TO麺×$ 5指定された喫茶店は平日の昼間のせいかボクらしか客がおらず、気が楽だった。一本路地に入った店は随分と古そうだったけれど、店員は銀髪の若い男性で、そのアンバランスさが魅力的に映る。
そんな店で、ボクは目の前の幼馴染と、その隣に座る男の姿にただただ呆然としていた。運ばれてきた珈琲が鼻腔をくすぐり、かしゃりと食器の触れる音が店内のクラシックに混じって響く。
「…………えっ?」
思わず上げたボクの声に、正面の彼がびくりと肩を震わせた。
「ととととトレイ氏、こここれどういう事? ジェイド氏とリドル氏が来るなんて聞いてないですし今すぐに帰っても??」
「だって言ったら来ないじゃないか」
「聞いてなくても来たくなかったですが!」
声のトーンを落としてはいるものの、静かな店内では丸聞こえだ。特に隠すつもりもないのかも知れない。向こうは向こうで話している間に、ジェイドの袖を引く。
「ジェイド、彼はもしかして」
「リドルさん本当にトレイさんのバンドに興味がなかったんですね」
苦笑したジェイドに奥歯を噛んだ。彼の指摘は図星であって、言い訳はできない。けれどそれは今は一度置いておいて、まず言及すべきはトレイに縋っている彼の存在だ。
黒いパーカーのフードと、黒いマスク。ふとした時に零れる蒼い髪。これはどう見ても、アズールが気にしていたファンだ。まさかこんな所で出会うとは。否、むしろジェイドは知っていて今日のこの場を設定させたのか。
「まぁ、まずは紹介するよ。改めて、トレイ・クローバーだ。バンドではリーダーをやってる。こっちはギターのイデア・シュラウド」
「お忙しいなかお時間を頂いてありがとうございます。マネージャーのジェイド・リーチです」
名刺を交換する二人を半ば呆然と眺めながら、状況を整理する。
トレイは、元々コントラバスの奏者だ。学生時代は吹奏楽部に所属していて、その傍らでドラムやギターに触れ、やがてベースとしてバンドを組んだ。何度かメンバーチェンジや解散を繰り返して今のバンドに落ち着いたと言う事までは知っていたけれど、丁度彼らが今のバンドを組んだ頃とボクがアイドルとしてユニットを結成した頃がかぶってしまい、中々彼らに割く時間が確保できなかった。その結果がこれだ。
「先日は差し入れありがとうございました」
「ああ、いやいや。いつもリドルがお世話になって」
「待ってくれ、先日? 何の話だい?」
驚いて口を挟むと、トレイとジェイドが似たような笑い方でボクを見る。困ったものだと言外に含ませた、意地の悪い笑みにむっとした。
「トレイさんは時々ライブにいらしてるんですよ」
「えっ!?」
「イデアが行く時たまにな」
「初耳だけれど!?」
「だって、わざわざ言う必要ないだろ」
確かに、今日観に行くよなんて言われたら気恥ずかしくてパフォーマンスが落ちる可能性はなくもないけれど、それでも言う必要があるかないかと言ったら一言欲しい。矛盾しているのは分かっているけれど、何だか腑に落ちずにぎりぎりと奥歯を噛んだ。
何だか知らない所で色んな事が展開していて頭が付いて行かない。ふと目を上げて正面を見ると、完全に我関せずのような態度のイデアさんがそっぽを向いていた。
「それで、本題なんだけど。作曲依頼ってことでいいのかな」
「はい。ご相談段階で恐縮ですが」
「だってさ、イデア」
「はい!? せ、拙者!? なにゆえ!?」
突然話題が振られた彼が文字通り飛び上がるようにしてトレイを振り向く。いちいちリアクションが大きい人だ。両手で包むようにして持っていたクリームソーダが零れそうになる。
「ほら、ファーストの3曲目。あれが気に入ったんだって」
「ええ……でもアイドルが歌うような曲では……」
「いえ、あの曲とてもよかったです」
