の虫は文机に向かい、一向に眼を寄越さず。心の内で吐いた溜め息は幾度目だろう。
昼飯の時間は遠に過ぎており、このまま日が暮れるのではないかと危ぶまれる。
しかし、そんなことは頭の片隅、気にもとめない男。
隊服を纏った黒い背中に、訴えるように沖田は額を擦り付けて。
「もう、意味わかんねぇから。死んでいただけませんか」
「あのなぁ。丁寧に云われたところで死なねぇよ」
前髪がくしゃりと乱れる。鼻をすんと鳴らせばつれない男の香り。
眼を瞑り、嫌いな香りに浸る沖田の表情は緩まるばかり。
灰皿に溜まった吸殻は匂いの元で。
男を成り立たせるもの。
「あーァ。早く煙草の吸いすぎでしんでくんねーかなぁ」
「ほざけ。......つうか、さっきから何してんだテメーはよ」
背中に引っついていることに漸く意識を向けたのか。
土方が問うてくるから、んぅ? と抜けた声がでた。
何と云われても困る。寧ろ教えてほしいくらいだ。
考えて、沖田の出した答えは疑問系。
「んー、マーキング?」
品のない云い回しをし。
頭をぐりぐりと押し付ければ、それは仕事の邪魔にもなろう。
「コラッ。動くな!」
叱りつけるも遅し。部下たちの業績を上に報告すべく紙に滑らせていた筆があらぬ方へと跳ねて。
土方も顔を渋めて手をとめるしかなくなった。
「ありゃ。書きなおしですねぃ」
なんて、神経を逆撫でることをしれっと放つ。
怒号で返してもよかったが、土方はそうせずに。
意図して呼吸を深く吸い、腹に溜めるとそいつを強く吐き出した。
繰り返し、落ち着かせるための行為を沖田は不思議そうに黙って見ている。
(......怒れるかよ)
これでは沖田の粘り勝ちみたいだ。
土方は畳を擦りながら胡座ごと身体を回し、負けましたとばかりに子供へと向いた。
怯みはしないが怒られることを覚悟していた沖田。
しかし、向けられた土方の顔は怒気の色などなくて。
「おこらねぇの?」
いつもみたいに、邪魔するなら出ていけと、いわねーの?
問えば、開いた手のひらが視界を隠す。
困惑させるに充分な。頭をわしゃわしゃと撫ぜてくる男の手。
「邪魔してーのか、構ってほしーのかの区別くらいつくさ」
「...っ、」
ほんと、やめて欲しい
馬鹿みたいに恥ずかしくなって
「もうやだ、マジしにてぇ」
「はっ。死なせねーよ」
意地悪く。笑って返される。
仕事しか視界に入れていなかった切れ長の眼が、今は狼狽える沖田を捕らえ。
吹き込む風に誘われるよう、戸の外に向けられた。
仕事の虫を誘い出すには充分な陽気で。
「腹減ったな。飯にでも行くか」
「......茶菓子も付くなら、つき合ってやりまさァ」
じりじりと、春にやかれていく背中
了