浮雲をこの手にするには今夜もまた、
彼方へふらふら、此方へふらふら
それは足場のない、浮き雲の如く
まるで、不安定要素の塊だ。
じゃり、じゃり...
「なんか用かィ?」
地面を削っていた草履をと止めて、眼の前に立ちはだかる男たちを沖田は見上げた。
にやにやと笑みを浮かべる三人の男達。
このような品のない連中と面識はない。
そのため思い当たる用件に溜め息をつく沖田には、舌舐めずりばかりしてるからかカサカサに渇き皮のめくれた唇を吊り上げる男達の意図を理解していた。
「俺ァ安くねえぜ?」
沖田はその言葉通り、はした金では動かない。
故に、階級の高い男しか相手にしないのだ。普段であれば。
そんな沖田の言葉を戯れ言として流した一人の男が考えもなしに腕を伸ばしてきた。
こちらも腰に刀は所持しており、抜こうと思えばそれも出来たし。
空想のなかで男の腕は沖田により斬り落とされていた。
切断された面から血を吹き上げて、汚い悲鳴をあげていた。
だがそうしなかったのは、ふと、鼻を擽る匂いに気を取られたからだ。
強い、強い、煙草の香り。
嗅ぎ慣れた、男の香り。
沖田の頭が現実に戻されたのは、ギリッと、掴まれた肩に男の指が食い込んだ時で。
「っ、」
続いて何本もの腕が伸びてくる。これには流石に沖田も鞘へと手を掛けた。
「身のほど知らずが。一昨日来やがれってんだ」
空想ではない。今度こそ、地面に腕が落ちた。
汚い悲鳴と踏んでいた声は、
「ひ、あぁぁ?!!」と、思いの外、女ような高い悲鳴であった。
夜も更けた問屋街ほど静かなものはない。
煌々とした月夜の下、無惨にも三体の遺体が転がっていた。
最初の者以外は声を発することもなく、一度喉を掻き切られて地面に崩れた。
また地面に踵を擦らせ沖田は歩きだす。
どこに向かうでもなく、ぽっかりと浮かぶ月を見上げ、散歩でもしたい気分だった。
しかし、土を削る乾いた足音は沖田だけのものではなくなった。
今度は背後に、静かに動く気配がちらついた。
気配を消して近付かれたか。そこまで距離はない。
「こんどは誰でィ」
少し大きな声で黒い影に投げ掛けた。
そうすると男は気配をあらわし、しっかりと足音をたてながら沖田の方へとやってくる。
沖田は鞘にかけた手をおとした。
先程感じたものと同じ香りが鼻孔を擽ったからだ。
しかし確かに違うのは、荒れ果てた唇ではなく。
この指で触れてみたくなるような、端麗な唇の端を、片方持ち上げているということ。
「無駄に気配消すの止めてくれません?」
下手すれば刀ァ抜いてましたぜ? と、冗談っぽく笑う沖田は口だけで。
目は笑えていない。
その言葉が本気であったことをあらわしているのだが、紫煙を纏わせた男は微塵にも気にしてはいない。
「今夜は良い金蔓でも引っ掛かったかよ」
「あいにく無駄骨でさァ」
はあ、と態とらしく溜め息を吐いて肩を竦てみせる沖田に「あっそ」と、どうでも良さそうに返事を返す男はこれでも一応上司なわけで、本来沖田を叱るべき立場だ。
「溜まってんなら付き合ってやろうか?」
「けっ。冗談じゃねえ。白粉くせえ臭いが移るなんて想像するだけで吐き気がしまさァ」
どこの女を引っ掛けてきたのかと嫌味を兼ねて云えば「あー そうかい」と、土方は沖田の横をすり抜け歩いていくから、その背中に疑問を投げ掛けた。
「土方さん、あんた何しに来たんですかィ?」
まさか迎えに来たわけでもあるまい。
「曲なりにもお前は真選組だ。隊服を着てないとはいえ、ヘマして足つかれちゃ困るからな」
様子を見に来ただけだと土方は云う。
決して、沖田の行為を咎めることもなく。
こちらを振り向くこともしてくれない。
「....鬼だねい、あんた。やめろって、いってくれねえんですかィ」
沖田の言葉に一息間をおいて、
「云ったらやめんのかよ」
土方は鼻で小さく笑い、試すように返す。
広い背中は闇に溶けいりそうな程黒く、沖田は手を伸ばしていた。
くん、と土方の腕を引く。それでも男は足を止めてはくれず、下に顔を伏せる沖田を引き連れるように歩いていく。
「もう、無理でさぁ」
それが答えだ。あとには引けないところまで沖田は足を踏み入れてしまっている。
自嘲を混じえた沖田の言葉に土方は前を見据えたまま、
「....やっぱお前、今夜は俺に買われろ」
云えば、土方の服を摘まんでいた指がほどかれるから、足を止めて振り返る。
するとびくりと肩を跳ねさせる沖田。
土方から離れ行き場を迷わせた手が胸の前できゅっと握られて。
土方は己の目に閉じ込めるような視線で沖田を射抜き、その腕を捕らえる。
「痛っ、」
先程男に肩を捕まれた時とは比にならない程の力で土方は沖田の腕を戒める。
「イっ、テェよ、クソ土方...!」
離せと、どんだけ喚こうが土方の手を振り払うことができず。
沖田は目的の地へと引き摺られていく。
「俺ァ安くねえんですぜっ?!」
「ぁー はいはい。今度団子奢ってやっから文句いうな」
「んなっ!? 団子で割に合うかい!!」
静寂な闇夜に、似つかわしくない沖田の叫びが木霊する。
その口は閉じることをせず、あまりにも喧しく煩いから、「ちょっと黙れ」と土方は勢いよく沖田の唇にかぶりついた。
「んぅ、っ?!」
腕の痛みは無くなって、代わりに口に走った痛みに沖田は涙さえ出そうになった。
この下手くそっ! と内心土方をなじるが、それも合わせる角度をかえ、段々と和らいでいくと評価も変わってくる。
(……やっぱ慣れてらぁ、この人)
これは女も騙される筈だ。そんな感想を抱く頃、すっかりと罵声する勢いも無くなっていて。
土方は沖田が静かになったことを確認し、ゆっくりと唇を離していく。
絡ませた舌と舌とで繋がれた一本の糸がつとりと伸びる。
自分は一体どんな顔をしていたのだろう。
「また後でしてやっから」
恐らく名残惜しそうにでもしていたのだろう。
男の手にくしゃりと頭を撫でられ、向けられる背中。
今度は腕を引いてくれなくて。
「……っ」
己の足でその背中を追い掛けることになる。
駆け寄って、再び掴んだ背中。
「仕方ねえから相手してやらァ。パフェも奢りなせえよ?」
「おお。三つでも四つでも食わせてやるよ。高給取りなめんな」
その指は、今度は固く握り、放さない。
きっと、明日の夜も
彼方へふらふら、此方へふらふら
浮き雲のようなアンタと一緒に居るには、
己が浮き雲であるしかないだろう?
了