マニキュア何でもない日の飾りつけ。マジカメ映えのための用意。髪型だって、単に持ち上げるだけじゃなくて少しだけくるりと一工夫。
「お前本当に器用だよな」
笑った同級生に「でしょ~」と笑い返して、ほらね、『けーくん』のできあがり。
むむと寄せられた眉と、時々ぴょこぴょこ動く湿度に弱い髪の毛につい笑いそうになるのをどうにか我慢しながら、右手を握る汗ばんだ手に委ねた。
「あっ、ちょっとはみ出した」
「うるさいなあ、ちょっとくらい大丈夫」
「え~、結構わかるよそれ」
「じゃあ自分でやったらいいじゃん」
「だから自分くんに頼んでるんじゃん」
いま、オレたちが直面しているこのミッションは、何が何でも同室の同級生が留守の隙にやり遂げなければならない。作業を効率よく進めるために、オレはユニーク魔法を使って作業スピードを倍に、しているつもりだったのだけれど。
「……まあ、結局オレだもんね」
「そう、オレである限り苦手なものは一緒なんだよ」
とほほ、と肩を落とした目の前の自分がしょんぼりしながらも手を進める。残念だけれど、やらなくては終わらないから仕方がないのだ。こればかりは本体がやってやることはできないし、代わってやったところで結局できないことはできない。
「そもそもオレら言うほど器用じゃないしね」
「そうなんだよね。何をどうして誤解されたんだろ」
「その結果がこれだもんね」
「ね」
苦笑して視線を合わせ、独特の匂いに溜息を吐いた。
髪型だって、飾りつけだって、それなりに器用にこなしてみせるけれど、唯一苦手な「ネイル」は、どうやったって上手くできない。左手はまだどうにかなっても(それもかなりギリギリだ)、右手なんてとんでもなかった。だから仕方なく、ネイルをしないといけない時には同室の生徒が留守の時を見計らって、こうして増やした自分に頼んでいる。
「姉ちゃんには上手く塗ってあげられたのになあ」
「何が違うんだかね」
実家にいた時、姉に頼まれてネイルをしてやった時にはもっと上手く塗れたはずなのに。どうやったって少しはみ出したり、よれてしまったりして、ばちっと綺麗に塗れなかった。
「……ま、元々こんなのやるタイプじゃないしねえ、ケイトは」
ネイルなんて趣味じゃない。髪型だってもっと短くていい。メイクだって面倒だし、もっとゆるゆるのスウェットで過ごしたい。けれど。
「けーくんはそうもいかないでしょ?」
どちらともなく呟いたそれに、どちらともなく頷いた。彼は自分。自分は彼。双子なんかよりももっと、分かり合える存在なのだから当然だ。
「あれ、ケイト早かったな?」
唐突に開けられたドアの音と、オレの存在を確認した声に思わず文字通り飛び上がって、その拍子に右手の甲にびっと一筋マニキュアのハケが走る。
「ああああ」
「あれ、悪い、驚かせたか?」
「い、いや、えと、ううん!」
咄嗟に塗り途中の右手を隠して、自分くんも慌ててマニキュアを隠すけれど。
「爪塗ってたのか」
そりゃあ匂いでバレるよね。観念して肩を落としてマニキュアをオレくんから受け取った。右手の甲には一本の筋が通っていて、これをまずどうにかしないとなあと除光液を手に取る。
「……」
「……何」
「俺がやってやろうか?」
「は?」
「だってわざわざ魔法使って自分にやらせるなんて。塗るの苦手なんだろ?」
いいとも悪いとも言っていないのに、そそくさと近寄って来たトレイくんからは甘いバニラの匂いがして、少しだけ顔を顰めた。きっと、ケーキを作って来たんだろう。暫く出て来るとしか言わなかった彼がどこへ行っていたのかなど訊きもしなかったけれど、こんなに甘い匂いをさせていればすぐにわかる。マニキュアの匂いと混じってくらくらした。
トレイくんの手は骨と皮だけでごつごつとしていて、それでいて指が長いものだから何だかとてつもなく大きく見える。実際大差はないのだろうけれど、オレの手とは少し違うなと何となく観察しながら、鼻歌交じりにオレの爪を彩り始めたその指先を見詰めた。案外器用なこの男は、オレなんかよりも遥かにこういった細かい作業が得意で、彼の作ったスイーツは細工が細かくて地元では評判だったらしい。
少し体温が低い。触れ合った手のひらがじんわりと汗をかいている気がして、何だかとても気恥ずかしかったけれど逃げるわけにはいかなかった。
「……トレイくんて結構強引なとこあるよね」
「そうか?」
無自覚なのか、誤魔化しているのか。どちらでもいいかと手持無沙汰に自分が塗った左手の爪を眺める。よれて、擦れて、どうにか綺麗にしていようと必死で、何だかオレみたいだなと目を伏せた。
「よし、いいぞ」
「……ありがとう」
左右の出来の差がすごい。トレイくんに塗ってもらったそれは少しのよれも歪みもなく、つるりと綺麗に塗り上がっているのに、左手の残念さと言ったら。
「なあ、嫌じゃなければ今度も俺にやらせてくれないか?」
手の甲を除光液でなぞって、一文字を消しながらの提案に思わず顔を顰めてしまった。どうもトレイくん相手だと素が出てしまう事があっていけない。
「……なんで?」
「人の爪塗るの好きなんだよ」
できた、と手が離されて、綺麗になった右手の甲に目を細めた。ネイルをするのが好きだなんて、これはきっと、彼の嘘。時々こうして不思議な嘘をつくことくらい、この数か月の付き合いでよく知っている。
「別にいいけど」
それでも、別に不利益ではないし、断固断る必要もないし、やってくれるというならやってもらった方が楽だし。素っ気なくそう言うと、メガネの奥で嬉しそうに笑うものだから。
「……変なの」
ついぽつりと呟いてしまって、そうかな、と苦笑されてしまった。
そう言えば、ネイルが塗れないなんて意外だとか、案外不器用なんだとか、そういうことは言われなかったなと、少し低い体温が残る右手の爪に、ふうとひとつ息を吹きかけた。
本当はあの時が初めてで、人にネイルをやってやったことなんてケイト以外にはなかったんだと。そんな風にトレイくんから打ち明けられたのはもう少し、あとのこと。
オレに触るための言い訳だったとか、と揶揄ったのには、真っ赤になった耳が総てを語っていた。