これも副長命令のうち「……ぱんだだ」
朝方、廊下で出会した顔に向かって沖田は放った。
きっちり隊服を着込んだ沖田と対照的に、よれよれに着崩した単衣を纏うパンダと表現された土方は、目の下を黒く染め色男が台無しだ。
元より色男かどうかは沖田には判断しかねるが、ただでさえ凶悪な顔に更に眉間に皺を彫っているのだから、他の部下達は近付けまい。
「仕事か?」
自然、声が低くなる。
人事みたいに指摘してきた人物だが土方の顔をここまで凶悪にさせている原因の一部でもある。
この口からお疲れさまです、なんてそれこそ気持ちが悪いが。
労いの言葉から駆け離れた沖田の言葉に土方は気分が悪くなる。
「見りゃわかんでしょう。春だからか、最近不逞浪士共が浮かれてやがんでさぁ」
沖田は腰から吊るされた刀に手を添え土方に主張した。
今日もコイツを使いますと、そう云いたいのだろう。
さぼってばかりいると思っていたが警察としての自覚はそれなりにあったようでなによりだ。
本来なら、上司として大変喜ばしいことではある。
しかし、顔の左半分で笑みをつくる沖田からどことなく悪意を感じるのは気の所為だろうか。
「総悟、」
嫌な予感しかしなくて。
土方は上司として、あるまじき言葉を部下に向けた。
「今日はお前、仕事休め」
両肩にぽんと手を置き、命令を下す土方に「は?」と沖田は顎の力を抜いた。
「休めっつーか、あれだ、屯所から出るな。俺の目の届く範囲にいろ」
頼むから。
「ちょ、ちょ、」
肩にのし掛かる手がずるずると後ろに滑り、身体を撫ぜるようにし、ついには背中に回る。
端から見れば男の腕にすっぽりと沖田が収まってしまっている状況だ。
「....何してんですかぃ」
腕を解こうと抵抗を見せて。沖田は心底嫌そうに眼を細めるが、土方は気にも止めずに云う。もう一度。
「頼むから、寝かしてくれ」
聞いた沖田は顔を顰めさせた。
「勝手に寝りゃあ良いでしょうが。そんで二度と目を覚まさなくても俺は構いやしやせんぜ」
毒を吐き、引っ張っても剥がれ落ちない腕に沖田は諦めて呆れた顔をしてみせた。
頬にチクチクとしたものがあたって痛い。
ここ数日、ろくに手入れをされていない男の顔は、無造作に生えた髭によってより疲労感を周囲に与えている。
今頬を擦り合わせられたら堪ったものではない。
土方の気がふれる前に、首を逸らし少しでも離れようとする沖田の身体を男は容赦のない力で絞めてくる。
「誰の所為でこんな夜通し仕事してると思ってんだよ。書類はやってもやっても終わらねえし。下も溜まっていく一方だし。どうしてくれんだテメエ」
下とは勿論性欲のことで。
仕事は兎も角、そんなとこまで責められる義理は沖田にはない。
例え世間一般にいう恋人という間柄であってもだ。
「下の世話くらい自分でしなせえよ」
「んなことしてる時間あったら仕事片してお前んとこに行くっての」
「へえ。じゃあ俺はアンタの仕事が終んねえように外で一暴れしてきやしょうかねィ」
顔の横でくすっと笑うと、沖田は身体から力を抜いた。
そうはさせたくないから外に出したくないんだと、溜め息を吐くと土方は身体を離し。
弛く掴んだ腕を引いて歩きだす。
向かう先は書類の山が待つ自室へと。
「先に風呂入らねえと嫌ですぜ?」
「その前に仕事だっ!!」
妙な先読みをする子供に一喝して。
後ろでぶつぶつと小言を垂れる部下に頭を抱えた。
土方は高い天井を仰ぎ見た。
その顔には、なんだってこんなにも疲れにゃならんのだと書いてある。
そしてなんだって、自分を苦しめている男の手首から伝わる体温に意識を持っていかれているのかが疑問でならない。
やっぱ先、風呂いくか。
胸中呟いた声は沖田の耳には届かなかったが、大股に歩く足は矛先を変えて、右に逸れた。
了