先日。ジェイドから聞いて、帰宅後すぐに聴いてみたその曲は、ミディアムテンポの優しい曲だった。正直、目の前の彼とは全く結び付かないような、繊細なそれは歌いこなす方が難しいと思われるくらい。
ボクがそう言うと、俯いたままの彼の両手がぎゅうとフロートグラスを握った。
「……やりたくない」
「自分の曲を歌ってもらえるなら嬉しいんじゃないのか?」
素朴な疑問と言う風にトレイが訊くと、きっと睨むように目を持ち上げたイデアさんが、乱暴にグラスをテーブルに置く。揺れたメロンソーダが少し零れた。
「はーー? いやちょっと考えてくだされ。拙者が楽曲提供したとして、それをどうするとお思いで? ライブで歌うんでしょ? それを拙者はどんな顔して聴けば言いわけ? 毎回毎回複雑な思いで聴くの地獄では?? 第一自分が作った曲で打てないじゃん、そんなの面白くないでござる!」
「じ、じゃあライブではやらない、音源のみにするとか……」
良かれと思ってそう言ってみたけれど、彼にとっては逆効果だったらしい。鋭い視線がボクを見て、初めて目が合った。月を思わせるきいろの瞳はフードに隠されていても静かに光り、視線に射抜かれると言うのを初めて体感する。
「音楽はライブでやってなんぼでしょ。音源のみでいいならライブなんてやる必要はないし、そもそも君たちが歌う必要だってない。データでもいいくらいだ。そもそもアイドルの持ち歌は特に、アイドルがライトの中で一生懸命歌って、踊って、それで初めて完成されるものなんでござる! それを音源のみなどと! 未完成も甚だしい!」
ソファから勢いよく立ち上がった彼の膝がぶつかって、テーブルががたんと揺れた。どうも、彼の逆鱗に触れてしまったらしい。ボクの隣を過ぎて店を出ようと歩き出すのを、慌ててその腕にしがみつくようにして引き留めた。
「待っ、」
「触らないで!」
驚きに目を剥いた彼が乱暴に腕を振り、その反動でボクの身体がジェイドの方へ投げられる。咄嗟の行動に本人も驚いたのか、ボクが触れた左腕を右手で隠すように胸の前でぎゅうと身を縮めた。
「ぼ、僕に触ると汚れるから……」
「え?」
ひどく小さい声でそう言って、再び歩き出そうとするのをジェイドが制した。
「お願いできませんか」
「や、やらないって言ってるでしょ……」
「そう言わず。お願いします、“ネクラP”さん」
その名前に聞き覚えはあった。数年前から動画投稿サイトの第一線で投稿を続けている、正体不明の天才作曲者。うちのスタッフにもファンは多かったから、その手の音楽に疎いボクでも知っていた。ジェイドの発言にのそりと顔を上げたイデアさんは忌々しげに目元を引き攣らせている。
「……脅すつもり?」
「いえいえ、そんな。ただ、うちにも毎日ネクラPさんの曲を聴いてるような熱心なファンがおりまして」
ジェイドに受け止められた姿勢のまま、頭上での展開をただ呆然と聞いていた。本音の見えないジェイドの笑顔に思い切り舌打ちをしたイデアさんが今度こそ店の出口に向かう。
「是非ご検討を」
「わかったよ!」
追いかけたジェイドの声に怒鳴るようにして掻き消した背中が乱暴に店を出て行った。少し気難しい人なのかも知れない。張り詰めた空気が一気に弛緩して、ボクはようやくジェイドの上から立ち直った。
「悪いな」
「いえ、一筋縄では行かないことはわかっていましたので」
肩を竦めて一言謝ったトレイは、もう彼のあんな調子に慣れているのだろう。彼の様子を特に気にする様子もなく、ただ静かにコーヒーを飲んでいるだけだった。
「それはさておき、トレイさんにも是非一曲お願いしたく」
「ああ、うん。聞くよ」
方向性、イメージ。納品日、報酬。澱みなく進む商談を遠く聞きながら、胸の奥に残った靄を掻き消したくて一生懸命ココアを飲み込む。ふと目を上げた先では、クリームソーダのアイスクリームが緑色の炭酸に飲み込まれ、どろどろの何かになっていた。